小谷城址にて
2007.2.28
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奇妙に気になる場所に、お城の跡があります。歴史書を紐解いたというより、遠藤周作の小説をもう7、8年前に熱心に読んだことがあって、そのなかに浅井長政とお市の物語があって、その舞台が滋賀県は湖北の小谷城です。そのころには、戦国時代の武将たちに興味があって、織田信長が築城した安土城跡を訪ねていったこともありました。城跡というのは、ようするに跡であって、痕跡が残っているわけで、当時の天守閣とか、その他の建造物が残っているわけではないのです。

ぼくたちが訪れる季節がそうさせているのかも知れないのですが、人がいない、殺伐とした風景がそこにあるように感じてしまうのでした。小谷城にまつわる話は、信長の妹お市が浅井に嫁いで、信長の軍に攻められ、落城するなか、お市も城に残り共に死するという悲劇のような内容を持つ実話の物語なのです。長政とお市の三人娘の長女が淀君となる家系で、いまは福井の朝倉との恩義のなか信長と戦う。その末に起こる悲劇のような物語。

こうして書いていくと、戦国時代の一齣が、城跡を訪れるときに、それなりに支える背景となって、ただの石ころ、ただの樹木(これは当時のものではない)、そこから見える湖北の風景などなどが、見る人に深い感銘をあたえる、と、まあそんな気がしているわけです。ぼくはまったく茶化す気持ちはなくて、その城跡に感銘を受けるのです。ある人間達が生きた痕跡がそこにあり、遠く昔の、とはいえ500年にもならない昔を、血なまぐさい歴史を、感動という感銘ではなくて、悲しみの感銘を受けるのです。

この世は戦い、人間の歴史は古今東西戦いの歴史である。このように認定してしまうことに、空しさと絶望に似た感銘を受けているのです。なんというおろかな人間たちよ、と仙人ぶって言ってみても始まらない現実に生きる自分を、どうしても正当化できないのです。おろかな自分よ、そのように思いながら立ちすくんでしまった城跡でした。

日々過ぎる
2007.3.8
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なにかしら日が過ぎていくのが早い感じがしてしまう昨今です。この前、ここに記事を書いたのが二月末、そして今日は3月8日。時間に追われている環境でもないのに、時間に追われている感じが否めない。これも仕事を多く抱えてしまったからだろうと思っています。
仕事っていっても、ここではお金には繋がらない仕事です。老人のボランタリーとは全く解釈していないけれど、世間から見たら、そういうことかも知れない仕事。好きなことを好きなようにしている、とは自分では思えてなくて、でも、好きなことをやってるとの感触があるから、そんなに悩んでいるわけではありません。

一日24時間、一月30日、月が12回あって一年。一時間は60分、一分は60秒。この単位にこだわってしまう自分があって、時を刻む時計があって、いつもいっしょに走ってるって感じで、時に縛られている自分を発見して、そっから逃れようと思っても、やっぱり逃れられない自分がいて、結局、時間という概念を認めたくないと思いながら、認めざるをえないのです。

時間は、一つの大きな呪縛ですね。それとゆうのも、自分の生涯時間をおおよそ計算できる時代になって、ひところならもうあの世へ行っているかもしれない年頃なのに、いまや生涯80年なんて、勝手に思っていて、ああ、あと20年もある、ああ、あと20年しかない。どっちかゆうと後者の方で、このあと20年といっても、いつぷっちり切れてしまうかも知れないと思うと、急ぐ気持ちがありあり現れてきてしまうんです。

そうして、いまやってることの、自分への意味を問うてみても、意味があるようで無いようで、この身体が生きてるあいだにしか通用しないことで、何を焦っているんや。そんな日々なわけです。たわごとにすぎないとはおもうけれど、ついつい言ってしまう自分が、ここにある。意味を成さないたわごとが、ここにある。ただそれだけのことです。


越前今立にて
2007.3.15
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今立は和紙の里。いつのころからか一度は訪れてみたいと思うようになっていた町だったので、気象情報では海岸は時化との予報で、急遽国道8号線経由で金沢へ赴くことにして、武生から近い今立を訪問したのでした。和紙への魅力を感じているけれど、たいした知識も持ち合わせていなくて、訪問の目的は、むしろ越前という土地と、奉書の類を生産していたという知識においてです。

三月も半ば、暖冬で雪が少なくて、もう桜が咲くかと思いしや冬が舞い戻った日、晴れ間が出たかと思うと、吹雪いてくる日、観光客用に整備された「和紙の里めぐり」の一角を見学したのです。紙の文化博物館、卯立の工芸館、パピルス館、この三つの館が見学コースで、入館料200円、パピルス館は和紙のお土産品を販売されているので入館料不要でした。楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)の木の皮を一定の工程をもって紙に仕上げていくプロセスが、わかるように解説され、工程を見学できたり、体験できたり、とゆう工夫がされているのでした。ぼくは観光客だから、観光客の道筋をそのまま歩きます。きれいに整備された一角で、はるかいにしえの美しい国のイメージをくゆらせ、おいしい十割蕎麦を食べ、自分へのお土産に、A4サイズの楮の手漉き紙を買い、あれこれと使い道を想いうかべているのです。

ぼくの興味は、京都と越前の位置関係にあります。京都から鯖街道朽木を経て琵琶湖今津へ出、そこから山を越えて敦賀にいたり、つまり山を越えた処が越前です。つまり京都から超えた処の前。京都の文化をあれこれ想う、その先に今立という紙の産地があるのです。この地、紙梳きの歴史は1500年といいます。ぼくの滞在は二時間でした。まあ、観光地めぐりとはこんなもんよなぁ、と思いながら、あえて一文を記して記念にしておく。それと掲載写真は、紙梳きとは関係のない、玄武の彫刻です。記念館に展示されていたものです。


桜の季節
2007.3.24
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今年もまた、桜の季節がやってきています。もう四年目になる桜取材。今年はどんなスタンスで桜を撮ることになるのかなぁ。毎年、同じ被写体を求めて、写真に撮っているんですけど、撮り方が毎年変わってきていて、写真の作り方が変わってきて、その時々の自分のあり方によるんやろなぁ、と思うわけです。

一年目から三年目にかけては、接近、接近、レンズを最短距離にして撮るようになってきて、たぶん今年は、少し引いた位置で写真を撮るような気がしているんです。桜の写真を撮るときに意識するのは、東松さんの桜です。彼が撮らなかった桜は、桜のアップです。そういうこともあって、最短で桜のアップ写真を、と思ってきて、情に直接インパクトを与える写真を目指しているわけです。写真の社会性とかを、いったん御破算にして、情にのみ訴える写真。それが昨年の桜を撮るコンセプトでした。

さて、今年もすでに桜を撮りました。とはいえまだまだ前哨戦です。ホンバンはこれからです。カメラは四年目になるキャノンのパワーショットです。最近は、一眼レフデジカメが主流ですけど、ぼくはあえてこの機種にこだわっていて、これで十分だと思っていて、ストレートに撮る手法で、今年はどんな桜が撮れるのかなぁ、と思っています。

<リンク>
中川繁夫寫眞集
中川繁夫の寫眞帖
中川繁夫の釜ヶ崎寫眞帖