中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

カテゴリ: 学校の領域

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>から染色屋さん>
※2004年9月2日付の文書を掲載します

<あい文学校の開校>

今日は、あい文学校についてのご案内をします。

☆あい文学校は文章による自分の記録をつくる学校です☆

あい文学校は同人による運営をします。
あい文学校では、詩、小説、日記、評論を扱います。
形式はさまざまですが文学することとは、自分の思いを文章に託して
あたらしいコミュニケーションの方法を手に入れようとすることです。
文章を書くことや、画を描くことや、写真を撮ること、
それに食べものを作ることの両方を実践すること、
あたらしい時代のあたらしい生き方をつくりはじめる。
そのことを記録していくことからはじめましょう。

☆写真は現場作業です、文学は密室作業です、農作業は身体作業です☆

綜合文化研究所では、ヒト個人が自立することを目的として、
生産することと消費することを一体としてあるもの、との考えをしています。
「こころとからだ」の一体としてあるヒト個人の未来像に向けての、
新しい生活スタイルをあみ出していこうとの想いです。

現代社会は、ヒト個人を疎外する社会、との認識を持っています。
子供・若者においては、不登校、引きこもり、リスカなどの現象が現れています。
中年大人においては自死行為が問題視されています。

このような現状から、ヒト個人の充実感、幸福感を得ることへの道筋を考え、
まずは行動していく必要があります。
そのためにも、あい文学校の開校が必要だとの認識です。

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>から>
※2004年9月7日付の文書を掲載します

<自分を見つめる文章を>

綜合文化研究所では、ヒト個人が自立することを目的としています。
そのヒト個人の外側での自立(経済的地位)はもちろんですが、
ここでいうのは、自分自身のアイデンティティっていってますが、
つまり、自分の生き方を自分で納得して、充実感・幸福感を得ていくことです。

自分のことがわからない時代、どうしたらいいのか迷いの時代。
自分の行き場が無くて、引きこもってしまう気持ちの時代。
競争に追いたてられてる時代。

この現代を表現する言い方は様々ありますが、おおむねヒトは悩んでますね。
そこで提案、自分を見つめる手段をもとう!です。

文章を書くことと写真を撮ること、このふたつの手段をもって、自分を見つめる!
そのことを提唱しています。

日記を書く、絵日記をつける、写真日記をつくる・・・
インターネット社会になって、だれもがホームページを開けるようになりました。
だれもがミニですが、新聞社、出版社、放送局運営ができる時代です。

そ~ゆうツールを使いこなして、中味(コンテンツ)を作っていくんです。
情報を一方的に押し付けられることから脱出して、自分のメディアをつくろう!
そのための、自分を見つめ、表現する技術としての、文章を書く勉強です。

そういうことに目覚めたヒト個人のネットワークを創っていきましょ~!

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2005年9月8日付の文書を掲載します

<総文研の学校コンセプト>

学びの場である「学校」を、経済の枠組みから遊離させることから始まる、綜合文化研究所の学校コンセプトが、ここにあります。学校が商売として成立する時代に、あえてそうではない学校を創りだす必要があると考えています。

また、これまではともすれば頭脳を使うことと身体を使うこととが、分離してしまう傾向がありました。研究者は部屋に閉じこもり、さまざまな妄想にさいなまれていました。労農生活者は肉体の力を切り売りすることで日々の糧を手に入れてきました。

これからの人間のあり方は、頭脳活動と身体活動を統一していくことを目指すことだと考えます。つまり野にあったひとは頭脳を手にいれ、部屋にこもっていたひとは野に出ていくこと。こういうことが「アートするひと」と呼ばれるようにならなければなりません。商品価値としての頭脳プレーや作品制作プレーには、おさらばして、生きてる充実感というものを手に入れなければなりません。

といって農的プレーにおいても、商品として流通させることを指向する領域ですが、ここでは、そのように指向することの弊害をみつめて、新たなる農的プレーの方向を模索していきたいと考えます。

あい実践学校のコンセプトは、夢と希望を紡ぎだすこと。そして、自立する個人のネットワークによる「自給自足」。これがどこまで可能なのかということを実践していきたいと思うことです。あい実践学校は、新しい「ひと」と「ひと」の関係のあり方を模索しながら、「新しいライフスタイル」を紡ぎだしていく学校にしていきたいと思います。

<写真ワークショップ京都>

9月11日(日)、写真ワークショップ京都の9月ゼミが開講されました。
掲載の写真は、ゼミ風景の一齣です。

写真ワークショップ京都は、新しい写真表現の方法を手に入れる人のために、1年制で開校されている写真学校です。開校場所は、京都・下鴨にあるギャラリー・DOTです。ギャラリーが運営する写真の学び場だといえます。

「綜合ゼミ+テクニカルレク」コースは、通信と通学を併用した、新しいタイプの学びの場です。
綜合ゼミでは、写真を相互批評するセミナーと写真理論などを学ぶゼミを履修します。併設の通信制あい写真学校のカリキュラムも、同時に履修します。
テクニカルレクでは、カメラ操作や撮影実習などの前期カリキュラムと写真史や写真プレゼンテーションの方法などの後期カリキュラムがあります。

写真の初心者の人には、基本から高度な応用まで、写真のノウハウがわかります。
写真作家になりたい、ディレクターになりたい、そういうニーズにあわせています。
少数精鋭、個別対応のユニークなカリキュラムをもった写真学校です。  

                

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2004年8月29日~のブログ掲載の文を転載します

<あい写真学校のご案内>

こんにちは!綜合文化研究所です。
綜合文化研究所の提案のなかに学校運営があります。

あい写真学校は通信で写真表現の方法を学ぶ学校です。
写真学校といえば、都会地で相当なお金を払って技術を学ぶ、というのが通り相場です。
写真を愛好するヒトがたくさんいらっしゃいます。
デジタルカメラの普及で、いっそう写真を使うヒトが増えています。
いまや写真はファッションですね。

そこで通信により写真での表現方法が学べるカリキュラムを開発しました。
全国、いやいや世界中どこにいても学べます。

あい写真学校では、経費を最小限に抑えています。
通信ゼミは年間6万円、セミナーは半年12千円です。

あい写真学校は通信制ですが、通学制の写真学校を開校します。
「写真ワークショップ京都」です。
この10月10日開校です。

通信制と通学制の写真学校、それに文学校、農学校も併設しています。

<アートする学校> 

綜合文化研究所では、通信制の学校を運営しています。
学校へ入学してきた人は、自分独自のメディアを創り出すノウハウを学びます。

通信制の「あい写真学校」、通学制の「写真ワークショップ京都」綜合ゼミと、
「あい文学校」の履修で、フリージャーナリストを目指したり、
フリーペーパーを編集したり、文章を書いたり、
それらの綜合計画を立てたり、そんなことができる人材に育ってほしいと考えています。

社会の事象に対しての考え方は自由ですが、
その基本に「人間の尊厳」というテーマをもって、
個人の充実感と幸福を追求する視点を確保してほしいと思っています。

最近の傾向として顕著になってきていることは、自分のことがよくわからない、
と悩んでいる人が多くなってきていることです。
自分のいる場所が見えない、判らない、という人です。

この現象は、個人が自立し始めていることの証だと捉えています。
ところが、自立していく気配が見えているのに、
自立していく道筋を自分のものにしていく学び場がないんです。

写真や映像、コンピュータなどの操作技術を教える学校があります。
社会構造の変化によって新しい職種が必要になってきて、その技術を教える学校です。
でもね、いちばん肝心な、ものを創り出す想像力というか、コンテンツといっていますが、
そのベースになるものをつくりだすことは置き去りになっているように思います。

その基本に、自分を知る、ということが必要です。
とはいっても自分を知るということは難しいことなんです。
それから、社会を知る、ということが必要です。
この社会を知るということは、これまでに培われてきた見方がありますから、
書物を紐解いていけばいいんです。

でも、ここに落とし穴がある。
自分の傾向や方向を見定めないままに、情報ばかりが入ってきますから、
主体性のない自分になってしまうんです。
この主体性というのは、自分の考え方のことです。

その考え方のとっかかりをつくるために、なにかものつくりを始める。
この「もの」が、ここでは「写真と文章」を提案したいのです。
それと平行して、身体をつかって生産するものを加えたい。ここでは「農」です。

なにかを始めることから分かってくることがあります。
この分かってくることが自分のベースとなってくるのです。始まりはここからです。
綜合文化研究所では、その始まりをつくる場を提供します。
それが学校!新しい学校!飛ぶ学校!です。
よろしくおねがいします。

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2004年9月22日~のブログ掲載の文を転載します

<通信制あい写真学校>

写真を学んでみたいと思ってる人が沢山いらっしゃいますね。
写真って学校で教えてくれないですし、自分で勉強するっていっても、どんな勉強したらいいのかわからないし・・・
それなのに、デジカメやトイカメラや写メールといった写真を撮る道具は誰もが持っています。
そんな時代にふさわしいカリキュラムを組んで、あい写真学校が開校しています。
インターネットとメールを使って、通信で学んでいく写真学校です。

入学者には、個別対応でメールやチャットにより対話式ですすめていきます。
京都下鴨に10月から、通学制の写真学校「写真ワークショップ京都」が開校します。
関西圏にお住まいのひとは通学と通信を交えて学ばれるとよいと思います。

専門学校とか芸術系大学の写真学科だと膨大な学費が要りますが、
あい写真学校では、そのレベルをキープしながら、経費はわずかです。
最高でも月1万円以内の経費で学べるよう配慮しています。

特に大学在学中の人とかフリーターの人が自前のお金で無理なく学べる!
野菜や米を生産してる人なら、物納でもいいんですよ。
これは、綜合文化研究所が提案しているPという交換証を使います。

写真に興味があって学んでみたいな~と思う人、
通信制は全国どこからでも、いや世界ですね、どこからでも学べます。
今日は写真学校のお話でした。

<あい実践学校>

あい実践学校・第一群は、ジャーナリスト 編集者 著述家 ディレクター等を職業にしようとしている人材を養成する学校です。写真学校では、あい写真学校&写真ワークショップ京都。 文学校では、あい文学校が開校しております。(2004.10現在)

写真と文章をベースにおいて展開できる人材をつくっていきたいと考えています。
入学してきた人は、自分独自のメディアを創り出すノウハウを学びます。

通信制「あい写真学校」、通学制「写真ワークショップ京都」の綜合ゼミと「あい文学校」の履修で、フリージャーナリストを目指したり、フリーペーパーを編集したり、文章を書いたり、それらの綜合計画を立てたり、そんなことができる人材に育ってほしいと考えています。

社会の事象に対しての考え方は自由ですが、その基本に「人間の尊厳」というテーマをもって、個人の充実感と幸福を追求する視点を確保してほしいと思っています。

最近の傾向として顕著になってきていることは、自分のことがよくわからない、と悩んでいる人が多くなってきていることです。
自分のいる場所が見えない、判らない、という人です。
この現象は、個人が自立し始めていることの証だと捉えています。
ところが、自立していく気配が見えているのに、自立していく道筋を自分のものにしていく学び場がないんです。

写真や映像、コンピュータなどの操作技術を教える学校があります。
社会構造の変化によって新しい職種が必要になってきて、その技術を教える学校です。
でもね、いちばん肝心な、ものを創り出す想像力というか、コンテンツといっていますが、
そのベースになるものをつくりだすことは置き去りになっているように思います。

その基本に、自分を知る、ということが必要です。
とはいっても自分を知るということは難しいことなんです。
それから、社会を知る、ということが必要です。この社会を知るということは、
これまでに培われてきた見方がありますから、本を紐解いていけばいいんです。

でも、ここに落とし穴がある。
自分の傾向や方向を見定めないままに、情報ばかりが入ってきますから、
主体性のない自分になってしまうんです。
この主体性というのは、自分の考え方です。

その考え方のとっかかりをつくるために、なにかものつくりを始める。
この「もの」が、ここでは「写真と文章」を提案したいのです。
それと平行して、身体をつかって生産するものを加えたい。ここでは「農」です。

なにかを始めることから分かってくることがあります
。この分かってくることが自分のベースとなってくるのです。
始まりはここからです。

綜合文化研究所では、その始まりをつくる場を提供します。
それが学校!新しい学校!飛ぶ学校!です。 

<写真学校/写真ワークショップ京都>

これは2004年10月10日、京都において開校した写真の学校です。
開校企画とカリキュラムは、フォトハウス京都が担当します。

綜合文化研究所との関係でいえば、
フォトハウス京都は、綜合文化研究所の学校部門の企画立案者です。

写真ワークショップ京都は、過去20年の歴史を踏襲してリニューアルするものです。
1984年に京都において設立された「フォトハウス京都」が、翌年8月、
「ゾーンシステム講座」を開講したときの名称は「フォトハウスワークショップ in kyoto」
このときの名称を部分改称しているからです。

ここにこのように記載しますのには理由があるんです。
著作権とか商標権とかを主張する気はありませんが、
今後、類似のシステムが資本において計画されるときに、
その原点が1984年フォトハウス京都の設立にある、と記しておきたいだけです。

リニューアルして再開されるワークショップは、
基本カリキュラムに「綜合ゼミ」という名称の1年コースを置きます。
このことにより写真学校として定着します。
より高度な、技術や思想を定着させるワークショップは別に組み上げます。

2004年現在、写真はフィルムからデジタルへの移行期にあたっています。
このことを基本認識として、過去・未来を見つめていこうと考えるのです。
写真ワークショップ京都のカリキュラムは、未知数です。
基本カリキュラム「綜合ゼミ」は仮説に基づいています。

デジタルカメラによる写真制作の、内容と技法はまだまだ未知数です。
フィルムカメラによって制作されてきたフィルム写真は、
これまで写真というものの概念、制約から解き放たれます。

そこに新しい内容の写真が立ち現れてくるのだと思います。
この、新しい内容!
この内容が未知だから、この未知のものを明らかにしていこうというのがコンセプト。

社会と人間と写真・映像、その関係を組みなおしていく必要があると思っています。           

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<掲載写真は、写真集<西陣2009>2008.11.9から>
※2004年10月8日~のブログ掲載の文を転載します

<写真ワークショップ京都>

綜合文化研究所の推奨する学校群のうち、写真学校/写真ワークショップ京都が10月10日に開校します。

京都は下鴨に、写真のオリジナルプリントを扱うギャラリー、ギャラリー・DOTがあります。
このギャラリーが教室になります。カリキュラム企画は、フォトハウス京都が担当します。
通学制の写真学校で、少人数制のマンツーマン対応です。
学校とはいえ、授業料にあたる経費は最小です。
※月1回のセミナーは、半年1万円または相当の現物納付で受講できます。

レベルは高く設定していますが、初心者の方から学べます。
講師陣は4名、それぞれに写真教育経験者です。
いま、巷の写真学校カリキュラムを乗り越えて、デジタル時代に即応できる写真作家やディレクター&評論家を、輩出していきたいと目論んでいます。


写真ワークショップ京都が10月10日に開校しました。
参加者は7人、スタッフ4人、欠席者が3人。
スタートは生徒10名で始まります。

来年の3月までは月1回のセミナー開催です。
来年4月からは、通信と通学をセットにしたカリキュラム、
「綜合ゼミ」を開始します。

それからテクニカルレクチャー、スペシャルワークショップを開講します。

フォトハウス京都とギャラリー・DOTの共催でおこなう写真ワークショップ京都。
1984年に「フォトハウス・ワークショップ京都」を主宰して以来20年目の今年です。
カリキュラムはデジタル写真の時代に向けた内容です。

京都から新しい写真学校が発する写真情報です。
みなさまの参加をお待ちしております。

<写真学校/写真ワークショップ京都>

これは2004年10月10日、京都において開校した写真の学校です。
開校企画とカリキュラムは、フォトハウス京都が担当します。

綜合文化研究所との関係でいえば、フォトハウス京都は、綜合文化研究所の学校部門の企画立案者です。

写真ワークショップ京都は、過去20年の歴史を踏襲してリニューアルするものです。
1984年に京都において設立された「フォトハウス京都」が、翌年8月、「ゾーンシステム講座」を開講したときの名称は「フォトハウスワークショップ in kyoto」このときの名称を部分改称しているからです。

ここにこのように記載しますのには理由があるんです。
著作権とか商標権とかを主張する気はありませんが、今後、類似のシステムが資本において計画されるときに、その原点が1984年フォトハウス京都の設立にある、と記しておきたいだけです。

リニューアルして再開されるワークショップは、基本カリキュラムに「綜合ゼミ」という名称の1年コースを置きます。
このことにより写真学校として定着します。
より高度な、技術や思想を定着させるワークショップは別に組み上げます。

2004年現在、写真はフィルムからデジタルへの移行期にあたっています。
このことを基本認識として、過去・未来を見つめていこうと考えるのです。
写真ワークショップ京都のカリキュラムは、未知数です。
基本カリキュラム「綜合ゼミ」は仮説に基づいています。

デジタルカメラによる写真制作の、内容と技法はまだまだ未知数です。
フィルムカメラによって制作されてきたフィルム写真は、これまで写真というものの概念、制約から解き放たれます。

そこに新しい内容の写真が立ち現れてくるのだと思います。
この、新しい内容!この内容が未知だから、この未知のものを明らかにしていこうというのがコンセプト。

社会と人間と写真・映像、その関係を組みなおしていく必要があると思っています。



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