ものがたり・日々雑感「気ままに-1-
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2015.10.20~2016.12.20 photo 2018.11.3_20181103_144928
気ままに-1-

-1-
2015.10.20
ちょっと気分を入れ替えて<気ままに>です。
これまでの記事を消そうと思ったけど、まとめて消せないですね。
それよりこのブログを廃止しようと思ったけど、廃止できないんです。
特別に主義主張があるわけではありません、のらりくらり、です。
話題は、なんでもあり、です。
その時の気分によって、文が変奏していきます。
成り行きまかせですが、イリュージョン的なのを書きたいです。
えろすかろす、ろまんりある、なんか平仮名で書いたら、変ですね。
たとえば、平成古事記、なんていいんじゃないですかね。
暗闇が明るくなってきて、天と地に分かれるところあたりから、です。
でわ、そうゆうことで、リニューアルです!

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写真や動画を、ネットにアップして、閲覧にかける。
ネットでなければ、展示、上映会、という手段です。
ネットで展開するむきに、賛否ありますが、ぼくは賛成派。
デジタルという新しいツールは、ネットにつなげる。
写真をプリントするなら、フィルムを使えばよろしい。
賛否両論、でも、フィルムはプリントしてなんぼ。
デジタルはモニターで見るのがよろしい。
ネットにつなげば、もっとよろしい。
知的環境の最前線は、デジタルネットワーク環境です。
最前線カメラと最前線ネットワーク環境をつなぐのです。
以前から理屈はこねていたけれど、その世界へ入ろうとしています。
カメラワークと発表ツール、撮って、見せて、という展開です。
さて、なにをどのようにできるのか、いろいろ試していきます。
は~い!

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朝にベートーベンの交響曲一番から聴きだしました。
ええ、パソコンの前に座って、作業をしながらですが聴いています。
それがいま、第六番、田園交響曲の第一楽章です。
もう子供の頃から、ラジオからキリスト教の時間に流れていた曲です。
運命と田園、親しみやすいシンフォニー、誰もが聴いた記憶があるのでは。
ポップスもいいけど、クラシックがいいですね。
ぼくは、ベートーベンが一番好き、といってもいいかと思う。
聴きなれた、といえばいいのかも知れない、これは習慣ですかね。
最近は、宗教に関していえば西洋よりも日本のに惹かれます。
仏像とか、禅宗の庭とか、神社もですが、お寺さん。
とはいっても、テレビ番組、BS放送で京都が話題になっています。
それは、京都のお寺をテーマに、有名人が訪問するといった番組です。
ヨーロッパの古い町並みもいいけれど、京都がやっぱりいいです。
今年になって金沢が話題です、北陸新幹線開通をうけたキャンペーン。
京都に住み、金沢に別荘を持つ身には、おもはゆい感覚です。
まあ、ここまできて、感覚の深みが身に沁みる感じがしています。
写真は吾輩の手捻り陶器です。

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2015.11.4
このブログに書くことは、他人に見られ読まれることを前提にしています。
だからプライベートなことは、つまり本音のところには、触れない。
もう、それらしい言い回しというのも、やめようと思う。
公式、表向き、フィクションとノンフィクションの間を行ったり来たり。
昨日は、細見美術館へ琳派の陶芸家、尾形乾山の陶器類を見に行った。
なにより絵が上手い、ぼくなんか書けないから敬服します。
土をこねて器にするのは、やっぱり精巧に作ってあると感心します。
琳派400年、鷹峯の光悦村、この芸術村ができて400年といいます。
ぼくの生活空間の範囲に、彼らが活躍した空間があります。
ぼくの菩提寺は本阿弥家の菩提寺でもあります。
文化の継承者として、なんの縁もないけれど、ぼくは受け継いでいる。
そのように自負している古希老人だ。
それらの心の真髄を、ぼちぼちと明らかにしていきたいと思う。

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Instagramの写真サイズは正方形ですかね。
iphoneで撮影して、色変換などして、そのままアップロードです。
すぐにネットへアップロードするというのが魅力ですね。
ライブ感がします。
ひところのフィルムではそんなことできない。
1979年の釜ヶ崎写真展、あれは翌日渡しでした。
デジカメになって、撮影して家へ持ちかえって、そこからアップ。
かなり時間短縮できて、ライブ感がありました。
でも、それ以上に、その場でネットにつなげるという即時性ですね。
この即時のなかで集積されるイメージが作品にならないか。
作品にしていくことを予測して、写真を撮る。
いやはや、そのうち、動画にして、アップしていくかも知れない。
静止画と動画を使い分けながら、作品つくりができればいいですね。
でも、見かけより、なにを撮るのか、そのことが大事だということ。
これがおろそかになりがちだけど、意識しておかなければ。
各種媒体を使ってみて、作品呈示をおこなっていきたい、と思う。

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もう50年も書架に仕舞われている書籍なんですか。
棄てられずに置かれたままです。
だいぶん処理したのに、まだまだ棄てられない。
ようは、自分のこだわりだけの問題なんです。
無くすとアイデンティティーとやらが壊れる気がする。
もう、いまさら、読むことなんてないのに、何にこだわるのか。

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やっぱりテーマは、日常の光景に向きあう、ことかな?
自分と自分の気持ちを、自分が撮った写真で向きあう。
ナルシストな感覚、自己満足、自己欺瞞、自分と向き合う。
そういう対象物としての自分の身のまわり、生活の欠片。
いまさら、おげさな賞をねらうとかの気持ちは、ないです。
あきらめ、そんな感じだけど、意識が確かな自分を見つめる。
その意識ってことは、確かなのかどうか、自分ではわからない。
古希をこえる自分の枠組みを、自分で見定めていく、ということか。

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撮影する画角サイズを4:3から3:2に変更しました。
3:2というのは、35ミリフィルムの画角サイズなんでしょうね。
少し横長のサイズです。
デジタルカメラを使いだして12年位になります。
その最初が4:3サイズだったから、そのままここまで来ました。
心境の変化というか、リニューアル、一新するための処置。
スマホを持ちました、パソコンを最新にします、カメラも買い替え。
制作環境を変えてみて、あたらしく取り組むテーマは??です。
??がまだ未定、お迷い系にはいっています。
モデル撮影をしたいと思っていたけど、それはできないことに。
日常といっても、どう絞り込むか、あまりプライベートはできない。
きょうはいいお天気、弟とハーバーカフェに行きました。
写真は、嵯峨野へ行った時のもの、2015.11.13。

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2015.11.18
植木等がスーダラ節を歌い、無責任時代を表現してたのは何時?
もう半世紀ほどもまえのことじゃないかなぁ?
というのも、わたし、いま、この、無責任そのものだと思う。
フランスで、パリで、テロが起こったというけど、わたし無責任。
人が死ぬなんて、真剣に考えたら、いてもたってもいてられない。
沖縄、辺野古にしても、わたし無責任。
どう責任をとれるのか。
デモに参加したら、責任とったことになるのか。
あんまし、もう、おおきなことには、口挟まない、無責任。
ちいさなことを、真剣に追求して、時間稼ぎしている感じです。
人間は、些細なことで悩むのだ、心を痛めるのです。
身近な、身近な処で起こることに、心を使うのですね。
なに書こうとしてるのか、わけわからへんやつが、ここにいる。
わけわからへん、考えたら考えるほど、訳が判らなくなります。
写真を載せます、アイフォーンのプロカメラで撮ったやつ。

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ふがいない自分がいて、古希だとゆうのに行先定まらないです。
この世にいて、あの世のことなんて考えてもしやないけど、いろいろ思う。
訃報に接することがけっこうあります。
いずれ自分の番だと、最近は、とくに思うようになった。
どんなふうになるんやろ、なんて結構真剣に思ってしまう。
ひとのせいにしたらいけないけれど、自分だけがわるいとも思えない。
心許せるひととしてのイメージ、観音さま、助けて、と思ったり。
迷い、迷い、迷い、いまさら、迷ってもしやないのに、迷う。
このまえ、嵯峨野へいったときに撮った写真を載せます。

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11月の月末、明日から12月、師走となる。
明日と明後日、一泊で鳥取のほうへ温泉旅行だ。
JP労組OBの親睦旅行、費用25000円です。
気乗りしない、無理に断れなかったから、行きますが。
いけば、嬉しいこともあるかも知れないけれど。
旅館でしょ、畳部屋、相部屋、和食、なんかうんざり。
こんなこと言ってたら申し訳ないとはおもうけれど、本音です。
企画して、支部に参加人員割り当てて、なんていうこっちゃ。
参加者は年寄りばかり、自分を自慢ばかりする人がいるから、嫌やなぁ。
まあ、どうしてJP労組OB会の支部役員になったのか、そこです。
頼まれて、断る理由もないし、引き受けたものの、連合の選挙対策。
そういう世界があって、かって、そういうところにいた、という自分。
人生、あっちにもこっちにも失礼ばかりしてきたからの、お返し。
それにしても、日々過ぎるの早し、もう一年が終わっていきます。

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2015.12.7
今日から新しいパソコンで作業をしだしています。
再出発、リスタート、環境を変えて、がんばってみようと思うところ。
iPhoneを使って、写真を撮って、フェースブックにまとめる。
アルバムも新しい場所で作ってみて、これまでとは違う感覚です。
これまでニコンとキャノンのアルバムで、作品展開してきたけど。
Flickr、Instagram、Google、このアルバムを使い出しました。
iPhoneでは、カメラで色変換とかできるので、作品が今どき流儀で。
まあ、いいじゃん、自分で惚れてるんだから、それでいいじゃない!
女神様には、こんなスタイルになった自分を知ってもらいたいなぁ。
気分かなり楽になってきましたけど、もうひとふんばりです。

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2015.12.23
年末恒例となったかの第九、いま終わりました。
続いて皇帝、エンペラーが演奏されています。
このまえから、第九交響曲、合唱、聴きたいなと思っていました。
何度か聴き出したけど、途中で止めてしまうはめになっていました。
今日は第七番から流し出して、作業はファイル整理してました。
祝日なんですね、エンペラーの誕生日です。
もう、ぼくには、祝日も日曜日も関係ない立場です。
パソコンのこの前買ったスピーカーから流れ出てきています。
合唱も胸にきたけど、ピアノ協奏曲、なかなかいいですね。
掲載の写真は、ハーバーカフェのモーニング最上のセットです。
先日、同窓の友だちと待ち合わせて、食べた。
モーニングといいながら昼食、たまに、贅沢に食べます。
いいですね、なかなか、人生にうっとり、ほんと、うっとり。
でも、どうしようかな、この先、どうしたら、なんて思いも。

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えんま様、お許しください、反省しています。
年の瀬だから、こころのなかで、つぶやいています。
あんまりいいことしてないなぁ。
わるいことばっかり、してる、そんな感じがしています。
天使さまが降誕されて、こころが入れ替わったけど、です。
けっきょく、もとのもくあみ、漢字で書けないが戻った感じ。
普通の、ごく普通の、市井の生活人、高齢者、男、です。
まあ、来年は、いいこと、したいなぁ、とおもうところですが。

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2015.12.30
夜中に三度ももよおして、目が覚めてしまった。
もう起きる時間かと思って時計をみると七時前。
すぐさま、ここに、います、まぶたが重い。
頭の中は、それなりに冴えていて、イメージが次々と。
年末の気分でしょうか、荘厳ミサ曲をひらいて聴きだしました。
かなり大きめのボリュームで、いま、合唱部が流れ出ています。
もう、今日と明日、今年という一年がおわって、来年がはじまる。
ふと、生きてられるかしら、と思ってしまったり、します。
壊れてしまったなぁ、身も心も、そんな感じがしてしまった今年。
価値が崩壊し、目の前に刹那のイメージだけが流れていきます。
iPhoneを手にして、その刹那のイメージを停止させようとしてる。
荘厳ミサ曲って、ベートーベンが厳かな気持ちにさせてくれるんだ。
静謐といえばいいのか、早朝のまだ目が覚めない頭脳に滲みてきます。
そしてその太いイボイボ棒は何に使うんだろうと想像してしまいます。

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2016.1.1
2016年1月1日、新しい年の幕開けです。
なにが起こるんでしょうか、今年は、いかにして過ごすか。
もう、文章も、ひと頃ほどには書けない、目が疲れる。
肉体的にも老体になってきているから、疲れやすい。
持続がないんでしょうね、枯渇、からだの中が枯渇してる?
枯渇してるから、最後のあがき、というか未練たらたらです。
なりふりかまわず、老体体験を書き綴っていけば良いのかも。
性欲のことなど、興味あるところですが、これはちょっとまずいか。
生きてる限り、命があって、性にまつわる事があって、食がある。
食べること優先だ、なんてことは逆転、本音は、性が先で食は後。
これが文化のなせる技の、本音のところだと、考えています。
年齢を重ねるとともに、精子を作り出す能力がなくなってきます。
これが直裁てきな性欲から、空想性欲へと変容していくみたい。
おおきくなる力がなくなるけれど、全くなくなるわけではない。
まあ、こんな内容のことを、書いていけば、いいのかも。

-17-
2016.1.7
新しいパソコン、ウインドウ10にして一ヶ月ほどになります。
iPhoneを手にして三ヶ月ほどになります。
この二つのツールで、ぼくの頭の中が、もたもた状態です。
写真・静止画を撮ってウエブにて作家活動をしていこう。
そう思って、使いこなそうとしてるところですけど、ようわからん。
これまでの知識で思ってた以上に多様化してるんですね。
その細部がわからなかったり、限界がわからなかったり、です。
パソコンの中に保存している写真や動画が、まとめられていきます。
勝手に、といったら失礼ですけど、ソフトが勝手にやってくれます。
そうして使っている本人にプレゼンしてきます。
本人にプレゼンされた内容が、それが、どこまで公開されてるのか。
わからん、やばい、どないしょ、そんな気持ちに、満ち満ちです。
富士通のパソコン使ってるけど、フォト、全部、アルバムで可視化。
グーグルのアルバムでも、全部、集めて、アルバム化、ですね。
iCloudってゆうのは、アップルが集めてくれるアルバム。
マイクロソフトのはoutlookって言ってるのがこれでしょうか。
ネット運営側が用意してくれた枠組みは、現在、全部まとめて!です。
フリッカーというアルバムサイトだって、全部集めていますね。
これには公開するかプライベートにするかの選択がありますね。
いやはや、わけわからん状況になってきていますね。
自分の内側を外に媒介するパソコン、iPhone、その全体をわかりたい。
わかったうえで使うと、これからの作品作りの形態が、わかってくる。
もたもた、どうしたらええのか、いっしょに研究できる相棒がほしい。

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何やってるんだか、よくわからないままの日々、2016年です。
パソコンにiTunesをダウンロードして、音楽データを聴けるようにしています。
つい数日前からですが、池田さんのHDからコピーさせていただいたのです。
膨大な音の群れ、音楽の楽節がいっぱい詰まっています。
どこから、どうして、手をつけようか、うんうん、フルトベングラー。
フルトベングラーさんは指揮者で、ベートーベンの交響曲とかコピーしました。
自分の残された人生の時間のなかで、どこまで聴けるのかなぁ、と思いながら。
うんうん、熱中することで、忘れたいことを忘れてしまうから、いいです。
熱中したいこと、そのことに熱中、いまは写真撮ることより、なんやろ?
70年も生きてきて、過去がいっぱい詰まった頭んなかを、からっぽにしたい。

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寒い日になりました、寒波到来、京都市内は寒いばかりです。
金沢の方は雪が降っているんでしょう。
部屋にこもって、池田さんから預かったクラシック音源を入れています。
バッハが多い、ベートーベン、シューベルト・・・・。
いま、シューベルトの弦楽四重奏、スピーカーから流れてきてます。
やわらかい、やさしい、シューベルトの面影が浮かんでは消えていきます。
美しき水車小屋の娘、とか、歌曲は冬の旅、なんかしらほろっとしてきます。
もう、そとが暗くなってきました。
どないしてますか、お元気ですか、笑顔がふ~っと浮かんで消えていきます。
ストリングのはかない音色のように、です。
さようなら、そうしないといけませんね。

-20-
2016.2.1
今日から2月、なにかと月が変わると区切りたくなる心の節目です。
少し早めに花の写真を探してきて載せます。
何年か前の4月に撮ったやるですが、目にとまったんです。
ほんとうは花の話なんてどうでもよくて、原発再稼働のことしゃべりたい。
でも、しゃべりませんよ、そんなの、むなしくって、だめです。
とろけて崩壊しそうな脳、シュールリアルな感覚、世界がとろける。
もうこの年になってきて、自分で分析らしくものするんです。
自分研究といえばいいのか、自分を自分で検証する。
自分学とでも言ってあげれば学問の仲間入りするのかも知れない。
AM6:17,そとはまだ暗いです。
耳にはシューマンのシンフォニーの音律がはいってきてます。
目はこのパソコン画面をみているエロサイトじゃありません。
あたまんなかは、渦が巻いてる、ぐるぐるぐるぐる、上滑りです。
感情ってんがあって、感じて情、なさけ、情け無い、とほほ、です。
とっても豊かな感情なんですが、恥ずかしくって、顔を上げれません。
身体が枯れれば枯れるほど、感情はみずみずしく、瑞瑞しい。
もうやめよう、コーヒーを入れなくちゃ、朝の珈琲、です。

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2016.2.8
269gのブログが閉鎖されるとあります。
食物図鑑と気儘日記の二つを持っていますが。
閉鎖されればそれはそれでいいと思っています。
ほかにも最近封鎖されたブログがありますが。
これもこれでいいと思っています。
使い勝手のよいブログとそうではないブログ。
収益があがる運営会社とそうではない会社。
淘汰されより効率よく儲かる方へと組み直される。
そういうなかで自分をつくって発表すること。
なんだか仕組まれた罠だなぁ、と思ってしまいます。
新しいサービスが増えてきて、古い形式はなくなる。
そういう時代にはそれにそぐっていくしかないですね。