海のむこうに
2006.12.3~
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海の写真を撮ろうと思って、この9月から定点観測的に海を撮りだしました。撮影場所は越前海岸です。京都からゆうと越前岬の手前10キロ前後のポイントです。カメラを向ける方角は、そこからおおむね北西です。海岸沿いに設えられた道路脇のちょっと高台になったポイントです。

地球は丸いから、そこから見える最遠は水平線です。現代史を少しは齧ったことがあるボクは、かって内灘の海岸に興味をもっていました。つまり目の前に広がる海は「日本海」と名称された海です。その海のむこうに陸があって、その陸は朝鮮半島です。きな臭い話だけれど、能登半島の根っ子の内灘から、ボクがいま選んだ越前岬までのラインは、軍事的要所として北西を見ることになります。

その海の向こうに向けて、ボクはカメラを向けています。ちょうど写真に撮られた海の真ん中あたりが北緯38度あたりではないかと認識しています。この目の前に広がる日本海の生成は、1700万年から2000万年前ごろだといいます。ボクは、この長大な時間への想いとともに、現代史のある側面を連想させるのです。

この写真が意味をもつのは、ボク自身においてです。1970年代の中頃にカメラを持って、家族以外に最初に撮った写真が、内灘砂丘の海岸へ、家族で海水浴に行ったときでした。当時にはまだ試射場当時の弾薬庫跡が残っていて、それを何コマか撮ったのです。やがて1980年に「映像情報」を発刊しますが、その表紙写真に、そのとき撮った写真を採用しています。

そんなこんなでこの40年間、ボクが何かしらこだわってしまい、事あるごとによみがえってくる場所なわけです。今年9月から撮りだした海の写真は、そのポイントに立つとき、ボク自身の記憶をよみがえらせるのです。いまさら現代史の問題にアタッチメントしようとは想わないんですが、ボクのこだわりのある部分として、海を撮るポイントを選定してしまったことだけは確かなことです。

<地>を撮る
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いま痕跡シリーズで、いくつかの被写体を選んでファイルにしている一つに<地>のシリーズがあります。昨日は自宅から紙屋川沿いに北上して、鏡石まで行ったんです。これまでにも薄々意識はしていたのですけど、あらためて明確に意識したのは、天皇陵が川の東、つまり洛外に散見されたことです。

地が露出した場所を求めて、それもボクの意識のなかで、意味ある場所を求めているわけですけど、昨日の場合だと、御土居ーおどいーがありました。御土居とは、秀吉によって築かれた京都を囲む土塁のことです。念のため、この御土居の内側が洛中、外側が洛外と区分されているのです。

鞍馬口通りの北にある児童公園で最初の撮影をし、それから金閣寺前の通りを山際に沿って北上していったのです。道路はアスファルト舗装で、山際はフェンスが張られ、宅地化して住宅が並び、立ち入れて土が露出している処というのは、ほとんど無いのでした。その道すがら、道路の右手、つまり山際の道路の右に天皇陵があり、垣根の下が、<地>が露出していたわけです。

撮影の主たる目的は、鏡石を撮ることだったので、数カットシャッターを切っただけでしたが、掲載の写真はその一枚です。いま、あらためて、土の露出したポイントで意味ある場所が、そういった類の処だと意識しているところです。写真のテーマについて、少し考えていく必要があるなぁ、と思うポイントだと思い出しています。


<神域>を撮る
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もう一年以上も前から、京都地域文化研究なんて標題を掲げて、研究、つまり考えることの枠を作ってしまったわけですが、それ以後、やっぱり意識化してしまって、ことあるごとに思案していたんです。で、そもそも京都地域文化研究という枠がボクのなかで起こってきた背景は、グローバル化していく世界構造に対して、いかにローカル化軸を立てていくか、なんて考えがあったのです。

このグローバル化とは、ボクには、西欧化だとの基本認識があって、拠って立つボクのアイデンティティ、つまり自分とは何か、なんてことを考えてきた最中で出てきたテーマだったわけです。綜合文化研究所なんて標題で、やろうと思っていたことの対面に、綜合ではなくて個別、個別文化研究、つまり自分研究につながってくるテーマが浮上してきたわけです。

良い悪いはさておいて、ボクの思考と実践方法というのは、大きな枠組みを作って、部分の枠組みを作って、それらを図式化して、それらの部分部分を、写真に先立つ文章で埋めて、平行して写真作業に入っていこうとの考えが濃厚に支配していると思っています。それが、今年の初めごろから、それらのことを棚上げしていたのです。つまり、基本視点を<理>から<情>へ移そうと思ったわけです。

情において<美>の意識を、写真化できないか、との思いが起こってきて、春には桜を撮り、花を撮り、古着ではあるけれど着物を撮ってきたところです。情はエロスという側面でイメージ化を図ってきたつもりです。一方で京都に生まれて育ったボクの60年をもって、ボク自身の研究をする想定として、ボクの身のまわりの風土を探索してみようとの着想で、日常生活空間に限定して、記憶の場所を写真に撮ることをしはじめてきたところでした。

ボクの記憶の場所から、街角を外していくと、そこは寺社仏閣があり、寺社の領域のうち、寺(てら)ではなくて社(やしろ)に傾斜している自分を発見したように感じているのです。つまり<神域>です。具体的には、このひと月ほどのことですが、意識してそれらの<神域>を訪ねていこうと思っているのです。まだ始まったばかりの今ですので、あえて言葉にしておきたいと思って、ここに記したとゆうわけです。


<空>を撮る
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<空>と書いて<くう>と読み<そら>と読みます。

愛用の国語辞典で、<くう>を引くと、次のような注釈が記述されています。
1:そら。2:中身がないこと。から。うつろ。3:むだ。4:(仏)世の中の物事は、すべて仮の姿で、実体がないということ。

同じく<そら>を引くと、次のような注釈が記述されています。
1:天。2:天候。3:季節。時節。4:場所。方向。5:心持。6:中間。中途はんぱ。7:心の落ち着かないこと。うわのそら。8:根拠のないこと。9:うそ。いつわり。・・・。

ところでぼくが空にカメラをむけていく、直接の動機は、来迎図を見たことに拠っています。今年の8月9日だったかに、お迎え行事の珍皇寺へ行ったときに、寺宝だとして、天国と地獄の絵図が掛けられてあって、その絵図を見て、写真に撮って、ええ、二十数年まえにも撮った絵図です。実は地獄の部分を撮っていたのでしたが、ふと意識に昇ってきたのが、雲に乗るようにして降りてくる如来とその従者たちでした。

その曼荼羅を見て、そのイメージ世界を見て、空のイメージがふつふつと湧いてきたのです。かってこの曼荼羅を描いた絵描さんには、空に来迎の光景を想像しているのだと思ったのです。実作した絵描さんというより、その時代の文化環境がそうだったのだと思ったのです。ぼくには驚異でした。空を見て、来迎図を示す、そのことじたいへの驚きでした。

カメラという装置において、空を撮って、はたして空想、想像をしのぐイメージを作りたい。気分として、そのようなことが沸き起こってきたのです。これはぼくの想いであって、心の動きであって、仮想の空間です。カメラで作る写真は、現実に在るモノしか映らない装置が成した結果のモノです。かって空を見て、想像のイメージとして曼荼羅が、心に起こった結果として描かれた、このことに注目したわけです。さあ、そういうインパクトが、太陽だけが実在する空において、カメラで成しえられるかどうか、ああ、無駄な抵抗に終わらせたくないな~!


<洞>を撮る
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木の洞、樹木の割目、其処は黄泉の国への通り穴。この世で目に見えるものを、想像の世界と結びつける神話の成り立ちに興味をもちだして、その目に見える光景とか風景の前に立ってみて、こころがどのように揺れ動くのかを知りたいと思って、あえて記述されたような姿の前に立っているのです。

地の底は、夜見の国、黄泉の国、地獄、そこへの入り口&出口のひとつが樹木の割目だというイメージです。なるほど、不気味な心象に導かれます。苔むした老木の亀裂に、生の営みの果てる後のイメージを感じとります。写真にしてみると、谷底につながるイメージで、その光景がぼくに迫ってきます。

天には天を治める神があり、海には海を治める神あり、地には地を治める神あり、その神々たちのイメージに恐れおののき、崇めたこころを、ぼくは知りたいと思っているのです。逆行、退行、いろいろ言い方ありますが、方向感覚でゆうと、今様に生きる術は、このイメージから遠ざかることで、生活が成り立つ仕組みとなっているのです。

神の存在イメージをどう扱うか、現代文明の只今、経済構造の真っ只中で、たとえばここ近年、文明の対立ともいわれているアフガン、イラクの戦い現場のイメージが、宗教宗派の対立ではなくて、心の有り方の対立ではないのか、と思えてくるのです。そのような心境も含め、ぼくは写真を撮ろうとしている、と理屈つけようとおもうのです。

べべ>を撮る
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べべ、つまり着物のことを<べべ>というんです。京都弁なのかどうかしりませんけど、べべ、さあさあおべべ着て、ちっちゃな子供に言い聞かすと可愛げもあるけれど、なんとまぁ、ぼくはこの言葉に独特のイメージを彷彿させる。えろい感じとゆうより侘びし寂びしのニュアンスかなぁ。特に女性ものピンク系着物と着物下着には、開放的なえろす感覚よりもちょっと閉塞的なえろすを感じているようです。

神、神話のイメージを追って、昨年秋から神域へと足を運んで、写真を撮っているんだけれど、樹木、根、苔、地、石などなど神が宿っていそうな被写体を探しているところに、着物と桜の色がいっそう気になってきたのです。ぼくは文化のなかに二つの大きな流れがあって、一つは武士道にいたりて熾烈サラリーマン像に結実する流れ。そうしてもう一つの流れが、えろすのながれ美の世界だと考えていて、特にえろすの領域におけるヒトの心の危うさ、封印された向う側の開示のされかたしかたに興味をもっているのです。

風紀とか公序良俗とかの言葉に含まれるニュアンスは、暗にあちらを封印するためのバリアーだとして、神域における熨斗封印と同列に置いているのです。つまり人間の知恵が封印してきた領域を、その深みへと写真イメージを導いていこう、いやいや導くための手段だと思いをめぐらせているわけです。

今年にはいって、千年昔に書かれた源氏物語に興味をもった。かなり意識の表層に躍り出たというほうが適切かと思うけれど、昔も今も延々続く色恋物語のその中味に興味を持ったというわけです。神代の時代とゆわれるイメージ産物世界から、人間模様を導いたとき、大きな流れとしての武士道、儒教、禅、他力本願、その流れの一方にベベ文化を見てしまったのです。

<リンク>
中川繁夫寫眞集
中川繁夫の寫眞帖
中川繁夫の釜ヶ崎寫眞帖