中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

カテゴリ: むくむく叢書

自然の方へ・<自然>を考える
120nojyuku20050363
胡桃と銀杏
2006.2.21
自然派生活のベースに、採取生活を採り入れてみる。その具体的な手段として、山へ入って木の実を採取する。自然食品ブームで、山菜や木の実が注目されてきていて、あたかも自然のままを装って、栽培される商品として、山菜・木の実があります。ここでいうのは、そうではなくて、実際に山へ入って、自生種の山菜や木の実を採取するということです。

理想的にいえば、山菜や木の実を採取する土地は、共有のものでなければいけません。ここに掲載した写真は、胡桃と銀杏なんですが、これは私有地において採取できたものです。でも、山へ入って採取する、と云っても、自分の私有地でない限り、土地所有者がある現状では、純粋自然採取にはならないですね。ここに問題があります。

領土問題とか、国境問題とか、そこまで広げちゃうとことは簡単に処理できない状態に陥りますが、でも一種ブーム化している山菜採りとか木の実拾い・・・これなんかも突き詰めれば、大小の違いはあっても、他人所有の土地にて行う違法行為(笑)なんですね。じゃあ、どうすればいいのかな?考えてしまいますね。

ここで思うことは、制度上、持つ者と持たない者があるわけだから、この両者がうまく共有できる方法を模索することだと思います。これは、所有権をどのように捉えて、所有する者と所有しない者とが、うまく融合する方法のことです。

自然を考える-1-
2006.2.26
<自然と文化>
自然とは、ありのまま、素のまま、なにも人間の手が加えられていない状態・・・。<自然>ということを考えてみます。自然とは、地球環境でいえば、人間の手が加わっていない状態を想定します。人間の手が加わっていない状態を自然状態とします。そしてボクは、ここで<自然>と対になった概念を<文化>という言葉においてみようと思います。

動物や植物という生命現象をもった生成物は、地球環境に順応して生命を維持しています。鳥たちが、虫たちが、猿や猪や鹿たちが、それぞれに地球環境に手を加えずに、生命を維持しています。樹木や草花なども同じです。ここで、自然のままにと想定するのは、この動物や植物が生命を維持している状態です。

ボクは、人間の英知を否定するのではありません。現代科学技術の最先端を否定して、自然に帰れとは全く考えていません。人間が自然に手を加え、加工してきた全てを文化という概念でくくりますが、この文化を育んできた力を褒め称えてあげたいと思っています。そりゃ、現象の個別には否定的見解が多々あります。戦うという概念なんて、否定的見解の最たるものです。

自然を考える枠組みも、当然のことながら、現代の文化状況に立った上での<自然>ということになります。むしろ、文化に包まれたボクの日々生活のなかに、自然がどこまで発見できるか、という試みでもあるのです。そこで、ボクたちが日常的に<自然>と云っている中味について点検していきたいと思っているわけです。その最初は、ボクの体を養う食料について考えていきたいと思います。

自然を考える-2-
2006.3.25
<自然>というなかには、ありのまま、という捉え方があります。つまり人間の手が加わっていない状態、ありのままの状態です。究極、本当にそういう状態があるのかどうかは別にして、まあ、極力、ありのままの姿を維持している状態をいいます。

山の食べ物でいえば、自然、山や野に自生する山菜とか木の実です。ヒトの集団が、採取生活を営んでいた頃、縄文時代以前、参照すべきイメージとしては、そこです。一応、現代文明につながる以前の文明・文化の中にあった<自然>です。ボクの興味は、そのへんにあって、できるできないは別にして、採取生活を優先的に取り入れてみたいと思っているのです。そこに自分を置くことで、意識のあり方が変わってくるのではないか。そのようにも思うのです。

自然を考えるということは、生活態度を変えていくという前提が含まれます。様々な技術と道具に囲まれた現代生活です。野菜をつくる農作業といえども、技術のかたまりです。ましてや農機具を使った栽培など、現代技術の集積です。ボクは、現代技術を否定する気は、毛頭ありません。地球環境に様々な影響を与えてきたとはいえ、ヒトの物資的生存をより豊かな環境にしてきたのだから、その価値は大いに認めます。

つぎにヒトの置かれている構造を考えると、心の部分と物質の部分の綜合で成り立っているのがヒトです。ヒトを構成する心と物質。ヒトを物質関係で連なる人、人間関係。そのここのヒトの心の関係が、ボクの注目しているところです。ヒトの心が置かれている場所が、現代技術に満たされた場所であり、この場所において、心の疎外が起こっているとすれば、この現代物質圏から心を遠のけることで、安息・安定を求めている場所が見つかるかも知れないと想像するのです。自然と文化という対置関係において、捉えられる視点です。

自然を考える-3-
2006.4.12
ヒトが生存するための基本に、食べることがあります。この食べることの食料、農産物生産の現場が、現代技術に満たされた場所であるかぎり、心の疎外が解消されることはないと思っています。山へ入って、山菜を採取し、木の実を拾って食べる・・・。これで賄えられればいうことないのですが、そうはいかないのが現実で、栽培野菜に依存することになります。

この野菜栽培は、現在の全体を見る限り、化学肥料や農薬を使って、機械による大量生産がおこなわれています。でも一方で、自然環境保護だとか、人体への影響などの認識が高まり、有機肥料による無農薬栽培が注目を浴びてきています。大手スーパーマーケットなどにおいても、その種の販売コーナーが設けられたりしています。 しかしこれらは、化学肥料と農薬から、有機肥料と無農薬へと手法が変わるだけで、現代農法を放棄したわけではありません。

心の開放と食料を一体のものとして捉えるなかで、仮説として、自然のままの食料を手に入れることを置いたとき、農法じたいを自然のままに戻していかないといけないと思うのです。たとえば、赤熊自然農園(京都府亀岡市に所在)では、不耕起農法を長年にわたって研究されています。自然農法といわれるもので、なるべく自然のままに、野菜類を育てることを主眼に置かれています。土の力と野菜の生命力を、最大限自然のままにまかせようとの試みです。

この自然農法と自然採取で、自らの食料確保の手段としていくこと。このことが、現代物質圏から一歩でも遠ざかる手段となりうると考えています。生命が自然と一体のものであるという認識を、自ら自覚していくことが必要であり、壊されつつある自然を、恢復させるという全体の目的を思うと同時に、心の開放をも夢見るのです。

自然の方へ-1-
2005.9.13
人の住む環境が都市化し、自然環境が汚染され、身体だけでなく心まで蝕まれる現在です。そんな背景をもった私達の生活を、なにかと自然の方へ向けていこうとの流れがあります。
行政レベルで、グループレベルで、個人レベルで、自然の方へ向いていく取り組みがおこなわれています。ここでは、いくつかの事例をもあげながら、自然の方へ向かう現状を検証していきたいと考えています。

書店へ赴けば、自然の方へ向いた書籍や雑誌が数多くあります。
生活の根拠地を、直接、自然の中に求めていくノウハウを伝授してくれる書籍類があります。
山野を歩く楽しみや、山野草の採取と料理法。
野菜つくりの現場を紹介し、自家菜園つくりのノウハウを伝授してくれる。
自然食品のノウハウ、自然料理のレシピ、自然派生活の心得。

このように見ると、自然の方へ、というのがある種ブームになっている。
このブームに便乗し、あるいはブームを創りだすことで、経済活動を創りだす。
庶民は消費者、いつも消費を無意識に強いられる立場です。
ここでは、自然の方へというポイントを、生産者、生産の方へ、ということに置いていきます。

さて、そこから見えてくる現状と、あるべき未来を、考えていくのが、このシリーズの目的です。写真と文章を使って、自然の方へ向かうとは、どういうことかと問うていきたいと思います。
(掲載写真は、筆者の家庭菜園にて、ニラの栽培を取材したものです。)

自然の方へ-2-
2005.9.17
都市と農村という、区分があります。生産者と消費者という、区分があります。この図式の中で、現代の私達の生活を、どのようにつくっていくのかと云うことを考えてきました。
私達の食料となる生産物を、また生活道具を、生産者と消費者をつなぐ流通のネットワークも沢山つくられてきました。俗に言う、生産者が良品を作り、消費者がその良品を手に入れるためのネットワークです。
その図式のなかで、生産と消費のネットワークが組まれてきて、かなりの成果をあげてきたと思っています。

ところで、ここで「自然の方へ」というとき、上記の関係ネットワークを、もう一歩進めていくことを求めるべきだと考えます。その求めるものは、生産と消費が一体となった生活スタイルの創出・生成ということです。なによりそこに重視しなければならないのが、個人の気持ちのあり方ということだと考えています。
消費マーケットである都市に居住している、生産現場である農村に居住している、この区分の中で考えるのではなくて、別の視点から生活のあり方を捉えてみようということなのです。

都市に住んでるから都会人、田舎に住んでるから田舎人、なんて区分しても、いまや生活様式は、根本のところ均一化されてきています。生活空間の表面・外観は違っても、生活道具なんて、均一化してます。
テレビや冷蔵庫、洗濯機や掃除機、衣服など、都会人も田舎人も同じようになっているのが現状です。
ビルや家屋の密集地に居住するか、自然環境のなか野山が目の前にある土地に居住するか。この自然環境に近いところに住むことが、ここでいう自然の方へ、の話ではないのです。

関係図式を、都市か農村かといった二者択一ではなくて、基本には心・気持ちのあり方を重視して、そこからの発想を試みていきたいと思うのです。

自然の方へ-3-
2005.9.23
自然の方へ向かう定義のひとつに、貨幣経済からいかにして遠ざかるか、という道筋を考えています。

そういうことからゆうと、自給自足という究極に向かうことが、自然の方へ向いていくことだといえると思います。個人的に、自給自足を考えると、自家菜園が必要になります。この菜園で、自然のままに野菜をつくる。そうすることで、少しは貨幣経済から脱皮できますね。

物々交換をする。自分の菜園で採れた野菜を人にあげて、その人の菜園で採れた野菜をもらう。こんな関係図式です。でも、個人として菜園を持つことってなかなか大変なことです。なにより土地が必要になりますし、管理するのも労力がいります。今の時代、だれでも出来るわけではないですね。そこで、共同運営の菜園があれば良い、との発想になります。

自然の方へというとき、自分の立ち位置を、消費者から生産者のほうへ向けていく必要があります。ここでいう消費者は、貨幣でもって商品を買う立場の人です。野菜などの食料を商品として市中に出回ったのを、貨幣を使って買う人です。この関係を少なくしていく方向です。生産と消費の関係を、自らの環境に創りだす必要があるわけです。

野山や里山へ出かけていって、他人の所有地で山菜類や木の実を採取して、それで自然の空気を満喫できるから、自然の方へ向いてる!なんてことじゃ~ないんです。そこで、生産と消費を一体のものにするという考えが出てくるのです。自然の方へ向かう気持ちを掻き立てるメディアの現状があります。でも、そこに自らが生産に携わるということを始めないと、自然の方へ向いていくことにはならないのです。

自然の方へ-4-
2005.11.24
滋賀県に湖国まるごと・エコミュージアム構想があります。その具体化、先端プロジェクトに<マルエコ塾> 構想があり、その塾長を担うことになりました。
この12月1日に開塾する運びとなったのですが、このまるエコ塾のコンセプトに、ここで云う<自然の方へ>という考えを置きたいと考えています。

自然の方へ・・・との指向は、時代の流れに逆行する側面と順応する側面があります。地球温暖化防止に代表されるエコロジーの流れから云うと、おおむね順応します。一方で、経済の世界潮流であるグローバル化という流れから云うと、逆行します。とはいえ、時代は大きくうねりながら国家施策として、また地方行政の施策として浮上してきているから、かってのような反対運動ではありません。

国家施策、あるいは地方行政施策としてのエコロジー化に対して、あえて云うなら、経済構造から脱却させる方向での<自然の方へ>。ボクがここで思考する<自然の方へ>とは、そのことを念頭に置いた方向だと思うのです。

まるエコ塾の内容生成に当たって、大きな枠組みで、このことを明確にしておかなければならないと思うわけです。より原理的なものを求めて、まるエコ塾は開始される。まるエコ塾は、単なる技術修得場としての塾ではなく、新しい理想郷を求めるムーブメントとして、捉えなければならないのです。

※まるエコ塾は、2005年12月1日に開塾します。詳細は、まるエコ塾のページをご覧ください。

自然の方へ-5-
2005.12.5
自然の方へ向かう生活を作り上げていく第一歩は、食べ物を自給する手立てを考えてみることから始まります。自然の方に向かう反対の位置に、工業的大量生産の方向があります。だから自然の方へ向かうための、農産物の自然化です。自然化とは、つまるところありのままに、自然のままに、という方向です。

<縄文>あるいはそれ以前の食料調達は、自然のままを拾い集める採取生活だったといいます。この調達方法は原始的だといわれます。つまり文明・文化とは、原始的な方法から、人間の手が介在し、機械が介在してくることで、進化とみなすわけです。で、ここで云う自然の方へ、というのはこの進化を逆行させる試みと云えます。

秋の山に入れば木の実がある。胡桃や栗や銀杏がある。それで全てがまかなえるとは思わないが、食料の足しにはなる。この程度の気持ちの方が楽だから、そのように気持ちを切り替えて、胡桃や栗や銀杏を採取する。そうして思うのは、その方へ向かう気持ちを大切にしたい、ということです。

食することを放棄して生命を維持できないのだから、人間の知恵として、なるべく楽して、安定したなかで食料を調達したいと思う。そのためには、稲作や野菜栽培が主流になる理屈はわかります。でも、自然の方へと移行させる原点は、採取生活を経験していくところから、始めたいと思うのです。

自然の方へ-6-
2006.1.11
いま求められていることの一つに、身体感覚を取り戻すことがあります。身体感覚とは、聞いて、見て、触れて、匂いをかいで・・・という感覚のことです。この身体感覚をよみがえらせるらせることが、ヒトに求める課題だろうと考えています。
風や雨など自然の音を聞くこと、四季折々の野山の光景を見ること、ヒトの心が自然環境の中へ広げられていくとき、そこは驚きと発見の場所です。なによりも自分が自分であることの発見です。

心が自然の方へ向くとき、それは癒しの部類かも知れない。日常の生活は雑多でストレスが溜まります。特に現代社会構造のなかで、サラリーマンをしているヒト及び家族なんぞは、お金に縛られて身動きできない状態です。心は飛翔したいと求めます。束の間の現実逃避する処は多々ありますが、すべてそれらは一過性の逃避です。
自然の方へということは、一過性の現実逃避ではなくて、ヒトのあるべき姿に戻してあげる方へいくことだと考えています。

商品経済の枠組みから逸脱すること・・・。理想形でいえばそのように言えるかもしれません。自給自足のなかで物々交換しあう方へ、です。いま大きな世界が行こうとしているグローバリゼーションの流れから逸脱すること・・・。ヒトのヒトたる心を取り戻すために、です。

自然の方へ-7-
2007.2.6
月刊現代農業(発行:農文協)の2月増刊号タイトルは「脱・格差社会<私たちの農的生き方>」と銘打たれて、「格差社会」を問い直し、「自然な暮らし」を推奨するといった特集が組まれています。アーバンライフとルーラルライフ、つまり都市型生活様式と田舎型生活様式があって、どちらかといえば、田舎型生活様式の方へとの案内役を担っている参考書です。

世界の大きな流れとして、環境破壊問題がクローズアップされてきて、テレビニュースなどで環境に関する国際会議の模様なども報道される昨今です。地球環境が壊れてしまう、地球温暖化、北極の氷が解けて海面が上昇する。今年の暖冬なんて、この壊れかけた地球が警告を発しているのかも知れない。そんなふうにも思える日々です。人間の生存をかけた環境問題です。とはいえ、大きな世界のニュースを知っても、他人事ではなくて、それに対処する自分を発見していかないと、意味がないのです。

この論には、<自然の方へ>とタイトルをつけましたけど、これはぼく自身の問題として、ぼくの生き方の、多少はそれなりの実行をしだしている現場から、シュミレーションしてみようとの試みです。個人のレベルで、捉えていかないと話は始まらないわけです。そうですね、ひとり一人が、自然の方へと歩みだすことで、地球環境を悪化させないための、少なくとも最大の効果が発揮できると思うからです。人それぞれに生活場があり、それぞれの立場があるわけだから、それに無理のないなかで、いかにして自然の方へ向いていくかを、考えるための、そうして実践していくための参考となれば、うれしいことです。

自然の方へ-8-
2007.2.8
<京都農塾>
京都は園部に京都農塾という農の学び場があって、ぼくはこの3年間、京都農塾の塾生として、月に1回か2回、農作業の体験学習をしています。ぼくの生活根拠地は京都市内です。JR等での交通の便を考えると少し不便ですので、乗用車を使っています。国道では亀岡市街が混むので、京都縦貫道路を利用してしまいます。いまのところ帰農する、つまり農業者になるつもりはしていないのですが、京都農塾では、農業者になりたい希望者には、それなりの措置がとれるようになっています。アーバンライフを棄てて、専業農業者になるノウハウも備えた農塾です。

環境問題が話題になっていて、現在の都市部における一般的な生活態度を続けていく限り、環境に負荷をかける当事者となる。まあ、現状を環境破壊の悪とする立場ですが、この観点からいうと、環境にやさしい農作物をつくるノウハウで、塾生で共同作業をする。つまり善の実践をするという、まことに前途明るい、希望ある人生を送ることができる。ハッピーな方へ導いてくれる場、だといえると思います。化学肥料ではなく有機肥料を使い、農薬散布はおこなわず自然のままに露地栽培をする。そこで採れた野菜を、共同で料理して昼食にする。いくつかの生活態度の理想形を想定するなかにあって、まさにこの場は、理想形の入り口なのです。

ぼくは、アーバンライフからルーラルライフへ、都市型生活から田舎型生活へ、つまり<自然の方へ>ということは、このルーラルライフ・田舎型生活へと向かう道筋のことをいうのだと考えているのです。そのためには、環境問題知識に先立つ技術的ノウハウが必要であり、その実践場としてとらえています。でもしかし、それは表層の出来事であって、貨幣を使う消費者としての発想を、農産物つまり食べ物を生産する現場消費者であってはならないと考えているのです。生産と消費を一体のものとして得ていくとき、それは貨幣経済からの脱却を意味するととらえています。この脱却のプロセスこそが、ここでいう<自然の方へ>のテーマであるのです。


自然の方へ・<自然>を考える-2-
むくむく叢書のご案内
120nojyuku20050390
田んぼの風景
2006.6.12
自分が食べるお米を、自分で作る。自給自足と言うのだそうですが、農家でもない限り、そんなことは、できないこと。そう思っていたんですけど、オーナー制田んぼ。昨年から始めて2年目になります。

つまり、田んぼを貸してもらって、自分が食べるお米を、自分でつくることが出来るようになった。自分でつくることが出来る、とはいっても、田植えから稲刈りまでの全てを、自分でするというのではありません。

1反を四人で借りている。京都農塾のメンバーです。土地所有者の方から、無償貸与していただいて、お米を作っているのです。この田んぼの場合、減農薬栽培です。最初に除草剤をまいて、その後は農薬散布はしません。田植え、稲刈り、収穫後の保管などは、地元の専業の方のお世話になっています。

この一反の田んぼで、収穫するまでに諸経費が12万円ほどかかります。四人で割って一人3万円ほどです。収穫は480キロを目安にしていて、一人120キロです。いま米の消費量は、年間ひとり60キロといわれています。だから、二人分の収穫です。市場で買うより、かなり安いことになります。でも目的は、安く手に入れるということではなくて、自分の食べるお米の生産そのものに関わるということです。自給自足の始まりです。

自然農ということ
2006.6.22
自然農の特長は、ハタケや田んぼを耕さない、農薬や化学肥料はやらない、草(雑草)や虫を敵としない、ということです。別の観点からいうと、土を生かす農法、いのちを生かす農法だといえます。

このような定義をしたうえで、自然農による田植え、を体験しています。場所は滋賀県にある安土町。安土(あづち)といえば、ええ、安土桃山時代なんて時代区分されるときの、その安土です。つまり織田信長が、お城を築いた場所です。この安土には、ヨシ原がひろがる西の湖(琵琶湖の内湖のひとつ)があります。この西湖に面した場所に、自然農による田んぼ実験が始まったというわけです。

約一反(約300坪、約千㎡)を確保した田んぼの一角で育てた苗を、一本ずつ植え込んでいきます。一本植えです。もちろん手植えです。なにを言おうとしているかといえば、機械を使わない、ことを強調したいわけです。人力です、ヒトの労働力です。効率化、高収穫とかの尺度で測ったら、とんでもない低効率、低収穫だといえるので、一笑されてしまうことかも知れないですね。

ああ、もう発想と価値観の大変換をやらないと、理解するのが無理な世の中でしょうね。でも、自然農の取り組みは、飛躍しちゃいますが、ヒトが幸福になれる方法かも知れないです。いいえ、幸福(満たされた心)になるためのツールだと仮説しているのです。また、追ってここにお知らせしていきます。掲載した写真は、6/18、自然農による田植えを実施しているところです。

石窯がほぼ完成
2006.4.24
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グループでパンを焼く石窯を作っておりますが、1年越し、ようやく、ほぼ完成にいたりました。火入れをおこない、もう窯自体は出来上がっているんですけど、外壁が赤土(粘土)で固めただけなので、どんな装飾がいいかなぁ、ってみんなで考え中というところです。

石窯をつくるプロジェクトだったのが、石窯を囲んでパンをつくるプロジェクトに変わります。月に一度程度集まって、ここでパンを焼くんです。ところで、最終、ここで小麦を栽培し、酵母を起こし、パンを焼くことを計画していて、全て自給自足で、やろうというのが目標です。

いまの時代に、食のことや環境のことなど、いろいろと見えてくるんですが、いい悪いは、言わないですが、手作りっていうのは、ボクは好きだし、推奨したいです。石窯を作った場所は、京都・亀岡にある赤熊自然農園の敷地です。

ふきのとう
2006.43.24
豪雪だった冬のせいで、雪解けが遅れてしまいました。
ようやく雪が融けた地面から、ふきのとうが花芽をだしておりました。
春一番の山菜のかおりです。

ふきのとう-蕗の薹-は、野蕗の花芽です。
てんぷらにすると苦味が少なくなります。
でも、保存もきく「ふきのとう味噌」にして食べるのが美味しいです。

ふきのとうを水洗いして、ボイルして、水に晒して、味噌と炊きます。
味噌はしろ味噌でもいいし、田舎味噌でもいい、手前味噌でいいです。
お酒、味醂、お砂糖なんかを好みで加えて煮込んでもいいですね。

自然の恵み、ふきのとう。

つくし
2006.4.9
つくし-土筆-が地表からにょきにょきと萌え出てくる季節です。
つくしは<土筆>という漢字を当てます。
土の筆、土から突き出た筆、まさにそういう姿です。
つくしは、痩せた土地に群生しています。
つくしの親はすぎなです。
すぎなは野草茶として使えます。

つくしの料理法は、はかまを取ってあげて、湯がくだけです。
ポン酢、ゴマ醤油などをかけて食べます。

春の山菜、つくしです。

のふきとみつば
2006.5.20
今の時期、山に入ると山菜が採れます。ボクの家には、山菜が生えていて収穫できます。今の時期なら、野蕗とミツバが旬です。まあ、自宅の庭で採れるから、ラッキーといえばラッキーですね。

ところで、山菜採りが流行っています。都会に住む人たちが、自家用車で山へ行って、山菜を探して採ります。自然派生活を満喫するために、自ら採取しに出かける、というものです。

でもね、どうなんでしょ、いうなれば他人が所有する土地へ入って、山菜採り。それも片っ端から、根こそぎ採ってしまう。なんのことはない、盗人するわけで、根こそぎ採っていくから、だんだんと採取できなくなる。

あまりよろしくないことが、まま起こっているのです。

120syoku20080022
自給自足ということ
むくむく叢書のご案内

自給自足ということ-1-
2006.2.21
自給自足って、最近、よく言われています。経済システムのなかで、グローバル化する世界に対して、ローカル化を目指す、といったような感じだと思うんです。グローバル化の行き先は、生産力の集中だとも思います。生産力の集中は、権力の集中でもあるわけです。ここで語られる、もう一つのシステムが、自給自足。生産力の個人化、非権力の構造。自給自足の捉え方のベースには、そんなことがあるのではないかと思います。

食料生産の現場は、機械化が進み、ハイテク技術が導入され、大量生産がおこなわれています。地球規模でみれば、食料の自給自足を、最新技術を駆使してやっているわけです。じゃあ、ここでいう自給自足と、どう違うのでしょうか。資本の集中がいけないとか、大量生産がいけないとか、そういうことで反対してみても、時代の趨勢として、もう逆らうことが出来ない。無駄な抵抗はやめろ!なんていわれてしまいそうな感じです。

たしかに不合理なことは、多々あります。生産コストを下げるため、特定品種を大量に生産する。遺伝子組み換えや、家畜の改良、F1種の問題など、個人の感情レベルで納得のいかないことが多々あります。でも、もうあきらめの境地で、個人の力ではどうしようもない。だから集団で反対しようなんていっても、集団化できない環境でもあるんじゃないか。そんな感じがする世の中です。

ここでいう自給自足は、結局、自分を捉える手段として考えるしか、ないように思うのです。自給自足は、生産と消費を一体化するものです。地球規模で、自給自足をやってるとはいっても、生活者は消費者です。この消費者が生産者に転換する。この考え方が、自給自足のベースなんです。この視野を手に入れることで、何かが見えてくる・・・そんな感じがしているのです。

自給自足ということ-2-
2006.2.26
消費者が生産者に転換する。そういうことではなくて、消費者であることと生産者であることが同一であること。消費者とか生産者という区分を無くした状態。自給自足とは、この区分を無くした状態だと考えます。
自給自足で、自然のままのものを採取する、漁獲する、これで賄えればいうことないんですが、これでは原始の時代というか、縄文時代の生活様式になってしまいます。たしかに話題として、原始や縄文時代を引き合いにだされますが、生活様式をそこから引用するということです。

自給自足を成熟させていく中心は、土地と食料の確保が、第一の条件になります。そのうえで食料確保のための道具類と住環境のこと。それと平行して理性と感情のことを、考えていく枠組みが必要なのだと思います。
この状態で、現状を思うと、食料自給の元になる<種>のことがあります。種をどのようにして確保するか、です。野菜の種の現状は、その生産の大元を、おおむね大手資本に握られています。自給自足のためには、大手資本によって作られた種を買うのではなくて、自主栽培種を使うことになります。

土地については所有権の問題があります。種の入手については、種の交換会とか、自主流通させるお店とかがありますが、もっと顕著化してこなければ、いけないと思います。一方で、自給自足の共同単位は、この土地の所有と、種の自給と循環システムをもつことが必要になります。
繰り返しになりますが、自給自足を成熟させるためには、土地の確保と種の確保。この二つが共有されるべく基本的条件になると考えています。


自給自足ということ-3-
2006.4.9
わたし自身の、食料の自給自足レベルは、どの程度だろうと考えてみます。この自給自足の範囲は、基本的には貨幣にて交換する食料確保ではなくて、貨幣経済を通さないで得ることができる食料のことです。この限りでみると、わたし自身の自給率は、自分の所有地で採取できる山菜レベルにとどまります。季節の旬に採れる山菜、ふきのとうやのぶきなどですが、率的にいえば全体のほぼゼロパーセントです。

野菜の種を買ってきて、所有地に種を蒔き、収穫します。京都農塾というところで、共同でお金を出し合って、種を含む諸経費をまかない、収穫します。4人共同で一反の田んぼを借りてお米を作っています。もちろん諸経費を貨幣にて支払うわけです。このように原材料や設備確保などを貨幣にて支払うことを考えると、自給自足率はほぼゼロパーセントです。

先に、土地の確保と種の確保が自給自足を成熟させる条件だとしましたが、土地の借用と種の購買は置いておいて、生産と消費を直結させているということで云うと、お米は100%、野菜は70%程度を確保しています。土地の借地代金は支払っていません。これは土地所有者の善意により無償貸与です。所有者は田畑の管理ができなくなった高齢者です。所有権利を手放したくないけれど、田畑を休耕させて荒れさせるよりは、他人の力により実らせようという折衷です。微妙なバランスのうえに立った善意だと思います。

自給自足を貨幣経済構造のなかで、この構造から逸脱していくというのは、現状では不可能に近いと捉えています。そこで、次のステップでは、自給率をあげる方策を模索していきたいと思っています。貨幣経済に置き換える経済の仕組みは、贈与経済の仕組みです。

自給自足ということ-4-
2006.5.20
「まるエコ」というのがあります。まるごとエコロジーの略で、まるエコです。そのまるエコを概念化して、具体的な現場に仕立て上げようという目論見が、まるエコ塾です。そこで、まるエコとはなにか、と議論するわけです。まるエコは、心の問題でもあり、経済の問題でもあると考えています。自給自足をめざす方向で、物事を捉えていくところに、まるエコという概念が描けるのではないか、と考えるわけです。

自給自足という考え方は、経済の問題であり、経済システムのなかで、そこから逸脱していく方向です。で、現在の経済システムはというと、生産と消費を分離したなかで、貨幣を介在として、商品を流通させることに要約できます。自給自足とは、生産と消費を一体化することです。そのことを具体的に考えていく道筋に、まるエコという概念がたちあがってくると考えています。

現実に、都会生活者が、農地や山林を手に入れ、自給自足を試みようとすると、必要な資金が要ります。ある種、膨大な金額です。この必要になる資金を持たない者は、どうすればよいのか。実は、まるエコとは、こお資金を持たない者が、自給自足を実現させていくための、ノウハウのことではないか、と思うのです。ここでは、まるエコの経済側面を捉えているわけだけれど、理念だけではなく、具体的な経済の現場で、どのように対処していくのか、が問われているのだと考えます。

つまり、まるエコ塾で捉える視点は、ムード的な心のあり方とか、食べるために給金をもらう労働の外に置く、というのではなくて、労働そのものを中心とした新たな経済システムを思考し、実践していく視点だと思うのです。自給自足は経済システムの変更であり、まるエコ塾は、その変更を具体化していくプロセスの場であると考えなければいけないと思うのです。

農産物をわが手に
2006.1.11
現代の消費生活を支える根本は貨幣、つまりお金です。価値の基準は、金額の多寡です。なかには名誉が基準だというのもありますが、基本は貨幣です。もちろん生産と消費が一体として構成される社会ですから、会社勤めして働くというのも、生産に関与していることには違いないのですが・・・。

あい農学校では、貨幣が根本の社会から、いかにして逸脱するかを考えていきます。その具体的な手段を手に入れることを提案しています。食べることは生存の基本です。だから食べ物を生産します。農生産です。これは発想の転換です。生産手段を手に入れることは、消費生活から生産生活への発想の転換です。

このブログは、そういった生産現場をつくりだそうとしている現場からの報告です。その目的は、乖離してしまった心と体を一体のものとして成熟させていく試みでもあると考えています。

食料の自給について
2005.12.5
農作物について、ここまで大量生産化や合理化が進められてくると、その反対の方向へと動くことが一つのムーブメントになります。少量生産化と無駄化の方へです。ここで云う、無駄化とは、手作りに徹していく方向だと考えればいいですね。

生産者と消費者という二極化で、貨幣を介在する流通を前提に置くと、大量生産と合理化により、コストを下げるという発想が優先されます。だから、生産、流通、消費という分断化されたサイクルを一体のものとして捉えていくことで、発想の転換をおこなえないかと考えるわけです。

生産・流通・消費を一体化する方向は、自給自足を目指すことになります。じゃ~この自給自足を達成するのに、どれくらいの規模の人間集団が最小限必要なのだろうか。ひとりでは生きられないのだとしたら、どれほどの規模があれば、生きられるのだろうか。

京都農塾で共同作業をしながら、無駄を積み重ねて少量生産を行いつつあるのですが、ふっとそんなことを考えていました。

サツマイモの根っ子
2005.10.4
赤熊農園(京都・亀岡)で見せてもらった光景で、向こうの畝のサツマイモの根が、隣の畝にまで侵入していた、現象が起こっていた、というのです。
写真は、その光景を撮ったものです。
どういうことかと云うと、水も肥料もやらない自然農法で野菜栽培すると、自分で水や肥料分を探し出すらしいんです。
つまり、根っ子が非常に発達して成長するんだといいます。

普通だと、はたけを耕し、肥料を施し、水をやります。人間が、野菜の世話をするといって、水や肥料を施してあげるもんだから、自分の力を発揮しないで育つ、と云うのです。
云われてみれば、理屈どうりです。
野菜自身が自ら頑張るから、味が濃い、甘い、おいしい!野菜になる。

そういう話を聞いていると、人間社会にも当てはめられることやな~と思いますね。

共同運営のはたけ
2005.9.13
野菜やお米をつくる!
それも有志が共同して、野菜やお米を生産し、分配する!

食べることは、人が生存していく基本です。ところでこの「食」について考えていくと、様々に不条理なことが見え隠れしてきます。食の問題は、生活者の大きな関心ごとですね。
消費者から生産者へ。目に見える現場で、野菜やお米をつくる。自分たちで栽培する野菜やお米には、有機肥料が使われて、農薬は使っていない。このことが確認できます。

野菜作りやお米作りの現場の自然環境が汚染されている。この汚染環境は、いますぐ個人で解決できることではないですが、個人がこれ以上汚染させない方法で食料を作る。

それにしても自分の目で確認しないと信頼できない。こんな気持ちを作り出してしまった食環境です。そんなことを思いながら、共同で運営するはたけです。
そこで採れるのは、有機肥料で無農薬の野菜です。そして生産の現場を共有することで信頼関係が生まれてくるように思っています。

赤熊自然農園
2005.8.29
自然農法で野菜を栽培し、消費する人に野菜を直販する「赤熊自然農園」があります。
農園の所在地は、京都府亀岡市東本梅町赤熊西山口20(TEL0771-26-2325)

ボクは、すでに何度か訪問して、はたけを見せていただいて、ある種の感動を覚えます。というのも農園主宰者判野さんの考え方、自然と人間の関係、自然と植物の関係、もちろん、人と人の関係のあり方・・・等々のベースに自然農法を捉えて実践されていることに、感動するわけです。

不耕起栽培。肥料や水をやらない。野菜の生長は、自然の成り行きにまかせる。野菜自身の力で成長を見守る。もちろん何もしないで野菜が成長するわけがないので、気配りや手入れは並以上だと思います。

様々な人の交流拠点としても機能しだしている「赤熊自然農園」です。
いま、ここに集うなかで、煉瓦パン釜を設計し制作途中の人もいます。はたけの一部を借り受けて野菜栽培をする人もいます。
食料を自給自足する。地域で生産と消費をする。あい農学校のコンセプトと交差する軸がいくつもあります。暫くは、取材をさせていただきながら、自然農法の勉強をさせていただきたいと思っています。

写真は、2005.8.27、はたけに干し草を蒔く判野さん。

農の共同作業
2005.7.17
食べ物を作ることをテーマに、あい農学校の記事を書いています。
それも主には、共同作業として農作物をつくる話です。
いまの社会状況にあって、共同農園のもつ意味というのは大きいと思っています。

ヒト個人が土に触れる身体体験で五感を引き出し見直す、ということがあります。
それに自分の食べるものを自分で作るという、自給自足的体験があります。
それらを超えて、共同作業の持つ意味は、ちょっと大袈裟にいえばです。
人類が農耕手段を手に入れて、集落をつくっていくプロセスの再現作業です。

どのくらいの歴史的時間があるのでしょう?
農耕を始めて1万年くらいの歴史があるのだと聞き(読み)ました。
もちろん人間の文化力が成してきた果実をかじる現代社会です。
でも、あらためて共同作業を捉えてみると、その原点への想いを掻きたてます。

ヒトの心の奥のほうに自然と交感する領域があるとか、ですね。
土に触れてヒトと交わる体験、共同作業っていうのは、この体験?
いまはただ、想像するだけしかできないんですが、
繋がってるって想うだけでも、ハッピーじゃないでしょうか、ね。

自家菜園の風景
2005.6.17
自分の食べるものを自分でつくる。
自給自足の原点というか、この風潮が顕著になってきてますね。
いろんな側面から、自家菜園のムーブメントが起こっています。
元から兼業農家であるのではなくて、
都市消費生活家族の中で起こってきているんです。
わたしもその一員です、長年、都市消費生活をやってきています。

食料への不信感というがありますし、
都市で消費生活することへの行き詰まり感というのがありますし、
競争社会での将来への不安というのもありますね。

人間も動物、もともと自然と共生していたんです。
それが都市という生活場が成熟してくるなかで、失われてしまった。
この失われてしまった場所への回帰なのかも知れません。

いわば行政レベルで、推奨されていくような流れになってきています。
滋賀県の推進する「湖国まるごとエコ・ミュージアム」構想など、その先鞭じゃないかと思っています。
まだ、これから始まっていく、生活運動ではあるんですが、ね。

自家菜園-えんどう豆の収穫-
2005.6.12
家庭菜園で春先に植えたえんどう豆が採れました。
野菜をつくり、収穫するってうれしいものです。
大事にしたいのは、この気持なんですね。

食べ物をつくる、これは生産することになります。
私たちの生活は、生産することから離れ、消費生活になっています。
あい農学校が提案している「生産」することは、新しい生き方につながります。

家庭菜園であれ、農塾であれ、野菜をつくることは、
「まるエコ」な生活を提案しているんですが、その第一歩だと考えています。
食べてみたら、柔らかくて、甘くて、美味しい、えんどう豆でした。

自家菜園-ニラをつくる-
2005.6.5
ええ、あのニラです。
ニラの収穫って、種まいて3年目です。
この春から、ようやく収穫が出来るようになりました。

まあ、子育てもそうですが、
野菜を育てるって、けっこう手間がかかるんですね。
それだけに、収穫のときの喜びってゆうか、その気持って格別です。

専業ではなくて、はたけ仕事をするとゆうのは、
お金の問題じゃなくて、こころの問題だと思います。
育てるっていう気持、まさに愛情ですね、これが大事ですね。
 

田舎暮らしの方へ-1-
むくむく叢書のご案内
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November 06, 2004

田舎暮らしの方へ-1-
具体的に、都会生活から田舎暮らしへと生活スタイルを変えようと思うと、
いくつもの山を越えなくてはいけないのが、現状だと思います。

たとえば、現金を得る仕事をどうするのか、
農業でやっていけるのだろうか。
それ以前に、田舎暮らしを実行するには、
手持ち資金がどれほどいるのか、などお金にまつわることが多数あります。
この「田舎暮らしの方へ」シリーズでは、そんな問題を考えながら、
具体的な、田舎暮らしの設計図を描いていきたいと思っています。

というのもターゲットは、田舎を持たない都会人が、
都会人であるから故、田舎暮らしを夢見ることが多いからです。

最近の傾向として、気持ちのなかにルーラル化現象が起こってきていませんか?
ここで”田舎”って言葉つかいますが、差別的に使うことではありません。
かって、都市と田舎、雅と鄙、中央と地方というように、
真ん中と周辺があって、真ん中は価値の中心、周辺ほど価値が低い、
こんな捉え方が代々続いてきたと思いますが、
いまや、この価値軸そのものを変化させていくものとして、
田舎暮らしということを捉えていきたいと思っているんです。

この発想は、米国が先にあってこちらが従属する関係を、
断ち切ろうとする考えと連動するものであると思います。
また、世界のこちらとあちらを区分する境界を、
ゆるやかになくしていく実践の方法でもあると思います。

とはいっても、具体的に、行動するには多くのリスクを背負います。
このリスクは、都会生活に慣れた場所から田舎生活を考える視点です。
経済活動の中心は、お金所有の多寡です。
お金優先の考え方をリニューアルすることが必要です。
それから、権威という代物です、これもリニューアルです。
いい会社に勤めることで優位に立つ、という無意識の意識の払拭ですね。

このような案件にリニューアルできれば、リスクはなくなります。
ということで、田舎暮らしを考えてる人、いっしょに考えましょう。
新しい生活スタイルは、新しい自分を作り出します。
 
田舎暮らしの方へ-2-
田舎暮らしを考えるために、ボクの体験談をお話していきます。
なにかの参考になれば幸いです。

住む場所の選定ですが、ボクの場合、彼女の実家が金沢なので、その近くを選びました。
現在、主たる生活地は京都市内にあります。
田舎暮らしを考え出したのが10数年前です。

さて、どの場所がいいかな~、新聞で売り物件の詮索をしました。
仕事を離れて悠々自適生活を、なんてこと考えてましたから、
京都からの離れることは、当然のことですが、
近郊地なら、京都府北部とか滋賀県内、和歌山、岡山・・・
里山がいいのか、海辺がいいのか、
選択の幅を決めなければいけませんね。

それから、田舎暮らしの具体的な中味です。
お百姓をするのかどうか、つまり農業に従事するのかどうかですね。
現金収入を得るための仕事を現場にどう作るか、があります。
ボクの場合は、専業農家はできない、はたけ仕事を主にはできないな~。
もう40代になっておりましたから、10年計画で、50代半ばくらいに移住する。
それまでに、どこにいても多少収入が見込める仕事を作り出そう!

そうして、候補地を絞って土地を選定しました。
彼女の実家に近い土地、そこには親類縁者がいますから、
助け合って生活していくには、何かと都合いいかとの思いです。

山の中の、あるいは野原の一軒屋というのは、電気も水道もない場所です。
でも、これでは困ります。
といって古~い集落の中へ入るのも新参者で入りにくい。
そこで、都会地郊外の団地要素のある場所を選びました。

地場の不動産屋を何件か訪問し、親切そうな不動産屋をみつけました。
土地130坪、坪単価7万円ほどの物件がありましたので、そこに決めました。
土地は原野、公示価格は坪3000円ですが売買値段はその20数倍ですね。
公示価格が低いということは、固定資産税が安い!これは知恵ですね。

建物はどうする?
次回は住居についての話をします。

田舎暮らしの方へ-3-
田舎で住む家、家屋のことです。
土地がそこそこあって、ヒトが住まなくなった家屋があります。
ボクの場合も、当初は土地と家屋が一緒にある物件というのも探しました。

築50年とか築100年近く経った家屋もあります。
たしかに田舎暮らしのイメージとして、旧い家屋を改造して住む。
そういう感じもしないではないです。
そういう物件は、家屋は価値としてただ同然ですし、
更地じゃないから安いかもしれないですね。

でも、そこそこ快適に住むことを考えれば、
やはり現代向きではないような気もします。

田舎暮らしだから、都会でいう快適さは不要かも知れません。
でもやはり、都会生活に慣れてしまった感覚からいうと、
山の中の一軒屋なら、新規に引き込まなければならない、
電気・水道・ガス・電話、これは困ります(ボクの場合です)

いやいやそんなもんいらん!
というのは別荘としてたまに使うなら、山小屋風設備でいいかもしれません。
永住希望ですから、電気もガスも水道も電話もほしい、
結果は、これは旧家といえども完備されてます。

でも都会的快適さを希望しましたから、結論はプレハブ住宅で新築。
ボクの場合、工場生産率の高い家屋を選びました。
地場の工務店との交鈔など出来にくいですし、
途中の管理ができないからです。
京都にいて設計から価格までの交鈔をしました。
建築設計は、積水ハイム社の普通グレードです。
公的住宅ローンが使えましたので全額近くを30年ローンにしました。

November 11, 2004
田舎暮らしの方へ-4-
田舎暮らしを計画されている方の立場とか条件には様々あります。
ここでの話は、あくまで私個人の立場と条件から導かれた結果です。
こんな話もあるんや~ってご参考になれば幸いです。

で、住宅金融公庫融資を受けて、1600万円の30年ローンを組みました。
年齢が30代なら、年収所得の3年~5年分を借り入れてもいいんですが、
すでに40代の後半でしたし、60才までお勤めなんてことも保障できないし、
そんな条件の中でのローン額を決定、住宅本体部分の価格分でした。

一方で、個人年金をかけました、当時の郵政省終身個人年金です。
ローン返済月額が7万円ほどです。アドオンでしたので、
まあ、金利分が大半ですね、当時の貸付金利でローン額の倍を30年で返済。

大きな組織で働いておりましたが、そのころ退職しました。
すでにその組織から、住宅融資などを受けておりましたから、
退職時の退職金は、プラマイゼロに近かったです。
ですので、当時住んでいた家のローンは完済ですが、
新たに組んだローン分が、負債としての再出発でした。

それと、子供が独立していくことも計算に入れました。
親としての教育費負担と結婚時の負担です。
なんとか年収1000万を確保したいな~、だったら生活維持できる!
そういう計算式でした。

都会生活者が、田舎暮らしを目論むときに、
お金の工面って、けっこう大事な要素だと思います。
親からの遺産があるわけでなく、田舎に土地建物があるわけでなく・・・。
そういう条件での、田舎暮らしの方への計画ですから、あえて公開してます。

November 12, 2004
田舎暮らしの方へ-5-
田舎にプレハブメーカーの住宅を建ててから約10年が過ぎました。
住居として、プレハブメーカーの住宅は、たしかに居住性いいです。
価格も手ごろですし、規格が決まっているから安心。
それにメンテナンスもけっこう行き届いているように思います。

これまでにも新築、増築の経験があるんですが、
いつも小さなトラブルがありました。
設計では、5ミリのガラスが指定してあるのに、3ミリが入っていたり、
追加工事での価格の不明瞭さやなんか、ありました。

施工管理に目の届かない田舎での新築だったので、
工場生産率80%というメーカーの家にしたんです。
贅沢を言ったらきりがありませんから、そこそこ妥協です。

家屋は単純構造、4間四方の正方形です。
土地130坪に建物一階部分は約50平米のワンルーム仕立てです。
二階部分は3畳和室、12畳書斎、4.5畳の共有スペース。
テラス部分が、4m×3m、全体で90平米ほどです。

だいたい夫婦2人暮らしですから、この程度の広さで十分だと思っています。
掃除するにも、メンテするにも楽ですから・・・
これで庭には、はたけコーナーや花壇コーナーなど、
10箇所ほどのコーナーがつくれました。

10年前は、この家の周辺って静かだったんですよ~
もともとバスが通っていましたから県道ではあったんですが、
交通量も少なかったです。
晴れた日の夜ともなれば、空は一杯のお星様。
夏には蛍が庭にまでやってきましたね~。

ところがそれから、開発事業が始まったんですね。
道が拡大されて、橋が付け替えられて、山奥にトンネルや高い陸橋や、が出来て、
土建の一大開発事業が起こったようです。
山が平らになり、施設が建設されてきました。
環境が一変した観があります。

でも、まあ文句いっても仕方ないですね~。
歩いて5分、山へはいれば自然の山菜や木の実が採れます。
お茶にできる野草がいっぱいあります。

December 01, 2004
田舎暮らしの方へ-6-
金沢の市内から約10キロ、そこはもう田舎の風景です。
大都会なら街のど真ん中みたいな距離ですが、
そこは田んぼやはたけがある里山風景です。

さて、住む家と土地を確保して、プレハブ住宅を建てました。
その場所は団地、1970年代?に造成された団地です。
田舎暮らしといえば、わらぶきの旧家に住むことを連想しがちですが、
同じ苗字が並ぶ集落のなかに住むことには抵抗感があります。

先住の人たちと馴染めるか、っていえば、
都市生活に慣れてしまったヒトが生活習慣で馴染めない?
いや、ホントは、田舎暮らしという考え方の主流は、それに馴染むことですが~。
ぼくの思いでは、無理して馴染まなくてもいいじゃない?と思うことです。

この半世紀、農村が解体してきた歴史と、
都市生活のスタイルが定着してきた歴史がクロスします。
ぼくの生活感性は、つまるところ都市型感性だと判断しています。
俗にゆう、隠居暮らしは田舎で・・・のたぐいです。

いま30代の幼子をもった家族なら、就農か半農か?
というような問題を解決しなければならないと思います。
生活手段としての収入の道、子供の将来への教育費。
そこそこのお金が必要となりますから、ね。

でも、晴耕雨読、なんて悠長な思いをもっての田舎暮らし志向ですから、
なるべく気持ちの負担にならないような日々の暮らしがしたいです。
気分としては、都市型人間が、田舎暮らし実験をしている、って感じです。
ですから、田舎暮らしの目的のひとつは、自然のなかで思索したい!
自然の恵みのなかで自分という人間を見つめてみたい!

そんななかで、田舎暮らしの自己経済をどのようにするかなんです。
このシリーズのまもなく後に、食べ物の話をしていきますが、
コンビニやディスカウントショップに頼ってしまう都会、
ではない生活を披露していきたいと思っています。

December 03, 2004
田舎暮らしの方へ-7-
確かに、田舎暮らしは、都会生活よりも家計支出は少なくて済みます。
田舎暮らしの目的のひとつは、自分の勝手気ままな時間を作りたい!
このような発想から入っていきますから、時間はたっぷりとります。

時は金なり!の都会生活から、
時は思索なり!の田舎暮らしですから、
たっぷり取る分だけ、お金になる仕事をしないわけです。

その分、都会生活ではお金を出して買っているものを、手作りです。
生活の基本は食べ物。
お野菜やお茶、これなんか手作りの代表ですね。
それから魚介類の加工品はやめて素材で仕入れる、それも良質で安いもの。
主食になる、お米とか小麦は農家から直接お買いする。
調味料、味噌とか醤油ですね、これも自分で作りたいところですね。

どうしてもお金は要ります。
完全自給自足は、不可能にちかく難しいです。
でも、最小に抑えることを考えてみるんです。

あ、お金たっぷり余裕があって田舎暮らしをする人は対象外です(笑)
そんなに蓄えなくて、なのにサラリーマン生活をやめて、
つまり失職状態になってしてでも田舎暮らしを・・・という人対象です。

田舎暮らしに借金(ローン)があっては、気が落ち着かないですから、
サラリーマンやめるときに、これを清算し、プラスマイナスゼロスタート。
清算してプラスが多いほうが、当然いいですけどね。
たとえ貯金なく、生命保険なくても、やっていける家計を考えるんです。

田舎暮らしを考え、実行するのにお金の計算か~?なんて思わないで。
お金の計算こそ、重要なポイントなんですからね。
財産ある人は、だいたい田舎暮らしなんて考えないでしょ?
金なく、地位なく、ただの人。
この人こそ、本気で田舎暮らしを考えることができる人かも知れないです。

December 10, 2004
田舎暮らしの方へ-8-
田舎に暮らし始めると、なにかと人と人との交流が必要になります。

都会暮らしの場合、大半は、お金にまつわる関係が中心になります。
会社勤めも、自営業を営むも、これは貨幣経済中心なんです。
その観点からいうと、田舎暮らしとは、人と人の関係の中心は、
お金ではなくて、こころ、気持ち、といったものです。
貨幣経済ではなくて贈与経済という言い方がありますが、それです。

言い方変えて、アーバンライフという言い方でいうと、
その場は、お金、プライベート、個室、孤立、という場です。
そこでルーラルライフのイメージを作り出すと、
ルーラルライフとは、お金が介在しなくて、共有化、共同化、共生。
このようにイメージできるかと思います。

このように分けてくると、都会に住んでるから、田舎に住んでるから、という。
この地理的所在だけでの判断ではできないです。
田舎暮らし、という人と人の関係は、都会地でもありますし、
逆に、都会暮らし、という関係は田舎地にもあるわけです。

このように、人と人の関係をベースにして、その関係のありかた。
その上にさまざまな現象を乗せて考えるとわかりやすいですね。
トップの写真は、白菜と大根です。
このお野菜は、贈り物、頂いたものです。
ただし、そのお返しに、こちらは別のものをあげます。

ここには貨幣は存在しません。
あるのは、生産する人、それと交換する相手です。
物と物、物と労力、物と気持ち、その交換が基本形です。

ここでは、田舎暮らしの、概念を捉えておきます。

December 24, 2004
田舎暮らしの方へ-9-
田舎暮らしスタイルで大事なのは、気持ちのあり方だと思っています。
今日では、里山、田舎といえども生活の根底は都会生活と変わらないです。
大部分に貨幣経済システムが浸透しきっています。

水光熱の需要にしても、
川から水を汲んできて、ランプを灯して、薪を焚く生活なんて、
そんなことしていませんからね。

それならどこが違うかといえば、生活する気持ちのあり方です。
個人での自給自足が可能かどうかなんていえば、不可能ですしね。
とはいえ、自給できることはしたい、ですね。

最近はエコ生活ブームで、自然のエネルギーを生かすことがゆわれています。
でも自然エネルギーを作り出すには、それなりの金銭が必要です。
お金をもって使えるひとは初期投資されればいいんです。

でも初期投資するお金がないとしたらどうします?
田舎暮らし考えても、初期投資なしに作り出すこと出来ない仕組みですから、
どっかで妥協して、文明の真っ只中を享受しながら、
自分の理想にちょっとでも近づける工夫しかないようですね。

山菜や木の実を採ってたしなみますけれど、
これも気持ちの上で、少しは自然人生活をやってる!程度の自己満足です。
で、なるべくお金を使わない方向をめざす!
山ですから魚介類を買い求めるんですが、なるべく新鮮で廉価なものを探します。

そんな気持ちのあり方が大事なことだと思います。

January 09, 2005
田舎暮らしの方へ-10-
サラリーマン稼業をリセットして、田舎に住みたい欲求があります。
このとき経済的とゆうか金銭的なハードルはクリアーできたとします。
それで田舎暮らしが実現する、となったとき何を考えますか?

ボクがここで提案したいのは、単なる職種転換ではない、と云うことです。
アーバン生活とルーラル生活の根本的な違いは、生活根拠のあり方なんです。
ボクたちの生活と云うのは、はまったく経済システムに組み込まれています。
で、ここで田舎暮らしの方へ、って云うとき、
この経済システムからの脱却を少しでも目指すことだと思っているのです。

今日の生活スタイルを支えている経済システムですが、つまり貨幣経済構造です。
このことへの反態度が、アーバン生活に対応するルーラル生活の、
根底にならないと意味なさないんじゃやないかと思っているんです。

そうはいっても、実際は経済システムから逃れえることができないんですが、
少なくともそのような発想または思考が必要だと思うわけです。

サラリーマンやめて農業をする!
その気持ちは十分にわかります、実際のボクの経験もありますから・・・
でもともすれば職種変更にしかならない、かも知れない思考はどうなんでしょ?
じゃあ、どうすればいいのかな~、これが必要なんです。

January 26, 2005
田舎暮らしの方へ-11-
田舎暮らしの方向は、貨幣経済から遠ざかっていく方向です。
貨幣経済の渦中にいて、競争社会の渦中にいて、
そこでの勝った負けたの判定基準じゃなくて、
もう少し違う位相で生きることの意味をつかみとっていくことです。

ボクはこの方向が見出せないで、単に農村に住むことだけでは、
田舎暮らしとはいえないと思っています。
たしかに見た目、表面的には都会じゃなくて山川ありの田舎地だったとしても、
生活の基本的構造が同じでは、田舎暮らしの意味が見出せないです。

現代のボクたちの思考方法といったら、お金儲けていくらの価値を見出すことにあります。
お金があれば何でも買える、だからお金を儲けよう!です。
で、そこからの思考方法の変換ということでいえば、
都会に住んでても田舎暮らし思考が出来ることになります。

そうなんです、ボクの思いでは、都会に住んでいて田舎暮らし思考が出てきて、
そこから具体的な、田舎地への移住思考が始まっていくように思います。
時間をお金換算する思考から、そうではない思考方法への変換です。
自分の生きていく意味を問い始めていくプロセスのなかに、
この思考の変換が出てくるんです。

田舎暮らしをしてお百姓をして、のんびり暮らそうなんて思ってても、
発想の転換、思考方法の変換が起こらないと意味を持たないんです。
都会のなかで隠居をするかわりに田舎で隠居をしようではダメです。
これでは元の木阿弥、居住の場所が変わるだけのことです。
こころの開放にはいっこうにつながっていかないように思います。

February 17, 2005
田舎暮らしの方へ-12-
田舎暮らしへの方向は、自分の経済規模の徹底的縮小への方向でもあります。
貧乏せよ!なんてこといいません、金持ち・貧乏、とゆう区分の枠外にでる方向です。
つまり田舎暮らしをめざすのは、心の開放をその目的とするからです。
心の開放とは、理想的にいえば、グローバル化経済構造からの脱却です。

生活者が心の負担としてきたことって、お金にまつわることが多いです。
いや、もう、人間関係に金銭が介在する。
家族の絆も、恋人との関係も、お金の多寡によって左右されるんですものね。
お金を多く持っていれば価値があって、少なければ価値がない。
この価値尺度の変換を自らやっていくことがルーラル化への向き方です。

実際、こんな理屈を言っていてもなにも始まらないですね。
実践していくことからしか始まらないんです。
ボクのほうは、ぼちぼち実践はじめてから、かれこれ3年がたちました。
いま職業肩書きはフリー、自由業です。
世間のコトバでいえば、失業ご未就労者です(笑)

リスクヘッジの社会保障とかを全部削ぎ落としての、いまです。
いまある姿は、経済活動に参列していた生活時に貯めこんだ結果です。
つまり、悠々自適の隠居生活の部類にはいるのかも知れません。
前に、田舎暮らしをするのも初期投資資本がいることを申しました。
その結果として、いまボクがここにいることを自覚しています。

あい自然学校なんて枠をつくっていますが、この学校の課題は、
初期投資資本がなくても、田舎暮らしをはじめることが出来ないか、です。
たとえば若い世代のフリーターが、初期投資なしに快適田舎暮らしが出来ないか。
土地家屋&預貯金なしの生活者が、快適田舎暮らしを手にすることが出来ないか。
このようなヒトの実践ノウハウを作り出せないかとゆうことです。

田舎暮らしは、趣味道楽ではありません。
世の価値観、自己の価値観の変容させていくプロセスです。
その中心は、心の開放、あらたな人間関係の創生です。


          

自給自足のすすめ 2004.10
むくむく叢書のご案内
120nojyuku20050076

自給自足のすすめ-1-

食品の安全性についての議論があります。
遺伝子組み換え食品、化学肥料、農薬。

身体への食料補給はヒト生存の基礎ですから無関心でいられません。
無関心ごとではないから規格化が必要である。
そこでJAS法(日本農林規格法)が制定されている。

自家菜園で化学肥料や農薬を使わないで農作物をつくるとどうなんですか?
ここで採れた野菜は有機無農薬栽培です。
第三者機関による認定がなくても(笑)
JAS表示しなくても有機無農薬栽培の野菜です。

ちょっと無機質な話題になっていますが、
食品をめぐる話題を展開していくのに、
このことをふれずに通過できないように思うので、ここから始めます。

今日から断続的にですが、「自給自足のすすめ」をシリーズで掲載していきます。

まずは定義からします。
自分が食べるものは自分でつくる、これ自給自足です。
自分たちが食べるものを自分たちでつくる、これ共同自給自足です。
そしたら人間がつくる食べものだから地球上の食料は共同自給自足じゃないか?

いいえ、ここでいう自給自足とは、
貨幣が伴わないで生産と消費が行われることです。
このような側面で定義しておきます。
つまり、自分たちでつくって自分たちで食べるなかで、
お金がいらないということです。
この条件を軸に、自給自足の可能性を検証していきたいと考えています。

これが第一の切り口です。

自給自足のすすめ-2-

食料生産の分野で自給自足をめざす意識のなかに、
アグリ資本に握られた食料の大量生産への抵抗または対抗ということがあります。

この抵抗・対抗のネットワークは、他のムーブメントと歩調を合わせながらです。
1989年以降の、また2001.9.11以降の新しいムーブメントとして捉えることができます。
いうまでもなくアメリカ型グローバリゼーションへの対抗軸としての視点です。

確かにわたしが-自給自足のすすめ-というときこの潮流を理解したいと思います。
環境保護や人間解放へのムーブメントの一環として捉えることを理解します。
でも、ここで大上段に事を語ったとしてもむなしく思ってもいます。

目指すところの環境保護や人間解放といっても、
メガ資本主義という、その根底のシステムをどのように変換するのか、
という次のビジョンが見いだせないからです。

このような現状ですから、まず実践をやっていこうと呼びかけます。
ムーブメントが先にあって、そのために行動を起こす、ではなくてです。
声なき声と括られてきた声なき声のヒト個人が、具体的な現場に参加する。
そのようば仕組みを作っていきたいな~と思っているのです。

正直、ヒトの行動って理屈やなくて感情なんですね。
そのことが気持ちよかったら、必然的にその流れになってくる。
そこで、わたしはみずからの体験をつくりながら、
その体験の気持を知らせてあげようと思っているんです。

山へ入って採取生活がどこまで可能か、とか、
家畜を飼い、はたけを耕し、自然循環がどこまで可能なんだろう、とか、
肌身をもって体験していくということを、お勧めしています。

声なき声が、声になるためには、
声になる手段を手に入れることも考えなくてはならないです。
写真学校、文学校、農学校の三点セットを使いこなして、
その気をもって学びあいをしましょう!
ここが出発点かな~、金メダルを目指さなくてもいいんです。

自給自足のすすめ-3-

なにはともあれ自給自足することを考え出すと難問にぶつかります。

主食となるもの、副食となるもの、動物性蛋白源なんかをどうする。

先にも記しましたが、自給自足への道は貨幣経済から遠ざかることです。
そうするとお金を出さないと手に入らないものばっかりですね。
それをどのようにして自前で食料の自給率を100%にするか、ですね。

ヘンリー・D・ソローは、1845年からウオールデン池畔に小屋を建て始めます。
2年間少しをそこに滞在して自給自足を体験しますが(「森の生活」を参照)。
そこで、経済に多くの関心を寄せて記述しているのですが、
貨幣から遠ざかれるとしてもゼロではないですね。
貨幣での交換は最小限にしていく、ということでした。

参考文献となるソローの記録にしても最小限の貨幣が必要としています。
でもね、いまあらためて自給自足の可能性を見つめるというのは、
現代社会が抱えているヒト個人をめぐる諸問題を見つめる、
ということにつながるんですね。

個人所有が徹底し貨幣経済の社会にあって、
土地の所有をどうするのか、
作物の種をどうして手に入れるのか、
などなどの問題がでてきますね。

そこで究極の理想としての自給自足を語って、
その形にどのようにして近づけることが出来るかが、
実践していく途上で明確になってくるものと思っています。

自給自足のすすめ-4-

ヒト個人が、こころとからだを委ねる社会のなかで、
自給自足の方へ思考をめぐらせていくのは何故?って考えています。

大阪府内の不登校小・中学生の数は約1万人との報道がありました。
全国的にはどれくらいの数の不登校者数があるのでしょうか?
なぜ、学校へ行けなくなるのでしょうね、理屈じゃないと思います。
ここととからだを社会(学校)に委ねることが出来なくなる心情ですね。

不登校やリスカする中学生が書き送ってくるHPのメッセージは、
泥沼に落ち込んでいくこころを、なんとか自分で救い出だそうとの叫び、と受けとます。

大人が自給自足の方へ思考をめぐらす背景は、
学童における不登校の大人版であるような気がします。

現代の社会が内蔵しているなにかが原因なのだろうと思います。
競争が生み出す弊害かもしれないし、期待への過剰反応かもしれないし、
おおむね、内面やさしくって頭のいい子が多いんじゃないんでしょうか?

自給自足という方向は、現代社会の価値観と異にします。
現代社会は、ヒト個人に消費者であることを求めています。
生産手段は集中してきており、ヒト個人の手許にはない現状ですね。

このような視点に立ってみれば逆説的に、
みずからが生産者になろうとする欲望の表れだと思っています。
農業者になろうという労働力への形態ではなくて、
みずからの自立を求めている欲動の表れではないでしょうか?

この考えは、わたし自身の体験にもとづくイメージ化です。
ここで自給自足なんてことを目指すことじたい、
家計の経済を維持することと、稼ぐための競走への人間不信、
これの狭間に置かれた現代人のストレスですかね。

人間社会のなかでのヒト個人の良心が自給自足の方へ向わせるのだとしたら、
これは近未来において、正当化していくべき生活のあり方だと思います。
不登校、リスカ、出社拒否・・・その先にみえる救い手が、
みずからを生産者に仕立てていく発想の、具体的に実現可能な社会が必要ですね。

あい農学校のコンセプトは、フリースクールです。
フリースクールではありますが、既存社会へ編入させるためのスクールではないです。
既存社会に参入しなくても、ヒト個人が生存できる新しい社会ネットワークのスクールです。
あと少し年月がすぎれば、その年月の間に理解者が増えてくることと思っています。

自給自足のすすめ-5-

秋になると山には木の実が生ります。
春には山菜摘みを、秋は木の実拾いを、ってところですね。
そこで胡桃-くるみ-の実のはなしです。

胡桃はヒト集団が採取生活していた頃からの食べものですってね。
やまに入ると水が流れている場所、よく沢の近くに胡桃の木があります。
自生の胡桃は、栽培種で販売されている胡桃より、小さい小粒です。
自生だからその環境に左右されるのでしょうね。

胡桃って外形が梅の実によく似ていますね。
ということからゆうと、梅の種、ってところですね。
胡桃の実が木から落ちて土の上で黒ずんできた皮の種。
この種の中味を食べるんですね。
脂質がけっこう多くて食べてもあぶらっぽい味です。

自給自足の方へと志向していくとき、
基本には自然のものを採取することを考えます。
野菜栽培とか家畜飼育というのに先行します。

野山にある自生の食べものは生態系そのものです。
その生態系秩序にそのままヒト個人の身体を置くことになります。
この態度が根本・基本ではないかと考えています。

川には小魚が棲み、山には山菜や木の実が自生する。
そこにヒトの生活根拠を置くということですから、
現代にあっては、必然的に環境問題を考えていかないとダメですね。

野菜栽培や主食生産にしても、機械を使わず人力に依存するとなると、
たとえば1反の田んぼで200キロ(以上)の米が収穫できるとして、
家族4人分の主食(一人年60キロ平均)がまかなえる量なんですね。

自給自足の方へ、といっても、実践していくには、
現代人の体力でどこまで可能か!
なんてことも考えていかないといけませんですね。

自給自足のすすめ-6-

自給自足生活を考えていくとき、
農産物を作る栽培する、ということだけではなくて、
山菜や木の実を採取して食べる、ということがあります。

ここにあるのは胡桃と銀杏です。
ちょうど今の季節は秋。
胡桃が採れだしますね。
ここにはありませんが栗が採れだしますね。
ムカゴも収穫どきになってきています。
もう少し秋が深まると、銀杏が採れます。

木の実採取というのは、いたって原始的な生活です。
山へ入れば、食べられるものが沢山あります。
野菜栽培以前の食料調達の方法です。

食用の山菜採取を研究することと、木の実採取を研究すること。
山菜・木の実を採取し加工することを研究していくこと。
当然のこと、これまであった田舎生活のノウハウを生かす工夫です。
それと同時に、現代風アレンジも必要ですね。

あい農学校では、そのような創意工夫を新たに蘇えらせようと思います。
自給自足を実践するためにも、必要なノウハウだと思っています。

自給自足のすすめ-7-

自分の食べるもんぐらい自分で賄えれば、かなりの自由が得られる!
つまりお金をたくさん儲けなくても、生活やっていけるんですからね。

生活のスタイルには各人各様、さまざまです。
でも、たぶん、誰もが自分の好きなように生きていきたい!って思う。
この「自分の好きなように」生きることのなかに、自給自足を加えよう。

でも、これは、考えれば考えるほどに難しいことのように思います。
というのも現代社会で生きる方法ってなると、まず第一にお金が必要です。
それもかなり大量に稼ぎださないとやってられないじゃん、ね。

家族の平均年収が、いかほどかは存じませんが、
財産無く、結婚して夫婦だけの稼ぎで所帯を作っていくとなると、
夫婦に子供2~3人の所帯で、マイホームを手にして、
子供を大学まで進めさせたとしたら・・・
単純に年収1000万円??!!!は、稼ぎ出さんとやってられんでしょね。

いやいや、中心にいらっしゃるお人は、そんな金額どころじゃなくて、
もっと高額所得者ですよね(笑)

平均的生活者の実態は、どんなもんでしょうね。
親からの資産なしのゼロ出発で、平均的サラリーマン像です。
そのサラリーマン家族、核家族の像です。
決して貧困ではないですが、豊かでもないですね。

ええ、そのなかで何の苦労も苦痛も無く生きていけたらラッキー人生!
でも、大方は苦労と苦痛をなめながらの生活を延々と続けてる。
いや、子供は宝です、もう子供と一緒に居るときってさいこ~幸せ。
いいんです、それで、マイホームパパ、ママ。

でも、ある瞬間!そんなんじゃない~~、自由が欲しい!
なんてことに目覚めてしまって、そっからの脱出を試みようとするときです。

遥か向こうに自給自足、じきゅうじそく、なんて熟語が漂ってのが見えるんです。
で、山へ入って、くるみを拾う、まさに原始生活らしさを夢想している自分発見!

光の玉手箱2005.8~
むくむく叢書のご案内

2005.8.15
じゃ~閻魔さま
閻魔堂の閻魔大王

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今日の写真は閻魔さまです。
千本閻魔堂に鎮座されてる閻魔さま。
この世へ睨みを効かせる閻魔さま。
ようやく閻魔さまのお近くで、写真を撮ることができました。

今日は8月15日、第二次大戦後60年、戦争終結した記念日です。今日から写真批評を始めます。写真批評といっても、自作写真を自己批評するという、手法です。さて、どのような滑稽な批評になるのか、楽しみですね。
自作批評は、自己批評。自分を見つめる鏡として、写真を通して自分を語る。そうゆうことだ。
じゃ~物語の始まりはここからはじめよう。

2005.8.16
たった一人の叛乱

かって釜ヶ崎で取材していた当時、1978年から1983年のことですが、季刊「釜ヶ崎」という雑誌の発行に携わっていた。
そこで考えていた言葉に「たった一人の叛乱」というのがあった。
一人だけでも叛乱していく、かなり過激な言葉の意味ですが、そのように考えて行動していきたいと考えていた。

イメージとして。
体制の外側に位置する場所・トポスであった釜ヶ崎。
世間の裏側から現実をみて、決起せよ!なんて思っていた。
その延長線上で、ボクの制作態度やアクティブがあると思っている。
社会の中心を成す軸に対して、ヘッジ、マージナリーとでもいえばいい。
社会が蓋をしてきた領域へのアプローチ。
または、社会が蓋をしてきた領域からのアプローチ。

最近は人体&エロスに興味を持ってきた。
植物から動物へ、そしてヒト。
ヒトから動物へ、そして植物。
この生命体の循環のなかにおけるエロス。
ヒトは文化をもった。
この文化という衣を着せたところに見えるヒトのエロス。

写真や小説や評論の執筆、発表では、インターネット環境を活用しているところだが、ここに叛乱を企てる。

2005.8.18
井上青龍のこと

井上青龍と一緒に、最後に飲んだ場所は、大阪駅のガード下にあった飲み屋だった。井上青龍は写真家、ボクより一回りも年上の写真家だった。井上青龍の代表作は「釜ヶ崎」である。1960年代に釜ヶ崎の写真を撮った人だ。
実は井上青龍と知り合ってから、暫くは、彼の代表作品が釜ヶ崎であるとは、知らなかった。ついぞ最後まで、写真の被写体、釜ヶ崎について議論したことは、なかった。

1981年だったかに、京都で、写真シンポジュームを数人のメンバーと一緒に開催した。そのシンポジュームに参加して、喋り捲っていたのが井上青龍だった。
それから「東松照明の世界・展-いま-」の実行委員会が作られて、その流れのなかでボクは長堀のマンションの一室で、「ザ・フォーラム」という写真と映像の自主ギャラリーを立ち上げた。井上青龍は、このギャラリーの常連となった。

苦悩を一身に背負ったような風貌の井上青龍だった。破れかぶれな男、酒を煽っては管巻いていたイメージの井上青龍である。ボクの釜ヶ崎の写真スタイルとは、いささか違うのだが、それは時代の流れのなかで、テーマの置き方が違ったのだと思う。

ボクは、日常へ&都市へ、というテーマで釜ヶ崎に遭遇した。井上青龍は、何をどのように組み立てて釜ヶ崎を取材したのだろう。
釜ヶ崎は様々な表情を見せるトポスである。
暴動が起こり、世を唖然とさせたトポス。井上青龍の釜ヶ崎は、1960年代、暴動が頻繁に起こったころである。世間で異端なトポスとして、怖れられていた時代の釜ヶ崎である。
それから十数年の後、1978年にボクは釜ヶ崎取材に入る。現場で、釜ヶ崎イメージが大きく変換していくのを、自分は確認した。怖れる釜ヶ崎から、親近感溢れる釜ヶ崎へ、だ。ボクに数多くのポートレートを撮らせてくれた労働者たち。おどけたり、笑ったり、しかめっ面した労働者たち。それに女子供も沢山いた。
その後に釜ヶ崎を取材した写真を見かけていないのだが、井上青龍が深く関わったように、ボクも関わった。たぶん位相がだいぶんずれた関わりだったと思いますけど、ね。

2005.8.29
釜ヶ崎夏祭り

1979年8月、釜ヶ崎の三角公園で青空写真展を開いた。
釜ヶ崎で写真を撮りだしたのが1978年の秋からだった。およそ一年間に撮りためた写真を、撮影した現地で展示する。ある意味では、無謀な企てだった。
釜ヶ崎は、恐ろしいところだから写真なんて撮れないんだよ。それも正面から撮るなんてできない。
そんな言い方が巷に流布されていた釜ヶ崎だった。
当時、釜日労という労働組合があった。稲垣浩さんが委員長をしていて、炊き出しをやっていた。1979年1月3日だったかの餅つき大会で、写真を撮った。それから春までに、炊き出し風景など、精力的に撮っていった。
そうして撮りためた写真を、夏祭りに展示したいと云うと、OKとの返事があったので、日替わり写真展、写真あげます展、青空写真展・・・呼び名は様々だたけれど、現地で写真展をおこなうことができた。
ボクの写真を見つめる視点が大きく変わっていくきっかけが、この1979年8月の釜ヶ崎現地での写真展だった。

写真とは何か、という問いかけが、まだ有効な時代だったような気がします。1968年から10年も経った年だったけれど、ボクの中での問題はまだまだくすぶっていた。
たまたま「写真とは何か」という問いかけだったけれど、それは「文学とは何か」とか「哲学とは何か」とかと同義語だ。
よりラディカルに、より深く、より外部から、中心へ向かうための周辺を見つめていく考えが、まだ中心になっていた時代だった。

いま2005年、あらためて1968年の出来事や、1979年のボクの釜ヶ崎現地での写真展を思い起こしながら、現代の問題を整理しなければいけない、と思う日々なのだ。
その当時、釜ヶ崎の中で問題化されていた就労形態。手配師がおり日々雇い入れる労働の形態、日雇い労働者。それが現在では、表層イメージを変えながら、国土全体に拡げられた感がする。

グローバル化という名のもとに進む改革なるもの。もう歯止めが利かない世界潮流だけど、あえて抵抗する生き方もある。その視座を獲得せよ!なんて過激なことをいったってもう無駄なんかな~と思いながらも、だ。
ボクの思考の原点が、1989年夏の自分の転換にあるように考えるのだ。

2005.8.30
内灘のこと

内灘は金沢に隣接する砂丘海岸だ。
ボクがこの内灘に最初に触れるのは20歳のころだった。現代社会運動史の資料文献を漁っていた当時だ。
対日平和条約と日米安保条約が発効するのは1952年4月28日。政府は、翌年6月2日石川県内灘試射場を無期限使用することを閣議決定する。ところで地元や県議会は反対運動を展開します。戦後日本の社会運動の最初・原点がここにある。

1975年だったと思うが、ボクはニコマートというカメラを買った。モノクロフィルムで、最初に写した被写体、家族以外で最初に撮った写真。この被写体が内灘弾薬庫の痕跡だった。1975年の夏だったと思う(記憶が曖昧1976年かも知れない)

写真を撮りだす前は、文学、小説を書きたいと思っていた。高校2年の秋に何冊か詩集を作った。18の頃に小説を書きたいと思った。4~5人の友達で、専用原稿用紙も作った。何篇か、習作短編を書いた。発表は、ガリ刷りの同人誌まがいのものだったり、自作のペーパーだったりした。
事情で高校卒後、2年間働いたあと1年浪人し、21歳で大学へ入学した。1968年のことだ。
1968年は大学紛争の年だ。ボクはその冬を京都で過ごし、翌年東京の出版社へ勤務することになった。東京で仕事をしながら小説家になろう、と考えた。1970年京都に戻り、大学復学、そのころから再び、小説を書きだした。
その小説の舞台が内灘だった。
第一章、第二章を、同人誌「反鎮魂」に載せて、中断した。

カメラを持って家族と共に内灘海岸へ海水浴にいった。そのときに撮った写真が、いまここに転載した写真。
原版は見当たらない、映像情報の第一号の表紙に使った写真(1980年)が、これだった。この写真はコピーです。

1982年正月、内灘を撮ろうと思って取材に出かけたが、すでに弾薬庫跡は撤去され、何もなかった。東松照明氏と会うのは、その日の夜のことだった。

2005.9.11
自主ギャラリーの軸

1970年代半ば、写真展示の自主ギャラリーが開設されます。主に東京近郊にいた若い写真家たちが、運営母体となったギャラリーだ。「PUT」「CAMP」「プリズム」・・・。
この自主ギャラリーなるものを軸に少し考えてみたい。

1968年に創刊される写真同人誌「provoke」に始まる写真家と社会現象との関係を考えると、そこには、既存の制度「体制」を解体していくという幻想・妄想があった。と同時に、自己の内面をどのように処理していくのか、といった問題も浮上していた。

当時、一部の学識経験者、メディアの編集者、学生らの関心ごとが何かといえば、表層は、政治体制へのアンチ態度に収斂していくのだが、「個人」が様々な意味で、意識されていた。
たとえば、「provoke」同人で詩人の岡田隆彦は、<せつなさ>という感情を軸に論を立てます。解散時の1970年「まず、たしからしさの世界をすてろ」と題するエッセイ集を発刊する。
そのころ東大全共闘を中心とした「教育批判」の主張がある。これは「大学の帝国主義的再編」に対抗する「大学解体」をスローガンに掲げる。
作家高橋和巳は、ノンフィクション「わが解体」を著す。

1968年前後へのボクの見解は、「個人」と「個人を取り巻く社会」の関係についての論であると同時に、個人のあり方の論であった、と受け留めている。
この表立った運動が造り成し顕在化させた個人の二重構造性が、沈静化されていった後に、若い世代の写真家たちの意識・無意識下に成り立たせる要因になった、と見る。
もちろん、複合要素の結果だが、その底流の感情・情動、外に向けるエネルギーとして、結果した。そのきっかけを作った媒体は、「自主ゼミ」であり「ワークショップ写真学校」であった。

非常に乱暴なまとめ方だけれど、ボクはそのように見る。
自主ギャラリーは、既存の写真メディアに対する心情的否定と理論的否定から具体的な形として創出された場だった、と考える。
それから30年という歳月が過ぎ去った今、2005年だ。当時の運動の本質が、構造化される権力に、いかにして制度を流動的状態にするのか。または、流動的にさせることが出来るのか。このことだったとすれば、この30年間、権力が成しえた結果を、再検討する必要に迫られている。

2005.9.14
写真作業の覚書

写真に撮ることができるものは、現実に物質としてあるモノしか撮れない。どれだけ思い込もうとも、想像をめぐらそうとも、写真として写るのは、現実のモノの外観でしかない。

モノを前にした作家が、写真に定着するためには、それ以前の思想、思いが必要である。また、それ以後の思想的展開、思いの展開を想定することも必要である。

としても現実に写せるものは、目の前にあるモノでしかない。現前するモノそのものを、どのように撮るか、技術的、存在論的、そのモノの的確な自己主張を、どのように定着させるのかである。

ここに葡萄を撮った写真がある。
撮られた葡萄が、葡萄であると認知できるのは、先に葡萄という果物を知っているからに他ならない。見る人の経験によって、葡萄であることを認知される。ここに載せた葡萄の写真は、背景を省略してある。色彩効果を出すために器に入れられた葡萄である。

背景説明によって、撮られたモノの置かれた状況を説明することが出来る。そこには主題となるものが置かれ、主題を説明&物語る要素を組み入れることがおこなわれる。
もちろん主題と説明&物語を排除し、フラットな写真構成とする場合もある。その場合は、画面全体が主題とする。

中平卓馬が「写真は植物図鑑だ」と云い、東松照明は「記憶の像は写らない」と云った背景には、現実のモノしか写らない写真の宿命を言い当てたものだ。

ボクの試みている写真は、生活図鑑であり、目の前にあるモノを撮る、作業である。そうしてそのモノじたいが見る人の記憶に接合させることで、意味を紡ぎださせてもらいたい、との希望をもっているのだ。

生活図鑑であることの、自分なりの見解を申し立てることは、文章の力を借りようと思う。写真の置かれた現在点で、写真が語りだすのは、言語の力であるからだ。ボクが様々な世界を見る視点を、一定の方向に導くための思想を語り、書きこんでいく。

写真は思想を限定し、文章は写真によってイメージを限定し、そうして両輪でもって、一つの現実と空想の世界を創りだしていく作業なのだと考える。

2005.9.23
生命の記憶

今日は愛犬「ケン」の1年目の命日。
生まれて直ぐにやってきたんだけど、18年ほど生きたんです。犬の寿命としては長いようです、老衰です。

生命の記憶が、万物に備わっていると云います。
植物、動物、そしてヒトという動物。
遺伝子が記憶媒体なんだそうですが、今、科学は、この遺伝子を含む生命現象の解明に挑んでいるんですね。
生命を科学手法によって解明する。たいへん興味あります。
でも、一方で非科学って云って括られる領域にも、非常に興味がありますね。
そこで、科学と非科学の融合なんていう、科学手法が編み出されている現状です。

ボクは、この非科学領域を、感情の領域、記憶の領域、心の領域・・・つまり「感じる」ということにベースを置いた領域だと思っているんです。だから、科学的手法で解明できるのかどうか?未来のことは判らないですが、当面の問題は、この「感じる」ことをどう捉えるか、ですね。

愛犬「ケン」が死んだとき、そこには「哀しみ・悲しみ」と感じる心があった。密着していた生き物がいなくなる。ここに撮られた写真は、現物として存在した。その日、焼却されて消えていった。
たったそれだけの事実なのに、ボクの気持ちは「感じる」んです。1年前の記憶が、甦ってきて、感情が湧いてきて、哀しみ、悲しみ、の中にあります。

写真は記憶をとどめるためにある。撮られたときから時間が経って、写真はその時間を生き、未来によみがえる。
記録と記憶。写真は、表層の記録だけれど、本質は記憶に基づくのだと考える。生きた証、生命の記憶である。

2005.10.4
デジタル写真の未来

ボク自身が2年前から再びカメラマンをやりだしたんだけど、デジタルカメラです。つくづく楽やな~とおもっている。処理とかランニングコストという面で、です。
写真のテーマは、自分周辺のことに定めてるから、当分は金沢と京都周辺での撮影に徹します。

ところで、デジタル写真の可能性というのは、デジタルネットワークにおいて使いこなすことにある。インターネットで、写真を掲載して写真展を開く・・・。これが主たる使い方としてあるんだけど、これはボクの使い方です。

評論家として云うには、写真から映像に広がってメディアアートとかバーチャルアートの領域への展開でしょうね。
これまでフィルム時代に、写真が持っていた領域は、デジタルにおいてもそのままそっくり頂ける訳だしね。
だからデジタルカメラが基調になったとき、コンピューターと結びついて、様々な可能性へと拡がっていくのだ。

とはいえ写真という静止画にこだわるかぎり、写真は静止画として存在する。
そこで写真に撮られるテーマの中味に立入っていかなければならないのだ。
はたして、デジタルだからこそ、特有のテーマが導かれるのかどうか、という問いなのだ。

デジタル化による社会の情報環境が変わる。それに伴って、デジタル化特有の人格が形成される。デジタル世界の影響だ。
問題は、ここ、この社会環境の変化による人格の変化。それが作品としてどのように現れてくるのか、と云ったところだろう。

1、使われ方の変化
2、テーマの変化

欲望の処理装置としてのデジタル写真。欲望とは性欲を主体とした部分だ。
デジタルネットワークのなかで、情報が手に入る。具体的にいえば、アダルトサイトだ。アダルトサイトからの情報が、無差別に発信される。そうして無差別に受容する。
かって、インターネットのホームページが無かったころは、アダルト情報は、書店へ赴くかレンタルビデオ店へ赴くか、だった。自ら行動することで手に入れられた領域だった。いまや、インターネットで手に入れることができる。

かって大学生の頃にあったパートカラー映画。いまでゆうアダルト映像だ。映画館は文化会館というのがあった。チケットを買うときの気持ちは、ちょっと恥ずかしかった記憶だ。書店でアダルト書籍を買うといいうのも、かなり勇気がいった。

いま、インターネットが普及して、そんな状況が一変したようですね。だれでも手に入るのだ。これこそ革命に近い出来事ではないか。

2005.10.5
写真行為の原風景

ボクが写真を撮るとき、何を撮るのか、ということがあります。
そりゃ~好きなもの、興味あるもの、現実に存在するモノを撮ることになります。
興味の湧かないものを撮ろうとは思わない。

ところで、この好きなもの、興味あるもの、ってどうしてそうなるものがあるんだろう?
つまり、写真を撮る行為の原風景のことだ。
ボクの原風景は、どんなものなんだろう?これも知りたいところだ。心惹かれるモノのなかにあるもの。原風景とは、そういう代物なのかも知れない。

ヒトの生成過程の中で、生誕から死滅までの時間の中で、ヒトが固体としての知能の枠組み形成が、生誕後3年目あたりだといいます。つまり3歳です。そのころまでの体験の記憶が、原風景の基底にあるといえるのでしょうか。

ボクの生誕は1946年です。そうすると1946年から1949年までの3年間の、ボクの前に起こった現象に対して反応した記憶質、これが原風景を形成する要素かも知れない。
主には、母親との関係、それから社会風潮というか空気感というか、そういう感覚的なものです。

生命活動の終盤にさしかかった現在のボクが、興味を示すのは、食することと生殖することだ。
大地を撮り、空を撮り、花を撮り、食べ物を撮る。
それらへの興味は、生殖ということに由来しているように思われる。命が育まれる原風景あるいは、前風景といえる。
花を見ることは、女のヒトを見ることにつながり、大地を見ることは、母親を見ることにつながっているように感じる。
それも欲求不満や劣等感といった要素が、逆推進力となっているようにも思われる。

2005.10.6
日常の光景へ

カメラと自分の関係をみると、カメラは自分の分身のようなものです。
朝起きて、ひと仕事して、顔洗って、朝食とって・・・・という一日が始まり、そうしてなにやらかんやら時間を過ごして、夜になり、寝て、起きたら朝になってる。
なんともまあ、変哲のない、日常だこと、取り立てて大騒ぎするようなもんじゃない。
でもさ、こうした時間の中に、ちょっと気になることが起こる。
庭に花が咲いた。パンを焼いた。天気が良かった青空だ~。
別に、取り立てていうほどのこともないか~!
でもね、キミに知ってほしいって思うことが、いっぱいあるんだ。
たとえば、ボクの庭に咲いた花をお知らせしたい!
山へいったら胡桃が落ちてた!
朝にこんなもん食べたんだよ!
心で思ってて、人に言えないことも沢山あります。
この思ってて言えないことを、秘密といいます。
でも、この秘密たるものも、いつか秘密でなくなるかも知れない。
ボクの見たものをカメラで撮って、キミに見せたい。
ちょっと恥ずかしいけど、見てほしい・・・

写真が、コミュニケーションの手段とすれば、そのようなことだ。

2005.10.19
認める、認めない

自分か生きた人生を認めてあげようと思ふ。
そうでないと自分が可哀相じゃありませんか。
自分の人生を認めてあげようと思うようになったのは、ここ数年のことだ。
認めてあげて全肯定ですね。
この地平から出発しないとだめですね。
とはいいながら、認められないことがまだあった。

物事は時間とともに過ぎていく。
過去となるわけですが、この過去になる時間が、事柄によって様々だ。
物事があったとき、そこに感情が同居するじゃないですか。
その感情の整理がついた時点で、過去・・・
そのように考えると、16日のIMIでは、まだ過去になりきっていない以前の時間を自覚した。

気持ちなんて危ういものだ。
いつも変化しながら心を締め付ける。
その究極が死に至らしめる気持ちだ。
その一歩手前で踏みとどまった、その現場。
その現場が甦ってきたとき、それは拒否するしかなかった。

2005.10.28
日々過ぎ去る

日々過ぎ去るを追いかけない。
前をむいて歩いていくことを考える。
とはいえ、大事なことは、<いま>をどう生きるのか!

写真に親しんで30年、いまのメインの仕事としてある。
でも考えてみると、いろいろあったな~とつくづく思う。
達さんとの出会い、東松さんとの出会い、そうして同年輩の人たちとの出会い。
ヒト的交流の中心は、やっぱり写真を通じての関係だった。

いま、新たな出会いは、食と農。
3年前の出来事から、出発してきて、<いま>だ。
総合文化研究所とか、むくむく通信社とか、それまでの蓄積の上に積み上げられる枠組みではあるけれど、人的ネットワークは、新たに出来てきたものである。

そういいながら、日々過ぎていく・・・。


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