むくむく通信 VOL 002
2004年夏号
編集発行:むくむく通信社 発行人:中川繁夫
2004年7月1日発行
新しい生活スタイルの情報を集めて紹介・批評などをおこなっていきます
生活情報・アート情報・写真情報・文学情報・農業情報・その他諸々

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季刊むくむく通信 2004年夏号 
目次
むくむくの話題
記事1 京都農塾たより-02-
記事2 アートとはなにかということ-連載2-
記事3 通信と通学で学べる写真・文学・農学校の話
記事4 お勧めスポット ギャラリー・DOT
記事5 食と農について

☆むくむくの話題☆

あい実践学校 について


  

こんにちわ!むくむく通信社です。

綜合文化研究所をこの4月28日に創立しましたが。
そのコンセプトのなかに「あい実践学校」群の運営があります。

そのコンセプトに基づいて、あい写真学校、あい文学校、あい農学校と
3つの学校が開校しました。
ここでは、この学校のがなぜ必要なのか、について説明したいと思います。

自分が生きていく日常の根底となる、食べることを自分で作る。
写真と文章を、自分をみつめていく手段のツールとして使う。
身体を生かすことと心を生かすことの全体を作りだすこと!

つまり生きていくトレーニングをする場としての学校を考えています。
その学校で学ぶことの中心は、個人の自立ということです。

インディペンデント・スクールオルタナティブ・スクール、もうひとつの学校・・・
表現の方法はいろいろあると思います。

現在ある教育システムの中心的役割は社会に役立つ人材育成です。
この場合の「社会に役立つ人材」とは社会進歩に貢献する人のことです。
国が他国との競争に勝つための秩序に組み込むための教育。
これが中心となるシステムです。

ぼくには、そのことだけが優先されていいのかな~との思いがあります。
というのも、競争社会の中に組み込まれた人の全てが、
自分の人生に満足を得ているのでしょうか?

ぼくは生きることに必要なのは、
競い合うことで勝った負けたのことじゃないと思っています。
人より優位に立つことで満たされる、
この発想って空しいではないですか

正規の学校教育とは、構造的になされる権力の行使なんですね。
この学校枠組みのなかで、
多くの人たちが何か変やな~って思っていませんか。

これまでこの国の人は、競争社会に参入することが当然のこととされてきました。
だから、年頃になって登校拒否や引きこもりするのは悪であって、
その子たちをいかにして競争社会に参入させるか、
が「社会復帰」という言い方で論議されてきたように思います。

でもいまぼくは、かならずしもそこに組み込まれなくてもいい生き方、
もうひとつ別の生き方もあるだろうと考えています。

生きていくうえで、何処までもいっても、
競争する大きな体制から逃れられないとしても、
自己認識として競争社会であることを理解することが必要です。

その認識に立って、競争に参入する人は参入すればいいし、
そうではない方向を目指すなら、
競争から遠ざかる方法を編み出していかなければならないんです。

その認識の方法が学べる学校!
思索とスキルの両立で自分を見つめる学校!

イメージ表現としての写真映像・写真学校。
言葉表現としての文章・文学校。
身体を養う食べものを生産する農学校。

構造的になされる権力のなかでどのようにして生きるのかを考える場所。
あい実践学校のコンセプトは、
権力を持たない人が自立するための学校であろうとしています。

2004.7.24 nakagawa shigeo

記事1 京都農塾たより-02-

京都農塾では、春に植えた野菜苗が大きくなって、
次々と収穫できるようになてきました。

京都農塾 2004.7.10 はたけの光景
    

    

京都農塾では、田んぼと畠のつくりかたを教えています。
その京都農塾の活動方針を紹介します。

<かっこいい野菜って、なんてかっこ悪いんだろう>

自分が、そして、ご家族が食する野菜やお米を、
ほんのちょっぴりくらい自分でつくってみませんか。

どうせ自分が作るのなら、農薬や化学肥料に一切頼らない、
ちょっぴりかっこの悪い、安心な野菜やお米を一緒に作ってみませんか。

野菜栽培が中心にはなりますが、時には、収穫した野菜で漬物を漬けたり、
野菜でジャムを作ったり、味噌や豆腐、醤油なども作ったり、
山羊のミルクでヨーグルトやチーズを作ったり、と色々な手作り教室も開くつもりです。

収穫野菜のふえる6月から11月の作業日には、
皆で朝から収穫をして、その収穫野菜を皆で料理して、
そして、皆でお昼を楽しくたべましょう。

そして、元気になったお昼からは農作業に精を出しましょう。
こんな小さな自給自足生活を体験してみませんか。

こんなことを考えている「京都農塾」は、今年の5月で2年目に入ります。
安心な野菜作りに興味のある方、自給自足生活に興味のある方、
手作り生活に興味のある方、農業に興味のある方、
「京都農塾」にぜひ一度参加してみてください。


京都農塾 2004.7.24 はたけの光景
   

   

   

春に植えつけた野菜の苗が生長して収穫できるようになりました。
インゲン、茄子、胡瓜・・・はたけで作業は汗だくだくです。
収穫、追肥、誘導、ネット張り、仕事はいろいろあります。
共同で作業を行います。

京都農塾 2004.8.7 トマトの収穫とお昼のおかず「野菜のてんぷら」
 

 

8月7日にはトマトが真っ赤になっていました。
お昼ごはんは、はたけで収穫したお野菜を、
その場で、天ぷらにしてに食べました。
最初の収穫祭!ですね^o^
みんなでつくってみんなで食べる!
ちいさいながらも生産共同体だと思っています。
自然と人間の関係の中に農・食が介在していく生活って、
これからの時代ますます重要なテーマだと思います。

記事2 アートとはなにかということ
       連載-その2-

人間の生の営みのなかでアートということを考えてみます。
生命を維持していくなかで、食べること、寝ること、セクスすること、これが基本だと思います。
その上に、衣装をまとうことや、美味しく食べたい、人に認めてもらいたい、というような欲求が
あります。
マズロー(1908年NY生まれ)は、欲求段階説を書き表していますが、その根底(第一段階)で
は、生理的欲求をあげています。生存、安楽の欲求です。衣食住の生理的、肉体的な欲求で
す。そのことが充足されることで安全、安定を求める欲求があるといいます。そのことまでも充
足されると、社会的親和の欲求がある、集団帰属欲求です。
この段階説からいうと、アートする欲求は衣食住が満たされ生きることの安全、安心が確保さ
れた上で生じてくるように感じます。

集団に帰属したい、集団の中で一体感を持ちたい、仲間から受け入れられたい、愛情ある人
間関係でありたい・・・・
こういう意識が芽生えはじめるなかから、アートといえる意識が発生してきたんだと思います。
ぼくは、コミュニケーションツールとしての表現のなかにアートの原形をみることができると思っ
ています。
アートすることとは、コミュニケーションすることです。人に自分の感じる何かを伝えたい、この
欲求を形にしていくもの、これだと思います。
自分の欲求の痕跡を残すものとして、岩や石に、身体に、刻んだ痕跡です。
そこから様々なアートするための道具がつくられてきます。この道具はアートするツールです。
大事なのは、そのことを欲求の内に抱いたこと、そのことなんです。

だから一応の線引きとして、生きるための食料を求める行為そのものの中では、アートする行
為は認めない、という線を引いてみます。これは共同体総体としてのレベルのことです。

そう考えると、たとえば、地域共同体が収穫祭をとりおこなうこと。収穫祭の形式が出来てくる
過程で、その祭りという儀式そのものがアートすることを孕むんです。
親密な関係のなかで営まれるコミュニケーションです。
ここで安心、安定した集団帰属への充足がみてとれます。

ここでは、原理的な話をしています。
アートとはなにか、というその根底を支える心のあり方に論及したいのです。

ぼくが、農産物を作り出す作業とアートする作業とを同列に置くゆえんは、ここにあります。
現代社会では、社会総体として生存を脅かされている段階ではありません。ただ配分の問題
がありますが、うまく工夫をすれば生存できるだけの食料はあると考えています。
そこにはもちろん人間の労働がなければならないわけですが、食料は充足しているとみていい
と思います。

でも、個別に見ていけば、貧富の差があるし、食うに困る立場に追いやられることもあります。
この格差は、別に是正していくことを考え行動していかなければいけないんですが・・・。
そのためにも食料を生産するスキルを身につける必要があると思っています。
また、いまの社会にあっては、都会に住まう人にとって、食料生産は贅沢生活のようにも感じ
てしまいますが、生きることの基本として捉えるんです。
また、このことは、心の充足、幸福感を得るという道筋にもつながっているように考えていま
す。

アートの原形が生活の安定、安心から生じるんです。そのうえでコミュニケーションツールとし
てアートを生み出すんです。その基本形を自分の領域で作っていかなければいけないんです。
社会生活不安からアートが生み出されるのではありません。社会での安定生活のうえに喜び
の対象としてアートすることは眺められるべきなんです。

自分の作品が世に認められること、確かに集団帰属へのコミュニケーション手段です。
F1レースに出場するレーサーがトレーニングを重ねる、オリンピックでメダルを獲得するため
にがんばる!この図式でアート作品を生み出して名声を得る!
でもこのことだけがアートする心の道筋じゃないんです。基本形はこういうことです。

ぼくは、アートすることの意味を、問い直す作業をしているんだと思っています。
これは、生きることの意味を、見つめなおす道筋に起こってきたことなんです。
人が生きることのなかに充実感と幸福感を見いだせるかどうか、との設問なんです。
個人の生活の総体のなかで、どのようにしてこれを実現していくのか、との設問なんです。

記事3 通信と通学で学べる写真・文学・農学校の話

  


いまやインターネットが普及して誰もが使えるツールとなってきました。
情報化社会が進展してわたしたちの生活様式が大きく様変わりしてきています。
それから社会の構造が変わってきています。

今日(2004.8.12)のニュースでは、大手スーパー・ダイエー再建をめぐって、産業再生機構の支援か銀行支援による
再建か、ということを伝えていました。
支援する銀行にUFJがあります。このUFJ銀行自体も経営悪化していて、合併しなければ立ち行かなくなっているん
ですね。
細部はわかりませんが、この一連の話をニュースで見聞きしていて、これは自然でない、と思っています。
たしかにそこには従業員がいて、それぞれに生活がかかっていますから失業させるわけにはいかない!・・・というの
は名目ですよね。過当競争で敗者なんです。けっきょくはね。

なにが言いたいのかというと、大企業は優遇される、ということです。ちいさな個人はますます
小さくなって生活も小さくなりますよ!っていいたいんです。
グローバリゼーションって言っていますが、資本が集中していく道筋の出来事だと思っていま
す。
ぼくは、このグローバリゼーションに反対しています。根底から反対していますと、ここで言って
おきます。世の中の流れの中心はこのグローバル化です。経済システムが多国籍企業に支配
されていくことです。生産手段の保有が集中していくということです。
なにを意味するかといえば、個人が生産手段を持てないんです。おおきくわければ個人は今以
上に消費者になる。戦争がなくなるわけでなし、福祉が充実といっても十分でなし、人間の尊厳
が失われていくんです。このように考えております。
(人間の尊厳とはなにかを別途考えましょう)

世の中が、そういう事態に直面していますから、人間を取り戻していくための学校を創らないと
いけないな~と考えているのです。生産手段を自分のものにしていくことを学ぶ「学校」です。

学校の基本は「農学校」です。これは食べるものを作り出すノウハウを手に入れることです。
作るということの基本に「食べ物」がありますが、それだけではなく、生活道具をつくることにも
つながっていきます。当然、自然にやさいい素材を使います。

それと食べるものをつくるだけでは、人間いきていけないんです。そこにはコミュニケーション、
人と人が交わり、共同で生活していかなければならない。そのためのツールとして「写真学校」
と「文学校」で、自分を表現するノウハウを学ぶのです。
写真は現代のツールです。イメージ表現です。その先は絵画でもビデオでも舞台でもいいんで
す。一方で文章表現があります。これは言語を使いこなすことです。

この身体をやしなう食の生産と精神をやしなう写真や文章の生産をミックスして手に入れるこ
と。これが基本設計図です。
グローバル化していくおおきな流れに乗せられないような生活スタイルを身につけることを始め
る学校!これが必要だと思っているのです。

学校経営が収益の対象として運営されるのではなく、個人のために存在する、そういう学校で
す。これを共同して創り出そうというのが本題です。
費用はいらない、ということはできないんです。貨幣経済に全部とはいいませんが組み込まれ
ざるをえないんです。だから最小の費用分担をします。総額は極力維持経費内にとどめます。

具体的な金額は、通信セミナーでは、写真学校が月2000円、文学校が月2000円です。農学校
は京都農塾に委託を想定しておりまして、月1000円(実費)。合計月5000円です。
どこからも補助なしでやります。写真学校と文学校の経費は、相当の生産物でもいいんです。
お米とか野菜とかです。ただし自分で作ったものに限ります。この考え方は地域通貨が基礎に
あります。

さあ、次はみなさんが参加する番です。
2004.8.12 中川繁夫記

記事4 お勧めスポット
ギャラリー・DOT



京都・下鴨にある、オリジナルプリントを扱うギャラリー・DOT(TEL 075-722-0658)です。

1980年11月にオープンしたオリジナルプリントを扱うギャラリーです。
京都散策の折にはぜひ訪問してほしいギャラリーです。


ギャラリー・DOTオーナーの岡田悦子さん

1984年にはじまったフォトハウス京都の事務局となった場所です。
ギャラリーオープンから24年の歴史を持っている写真ギャラリーの老舗存在です。
数々の写真中心の展覧会が開催された歴史はHPを参照してください。
展示機能と人材育成機能を併せ持ったギャラリー運営を行ってきました。

2004年10月に開校する写真学校「写真ワークショップ京都」の会場となります。

記事5 食と農について

食べること・生産すること

食べることは生活の基本です。
それから人間存在の原点は生産活動をすることです。
この2つの基本原点について考えてみたいと思います。

お金をだせば何でも買える、金さえあれば・・・・と多くのヒトが思っています。
でも、ここで発想を逆転させて、食べるものを自分でつくる方へと考える。
自給自足の方へ考えを発展させる。

食料の生産手段は大きな資本の手の中にあります。
アグリビジネスっていいますが、世界規模で資本が集中してきています。
この大きな潮流を、グローバリゼーションといっていますが、現在は、世界が大きな資本に集
約されていく道筋にあると捉えています。
そこには、かってあった安定的労働の場所が流動化していて浮遊化てきています。
能力主義とかで、そこに居るヒトは不安と不安定に見舞われています。

つまり、安心して日々が過ごせる世界が無くなってきているんです。
だったら、その安心して過ごせる日々と場所を取り戻さないといけないな~、と思うんです。
そのためにはどうしたらいいのか。その基本が生産手段を手に入れること、食べるものを自分
で作る、ということなんですね。

ひとりでやれることって知れてます。自給自足といったってひとりでは無理です。
そこはネットワークを組んでやるしかないんです。
ぼくはこのネットワークを、むくむくネットワーク っていっています。

ヒト個人がそのままでは大きな力に押されてしまいます。
ネットワークを組むことで、ヒト個人が自立していこうとすることなんです。

確かに身体はひとつしかなくて、時間もひとつしか持てないですね。
だから生産活動に入るには大きな転換が必要だと思います。
当面の生活をどのようにして維持していくんだ~っていう声があがってきます。
というところから、生活の見直しを始めていかなければなりません。
それぞれのヒト個人が、ある日突然に転換できるというものではないです。
少しずつ生産することの方へ、自立することの方へ移動していくしかないです。

フリーターでは、お金が少ししか手に入りませんから工夫をして安いものを確保する。
食料品、衣料品、生活必需品・・・お金なしで済ませるには、最終生産するしかないですね。

この移動していくプロセスは与えられるものではなく、自分で作り出していくものです。
自分の食べものを確保しながら少しずつ生産の方へ向けていきましょう!

2004.8.24 nakagawa shigeo