中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

カテゴリ: 学校の領域

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>から染色屋さん>
※2004年9月2日付の文書を掲載します

<あい文学校の開校>

今日は、あい文学校についてのご案内をします。

☆あい文学校は文章による自分の記録をつくる学校です☆

あい文学校は同人による運営をします。
あい文学校では、詩、小説、日記、評論を扱います。
形式はさまざまですが文学することとは、自分の思いを文章に託して
あたらしいコミュニケーションの方法を手に入れようとすることです。
文章を書くことや、画を描くことや、写真を撮ること、
それに食べものを作ることの両方を実践すること、
あたらしい時代のあたらしい生き方をつくりはじめる。
そのことを記録していくことからはじめましょう。

☆写真は現場作業です、文学は密室作業です、農作業は身体作業です☆

綜合文化研究所では、ヒト個人が自立することを目的として、
生産することと消費することを一体としてあるもの、との考えをしています。
「こころとからだ」の一体としてあるヒト個人の未来像に向けての、
新しい生活スタイルをあみ出していこうとの想いです。

現代社会は、ヒト個人を疎外する社会、との認識を持っています。
子供・若者においては、不登校、引きこもり、リスカなどの現象が現れています。
中年大人においては自死行為が問題視されています。

このような現状から、ヒト個人の充実感、幸福感を得ることへの道筋を考え、
まずは行動していく必要があります。
そのためにも、あい文学校の開校が必要だとの認識です。

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>から>
※2004年9月7日付の文書を掲載します

<自分を見つめる文章を>

綜合文化研究所では、ヒト個人が自立することを目的としています。
そのヒト個人の外側での自立(経済的地位)はもちろんですが、
ここでいうのは、自分自身のアイデンティティっていってますが、
つまり、自分の生き方を自分で納得して、充実感・幸福感を得ていくことです。

自分のことがわからない時代、どうしたらいいのか迷いの時代。
自分の行き場が無くて、引きこもってしまう気持ちの時代。
競争に追いたてられてる時代。

この現代を表現する言い方は様々ありますが、おおむねヒトは悩んでますね。
そこで提案、自分を見つめる手段をもとう!です。

文章を書くことと写真を撮ること、このふたつの手段をもって、自分を見つめる!
そのことを提唱しています。

日記を書く、絵日記をつける、写真日記をつくる・・・
インターネット社会になって、だれもがホームページを開けるようになりました。
だれもがミニですが、新聞社、出版社、放送局運営ができる時代です。

そ~ゆうツールを使いこなして、中味(コンテンツ)を作っていくんです。
情報を一方的に押し付けられることから脱出して、自分のメディアをつくろう!
そのための、自分を見つめ、表現する技術としての、文章を書く勉強です。

そういうことに目覚めたヒト個人のネットワークを創っていきましょ~!

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2005年9月8日付の文書を掲載します

<総文研の学校コンセプト>

学びの場である「学校」を、経済の枠組みから遊離させることから始まる、綜合文化研究所の学校コンセプトが、ここにあります。学校が商売として成立する時代に、あえてそうではない学校を創りだす必要があると考えています。

また、これまではともすれば頭脳を使うことと身体を使うこととが、分離してしまう傾向がありました。研究者は部屋に閉じこもり、さまざまな妄想にさいなまれていました。労農生活者は肉体の力を切り売りすることで日々の糧を手に入れてきました。

これからの人間のあり方は、頭脳活動と身体活動を統一していくことを目指すことだと考えます。つまり野にあったひとは頭脳を手にいれ、部屋にこもっていたひとは野に出ていくこと。こういうことが「アートするひと」と呼ばれるようにならなければなりません。商品価値としての頭脳プレーや作品制作プレーには、おさらばして、生きてる充実感というものを手に入れなければなりません。

といって農的プレーにおいても、商品として流通させることを指向する領域ですが、ここでは、そのように指向することの弊害をみつめて、新たなる農的プレーの方向を模索していきたいと考えます。

あい実践学校のコンセプトは、夢と希望を紡ぎだすこと。そして、自立する個人のネットワークによる「自給自足」。これがどこまで可能なのかということを実践していきたいと思うことです。あい実践学校は、新しい「ひと」と「ひと」の関係のあり方を模索しながら、「新しいライフスタイル」を紡ぎだしていく学校にしていきたいと思います。

<写真ワークショップ京都>

9月11日(日)、写真ワークショップ京都の9月ゼミが開講されました。
掲載の写真は、ゼミ風景の一齣です。

写真ワークショップ京都は、新しい写真表現の方法を手に入れる人のために、1年制で開校されている写真学校です。開校場所は、京都・下鴨にあるギャラリー・DOTです。ギャラリーが運営する写真の学び場だといえます。

「綜合ゼミ+テクニカルレク」コースは、通信と通学を併用した、新しいタイプの学びの場です。
綜合ゼミでは、写真を相互批評するセミナーと写真理論などを学ぶゼミを履修します。併設の通信制あい写真学校のカリキュラムも、同時に履修します。
テクニカルレクでは、カメラ操作や撮影実習などの前期カリキュラムと写真史や写真プレゼンテーションの方法などの後期カリキュラムがあります。

写真の初心者の人には、基本から高度な応用まで、写真のノウハウがわかります。
写真作家になりたい、ディレクターになりたい、そういうニーズにあわせています。
少数精鋭、個別対応のユニークなカリキュラムをもった写真学校です。  

                

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2004年8月29日~のブログ掲載の文を転載します

<あい写真学校のご案内>

こんにちは!綜合文化研究所です。
綜合文化研究所の提案のなかに学校運営があります。

あい写真学校は通信で写真表現の方法を学ぶ学校です。
写真学校といえば、都会地で相当なお金を払って技術を学ぶ、というのが通り相場です。
写真を愛好するヒトがたくさんいらっしゃいます。
デジタルカメラの普及で、いっそう写真を使うヒトが増えています。
いまや写真はファッションですね。

そこで通信により写真での表現方法が学べるカリキュラムを開発しました。
全国、いやいや世界中どこにいても学べます。

あい写真学校では、経費を最小限に抑えています。
通信ゼミは年間6万円、セミナーは半年12千円です。

あい写真学校は通信制ですが、通学制の写真学校を開校します。
「写真ワークショップ京都」です。
この10月10日開校です。

通信制と通学制の写真学校、それに文学校、農学校も併設しています。

<アートする学校> 

綜合文化研究所では、通信制の学校を運営しています。
学校へ入学してきた人は、自分独自のメディアを創り出すノウハウを学びます。

通信制の「あい写真学校」、通学制の「写真ワークショップ京都」綜合ゼミと、
「あい文学校」の履修で、フリージャーナリストを目指したり、
フリーペーパーを編集したり、文章を書いたり、
それらの綜合計画を立てたり、そんなことができる人材に育ってほしいと考えています。

社会の事象に対しての考え方は自由ですが、
その基本に「人間の尊厳」というテーマをもって、
個人の充実感と幸福を追求する視点を確保してほしいと思っています。

最近の傾向として顕著になってきていることは、自分のことがよくわからない、
と悩んでいる人が多くなってきていることです。
自分のいる場所が見えない、判らない、という人です。

この現象は、個人が自立し始めていることの証だと捉えています。
ところが、自立していく気配が見えているのに、
自立していく道筋を自分のものにしていく学び場がないんです。

写真や映像、コンピュータなどの操作技術を教える学校があります。
社会構造の変化によって新しい職種が必要になってきて、その技術を教える学校です。
でもね、いちばん肝心な、ものを創り出す想像力というか、コンテンツといっていますが、
そのベースになるものをつくりだすことは置き去りになっているように思います。

その基本に、自分を知る、ということが必要です。
とはいっても自分を知るということは難しいことなんです。
それから、社会を知る、ということが必要です。
この社会を知るということは、これまでに培われてきた見方がありますから、
書物を紐解いていけばいいんです。

でも、ここに落とし穴がある。
自分の傾向や方向を見定めないままに、情報ばかりが入ってきますから、
主体性のない自分になってしまうんです。
この主体性というのは、自分の考え方のことです。

その考え方のとっかかりをつくるために、なにかものつくりを始める。
この「もの」が、ここでは「写真と文章」を提案したいのです。
それと平行して、身体をつかって生産するものを加えたい。ここでは「農」です。

なにかを始めることから分かってくることがあります。
この分かってくることが自分のベースとなってくるのです。始まりはここからです。
綜合文化研究所では、その始まりをつくる場を提供します。
それが学校!新しい学校!飛ぶ学校!です。
よろしくおねがいします。

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2004年9月22日~のブログ掲載の文を転載します

<通信制あい写真学校>

写真を学んでみたいと思ってる人が沢山いらっしゃいますね。
写真って学校で教えてくれないですし、自分で勉強するっていっても、どんな勉強したらいいのかわからないし・・・
それなのに、デジカメやトイカメラや写メールといった写真を撮る道具は誰もが持っています。
そんな時代にふさわしいカリキュラムを組んで、あい写真学校が開校しています。
インターネットとメールを使って、通信で学んでいく写真学校です。

入学者には、個別対応でメールやチャットにより対話式ですすめていきます。
京都下鴨に10月から、通学制の写真学校「写真ワークショップ京都」が開校します。
関西圏にお住まいのひとは通学と通信を交えて学ばれるとよいと思います。

専門学校とか芸術系大学の写真学科だと膨大な学費が要りますが、
あい写真学校では、そのレベルをキープしながら、経費はわずかです。
最高でも月1万円以内の経費で学べるよう配慮しています。

特に大学在学中の人とかフリーターの人が自前のお金で無理なく学べる!
野菜や米を生産してる人なら、物納でもいいんですよ。
これは、綜合文化研究所が提案しているPという交換証を使います。

写真に興味があって学んでみたいな~と思う人、
通信制は全国どこからでも、いや世界ですね、どこからでも学べます。
今日は写真学校のお話でした。

<あい実践学校>

あい実践学校・第一群は、ジャーナリスト 編集者 著述家 ディレクター等を職業にしようとしている人材を養成する学校です。写真学校では、あい写真学校&写真ワークショップ京都。 文学校では、あい文学校が開校しております。(2004.10現在)

写真と文章をベースにおいて展開できる人材をつくっていきたいと考えています。
入学してきた人は、自分独自のメディアを創り出すノウハウを学びます。

通信制「あい写真学校」、通学制「写真ワークショップ京都」の綜合ゼミと「あい文学校」の履修で、フリージャーナリストを目指したり、フリーペーパーを編集したり、文章を書いたり、それらの綜合計画を立てたり、そんなことができる人材に育ってほしいと考えています。

社会の事象に対しての考え方は自由ですが、その基本に「人間の尊厳」というテーマをもって、個人の充実感と幸福を追求する視点を確保してほしいと思っています。

最近の傾向として顕著になってきていることは、自分のことがよくわからない、と悩んでいる人が多くなってきていることです。
自分のいる場所が見えない、判らない、という人です。
この現象は、個人が自立し始めていることの証だと捉えています。
ところが、自立していく気配が見えているのに、自立していく道筋を自分のものにしていく学び場がないんです。

写真や映像、コンピュータなどの操作技術を教える学校があります。
社会構造の変化によって新しい職種が必要になってきて、その技術を教える学校です。
でもね、いちばん肝心な、ものを創り出す想像力というか、コンテンツといっていますが、
そのベースになるものをつくりだすことは置き去りになっているように思います。

その基本に、自分を知る、ということが必要です。
とはいっても自分を知るということは難しいことなんです。
それから、社会を知る、ということが必要です。この社会を知るということは、
これまでに培われてきた見方がありますから、本を紐解いていけばいいんです。

でも、ここに落とし穴がある。
自分の傾向や方向を見定めないままに、情報ばかりが入ってきますから、
主体性のない自分になってしまうんです。
この主体性というのは、自分の考え方です。

その考え方のとっかかりをつくるために、なにかものつくりを始める。
この「もの」が、ここでは「写真と文章」を提案したいのです。
それと平行して、身体をつかって生産するものを加えたい。ここでは「農」です。

なにかを始めることから分かってくることがあります
。この分かってくることが自分のベースとなってくるのです。
始まりはここからです。

綜合文化研究所では、その始まりをつくる場を提供します。
それが学校!新しい学校!飛ぶ学校!です。 

<写真学校/写真ワークショップ京都>

これは2004年10月10日、京都において開校した写真の学校です。
開校企画とカリキュラムは、フォトハウス京都が担当します。

綜合文化研究所との関係でいえば、
フォトハウス京都は、綜合文化研究所の学校部門の企画立案者です。

写真ワークショップ京都は、過去20年の歴史を踏襲してリニューアルするものです。
1984年に京都において設立された「フォトハウス京都」が、翌年8月、
「ゾーンシステム講座」を開講したときの名称は「フォトハウスワークショップ in kyoto」
このときの名称を部分改称しているからです。

ここにこのように記載しますのには理由があるんです。
著作権とか商標権とかを主張する気はありませんが、
今後、類似のシステムが資本において計画されるときに、
その原点が1984年フォトハウス京都の設立にある、と記しておきたいだけです。

リニューアルして再開されるワークショップは、
基本カリキュラムに「綜合ゼミ」という名称の1年コースを置きます。
このことにより写真学校として定着します。
より高度な、技術や思想を定着させるワークショップは別に組み上げます。

2004年現在、写真はフィルムからデジタルへの移行期にあたっています。
このことを基本認識として、過去・未来を見つめていこうと考えるのです。
写真ワークショップ京都のカリキュラムは、未知数です。
基本カリキュラム「綜合ゼミ」は仮説に基づいています。

デジタルカメラによる写真制作の、内容と技法はまだまだ未知数です。
フィルムカメラによって制作されてきたフィルム写真は、
これまで写真というものの概念、制約から解き放たれます。

そこに新しい内容の写真が立ち現れてくるのだと思います。
この、新しい内容!
この内容が未知だから、この未知のものを明らかにしていこうというのがコンセプト。

社会と人間と写真・映像、その関係を組みなおしていく必要があると思っています。           

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2004年10月8日~のブログ掲載の文を転載します

<写真ワークショップ京都>

綜合文化研究所の推奨する学校群のうち、写真学校/写真ワークショップ京都が10月10日に開校します。

京都は下鴨に、写真のオリジナルプリントを扱うギャラリー、ギャラリー・DOTがあります。
このギャラリーが教室になります。カリキュラム企画は、フォトハウス京都が担当します。
通学制の写真学校で、少人数制のマンツーマン対応です。
学校とはいえ、授業料にあたる経費は最小です。
※月1回のセミナーは、半年1万円または相当の現物納付で受講できます。

レベルは高く設定していますが、初心者の方から学べます。
講師陣は4名、それぞれに写真教育経験者です。
いま、巷の写真学校カリキュラムを乗り越えて、デジタル時代に即応できる写真作家やディレクター&評論家を、輩出していきたいと目論んでいます。


写真ワークショップ京都が10月10日に開校しました。
参加者は7人、スタッフ4人、欠席者が3人。
スタートは生徒10名で始まります。

来年の3月までは月1回のセミナー開催です。
来年4月からは、通信と通学をセットにしたカリキュラム、
「綜合ゼミ」を開始します。

それからテクニカルレクチャー、スペシャルワークショップを開講します。

フォトハウス京都とギャラリー・DOTの共催でおこなう写真ワークショップ京都。
1984年に「フォトハウス・ワークショップ京都」を主宰して以来20年目の今年です。
カリキュラムはデジタル写真の時代に向けた内容です。

京都から新しい写真学校が発する写真情報です。
みなさまの参加をお待ちしております。

<写真学校/写真ワークショップ京都>

これは2004年10月10日、京都において開校した写真の学校です。
開校企画とカリキュラムは、フォトハウス京都が担当します。

綜合文化研究所との関係でいえば、フォトハウス京都は、綜合文化研究所の学校部門の企画立案者です。

写真ワークショップ京都は、過去20年の歴史を踏襲してリニューアルするものです。
1984年に京都において設立された「フォトハウス京都」が、翌年8月、「ゾーンシステム講座」を開講したときの名称は「フォトハウスワークショップ in kyoto」このときの名称を部分改称しているからです。

ここにこのように記載しますのには理由があるんです。
著作権とか商標権とかを主張する気はありませんが、今後、類似のシステムが資本において計画されるときに、その原点が1984年フォトハウス京都の設立にある、と記しておきたいだけです。

リニューアルして再開されるワークショップは、基本カリキュラムに「綜合ゼミ」という名称の1年コースを置きます。
このことにより写真学校として定着します。
より高度な、技術や思想を定着させるワークショップは別に組み上げます。

2004年現在、写真はフィルムからデジタルへの移行期にあたっています。
このことを基本認識として、過去・未来を見つめていこうと考えるのです。
写真ワークショップ京都のカリキュラムは、未知数です。
基本カリキュラム「綜合ゼミ」は仮説に基づいています。

デジタルカメラによる写真制作の、内容と技法はまだまだ未知数です。
フィルムカメラによって制作されてきたフィルム写真は、これまで写真というものの概念、制約から解き放たれます。

そこに新しい内容の写真が立ち現れてくるのだと思います。
この、新しい内容!この内容が未知だから、この未知のものを明らかにしていこうというのがコンセプト。

社会と人間と写真・映像、その関係を組みなおしていく必要があると思っています。



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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から 染屋>
※2005年4月13日~のブログ掲載の文を転載します
フォトハウス表現塾のHP

<写真学校/写真ワークショップ京都>

写真学校/写真ワークショップ京都、2005年の今年、4月10日に本開校しました。
京都・下鴨にある老舗の写真専門ギャラリー・DOTが開校場所。
1985年から活動を続けてきた「フォトハウス京都」が企画運営します。

ネットワーク時代の要請を受けて、2004年4月に通信制あい写真学校を開校しました。
この写真WS京都は、通学制です。

通信と通学を組み合わせたカリキュラム・綜合ゼミ。
綜合ゼミは履修1年間のコースです。
4月24日から綜合ゼミコースがはじまります。
ただいま受講生を募集しています。

2015.5.1
写真学校/写真ワークショップ京都が開校しましたが、5月1日には、テクニカルレクチャーが開講されました。

写真ワークショップ京都のメインカリキュラムは「綜合ゼミ」。
綜合ゼミでは、自分のテーマを導き出しながら写真制作を行います。
この写真制作をするための技術サポートとして、全24講のテクニカルレクチャーが設定されています。

今回のテクニカルレクチャーは、露出につて。
簡単なようで複雑な露出の決定です。
露出計の仕組みや基本的な操作。
現場実習を交えてのレクチャーでした。

<総合文化研究所の学校コンセプト>
2005.9.8
学びの場である「学校」を、経済の枠組みから遊離させることから始まる、綜合文化研究所の学校コンセプトが、ここにあります。学校が商売として成立する時代に、あえてそうではない学校を創りだす必要があると考えています。

また、これまではともすれば頭脳を使うことと身体を使うこととが、分離してしまう傾向がありました。研究者は部屋に閉じこもり、さまざまな妄想にさいなまれていました。労農生活者は肉体の力を切り売りすることで日々の糧を手に入れてきました。

これからの人間のあり方は、頭脳活動と身体活動を統一していくことを目指すことだと考えます。つまり野にあったひとは頭脳を手にいれ、部屋にこもっていたひとは野に出ていくこと。こういうことが「アートするひと」と呼ばれるようにならなければなりません。商品価値としての頭脳プレーや作品制作プレーには、おさらばして、生きてる充実感というものを手に入れなければなりません。

といって農的プレーにおいても、商品として流通させることを指向する領域ですが、ここでは、そのように指向することの弊害をみつめて、新たなる農的プレーの方向を模索していきたいと考えます。

あい実践学校のコンセプトは、夢と希望を紡ぎだすこと。そして、自立する個人のネットワークによる「自給自足」。これがどこまで可能なのかということを実践していきたいと思うことです。あい実践学校は、新しい「ひと」と「ひと」の関係のあり方を模索しながら、「新しいライフスタイル」を紡ぎだしていく学校にしていきたいと思います。

9月11日(日)写真ワークショップ京都の9月ゼミが開講されました。
写真ワークショップ京都は、新しい写真表現の方法を手に入れる人のために、1年制で開校されている写真学校です。開校場所は、京都・下鴨にあるギャラリー・DOTです。ギャラリーが運営する写真の学び場だといえます。

「綜合ゼミ+テクニカルレク」コースは、通信と通学を併用した、新しいタイプの学びの場です。
綜合ゼミでは、写真を相互批評するセミナーと写真理論などを学ぶゼミを履修します。併設の通信制あい写真学校のカリキュラムも、同時に履修します。
テクニカルレクでは、カメラ操作や撮影実習などの前期カリキュラムと写真史や写真プレゼンテーションの方法などの後期カリキュラムがあります。

写真の初心者の人には、基本から高度な応用まで、写真のノウハウがわかります。
写真作家になりたい、ディレクターになりたい、そういうニーズにあわせています。
少数精鋭、個別対応のユニークなカリキュラムをもった写真学校です。  

<まるエコ塾が始まります>

2005.10.18
滋賀県に<湖国まるごとエコ・ミュージアム>プロジェクトがあります。
そこに、情報BOXプロジェクトがあり、びわこほっと探偵局というのがあります。
まるエコ塾は、びわこほっと探偵局が主宰する塾・学校です。
☆ただいま、塾生を募集しています☆

まるエコ塾は、12月1日に開塾します。
今年は、プレ開塾で、写真塾と記者塾の合同で、全10回シリーズ。
開塾日は、毎週木曜日PM3:30~PM5:30(年末年始を除く)です。
会場は、浜大津駅前にある「NTT滋賀支店・セミナールーム」です。
参加資格は中学生以上の方ならOKです。
参加経費は、資料代等で、全10回9千円(1回千円)が必要です。

写真を撮る、記事を書く、ちょっとジャーナリストになる。
新しいタイプの人材育成をめざしている<まるエコ塾>です。
来年度以降は、別バージョンで、料理塾とか、野菜塾とか・・・作っていく計画です。 
びわこほっと探偵局事務局は(財)滋賀総合研究所内 です。



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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から 染屋>
※2005年11月13日~のブログ掲載の文を転載します
フォトハウス表現塾のHP

<写真表現を勉強する>

写真を学ぶ、それも作家として自立していくことを前提に、写真を学ぶ。
結婚式の写真を撮るとか、子供の写真を撮るとか、そのときにどうしたら上手に撮れるのか~、といった撮影技術を勉強するだけじゃ~なくてですね~~。カメラを使った写真で何かを表現するとなると、何を勉強すればいいの?
まあ、こんな問題に突き当たってきたら、そっからですね、勉強するきっかけ!!

京都は下鴨にあるオリジナルプリントを扱うギャラリーが開校している写真を学ぶ学校、写真ワークショップ京都です。そこでは<あい写真学校>という通信制の学校も運営しながら、少人数制で、本格的な写真の勉強ができる<場>を提供しています。
ギャラリー・DOT では、新しい写真表現のあり方を、参加する生徒と一緒に考えようとの試みで、ワークショップを開催しています。

自立する個人、なんて様々な分野で云われてますが、ここでも自立する写真家、とういうのがテーマです。様々な側面から、時代を検証していく視点をもって、自ら新しいタイプの写真家をめざす。云うのは簡単ですが、そうなるにはどうしたらいいの~?っていうのが、議論の中心になりました。もちろん高度な撮影技術をも修得していきながら、の話です。

2005.12.26
写真を扱う専門ギャラリー、京都・下鴨のギャラリー・DOTが開校している写真学校/写真ワークショップ京都。12月25日(日)午後1時から、第15回セミナーと12月期ゼミが開講されました。

新しい写真表現の方法を考えるワークショップです。セミナーでの出席者の作品添削のあと、ゼミの内容は、合同研究(3)。写真の現代潮流をふまえて、政治学、哲学、心理学、生命科学などの分野の現代潮流を研究しました。

京都写真学校の通信部に「あい写真学校」があります。あい写真学校は、通信で写真表現の方法を学ぶ学校として開校しています。
履修コースは、一年制ステップアップ方式の「通信本科」、半年コースの「通信セミナー」があります。

あい写真学校で学ばれる生徒さんの発表の場として、あいフォトギャラリー をHPに開設しています。ぜひご覧になってください。

なお、入学は毎月、月初めからです。詳しくはお問い合わせください。
通信制「あい写真学校」のご案内でした。

<写真ワークショップ京都>

写真ワークショップ京都は、写真表現の方法を学ぶ1年制の写真学校です。京都写真学校が運営する通学制です。
開校場所は、京都・下鴨にあるオリジナル・プリントを扱う写真専門ギャラリー、ギャラリー・DOT です。

少人数制で個別対応のカリキュラムは、フィルム写真領域では、オリジナル・プリント制作のための高度な専門知識までを学びます。また、デジタル写真領域では、WEBを使いこなす手法やWEB写真展を開催したり、そのノウハウを学びます。

なにより重視されるのが、写真表現のためのコンセプト、自分の取り組むテーマ、写真家として自立するためのノウハウなどです。本格的に写真表現を学びたい方にも対応したカリキュラムで、初心者の方には、カメラ操作の基礎技術から、暗室実習、撮影実習などを組み合わせたテクニカルレクチャー全24講がカリキュラム化されています。

通信と通学で学ぶ「綜合ゼミコース」をメインカリキュラムとして、だれでも参加できる「セミナー」の開講まで、京都にて開校されている写真ワークショップ京都です。詳しくは、お問い合わせください。    


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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から 絣>
※2004年11月1日~のブログ掲載の文を転載します
フォトハウス表現塾のHP

<あい自然学校の開校>

今日、あい自然学校をWEB上に開校させました。
綜合文化研究所が提唱しています学校群のひとつです。

これまでに、あい写真学校、あい文学校、あい農学校を開校しております。
この3つの学校に加えて、あい自然学校 です。

これらの学校は、もちろん政治・経済の大きな流れと無縁ではありません。
大きな流れ(今日はイラクで香田さんが遺体で見つかったニュース)を十分に意識して、
なおかつ、その場所に立って、綜合文化研究所は提唱しているのです。

人間同士、人間集団同士が、お互いに争うことがない世界は可能かどうか。
可能かどうかではなくて、可能にしていかなければなりませんね。
といいながら、どうすれば可能なのか、ということです。


それから、争いや競争ではないところで人個人が、充実感・幸福感を得ることができること。
これも綜合文化研究所にとって、重要な関心ごとです。
新しい生活スタイルを得よう、ということを呼びかけていますが、
その具体的なスタイルを作っていくのは、あなた自身のこれからです。
当然、ぼく自身のこれからでもあるわけです。

4つの学校で何を学ぶのか、ということは、ぼくが出て、あなたの出番をまって、
学ぶ内容を具体的に積み上げていくことだろうな~って思っています。 

<山の生活>

綜合文化研究所を主宰しているnakagawaです。
どっちかいうと自然人、ヒトですね。
この自然の方をめざしています。

果実には自然果実と法定果実があるように、
ヒトにも自然ヒトと法定ヒトがあるんじゃないかな~なんて考えて、
笑っちゃうな~、ボクってヒトも、この法定ヒトやったからな~。

法定ヒトっていうのは・・・、
社会のしがらみにがんじがらめに縛られてるヒト。
お金を増やすことが最優先で生きるヒト。
ヒトは利用して何ぼ、って計算して付き合うヒト。
権力を手中にすることを最上課題とするヒト。etc,etc ・・・
こんなことゆうと、怒られそ~ですね。

自然ヒトっていうのは・・・、
何にも持ってないヒト。
いやね~、住むところと彼女ぐらいもってます(笑)
それから、最小の生活資金もかせがにゃいけません。
自給自足っていっても、全部できるわけないしね。
もう権力ともおさらばして、自由気儘、ってありたいですね。

こんなして、山の生活、すっごく贅沢してる!!
そうなんですよ、貧素な生活は最大の贅沢です。
こころ豊かにする贅沢です。

<自然人生活>

もうなんにもしていないのに、生きてるだけで戦争に加担している、
なんてこと考えたくないんですが、事実認識します。
ということであれば、どうしたらそうしなくても済むのかな~。
無理ですよね、生きてる限り、その間接とはいえ当事者です。

そこで現代文明から遡行して、戦争がなかった文明へ飛んでいく~。
つまり、この方向を、自然人生活の方へといっています。
まあ自責からの逃避だといってしまえばそれまでですが、ね。

少なくとも現代文明の最悪事態であります戦争を考えることのなかに、
とりうる行為として、逆行、遡行、という納得の仕方もある、と消極的・・・。
でもなんにもしないで、はんたい!って云ってるよりはましかな~。

ホントに困った世の中だと感じています。


都会生活をクロージングして、田舎暮らしを考える。
そんな風潮が起こってきているように思います。
この田舎暮らしのなかに、他人との関係の捉え方があるように思います。

<田舎暮らし>

ここ数十年来の都市化というのは、人間関係の疎遠化の風潮でもあったと思います。
お隣さんのことは、何も存じ上げません、という人間関係ですね。
それが、田舎暮らし、という方向は、この人間関係を取り戻すことかも知れないです。

食品類のトレーサビリティが盛んに言われてきています。
どこで、だれが、どのようにして、作った食品なのか?
トレーサビリティとは、これが追跡できる仕組みですね。
それから、手作りの食品、大歓迎の風潮ですね。

作ったヒトの顔が見える関係、っていうじゃないですか。
この「わたしとあなた」という関係ですね。
野菜の価格表示に併せて、生産者の名前が記入されます。
消費者は、この記名により、安心感をえることができます。
生産者との親密感もでてきます。

ここでは、生産者と消費者の関係が近くなってきた、といえます。
で、田舎暮らし、です。
田舎暮らしとは、この生産と消費を自分自身がやっていく、ことなんです。
と同時に、地域共同による自給自足体制を創っていくことでもあると、思います。

希薄になったお隣さんとの関係を作りなおす運動なのかもしれませんね~。


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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から 絣>
※2004年11月18日~のブログ掲載の文を転載します
フォトハウス表現塾のHP

<山の暮らし-朝->

しばらくお休みして山へ行ってきました。
もう秋も深まって、天候は冬を思わせました。
雨の日が続きましたが、晴れたり時雨れたり。

都会地をはなれて田舎暮らしの方へ、って思っているんですけれど、
これは自然を受け入れていこうとの思いなんです。
都会生活に慣れてしまった生活習慣を、
全てリセットするなんて思わないでおこうと思っています。

山に入っても朝の食事は摂ります(笑)
それもコーヒーとかミルクとかチーズとか・・・
田舎暮らしだったら、味噌汁にお漬物、なんて考えがちですけれどね。

自然を受け入れてあげて自然のままに生きる、なんて考えても、
現実には、生活習慣は延長していきます。
ただ、食べものはなるべく自然のものを食べる!なんてことを心がけています。

この朝食メニューも、手作りパンをメインにしています。
パンの材料には有機栽培の小麦粉を使ったり、
ミルクもなるべく自然飼育の牛さんミルクにしたりしています。

まあね、食べものの現状を知ることから始めていきたいんです。
アグリビジネスの是非、化学肥料に農薬使用、流通業者の嘘・・・
こんな現状を知っていきながら、食の中味を変えていく。
食の生活習慣はそのままでも、中味を変えてきています。

<自然派ネットワーク>

自然に親しむ気持ちが高まるばかりです。
この気持ちって、現実逃避ではなくて、新しい生き方だと思いたいですね。
都市化の時代から農村化の時代へ・・・。

21世紀の時代は、失われてしまった人間の感性の恢復がテーマ。
というのも、食べること、学ぶこと、仕事をすること、それらの全てが管理されてしまう時代です。
食べるものは、アグリビジネス、大手資本の管理のもとに掌握されます。
学ぶことは、教育ビジネスの手にゆだねられてきています。
仕事をすること?個人が自立して仕事をすることが困難な時代です。

こうした傾向の世界で、個人が自立してネットワークしていくことを、求めます。
こころとこころが分断されているのなら、それを融合していきましょう。
みんなが集まってワイワイガヤガヤ、そんな場をつくりましょ!

自然に親しむだけじゃなくて、食べるものを生産する。
共同で家畜を飼い、はたけを耕し、食べ物を生産する。
そして共同で収穫祭!パーティーを催す。

かわいそうだけど豚さん、人間の犠牲になってます。
許しておくれ、豚さん・・・。
人間は動物を食するんですが、これってまだ許されますよね。
でも、人間どうしが集団で殺しあうのはいけませんよね。

自然を愛するひとのネットワークで、争いのない世界を創り出したいです。

<朝食メニューから>

これは昨日の朝のメニューです。
パンにチーズ、コーヒーにミルク、胡桃と銀杏。

パンは、自然酵母で焼いたパン、自家製です。
天然酵母の材料はドライレーズン。
ドライレーズンは、カリフォルニア産の有機栽培のものです。
パンの材料、強力粉は国産ブレンド粉、全粒粉は奥村さん栽培の小麦。
チーズとミルクは、よつ葉乳業のもの。

胡桃と銀杏は、今年、山で収穫した自然種です。

自分たちが食べるものの生産地や生産者を知りたいと思います。
食物が過度の管理によって生産され供給されています。
消費するぼくの居住地は京都です。

この朝食の材料は、カリフォルニア産、北海道産、京都産。
エコロジーの関連でいうと、遠方のものは輸送コストがかかります。
輸送の際の排気ガスは、環境を破壊します。

自分たちの食べるものは、自分ちの地域のもので賄いたい思います。
なお、自然のものを自然のままに・・・。
パン酵母は野菜から培養できるし、固いパンになっても京都産を使いたい。
そのように思いながらも、諸般の事情で、朝食材料、いまはまだ上記のものです。

今後の課題は、これをどこまで地域で採れたものにしていけるか、ですね。

<手作りのすすめ>

食の問題が話題になって久しいです。
食べ物が地球規模で流通していますし、
外食産業が盛隆ですし、
レトルト食品、冷凍食品、
それにインスタントラーメン類ですね。

農薬やポストハーベスト問題で安全性が問われてます。
地球環境にもよろしくないですしね。
もう食生活は、乱れてるといえばそのとおりで哀しくなります。

そこで、食べ物を手作りですることを考えてみましょう。
時間とお金に振り回されて、手作りなんてできな~い。
このような生活のみなおしをしていく、現状を改める。

大量生産食品はメチャ安いです。
手作り食品はそれなりに高くつきます。
でも、考えようでは、安心して食べられますしね。

パンを酵母から起こして手作りする。
自然酵母パンです、まあ、趣味的要素もありますが、ね。
この趣味的要素は、心の栄養素になります。

どっかで生活態度の転換を求めたいです。    

<まるエコ>

<まるエコ>って、まるごとエコロジーライフ、生き方のスタイルですね。
質問は、朝食、これをどのようなスタイルで摂ってますか?
ご飯に味噌汁プラス・・・ってのが多いんでしょうかね?
パンとコーヒープラス・・・ってのが多いんでしょうかね?
朝抜き~なんて方も沢山いらっしゃるでしょうね。

アーバンライフにおいては、朝食は番外、お粗末~ってのが相場ですね。
そこで、まるエコライフでは、朝食をいかに愉しむか、を考えますね~!
わたしの場合、天気のいい日は庭にて朝食を・・・です。

準備に30分、食べるのに5分!じゃ~なくて1時間かな?!
朝の庭には小鳥がさえずってますね。
木の下に設えた特設テーブルに食べ物を並べて、ゆっくりと・・・

こんなこと意識しないと出来ないです。
<まるエコ>ってのは、意識して実行して、そうして気づくこと。
何に気づくかっていえば、気持ちよさに気づくんです。
その時間が貴重で重要だ、必要だって、気づくんです。

これは、一つの参考例として、さて、あなたは何をしますか~!
朝の食事って、<まるエコ>を考える重要ポイントだと思っています。

<朝の食事と健康>

新しい生活のスタイルを考えるとき、一日の始まり、朝の食事を充実させようと思います。
というのも、現在の、忙し生活では、ついおろそかになる朝食です。
身体の健康、心の健康、合わせて健康な状態があります。

現代人の生活が、健康な状態にあるかと自問しますと、どうですか?
なにをもって健康とするかを考えなければならないんですが、身体と心が一体としてあって、夢や希望にあふれた気持ちを抱くことができること、なんて思っています。

そうすると、現代人の日々の生活が決して健康だとは云いがたいです。
そこで、身近に<朝食>、朝の食事を充実させようとの考えです。
朝に気分爽快で食べ物が美味しくいただける。
そのうえテーブルには、こだわりの品々が並ぶ。

なるべくなら手作りの食べ物がよいと思います。
自然酵母パンがメインで、その時々の収穫野菜を付け加える。
そうしてね、ゆっくり時間をかけて、食べる。

健康であるための第一歩が、ここにあるように思います。    



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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から 絣>
※2005年7月6日~のブログ掲載の文を転載します
フォトハウス表現塾のHP

<紫陽花>

梅雨の季節の代表花は、なんといっても紫陽花<あじさい>ですね。
綜合文化研究で「花と心のありかた」というのに興味があるんです。
それも地域固有の文化とl心の関係とでもいえばいいでしょうか。

紫陽花は、昔から人々に愛でられてきた花です。
ガーデニングブームのなかでは、西洋花品種が多いですが、
やっぱり心にしっくりとくる花は、昔からの花だと感じています。

ヒトの心、その基底が揺らいで不安定になっている現在です。
固有文化を被い尽くす西欧文化のなかで心が流動化してる?
そのようにも感じるなかで、地に足をつけた安定した心を模索します。

花は心と直結する風物です。
現在の文化状況がヒトの心を蝕むもので溢れてるとしたら、
紫陽花は、心を癒し、安定させてくれる効用がある、とも思っています。 

<朝の食事>

一日の始まりは、朝の食事です。
朝の食事を採らない、朝の食事は簡単に、朝の食事はご飯と味噌汁・・・
朝の食事をめぐる話題には事欠かないんですが、ここでは、朝の食事を意味あるものにしようと思っての提案です。

自然派生活(まるエコライフ)を実践しようと思って、田舎へ篭ったときの朝には、手作りのメニューで食事をします。
パンとコーヒーがメインの洋風ですが、これはボクの世代が、子供の頃からパン食を憧れた結果だと思っています。
パンは手作り、自然酵母パンです。自家菜園で採れた野菜や果物を食べるようにしています。
とはいえ全部が自給できるまでには至っていないです。でも、なるべく生産した人の顔がわかる材料を使っていきたいと思うのです。

朝の食事は、生きることの具体的な営みの基本です。だから、こだわりたいと思っているんです。仕事(金儲け)のために、朝の食事をおろそかにする。忙しいから朝の食事は摂らない。そんな風潮のなかで、朝の食事を考えることって、自分の生活を見直すきっかけになるんじゃないですか、ね。

<銀杏>

先日、田舎へ帰って、山へ入りました。
山には、木の実が自生しているんです。
この日は、銀杏拾いがお目当てです。

秋の木の実は、胡桃やムカゴ、それに銀杏です。
とおい昔の採取生活には戻れない。
としても、そのノウハウを手に入れて、自給生活を試みる。

文化の形態を研究しているんです。
その時々の文化の形を実践しながら心を知る。
もちろん、現代は知識に基づいていくわけだから純粋じゃないです。

都会化が進むなかで、田舎化とはなにか?
表面的な生活風習の奥に秘められる心・・・
そんな気持ちを味わうための実践でもあるわけです。     

<L'expo開催です>

今日、2006年2月25日と2月26日の両日、L'expo<レクスポ>が開催されています。
スローライフの展覧会として企画され、今日が本開催となりました。
会場は、京都下京区の大阪ガス綜合ショールームにあるディリパ京都パルホール。
午前10時から始まりましたが、スローライフを志向する人も、そうでない人も、沢山つめかけておりました。

環境問題や、食の安全問題などが話題になりますが、スローライフに象徴される取り組みも、グループや個人でなされてきています。
このL'expoは、今年初めて開催されるイベントですが、健康や環境を重視する新しい価値観を、普及していくためのイベントして、継続させていきたいと目論まれています。

有機無農薬野菜、オーガニックコットン、ベジタリアン料理、オーガニックケーキなど、物販のお店が並び、講演、パネルディスカッション、ワークショップなどが会場で行われていくイベントです。スローライフの未来を見る。その試みが始まったといえます。綜合文化研究所も、ささやかながら応援したいと考えています。     

<暮らし方のネットワーク>

いまの世の中で、日々の暮らしに満足を得るためにと思って、たどり着いたのがパンを焼く石窯つくりです。有志グループで、こつこつと作ってきた期間は1年です。昨年の春、基礎を作って、火入れまでです。パンの石窯を造った場所は、赤熊自然農園(京都・亀岡)の一角で、小麦の栽培から、自然酵母つくり、パン焼きまで、自給していこうというプロジェクトです。

近年の暮らしぶりは、お金儲けのことや人間関係で、ストレスの溜まることが多い日々です。そんななかで、消費生活をしているのですけれど、食べ物の生産を、グループでやって、生産することの喜びと、新しい人間関係のあり方を考えていこうという発想です。石窯作りに参加するひと、個人単位ですが、夫婦や家族で参加しています。

安全な食品を考えたり、地域の食べ物つくりを受け継いだり、自然との関わりを考えたり、いってみれば、失われつつある良質な生活を再現していく試みです。自給自足を実践していくプロジェクトです。

火入れを行ったばかりの石窯です。いよいよこれから、ここにて人があつまり、自分の暮らし方をとらえなおし、ネットワークしていく段階にきたんだと思っています。

<山の生活>

山の生活とゆうからには、その意味合いを語っておかなくては、いけないのかも知れません。
山というのは、野山でも、里山でも、山間でもいいんですが、都会ではない、海辺でもないという地域のことを、想定しています。
いってみれば、自然豊富な、自然が残っている、そんなふうに考えていいかも知れません。
この対極に都市とか街とか、人が集合して消費をする地域を考えています。

山の生活は、その目標を、自給自足に置きます。
貨幣経済からいかに遠くに、自給自足ができるか。
このような考えを、作っていく場でもあると思っています。
いまや、生活の自然態はといえば、消費生活です。
消費生活は、貨幣生活、お金でもって交換する生活です。
そのお金を得るために、働いてます。
近代労働、現代労働、労働のかたちです。

その近代から現代にいたる、労働の形体とか、貨幣流通の形体とか、そういったものを考え、とらえなおしていく試み、それが、山の生活、という内容のひとるに、なるのではないか、と思います。


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<掲載写真は、写真集<京都農塾2004~>2005.5.29 田植え>
※2004年9月3日~のブログ掲載の文を転載します
フォトハウス表現塾のHP

<あい農学校の開校! >

綜合文化研究所の学校に「あい農学校」というのがあります。
読んでそのとおり、農をする学校です。

食べものってヒト個人のからだ維持に、根本的に必要なものですね。
この根本の食べものを自分で作り出す!ということを目的にしています。
つまり自給自足する方向をめざそう!の学校です。

そうですね、この世は権力関係。
持ってる者は強い!持たない者は弱い!
全てがこのとおり、網の目、織物のように張りめぐらされてる関係。
当然、これでいいんです!というヒトは勇敢に戦って権力を得てくださいませ。
それが順当な世の中の論理、倫理、価値観というもんですからね。。。

でもそりゃもう、いまさら何にも持ってない者ががんばっても所詮空威張りに過ぎんです。
という認識のもとに、自分を生産するヒトに仕立て上げることを実践するんです。

ヒト個体生存根本の食量を消費するんじゃなくて、生産・消費するんです。
自立するとは基本的にこのことです。
消費者の限りにおいて従属ですね、植民地者、こころまで明け渡してしまいますね。
明け渡しは、もしおいでなら、「神」さんにお上げしましょう。
生きてる神のように振舞うブッシュさんじゃないですよ、間違うなって、ね。

あんまり言葉で過激やっちゃうと、きつく叱られそうだから、シーッ!、黙って生産しよう。
生産者になりましょう、との提案と実践なんです。

<自給自足を考える>

綜合文化研究所では、食べることのなかで、自分で作れるものは自分でつくろう!との呼びかけをしています。
そのなかで、最近、自給自足ということをよく見かけるようになりました。

グローバリゼーションといっています世界の流れがあります。
食料においては、アグリビジネスといっていますね。
世界規模で生産と消費のルートが、大きな資本によって作られてきています。
このこと自体は、より良いものを廉価で供給してくれるのであれば、何もいいません。
でも、そうとばかり言ってられないですね。

毎日食べる食品への、不安がつのるばかりの昨今です。
地球環境の観点からも、いろいろな問題点が指摘されていますしね。
そんな不安は、ヒト個人の尊厳をも台無しにしてしまいますしね。

そこで、自給自足を考える風潮が出てきてるのかな~とも思います。
自給自足生活の方へ、といっても個人では限界があります。
でも、第一歩の行動を開始する!そのことが大切だと思っています。
手作りの勧め!です。

食べるものを自分で作る、という生産活動にチャレンジしよう!
これが綜合文化研究所が提唱しています自給自足の方へ・・・です。

あい農学校は、そんな思いをもって学習していこうとする学校です。
作付け技術を勉強すると同時に、自分の自立を考えていこうと思っています。

<農作業は触覚体験です >2004.9.9

あい農学校のお話です。
いつもは頭ばっかり使って仕事をすることが多い現代人です。
からだとこころ、身体と心が両立して健全であることを理想としますが、
ともすればストレスためてしまってダウン、なんてこともままあります。

そんなときは身体を使っての農作業のできる場所を作っておくというのも妙案です。
農作業は皮膚を大地にふれさせる触覚体験です。

もともと人間っていうのは自然と共にあった動物です。
それが長い歴史のなかで都市が形成されてきたんです。
都市に住むことが推奨されてきたこの歴史への反省をこめて、
いま、ルーラルライフの方へと意識が向いてきています。

大きな社会の流れの中で自然に」向う時代がやってきているように思います。
綜合文化研究所はそんな時代の生き方を提案していきます。

<京都農塾のはなし>

京都・園部で開校されている京都農塾。
ここでは有機肥料による無農薬栽培で野菜を栽培しています。
参加者は一般公募で集まってきた20人。
その中には幼児、小学生、高校生がいます。
その子らは家族での参加です。

今年2年目の京都農塾です。
春に植えつけた野菜の収穫です。
トウガラシ、ナス、トマトなどなど・・・
収穫は楽しいものですね。

写真は、収穫したお野菜を分別しているところです。
参加者が持ち帰って自分たちの食料とします。
たくさん採れて、消費しきれないこともありますね。
そんなときは、ご近所にお配りして、日ごろのお礼を・・・

自給自足の始まりですね。
いいですね~~。

<共同稲刈り>

共同で作っている田んぼの稲刈りを行いました。
10月20日(土)の午前10時から、場所は京都ナチュラル・ファームの田んぼ。
刈り取ったのは、もち米です。

あいにくの雨模様でしたが、田んぼに入って釜を持っての稲刈りです。
昔ながらの手作業です。
最近は、もう機械化がすすんで手作りなんてレトロ感いっぱいですね。
でも、いいんですよ、自分たちで育てるお米に機械はいりません。

自給自足を目指そうとしたら、機械に頼ることは埒外ですね。
だってね、機械はタダではないんですもんね(笑)
自給自足経済ってのは貨幣経済排除の方角です。
なじまないんです、根本的にね。

この日は、新米を炊いて食べる収穫祭!だったんです。
採れたて野菜の天ぷら、お漬物、それに釜で炊いたご飯です。
場所は、コンクリートの道路わきでした。

<身体とこころ、農業、手工業系 >

綜合文化研究所が提案している「新しい学校」の第二群です。

ここでは、あい農学校が開校しております。
あい農学校では、農産物や生活資材を生産する人材をつくっていきたいと考えています。

この学校に入学してきた人は、自分が生活者として自立するためのノウハウを学びます。

現在は便利な生活が出来るといえばできます。
街にはコンビニがあり、ファーストフードのお店があり、
ディスカウントのスーパーがあります。
日々の生活に必要なものは、お金を出せば手に入れることができます。
しかし、わたしたちは生産手段を持っていません。
おおむね消費者という立場に立って生活に必要なものをお金を出して購入しています。

グローバリゼーションが進行中です。
どういうことかというと、資本が一極に集中していく経済現象です。
つまり、わたしたちヒト個人はお金を稼ぐために、
不安定労働のなかで心にストレスを蓄積してしまいます。

このような時代の将来は、ヒト個人は浮遊化し、
家畜が飼われているような状態になっていく道筋のような気がしています。

若い世代では、自分に居場所がわからない!っていう悲鳴が随所で起こっています。

現在から未来に向けて、こういう事態に直面してしまったヒト個人が、
あらためて自分の居場所をつかんでいく道筋を創り出す。
自分の居る場所をしっかりと掴んでいかないといけないと思っています。

そのためには学びの場が必要です。
なにかを、生産することを学びはじめましょう!
レッッゴー!!    



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