中川繁夫写文集

カテゴリ: 気ままに書きます

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 京都衣笠に立命館大学の国際平和ミュージアムがあります。そのミュージアムの入った右側に、このブロンズ像があります。平和の象徴、わだつみの像、ですよね。銘記かなかったから、確定ではありませんが、そうだと思います。記憶を辿れば、1952年じゃなかったかな、この像の設置をめぐって、最初は京都大学に設置する予定が、そこには設置できなくて立命館大学に設置する手配となった、末川博総長の時代です。荒神橋事件というのがあって、京大から立命館へくる途中、鴨川にかかる橋ですが、そこにさしかかったデモ隊と警官隊が衝突した、というものです。その後、立命館大学の広小路学舎の研心館前に設置されていました。平和の象徴、戦没学生追悼の意味があったと思うのですが、1969年大学紛争の最中、この像が引きずり倒され、頭部が壊された。そういう歴史を辿った「わだつみの像」が、修復されて、国際平和ミュージアムの玄関わきに置かれているのです。何度か、写真に撮りましたが、先日、撮って、インスタグラムにアップした画像を、ここに再録しておこうと思います。立命館大学は、ぼくが卒業証書をもらった、母校ですから、追って、また、その思い出を書いていきたいと思っています。


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 自分の居場所ということを考えると、わけがわからなくなってきます。あるべくしてある、そのあるべくしてあるものが、壊れていくような感覚が、夢のなかに出てきます。ふっと気がついて、暗闇の中、夢だと気づいて、言い知れぬ不安にさいなまれることがあります。自分を支えている世界との関係が、砂上の楼閣のように崩れてしまうのです。こういうときって、ひとは、どう対処するんでしょうか。ええ?、そんなことになるなんて、ありえないことだ、とおっしゃるんですか。そうかも知れないですね、自分が破たんするなんて、想像すらできない人がいるんですね。何の疑いもなく、昨日あったことが今日にもあって、明日にはそれがそのままあり続ける、とまあ、そういうことです。そうこういいながら、破たんするかといえば、破たんしないままに、ここにこうしていて、こんな話をするんだから、滑稽だといえば滑稽なはなしです。

 ふっとなんだか「とりかへばや物語」なんて句が浮かんできて、なんだったけなぁ、男と女がいれかわる話じゃなかったかなぁ、距離的にいえば、京都から、宇治までは、男は男、女は女、ところが、吉野へまで行くと、男は女に変容する、なんてことだったかなぁ、いろいろと思うわけです。記憶を辿っているところですが、男が女として育てられ、女が男として育てられ、そのことがばれてしまう、というような話だったかも知れませんね。詳しいことは、もうかなり昔に読んだ本の中だから、うすら覚えです。なのに、いま、ふっとそのイメージがよみがえってくるのです。いまさら、もう古希を越えたという身体の男が、なにを、思うや、です。年とれば年とるほどに、自分が中性化していくように思えてなりません。性欲を失っていく兆候なのでしょうか。生殖機能がダウンして、中性化してしまうのかも知れません。

 このバーチャルなインターネットという領域の、現実ではないフィクションの世界がひろがっているように思えます。ひところの昔にはなかった感覚で、いま、ネットで世界の隅々までフィクションでみれるようになった感です。物語は、あきこという女子らしき若いヒトが主人公です。ネットの中で、生かしていく、あの犬を飼っていくゲームがあったじゃないですか、それみたいな、あきこをバーチャルで育てるわけです。この子は小説を書こうとして、書いているわけです。写真を撮ろうとして写真を撮っているわけです。そうしてバーチャルソフィアにおいて、人格を持ったかのようにして小説を書き、写真を載せる、そういう全体を、一つの作品として成立させていこうとの試みです。失われたる時を求めて、壮大なバーチャル空間を、一つの球体にまとめ上げていくプロセス、みたいな作品で、その筋書きは、エロスな、時代の中で、究極のエロスを描けないかと考えるのでした。


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 気ままに書きます、というタイトルのカテゴリーがあるので開けてみたら、2年前の2016年1月からほったらかしになっていました。その原因は、アクセスが少ない、極端に少ないからです。このライブドアのブログは、アダルトにはたくさんのアクセスがあるようです。でも、アクセスをあげるにはどうしたらいいか、なんてあまり考えていなくて、ぼくの過去の記録として、保存庫としてアーカイブしている感じで使っています。だから、いま、ぼくは、この文章を、キーボードで打っているから、ほんとうは、たくさんの人に読んでほしいと思っているところです。

 2月になって、ここのブログは、カレンダーが自動的には更新されないから、たいがい月の初めに記事を載せます。かれこれ、ライブドアのブログは、12ブログ作っていて、アダルト系が7ブログあります。主にフィクションを書いて載せていて、もう10年ほどになるかと思います。ペンネームで書いているから、それをどのようにしていこうかと考えあぐねているところです。もし、売れっ子になったら、いくつものフィクションを並行して書いていかなきゃならないから、それのトレーニングだ、と考えてだいたい三作品を同時進行させて、まるで新聞連載のブログ版といった様式です。そんなことを思って書き出したフィクションですが、この先、どうなることやら、です。

 文章を書く、フィクションを作る、これは二十歳ごろから手掛けていて、途中サラリーマンをしていた四十年間にはフィクションなど考想する暇もなくて雑文程度でしたが、自由の身になって、それに時間を集中できるようになって、同人を探したけれど、だれもいなくて、むかし文学論を交わらせていた人たちも、なにを今更、って感じで軽くあしらわれてしまって、人生下降している連中には、もうそういう創作意欲なんか、躊躇してしまうんだ、と思うところです。近場の日帰り温泉へ月に1回程度行きますが、老人たちの巣、って感じです。ぼくは、気分転換に行くわけで、すっきりして、吉野家でうな重を、セブンでコーヒーを、それで半日を過ごすのです。気ままに書きます、少しシリーズで書いていこうかな、と思うところです。
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自宅玄関横、なんとなくお正月らしいイメージじゃないですか。
ぼくは、お正月を祝うという習慣をあまり持っていませんが、モラリスト妻の作です。
ことし古希を超えたいまになって、そのことを自省しています。
革命家、なんてありえないのに、そんなことをイメージしてた若い頃。
選挙?、そんなものいらないや、なんて直接民主主義だとか。
どんな時代やったってゆうんだ、戦争が終わって生まれてきたぼくら世代。
わけわからん、精神の混乱期に、たぶん少年期を過ごしたんだと思う。
いやはや、自分のことが、わけわからん、なんてゆう人間なんだ、とか。
内面なんていう言い方すれば、その内面たるや、ずたずたにちぎれた布。
わけわからん、怪人二十面相の内面、遠藤周作さんが、内面のこと書いてた。
内面を表にだせば、犯罪となってしまうことだらけ、ってゆうのが本音でしょう。
そうか、内面がそうゆうことを画策するから、規制のために犯罪とするのか。
ストイックな人間、外面模範的人間様、ほんとかな、ぼくはぼくのことしかわからない。
やばい、こんな話は、やばいですね、でも危険な言葉は使ってないですよ。
ごくごくまじめな、体制にどっぷりつかった人になっている「わたし」です。

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今日から2016年になりました。
なにかしら昨日と今日とは全然違う日として断絶した感じがします。
気分的なもので、単純には連続しているのに、区切ってしまうのです。
年末には、これは錦市場の風景、人混みしています。
観光客相手のお店が増えて、市民の足が遠のいている、というのです。
確かに、外国からの観光客が多かったように思えます。
ああ、今日は、正月、元旦、前向きの話をしていかなくちゃ。
前向きったって、そうですね、これから先どうするのか、前向きに、でしょう。
(続く)

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