桜の季節に
  2007.4.1
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今年もまた桜の季節がやってきて、4年目の桜取材をしています。主には平野神社ですけれど、ご近所で歩いていけるお寺や神社にて、桜を写真にしています。桜をめぐる難しい話は置くとして、まあ、見ていると、きれいやし、かわいいし、こころが浮き浮きしてくるし、まさに春の気分って、こうゆう感じなんやなぁ、と思いながら、浮かれて撮影している感じです。撮影においても、露出やら構図やら、考え出すとキリがないので、かなりイージーに撮っています。

誰のために撮るんや、なんて野暮なことは考えないで、情ですよ、ゆらゆらゆらめく気持ちです。桜には、けっこうエロティックなところがあって、木の全体を見るのもよろしいけれど、細部を、つまり一輪一輪を丹念に見るために、アップで撮って、後でじっくり見てあげる。そんな感じで、けっこうアップで撮るのが多いです。桜を他のモノへと連想させると、そこには初心な少女のイメージから熟年したおなごイメージまで、やっぱり女性なんですね。どうイメージしても男衆を連想することなんぞは出来ないんです。

平野神社へ行くと、神さまなのにピンクピンクしてる感じです。お守りにしろお土産にしろ、だいたいがピンク系にしつらえてあって、まあターゲットが女性やというのは、そのとおりやと思うけど、それにしてもそのように思うイメージじたい、ちょっと複雑な思いになってしまいます。いいえ自分の感覚をどういえばよいのか、迷ってしまうわけです。

前を向いて歩こう
  2007.4.3
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桜を撮りに出歩いて、目を向けるのはおおむね上。だから、上を向いて歩こう、というタイトルがいいのかもしれないけれど、それだと坂本九の歌の文句になってしまうし、過去を引きずっている感じだし、まあ、新鮮味も、あっと驚く驚嘆もないけれど、前を向いて歩こう、とタイトルしたわけです。ええ、走っちゃだめだと言い聞かせているから、歩こう、です。歩こうというなかには、自らの意思が込められていて、意志と希望を秘めています。

4月に入って、思うことしきりにあって、過ぎ去ることにはおさらばして、新しいことにチャレンジしよう、なんて思う気持ちが昂じてきて、これを書いたら桜を求めて、歩きにいくか、と思っている。家を出て、船岡山から建勲神社を経て今宮神社へ行って、そっから鷹ヶ峰まで歩いて、2時間コースの散歩兼桜取材の予定です。ちょっと陽が射し込んで来ているから、外は明るいようです。

※二時間のコースで、今宮神社で桜取材中にメモリーがなくなってきたのと、バッテリーがなくなってきて、鷹ヶ峰まで行かなくて引き返してきたというわけで、いま、13:30です。撮影150カット、それにしてもざっと見ただけで、露出、構図、その他使えないのが山ほどあります。いちおう20カットくらい採用できればいいかな、と思うところです。採用しても、実際にブログとかで使うのは、もっと少ないけど、そんなもんやなぁ。

ここに載せた桜の撮影場所は平野神社、2007.4.3です。

今年の桜取材
  2007.4.16
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今年はデジタルカメラで撮る4回目の桜取材です。三月の下旬から毎日のように桜の写真を撮った。まあ、桜のある場というのは、浮かれ気分になれる場ですね。主には平野神社の境内に咲く桜を撮っています。ここに掲載の写真は、平野妹背桜、2007.4.15撮影のものです。

ぼくが使っているデジタルカメラは、キャノンスーパーショットS50という機種です。今年の桜取材の、結果は、最短距離、最大限明るく、これがポイントになりました。ぼくの撮り方、テクニカルがへたなのか、一枚で決定的な写真を、なんて思ってもできなくて、成り行き任せでシャッターをどんどん切っていきます。大半はピンボケ、露出不足、露出過多、構図もママならず余分なものが入ってしまう。こんなヘッポコカメラマンを自認して、撮っているわけです。

現場の桜を忠実にとらえるなんてことは、あまり興味がありません。色調なんか出来合いでよろしい。このように思っているわけで、写真は現場の再現ではないんだと、思っているわけで、かなりアレンジメントしていこうと思っています。とはいえ、現場主義で、撮りっぱなしで、あとでトリミングとか、色調補正とかは全くしません。まあ、これがぼくの主義といえば主義です。


桜がおわり・・・
  2007.4.26
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京都では桜の季節が終わりになってきて、今年の桜取材もそろそろ終わりにしようと思うところです。ここ最近、桜に呆けて、文章を書くことがけっこう億劫になっていて、今日は朝からこの欄を開けたけれど、けっこう書くことに戸惑っているんですけど・・・。今年は、平野神社を中心に桜を取材して、各種の桜を写真にしてきました。今日掲載の桜は、御衣黄桜という品種で、今年初めて写真にした桜です。掲載しているのは、雨宝院の御衣黄桜、昨日4/25の撮影です。

京都に生まれて住んで60年ですけど、京都のことはあんまり判っていない自分があることに気がついています。最近、京都文化という枠で、地元学をはじめだしているんですけど、まだまだ漠然としていて、中心が定まらないんです。もちろん一定の枠組みのなかで表現する目的ですから、その枠組みを想定するところから始めなければいけないわけで、この数年間の試みをまとめて、枠組みをつくっているところです。

桜は毎年4月に巡ってくる暦みたいなもんで、この4年間の自分が撮った桜を見てみて、かなり変化していることに気づいています。神社があり、町角があり、そこに人が生活している。けっきょく人の生活に踏み込みたいとはおもうけれど、まだまだ遠いところにあります。そもそも京都の文化枠組みとはなにか、このことが自分にとってのテーマでもあるわけです。

桜の季節がおわり、新緑の季節がはじまり、桜を境にして、牡丹などの花が咲き出します。花は山の別荘で撮ってきたのを、京都の市中に求めていこうかとも思いだしています。古着の着物、寺院の花々、神々がいて、それに市井のひとがいる風景。なにか自分を探している旅のような気がしています。

<リンク>
中川繁夫寫眞集
中川繁夫の寫眞帖
中川繁夫の釜ヶ崎寫眞帖