日々 2006.12.16~2007.3.22
    
日々-7- 2007.1.5
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ここ数年、毎年大晦日には除夜の鐘を突きにいっています。この大晦日には、その前の大晦日と同様に、けっきょくは閻魔堂の鐘を突きました。年末年始だからといって、特別には扱わないでおこうと思う気持ちが強いのだけれど、世の中がこの日を区切っているから、それに便乗している、いいえ、気分的には、させられているといった感じです。

でもね、そうゆう気持ちとは裏腹に、日々を過ごしていくということは、晴れの日を作らないとやっていかれへんのやなぁ、とも思います。日々淡々なんていいながら、日々淡々ではなくて、どろどろ、泥まみれの心があって、それを浄化させるためのセレモニー、晴れの日。お正月とゆうのは、その年最初の晴れの日なのです。

京都に生まれて、京都に育って、目線は東京とか大阪とか、大都会の方へ向いていたけれど、けっきょくは生まれ育った地場である京都を意識して、日々生きていこうと思っているところです。でも、なあ、只の生活者にしかすぎないとしても、只の生活者では満足でけへんなぁ。そこで、再びカメラを持ち、パソコンを使って文章を書き、あわよくば京都人が語る京都の本質、みたいな物語を作っていて、それに自分を乗せようと思っているのです。

記録者自らが地場を記録することで記録が成立する。言い方はいろいろあるけれど、民俗学者の柳田国男せんせいが、理想たる記録の方法として論じているのを、写真家東松照明さんと交情があったころ、1980年代の初めに知って、それから四半世紀が経って、いまぼくの制作の方法論として、ベースにおいているところなのです。これは論なのであって、その論に従っていこうと思っているわけで、そこに情の源泉をみいだせれば、ぼくはきっとハッピーなわけです。そうゆう死に際をも想定している昨今です。

日々-8- 2007.1.11
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かって賑わった町が、時代とともに衰退していくとゆうのはよくある話で、半世紀という時間軸は、それを見てきた者にとって、ノスタルジックな、つまり感傷的な情緒をともなって、小さな旅へと誘ってくれているようです。まま生まれ育った町を、カメラを持って歩いていて、よみがえってくるのは、かってそこにあったぼく自身がいた光景です。

そうゆうことでいえば、千本今出川界隈とゆうのは、ぼくの生活空間ではなかったけれど、映画館とか飲食店とかパチンコ店とか、月に一回か二回、親に連れられ、叔母さんに連れられ、つまり大人の遊び場として垣間見てきた街でした。高校生になったそのころ、三島由紀夫の金閣寺を読み、舞台が京都であり、確か主人公が包丁だったかを買う店が通りの角にあって、その店先を見るたびに、その小説を思い出す。それよりなにより、そのころ陰惨な気分だったぼくが週に一遍、日曜日、アルバイトしていた寿司屋があって、いわば十代半ばの思い出がよみがえる場所でもあります。

寿司寅と看板された空間、その家の中での光景がよみがえってきて、その日々の人の顔がよみがえってきて、まったく縁の無い関係から、しだいに関係していくストーリーが出来上がっていくのです。たまたまお店の張り紙、アルバイト募集を見て、戸を開けたんだけれど、その戸を開けたのは偶然ではなくて、ストーリーがあったことが、思い出されてきます。大将の嫁さんがタエコの母親の妹で、寿司を握っている筆頭使用人がタエコの父親で、タエコは三人姉妹の真ん中で、クラスは違ったけれど中学の同級生で、いつのまにか友だちを少し越えたような関係になって、中学卒業と同時に関係が終わって、かれこれ半年過ぎたころ、張り紙に応募したというわけです。

タエコが水事故でいなくなったのが何時だったか、葬儀にはいかなかったけれど、という記憶だけで推測するとタエコの死は18を越えたころだったのかも知れない。うん、ちょこっと話をすれば、偶然にだったけれど、はじめて手を握った女の子なんです。ぽちゃぽちゃ、あったかい、やわらかい、いま思い出しているわけで、握ってしまって二人がバツ悪そうに動作が止まって、それは数秒間だったように思い出します、中学三年でした。ウンウン、季節は夏です、薄手のワンピースでシャツもブラも着けてなかったなぁタエコ。記憶は糸を引くように思い出されては消えていきます。<思い出は狩りの角笛、風のなかに音は消えゆく>だったか、こんな詩句までも思い出してしまった2007.1.11-AM10:12-。

日々-9- 2007.1.12
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あんまりロングショットの写真は好まないんですが、といいながらよく使ってますけど、写真には説明不要、イメージで追いかける写真と、説明して納得できる写真があるんだと解釈して、ちょっと説明していくと、向うに見えるのは比叡山です。撮影のポジションは、建勲神社の正面上り口途中です。建勲神社の正面から石段を昇っていって、途中で振り返ると、こうゆう光景が目にできたわけです。

だれやねん、比叡山焼き討ちした武将、たしか織田信長とか、ええ、この建勲神社は織田信長を奉る神社なのです。それもこの神社、明治天皇の命により奉ったとあるから、歴史は新しい。ただし、神社がある場所は、船岡山の東側斜面です。船岡山は京都の基点となるポイントです。平安京造営のとき、このポイントを基点にして、真南に大極殿を造営したようです。比叡山が聖地となるのは、平安京造営後だから、船岡山界隈の歴史のほうが古いんですね。

船岡山の少し北に今宮神社、少し東に玄武神社があります。大極殿の北方位、玄武方位にあたる界隈です。京都の鬼門であり疫病は鬼門からやってくるから、鬼門に神社を置く、まあ、いわゆる神頼みってことですね。なんでいま、こんなこと考えて書いてるんやねん、自分に聞いているんですけど、年とともに方位とか距離とか、つまり人間の遠近法感覚に興味をもちだしていて、いろいろ詮索していくと、どうもこの船岡山というポイントが、推論ですけど、日本文化の基軸・基点であるように思えているのです。そうゆう場所に、建勲神社が造営されたとゆうこと、天皇は一等地に奉ることを許したわけですね。

いや、ね、ぼくの思いではね、信長が存命しておれば、戦国の世に、いわゆる共和制国家への萌芽があったかも知れないなぁ、と思ったりしてしまうのです。まあ、四百数十年まえのことだから、だれも推論するしかないんだけれど、なんかの因縁やなぁ、信長が築城した安土にて、塾を主宰しだしたこととか、なにか因縁めいた迷信を作っているようですね。それと、方位とか距離へのイメージは、今日の場合だと具体的な地理的距離を指していますけど、高天が原とか浄土とか、そうゆう世界が想像されたヒトの心に興味もあったりして、現実と夢幻をごっちゃにして、近代遠近法を越えられるかなぁ、超えちゃいたいなぁ、天の浮橋を昇りだしているのかなぁ、それとも黄泉の国へ・・・。

日々-10- 2007.1.18
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散歩にでかけるとき、玄関を出て、東西南北、どっちへ行こうかと迷うことがままあります。歩くというのは前へ進むことで、前へ進むとゆうことは、東西南北、方向が決まるということで、ところが歩ける道はすでに作られていて、それの選択とゆうことになります。この日(2007.1.16)は、自宅から西へ向かって西大路まで歩き、そっから北へと歩いていくのでした。到達する目的地は決まっていて、ちょっと遠回りして行こうかと、道すがらの光景を写真にしながら、北上するのでした。

大文字山が見える。電線が邪魔やなぁ、ある種写真制作的発想で、そう思ってしまうわけだけれど、いっぽうでそうやないやろ、あるもんはあるんやから、いっしょに写しこんでしまえ、それでええんや、なんて妙に納得しながらシャッターをきるのでした。そういえばこの光景、この場所から何時こんな風に見えるようになったんやろ、かって農林年金会館という施設があって、いまは金閣寺の駐車場になっているんやね。

大文字山は言わずもがな年に1回、8月16日の夜にデビューします。そのお山へ登った記憶は小学生のころ、中学生になると衣笠山へ登ったんや。大文字山界隈は、子供のころの遊び場でした。なにやって遊んでたんやろ、チャンバラ、探検隊、ぼくらは少年探偵団、大文字山から奥の方へいくと洞穴があって、それは自然の洞穴ではなくて、採掘の跡やった。洞穴の中へ入ることは恐怖に満ちた未知の体験やったなぁ。

光景を見るたびに、見るといってもかなり意識して見るたびに、思い出が通り過ぎていきます。ふるさとは遠きにありておもふもの、犀星の詩句ですね、ふるさとは近くにありておもふもの、ノマド的発想ではなくて地場に住み着いたぼくのこころは、いかがなものか。生まれ育った場所にて、散歩の道すがら写真を撮るとゆう行為。これぞ最新、あたらしい方法論、てなぐわいに想ってみたりもしながら、ぶつぶつ自問のお散歩なのでした。

日々-11- 2007.3.20
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月に一回、この頃に郵便局、銀行、信用金庫と金融機関をはしごします。とゆうのも、公共料金やらクレジットやら、金融機関引き落としを利用しているから、現ナマを追加しておかなければならないから、西大路の金閣寺からわら天神にいたる東側を、一巡するわけです。

今日の一巡には、カメラがポケットに仕舞われていて、ぶらぶらお散歩とは違う、目的外出と平行して写真を撮ったというわけです。いつものように、ストリートを撮ります。肖像権ってのがあって、本人了解、なんてことは、ううん、無視無視。街角風景の一部なんやから、そんでええやん、なんて思いながら、ひとがはいるとスリリングな気分を味わうわけです。

写真には、覗き見的要素がある、そのスリリングさを、味わうってことですね。いいのかわるいのかしらないけれど、多少の後ろめたさの気持ちもあって、そしらぬ顔して撮っているわけです。イージーなもんやなぁ、自分でもそう思っているわけで、写真としての価値どうこう以前に、まあ、スリリングやなぁ、と思っている、ささやかなたのしみ&はじかみ、若返ったような気分です。

日々-12- 2007.3.22
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昨日は春分の日、東山花灯路イベントに、観光客気分でいってきました。観光客っていう気分は、京都の表の顔にふれることができると思っていて、観光客が京都へ来たときに見るお土産屋さんとか、神社とか、お寺とか、その表面をみる気分です。祇園までバスで行って、そこから八坂神社の境内を通って東門、ううんまだ明るかったから、人の数は少なかった。何年か前に訪れたことがあるのですが、あんまり明確な記憶がないまま、カメラをポケットに仕舞いこんだまま、彼女と一緒に散策でした。

これは最近の、京都の観光イベントだから、それほどの思い入れもないので、写真を撮るのはもっぱら人が群がる光景に向いていきます。人恋しいんやなぁ。この世の見納め、なんてゆうほど深刻ではないけれど、最近、目の前に現れる光景には、何を見ても美しさを感じる。美しさといったけれど、表記の言葉が見つからないから、その一言に集約したけれど、まあ、人を見たり、明るいお店を見たり、これはわくわく気分です。

お祭り気分、祝祭気分、晴れの場、明るい、うれしい・・・。理屈やなくて気分なんです。気に入った写真をアップしているわけだけれど、これは自分のためにあるのであって、つまり自己満足、それだけです。といいながら、ブログに載せて、見せているわけですけど、まあ、いっか、かなりイージーな気分です。

<日々>終わり

<リンク>
中川繁夫寫眞集
中川繁夫の京都寫眞帖
中川繁夫の釜ヶ崎寫眞帖