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撮ったばかりの曼殊沙華、庭に咲いている彼岸花、スマホで撮っております。
いつも感心するんですが、彼岸の頃になるとにょろにょろ茎が伸びて咲くんですね。
その植物の感覚ってゆうか、感度ってゆうか、これが自然体位なんですね。
人間様も、この自然体位で生きたいところですが、社会ってのはそうはさせない。
人間には、特有の思い入れってのがあって、記憶に基づいて行為があるみたいな。
ここまで生きてきて、生命の不思議に、素直に忠実に、残りは生きていきたいなぁ、と。

最近はまっているのが、かなり昔の小説というか文章の塊を探して読む、こと。
1940年代後半から50年代半ばまで、和暦でいえば昭和20年から昭和30年頃まで。
ネット上に公開されている、当時の雑誌のページがそのままスキャンされているのです。
カストリ雑誌とはちがうSM雑誌のようなそうでないような、風俗史研究の資料でしょうか。
風俗史研究の資料、なんていうとカッコいいけど、人間の性欲を満たす、資料でしょうか。
文学史には表れてこない裏文学史とでもいえるか、いやいや文学史幅を拡大するべき。

野間宏とか大岡昇平とかの、硬派な戦後文学なら、正々堂々、研究してますって名乗れる。
でも、たぶん、それらと並列できそうな、軟派な戦後文学、隠れた文士たちの小説がある。
小学生のころに、乱歩とかと同列で、雑誌のページを見て読んだ記憶があって、それが蘇る。
野間とか大岡とかを読むのは、高校から大学生のころで、少年期はカストリ雑誌を読んだ。
まだまだ開放的ではない領域ですが、私の研究表現塾でも立ち上げて、研究しようかな。
写真もそうだし、映像もだけど、軟派文学を研究対象としても先鋭的なのではないですか。