中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

カテゴリ: むくむく叢書(3)

徒然日記・雑記帳「雑記帳-1-」
むくむく叢書のご案内

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-1-
はや2015年4月、平成27年、新たらしい年度になりました。
いつのまにか、ここまで来てしまいました。
京都で写真学校をたちあげて10年が過ぎました。
今年度は、開校しないほうへと進んでいます。
失意のうちに、といえばいいかと思っています。
受講する人が集まらないということが深く気持ちを痛めます。

新年度にあたり、タイトルを変えました、雑記帳。
ありふれた名前、常識的、インパクトがない、そう思います。
この常識的ということが、写真学校の成否につながっている。
そのように思えてしかたがないのですが。
若いうちは狭い道を突進、年寄ると全体が俯瞰できるようになる。
保守的になる、ということかも知れない、常識をわきまえる。

なにはともあれ、今年は69才になるわけで、若くはない。
老年ですよ、と自分に言い聞かせて、淡々と生きていきたい。
ちなみに、過去のことを、いろいろと思い出します。
あと生きられる年月は、と思うと、やるせない気持ちです。
名声をあげたい、野望を実現したい、などの意欲はあります。
でも、いまさら、通例からいって、通用しないだろうとも思う。

稲垣氏が大阪市議会選挙に立候補しています。
今日は写真を撮りに行く予定が雨が降っています。
それで日程変更したいと、電話したところですが、心残りです。
雨が降ると撮影しにくい、と思ってしまって、変更したわけ。
ひところなら、こんな変更はしなかったなぁ、といま思っています。
なんだか、自分の判断が、なさけないような気分です。

-2-
どうしたものか、朝から、気分がよろしくない。
体調が悪いというのではなく、気分がすぐれない。
いろいろと現実からのストレスのようです。
この世とあの世、このこの世のことです。
生きながらの区分としての現実と非現実。

この世のしがらみから離れて隠遁生活することをあの世。
お金や仕事や人間関係などのしがらみまみれをこの世。
こうして自分の生きている時間をシームレスに区分けする。
この数週間、この世に生きだした感があって、現実に戻る。
戻ってきたことのなかで、ストレスが起こっているのだと思う。
普通は生きていることはこの現実だけがある状態です。

ちょっとタイミングを計りきれない自分がいます。
どうしたら人とお金とうまく付きあえるのか。
このタイミングがわからなくなっているようです。
現実に対して、気持ちと感覚が浮遊している感じ。
ちょっと疲れているのか、夢をよく見てる感じ。
先行き不安な身の上、なにかと戸惑っているところです。

-3-
2015年4月27日、これが今日の日付です。
よい天気が続いていて、もう初夏を想うほどです。
昨日は、連帯フェスタ、2008年から参加で8年目となります。
明日はぼくの誕生日兼結婚記念日、28日です。
もう69才という年齢になった、結婚45周年です。
大阪万博の年に郵政の保養所洛翠荘で結婚式を挙げました。
24才の誕生日、そのときの写真を、このまえブログに使いました。

こうして昔のことを思い出して、うっとりしてしまいます。
これって、高齢になった年寄りの典型ではないのかなぁ。
決して若いなんて思えなくて、どぎまぎしてしまう自分がいます。
写真について、文学について、いろいろと考えを巡らせます。
断定的なことはひとつもなくて、ドリフトする自分がいます。
ああでもない、こうでもない、これがこの世というものだ、なんて。
けっこう、口から出まかせで、文章を書く癖があって、軽率です。

昨日は、万博記念公園駅、帰りのモノレール、すごい混雑でした。
改札制限に会ったのは、はじめての遭遇です。
気が焦りました、帰宅難民って、これ以上の気持ちなんだろうな。
人混みの中にいると、なんだかもう自分がわからなくなる。
群衆、そういえば、昔、デモに参加したけど、これは整然としてた。
こうしてブログに書きだすと、いろいろと想い起こされてくるんです。
いつまで、こうして、いられるのか、先のことがわからないですね。

ほかに書きたいことあるのに、避けてる感じで、この文を書いています。

-4-
5月になって、ここのブログ、名前を変えました。
中川繁夫の雑記帳というブログ名にしました。
紆余曲折、何度かブログ名を変えています。
リニューアル、再生、新しく甦る、そんな気持ちです。
ここの左にカレンダーがあるけど、記事を書かないと月更新しない。
ウエブリブログ、ここはあまり機能がよろしくないと思っています。
でも、契約ブロバイザーがビッグローブなので、使っています。

ゴールデンウイーク、今日は5月4日、連休ですね。
今日から二泊三日で金沢へいきます。
5日は、立山博物館の方へいきます。
地道を車で走っていくので、金沢まで7時間。
昼前に京都を発って、越前海岸通って、夕方7時ごろ。
金沢へ着くと、百坂プラザってスーパーがあって、そこに寄ります。
金沢へ来たぁ!て感じで、こころが落ちつきます。

金沢に家を建てて20年になります。
老後をそこで過ごすつもりで建てたのですが。
過疎になっていく、交通の便が不便になってきてる。
そんなこんなで、田舎での老後生活は不便さを感じます。
いずこもそうで、限界集落っていうのか、年寄りばかりの集落。
金沢の家のあるところは団地なので外見はモダンです。
でも、JRバスの便が少ない、だから買い物に行きづらい。

でも、田舎住まいはなにかと都会とは別世界でもあります。
自然と一体になって人間を考えられるような気がします。

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昨日5月15日から5月27日まで、写真展に写真を出品しています。
1982年に取材していた白虎社、東方夜総会の記録写真です
三年ほど前から、かって撮ったフィルムをスキャンしだしました。
そのフィルムで撮った白虎社の写真、それから8点選びました。
なつかしいといえばなつかしい、思い出は連鎖されてきます。
その撮影に入ったきっかけとか、記したいとも思います。

今回の展示は、プリント展示です。
スキャンしたデジタルデーターからデジタルプリントです。
白虎社の夏の合宿に撮影参加したときの野外公演です。
場所は京都・鞍馬の百井という田舎のわらぶきの一軒家が拠点でした。
応募に応じてきた若い人たちと白虎社のメンバーの合同です。
観客のいない現場で、ほぼ暗闇で、撮影をしたところです。

この撮影の現場には、瀬川恵美さんがいました。
別にカラーの写真が残っており、それをどこかにアップしています。
瀬川恵美さんのことは別に書こうと思っています。
白虎社、どうして取材するようになり、どうして終わったか。
そのあたりを、書けるときに書いておきたいとも思っています。
33年が過ぎて、初めて発表することになった写真群です。

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いま展示中の写真展へ行ったら伊東春美さんに会った。
何十年ぶりかの再会です。
大八木元治さんが見に来てくださった。
白虎社というグループを、知る人ぞ知る。
その話が、幾つか耳にはいってきます。
30数年目の撮影で、未発表だったわけです。

あのころ、1984年の春に、写真を撮るのを辞めようと思った。
そうして、写真を撮らないまま、発表しないまま、2003年まで来た。
20年間のブランクでした。
なにがそうさせたのかといえば、テーマの行き詰まりでした。
釜ヶ崎のドキュメント、それから白虎社のドキュメント。
とりわけ釜ヶ崎の取材が気持ち的に辛かった。

その後には、フォトハウス構想を提起して、実行し始めました。
ワークショップを開催し、それなりの成果をあげたと思っています。
それから生活のため、国の下級管理職になっていった。
その後1995年だったか、写真の専門学校、副校長の職を得たのです。
今年が、それから20年です。
茨木に移転した図書館の再構築に参加しています。

写真図書館は1992年、畑祥雄さんと二人の蔵書をベースに設立です。
ここまでの詳細は、ここでは触れないけれど、今年は思想の再構築です。
あのころも新しい領域に踏み出すべく始まったように、再び新しい領域へ。
新鮮な気持ちにはなるけれど、個人的には欝な状態でもあります。
ただ、この現場に立ち合えることについては、感謝です。
あと少し、がんばっていこうと思うところです、生きてる証として。

-7-
1966年のアメリカ、コンテンポラリーフォトグラファー展。
「社会風景に向かって」、ソーシャル・ランドスケープという名称。
この展覧会のカタログをメディア図書館で探した。
いまのところ見つかっていない、どうしたのだろう。
なければないでいいけれど、貴重な本だと思うから。
ただいま移転して整理中の大阪国際メディア図書館です。

コンポラという呼び名の原点というこの写真展は1966年12月。
G・イーストマンハウスにて、若い5人の写真家展でした。
CONTEMPORARY PHOTOGRAPHERS TOWARD A SOCIAL LANDSCAPE
これが原題ですが、ぼくがこのことを知るのは1986年頃です。
フォトハウスのワークショップで、金子隆一さんの現代写真史を拝した。
資料室の蔵書として、このカタログ本のコピーをいただいた。

その後、中村きょうさんから原本を寄贈いただいた。
フォトハウス資料室は1992年、写真図書館に統合します。
紆余曲折、現在、大阪国際メディア図書館、茨木市に移転。
6月にオープンしますが、閲覧できるよう、整理しているところです。
自宅の書棚に残ったコピー本を出して見た。
金子さんのメッセージが見つかった、読んだ、なつかしい。

でも、どこへいったのだろう、その本。
薄い、小型の本だから、きっとどこかに隠れている、と思いたい。
コンポラの原点と書いたが、日本ではプロヴォーグの作家たち。
第一世代、第二世代、いま写真を撮る人にも濃厚に残っています。
1970年代以降の、日本の写真を語るには、欠かすことができない領域。
でも、もう、あんまり、むつかしく、考えないでおこうかな。

-8-
このまえ、コンポラの本が見つからないと書いたが、見つかった。
未開封のダンボールのなかに入っていたようです。
ライフの棚のうえに一冊だけ置いてあった。
さっそく貴重本の棚にしまいこみました。
おととい6月6日、図書館が茨木市でオープンしました。
図書館の名称は、一般社団法人大阪国際メディア図書館。

これらのことは全て畑祥雄氏の尽力によるものです。
理事として、ぼくはその尽力に乗っかっているだけです。
でも、最初の基本写真集約3千冊を寄託している人です。
写真図書館としてのオープンが1992年だから、23年前です。
1982年、図書館に写真集を!のムーブメントから10年後です。
有限会社からNPOに変わり、一昨年から一般社団法人です。

立場として、どうしたものかと、思っています。
名誉ではあるけれど、このままでよいのかどうか。
つまり自分が拠って立つ場所とはならない現実です。
中心とはなれなくて周辺をうろついている存在です。
このことが、ぼく自身の存在意味を問うとき、どうするのか迷うのです。
いるべきかいなくなるべきかそこが問題だ、シェクスピアの問いみたい。

現実世界との関わりが、生きていくためには必要です。
家族であり地縁であり実業団への関わりが必要です。
生きている証を求めるのに、それが必要なのかどうなのか。
ぼく自身の内面での葛藤です。
ふっ切れたと思っていたけど、なかなかふっ切れていない。
いったいぼくは何を求めているのだろうか、名誉か、利益か。

-9-
早朝から、気ままな日記、夢幻舞台、とブログに文を書いた続きです。
朝の目覚めが、よくなくて、夢うつつとは、こういう状態をゆうのでしょう。
地の底で、水の底で、もがいている、そんなイメージの心境になっている。
目をあけると、少しは現実に戻ったように思うが、気分は不安なままです。
見えるものと見えないもの、目と精神、メルロ・ポンティって名が書いてある。
目の前の書架に、このタイトルの本があって、その背表紙が目に入る。

パソコンからはベートーベンのピアノソナタが流れてきています。
今日の今はぼくの文章作業の邪魔にならずに、むしろ訊いている。
音量は小さい、イヤホーンではなくてスピーカーから流しています。
テレビも見られるそれなりのパソコンだから、音質はかなりよろしい。
おおきなオーディオセットには負けるが、手元では、これでよい。
なんなんだろう、この作業、文章書いてネットにアップする行為。

かなり長年、文章を書くということを続けてきている。
ブログに書くということはここ10年程だけど、鉛筆書きノートがかなりある。
一番最近のノート、といっても2001年だから、もう14年も前になるんだ。
このノートにはタイトルがあって、革命ノートとつけられていてる。
自分の過去は恥ずかしいことの積み重ねだと思えます。
現在だって、なにをしてるんだか、世からみればへんなことばかりしてる。

ふ~っとハンス・ベルメールが人形つくりに没頭しているイメージが浮かぶ。
ドストエフスキーが、文章を書くのに没頭しているイメージが浮かぶ。
ベルメールもドストエフスキーも、肖像写真が残っていて、そのイメージが動く。
一枚肖像写真があると、それだけで、こんなにもイメージが湧いてくるんだ。
文豪たちの肖像写真を、大竹省二氏だったか、撮っていて、カメラに収めた。
なにやら、固有名詞が連なっているけど、その深部に触れないままですね。

-10-
日々過ぎるの早し、6月24日、昨日が夏至でした。
気分的には、拡がってきたのがすぼんでいく感じ。
アスタルテ書房の佐々木氏の、死の報に接した。
この10年程は会っていないくて、ご無沙汰していた。
書店のオープンは、1980年代の半ばごろでしょうか。
沢山の書籍や版画を買いました。

シュールリアリズム系の書籍やイメージ。
そこそこ豪華本の少部数発行の書籍とか。
買ったけれど、多忙にまかせて積どくだけでしたが。
いまもって、背表紙を眺めるだけの書籍群。
モリニエの本が手元にあります。
バタイユの本が手元にあります。

そのころシュールリアリズムの耽美に溺れる心があった。
行き止まり感、生きている証としての性欲とか。
それを突きぬけたのがトランスパーソナルでした。
自然派、タオイズム、開く心、開かれる心、開放!
70前になって、ふたたび耽美に興味が出ている最近です。
生きている、このことの証、佐々木氏が亡くなられた。

佐々木氏が写った集合写真が一枚だけ手元にある。
そこには平木収氏の顔も写っている。
1988年だろうか、自宅を改造してフォトハウスにした記念。
様々な人との交流を、思いだします。
大阪国際メディア図書館、いまは、ここに拠点です。
まだまだ、生きていく間、模索していかなければならない。

-11-
金沢は二俣に本泉寺という浄土真宗の寺があり蓮如さんの廟があります。
その本泉寺に、蓮如さん手植えの御塩梅という木があります。
蓮如が、加賀国に入る時、本泉寺の住職が身元引受人になった?とか。
最近は越前から加賀に入る時、吉崎御坊の前を通ります。
なにかの因縁、ぼくの家の宗派は法華ですが、妻の家は浄土真宗です。
その浄土真宗を再興された蓮如さん、1415年京都生まれとあります。

室町時代、そうなのか、そのころに本願寺が再興され、浄土真宗が力を。
そういえば五木寛之さんが書かれた「蓮如」を岩波叢書で読みました。
信長だったか、石山本願寺の百姓軍と戦う、そんなことだったか。
ぼくの頭の中にある知識だけで書いているから、怪しいけど、ね。
神道の方に興味があって、仏教にはあまり関心がありませんでした。
でもそれなりに信仰ということに、興味を覚える歳頃なのかな。

先週、そこへ妻といっしょに、本泉寺へ、墓参りに行ったのです。
えっ?、7月のいまごろに墓参りなの?、金沢ではそうらしい。
スーパーの店頭にキリコと書いてある飾り物が置かれています。
ぼくは京都の人だから、7月の墓参り、これは、初めて知りました。
ぼくが金沢を訪れるようになって、もう半世紀になります。
19になるとき初めて行って、いま69だから、そんなもんです。

ところで、蓮如さん手植えの梅の木ですが、樹齢600年弱ですかね。
写真に撮ってみてるけど、そんな樹齢のようには見えない。
ひょっとしたら、表札にしてもらった原木が、それだったのかも知れない。
その残りが、いま、本殿前に植わっているのかも知れない。
詳細はわからないけど、由緒ある寺のようです。
こうして人は、自分のルーツを探して、安心していくのかも知れません。

-12-
人間の業というか性というか、思いはその内面に到ります。
内面という言い方が古いなら心といえばよいか精神といえばよいか。
内面、心、精神、魂という言い方もあるかとも思う。
ようは自分のなかの深~いところの心理というか気持ち、興味。
男が女を、女が男を、好きになるという本質のところだ。
ぼくはそこに興味があって、好きな女性像を解析したりします。

解析して、その衝動というか、一目見て感じる直感というもの。
ロラン・バルトには「恋愛のディスクール・断章」という名著があります。
でもこれは恋愛ではなくて、衝撃、愛の全て、傾斜する心。
不意打ちですね、これは、衝撃でした。
それでどうすればいいのか、ということに悩むわけです。
ステーグリッツはオキーフにどのように対処したのだろうか。

「仏像の世界」という本を買った。
仏像の名前とか、区分とか、それの解説、説明本です。
漠然と知っているけれど、それが何様なのかがわからない。
学校では習わない世代のぼくは、宗教心たるものに巡り会わなかった。
唯物論だとかで、宗教なんて観念論だと排斥したではないか。
情が起こって、好きになることは、本能のなせるところではないか。

小説の中身、写真の背後に現わしたいモノ、それ自体。
情というもの、身体が反応する感覚、五感がふるえて感じる。
ショパンのバラードが、ルービンシュタインの演奏で、流れてる。
初恋が実らなかったように、これは実らないから位相を変えよう。
変えたいが、変えようがわからない、世の文学者よ、どうした?
いっしょに死ぬなんて、これは近松作、太宰治演出、という情死。

-13-
もう、この夏が、今夜で終わります。
毎年、大文字の送り火をもって、ぼくの中では夏が終わる。
祇園祭からはじまって、お盆、送り火までの約一ヶ月です。
ここ七、八年、写真や動画で取材を続けてきたが、今年は。
今年は、ほぼ、取材をしていなくて、中途半端なままです。
京都をテーマに、情をベースに、人間模様を描きたい。

このように思いながら、京都の光景取材を行っていますが。
その取材の限界、はたして<情>が表現できるのか、との問題。
情とは、情緒、感情、愛欲の情、などの心と身体の感覚のことです。
イメージの疑似体験で、それが可能かどうか、その問いかけでした。
むしろ文章、小説、フィクションのほうが、適してるのかも知れない。
そう思って、小説を試みているけれど、他者の感じはつかめない。

そういうなか、いま、自分がおこなっている方法論、そのもの。
この子が想像する世界は、けっして一義的なモノではなくて、奥深い。
その奥行に、ぼくの方法論が成立しない、と思わなくてはいけない。
現在の表現現場は、ぼくの方法論では、対処できないのでは、と思う。
この10年余り、ぼくが構築してきた世界、これがどこまで有効なのか。
時代の感覚は、そんなことをとうに越えていて、もう無効なのかも。

なんだか、屈折点、ターニングポイント、なのかも知れない。
沢山のブログを作っているけど、これは写真学校の広報でした。
この広報することがいらなくなったので、整理すればいいのにできない。
どこかで区切りをつけて、身軽になって、次への展開が必要なのではないか。
なにかしら、後ろめたい気持ちになるのは、世間に逆らうからでしょうね。
もっと従順になれば、とおもうけれど、そうできないのです、困ったな。

徒然日記・雑記帳「雑記帳-1-」
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2015.9.20~2015.10.9
雑記帳-2-

-14-
連日、国会前では安保法反対デモの様子が報道されています。
9月19日未明に参議院にて可決されたということで、法案成立です。
無関心では全くなくて、大いに関心ありですが、行動はしていません。
この間、自分の経験を、自分の内で想い起こしては、ノスタルジーです。
結局は、行動しなくては、なんの意思表示にもならないわけですが。
権力の手の中で、自分勝手な反権力を試みているに過ぎません。

1969年10月21日の夜、ぼくはべ平連のデモに参加していました。
明治公園といったのでしょうか、そこから水道橋までのデモでした。
国際反戦デー、70年の安保改定に反対する統一行動日でした。
組織からの動員ではなくて、自主的に集まった若い世代の一人でした。
完全黙秘しなさい、ここに連絡してくださいだけ告げろ、電話番号を渡された。
ちいさな紙切れですが、それをもらったときには、緊張しました。

その日のことは、古希を迎えたいまでも鮮明に想い起こせます。
ただいま国会前に集まって抗議する若い人の気持ちを理解します。
ぼくは、知らないふりして、テレビ情報だけ、新聞の見出しだけ、チラッ。
手をつないでひろがるデモはフランスデモ、スクラム組んで渦巻くデモ。
声をあげることで、ますます興奮していく自分の気持ち、等々。
ぼくにだってそういう時代もあったのよ、なんて卑怯ですが、呟いています。

たしからしさの世界をすてろ、来たるべき言葉のために、写真よさようなら。
昨日、この三冊を書棚に置いて、その時代の再考証をしようと思っています。
表現の方法としては、過去の産物でしかありえない、とぼくは思っています。
その後には、写真よこんにちわ写真、美しいプリント、などなど。
とはいっても、その思想背景は、論じておかなくてはいけないのかも知れない。
1968年問題を、2015年の今、あらためて、検証して、これからに備える、として。

-15-
「写真よさようなら」というタイトルは、衝撃的なタイトルだと思います。これは1972年に森山大道氏と中平卓馬氏の対談で、写真集が発行されたそのタイトルです。なにかしら話題になることが多い森山大道氏ですが、現在、この「写真よさようなら」をどうとらえるか、整理しておかなくちゃいけないと思って、ここに話題としたところです。

結論じみていえば、今の時代には、この写真つくりの方法は、すでに過去のモノとなっている、と考えています。でも1970年を前後する時代のなかで、このタイトルが出て来たことは、衝撃だったと思えます。写真よさようならの「写真」とは、何を指しているのか、どういう写真にさようならをするのでしょうか。それまでにあった意味を表わす写真のイメージに「さようなら」なわけです。

写真同人誌「プロヴォーク」の発刊が1968年、1970年3月には単行本「まずたしからしさの世界をすてろ」、中平卓馬氏の写真集「来たるべき言葉のために」と続いて、1972年「写真よさようなら」に到るという時間経緯です。その時代、1968年から1970年にかけての若い世代の政治闘争は、大学生を軸に行われていたところですが、中平は左翼雑誌の編集者、アジテーターでもあって、当時の反体制運動の一環として、自己否定をおこなっていったのです。

そういうなかで、写真よさようならは、これまでの価値を解体し、新たな価値を作りあげるべく、作業に入った、というわけでしょう。この言動が、成熟するかといえば、かならずしもそうではなくて、頓挫してしまうわけです。言葉が先にありきで引率すること、写真に現わされる意味を剥奪していくこと、それまであった写真概念の裏返し。実際には東松照明氏の写真を引き合いにだせば、その裏返しとしての、写真よさようなら、の意味がよくわかるというものです。

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心の中で葛藤している、といえばカッコ良すぎるけれど、突き上げてくる衝動を抑えようとしています。人を想う気持ちは、恋心といえる感情ですが、これがおおきなうねりとなって波立っている感じです。時折ぐぐっと迫ってきたときには立ち往生してしまう。小波になって引いているときには、なんとか平常心が保てる感じです。どうしたものか、ぐっとこらえて、時間が経過するのを待つしかないのでしょうか。ぼく自身は、この感情をおさえ、忘却するしかない、と考えているわけです。この歳になって、自分がわからなくなる、と同時に、心のうねりという質は、年齢に関係なく起こるものだ、という実感です。

具体的に記述すれば、それは単刀直入で気分も晴れるのかも知れないけれど、これはいまここでは具体的には記述できない秘密です。これまで同様、ぼくの記憶の中にだけとどめておいて、死んでいくことによって、すべてが無くなる。とはいえ、だから、フィクションという形式で、小説を書いたり、するのではなかろうか。小説に仕立てて、まわりくどいけれど、書き連ねていけば、世に残る、というものかも知れません。もう10年になる文筆活動、小説仕立てのフィクションは、けっこうな分量になっていて、いま、別に、まとめている最中です。ああ。もどかしい、イメージがあたまから去らない。ぐぐっと腹に突き刺さる慟哭のようなもの。

ぼくの人生において、何度のこうした事態があったのか、10年単位で起こってきているように思えるのは、一方でターニングポイントとなる事象が起こっているときです。おおきく折れ曲がる屈折点において、心の襞が空いてしまって、そこに入りこんできてしまうのかも知れない。このような論を立てて、言葉を紡いで、自分へのなぐさめとしているようです。書くことによって、均衡が保たれる、そんな感じです。こんなに思い悩んでいるなんて、誰に言えようか。思い悩むというより想い焦がれるといったほうが適切であろう。書き連ねているこの文章なんて、支離滅裂、あえて残していく自分というのは、ナルシスト、自分の殻を作ってしまって、そのなかで溺れているみたい。

窓の外が明るく白んでいます。午前6時前、真夜中の暗闇が開けて、明るさが増してくると、気持ちだけだったからだに、からだの重みが感じられるようになります。小野篁があの世とこの世を行き来した、なんていうのは、こういうことだったのではないか、と感じています。あの世のことはイメージでしかなくて、そのイメージもすでに千年以上もまえから、延々と続いてきていて、いま、ここにぼくがいて、その感覚というか、気持ちを実感しているわけです。まったくのひとりよがりで、陰陽師とかの小野篁の伝記が、感覚的にわかるのです。なにをしているのか、この世に生きている時間を、このようにして過ごしている。ああ、共有者がほしい、気持ちを分かちあえる人がほしい。

-17-
小説家村上春樹氏がノーベル文学賞の受賞対象になっているといいます。
最近、毎年、この賞の受賞者発表前になると、テレビで話題になっています。
今年も、受賞を逃した、という落胆の面持ち、村上フアンの顔がテレビに映る。
まあ、これにかぎらず、芥川賞、直木賞、その他の文学賞、いっぱいあるな。
ぼくには、縁がないなぁ、つくづくそう思うようになっている古希の老人です。
写真の賞には、木村伊兵衛賞が有名ですが、文学賞ほどの迫力がない。

二十歳の頃は、文学賞であれ写真賞であれ、取れるものなら取りたいと思った。
ぉ笑い話だけど、芥川賞作家の略歴研究をして、まねてみようとしていた自分。
二十歳のころの話しですが、東京へ行って、出版社に勤めて、賞に近づこう!
そう思って、有信堂という法律関係の出版社に採用されます。
本郷の東大正門と赤門の間にある出版社でしたが、そこに約1年いました。
東京に残るか、京都へ戻るか、1969年10月21日の後、考え、京都に戻った。

生活力というエネルギーに対して、ぼくはかなり希薄な気がします。
いつも支えがないと、やっていけない弱い人だったと思っています。
生まれて70年の歳月を経て、いまさら賞を取るなんて思いもかけません。
でも、ちまちま、小説を書き、写真を撮り、ささやかに発表していきたい。
ああ、小説が書けなくなってきた、写真取材がめんどくさくなってきた。
天使のようなひととめぐりあったから、真綿のなかにくるまれた赤ん坊みたい。

束の間の安心感、そうしてふたたび不安に見舞われる。
これはきっと、老人性躁鬱だと思っているけど、ひとり思いです。
ああ、ビバルディの四季、春ですね、ヴァイオリンの音にこころが揺さぶられる。
真摯に、肉体が衰えながら成熟していくロマン的な情感、情動、を見つめます。
写真に、文章に、その情が表出しないものか、表出させたいと思う。
残された10年、たぶん10年ぐらいはいけるだろうと思っていきたいと思う。


徒然日記・雑記帳「徒然日記-1-」
むくむく叢書のご案内
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2009.10.7~2010.9.13
もたもた&そのころ
-1-
2009.10..20
おととい、新しいカメラを買ってもらいました。
キャノンG11って機種で、最新バージョン、値段も総計6万円少し。
かなりのことができるのか、一昨日、昨日と、ためし撮り。
露出補正も、あんましいらないようにも思えます。
なにより、カメラになじまないと、あかんから、ね。
ちょうど、撮影中断してたとこだから、ちょっと戸惑ってるけど。
あさってには、時代祭りをちょこっと撮りにいこうかな。
そんな日々です。

-2-
11月にはいって、もたもた、もっともたもた。
スピードをおとして、ゆっくり、いこう、と思っています。
パソコンを導入して6年が過ぎた。
10月からこのブログのビッグローブに、契約を変えました。
11月になって、部屋を移動しました。
2年前の夏、煙草をやめるとき、部屋を和室に移したんです。
それを、もとの書斎らしき部屋に戻したところです。
なにかと、区切りをしないと、だらだら、続き。
いつの間にか、浦島太郎、その気持ちにならないために。
久しぶりに、今日は、まともなブログを書いています。

-3-
11月中旬になって、紅葉の様子を見に、金閣寺から鏡石。
しょうざんから千束。
きつい坂あがって、鷹ヶ峰の光悦寺から常照寺へ。
とお定まりのコースを歩いて、それなりに写真を撮りました。
これは11月16日、月曜日のことです。
それから、昨日、11月17日は、大阪、西成、釜ヶ崎。
来年の4月22日、連帯フェスタのブースで、展示する写真を制作のため。
炊き出しを中心にまとめる。
I氏が収監される直前ということで、けっこう、急いでる自分。
それから、埋立地の舞洲、まいはまってよむんやろか?
そこに市立で自立支援センターってのがあって、そこの周りで写真を撮った。
なんか、雨降りで、うっとおしくって、ゆううつ、そのもの。
そんなこんなで、もたもた、今日は、午後から、金沢行きです。
旧友のはなしは、またの機会にします。

-4-
この一週間は、けっこう多忙でした。
訃報もあり、気持ちが沈む。

18日(水)の午後から、金沢へ出かけ、20日(金)帰宅。
翌21日は、KBSの秋の収穫祭取材、夜には光影会例会。
一日おいて昨日、23日は孫の七五三詣りに与謝野町まで。
帰ってきたら岡田さんから留守電、山村国夫さんが亡くなられた。
大八木さんに電話して、例会の時の件も話して、少し落ち着いた。

-5-
11月のおわり。
あっけない感じで、終わっていきます。
なんか、言葉を忘れたカナリア、いやいや老木ってとこか。
自分のことです。

紅葉の季節、撮影は数回、この写真は北野天満宮の紅葉。
京都撮影も一段落つけた感じで、撮らない日が多くなりました。

来年4月の連帯フェスタ用、釜ヶ崎の炊き出しの写真。
30年前のと、今年のとを、展示します。
ぷらす状況説明ってところでしょうか。

気持ちが落ち込んでるって感じが否めません。
収穫祭の取材が終わり、これから園部方面の取材など、気分が乗りません。
乗らない時には、無理せんほうがいいんだと思うけど。
そうとばかりも言っていられない。

2009年11月が終わります。

-6-
2009.12.1
終わって始まっていく。
あえて意識的にいえば、終わりにして、始めよう。
何を終えるのかといえば、自給ネットに関すること。
それから、ブログの整理、規模の縮小。
そんなことを、具体的に、するべき。

ここを、せんせ、つまりぼくの公式ブログとしていきます。
これまでのヤフーから、ビックローブに変更したから。
としても、2003年秋から6年が経っての変化です。
もたもた、なにか締まりがない。
だらだら、年のせいかも。
すっきりしない。
体力の減退が、行動にもあらわれ、無理をさけるようになった。

-7-
12月も10日になって、師走中盤になります。
ぼくは、いまや、ゆうゆうだから、のんびり。
とはいいながら、のんびりしてると、さみしい。
人と人の関係が、わづらわしいけど、なつかしい。
世の中で、世捨て人になったわけではないんです。
ホームレスには、ならなくてもよかった。
家もあれば家族もある。
粗食ながら、食べていけるだけの年金もある。
まあ、逃げきってきた。
だから、もう、わづらわしいことは、お断り。
ともいえない、このご時世であります。

-8-
12月26日、クリスマスも終わって、いよいよ終わり。
大晦日を迎えるだけ。
あっちもこっちも、今年1年の振り返りばかり。
ここでも、そうすることにしてみると。
これ、もたもた、のシリーズを始めた。

京都取材が終わった。
農関係も終わろうかな、と思った。
そうして、あらたな年を迎える。
来年64歳になるってゆうから、年寄り。

京都写真学校は6年目に入っています。
10年は継続、そのころには後継者さん、いてほしい。
あっとゆう間の5年間でした。

最近は、まとまった文章が書けなくなった。
起承転結の文章のこと。
もちろん、以前にも、これはなかった雑文でした。

終わって始まる、そんな日が今日なのかも。
うん、終わって、始めよう。
なにを始めるかは、わからないですが。

-9-
あけましておめでとうございます。

西暦2010年の幕開けです。
新しい年への、期待のファンファーレが響きます。
もう暗い話はよしにして、明るい話で盛りあげましょう。
ことしも、よろしく、おねがいいたします。

-10-
タイトルをつけるのが苦手なので、日付にします。
これまでだと、京都何々ってゆう名称でしたけど。
京都の取材を、実質、終了したから。
今年は2010年、それを日付で連載します。

部屋にこもっていると、憂鬱ですね。
他者との交流がないとゆうのは、むなしいですね。
どちらかといえば、交流が少ない自分なので。
性格だと思うから、仕方がありません。

さて、ほんと、2010年って、へんな気持です。
身の回り、パッとしたこともなく、父の介護の件で浮きません。
63歳から64歳になってしまう自分の年齢。
自分が逝きそうなのに、父の介護とは、辛いですね。

あんまし、暗いことを言ってるのも、せいないです。
だから、なるべく、明るくふるまっていこうと思う。
つまり、フィクション、しちゃえってことか。
太宰生誕100年って、今年のことかなぁ。

-11-
2010.4.29 そのころ
そのころというのは、1969年から1970年にかけて。
いまからいえば40年以前のころのはなし。
大学の夜間部に入学したのが1968年。
ちょうど学園紛争の真っただ中で、ぼくの学校もそんな感じ。
生活費としてのお金を稼がなければならなかったから。
2年目になって、待望の出版社に就職できた。
出版社にとはいっても、営業補佐くらい、見習です。

京都は百万遍のそば、京大北門の前にその出版社があった。
いまは、別の名前の出版社が、あります。
たまたま、昨日、通りがかって、思い出した。
そこが出版社の京都支店というか営業所。
どんな本出してたかというと、法律関係。
それとちょっとえっちな感じの本、二本立て。
安保肯定論ってのが、売れ筋とか。

そうなんですね、安保。
日米安全保障条約、いま軍事同盟なんていってますね。
日米軍事同盟、普天間基地をどうするか、もめてる最中です。
安保反対どころか、容認したうえで、どこに米軍基地を置くか。
なんと、時代の変遷ってのを感じるところです。
まあいいや、そのころの話です。
ぼくは、大学に休学届をだして、東京へ、東京本社へ配属。
東京大学の正門と赤門の間の正面が、出版社があった場所。

-12-
それから10年後になっていた、1980年前後5年間ほど。
写真を撮りだし、ひとりで作業を進めていたころに。
出会ったのが中平卓馬という人物。
出会ったといっても、面識ができたわけではなく、写真と評論に触れたわけ。
カメラ毎日って雑誌だったかも。
それから書店、四条河原町にあった京都書院で。
そこの書籍棚で、なぜ植物図鑑なのか、ってタイトルの本を見つけた。
けっこう、読み進み、ある感動を覚えた。
たぶん、写真に関する思い、考え方、など示唆されたと思ってしまう。

その後、東松照明さんに出会って、写真についての様々なことを、教わった。
教わったというより、影響を与えられた。
いま、こうして、記憶をたどりながら、ぼくとの関係を考えると。
この二人の人物に、おおきく由来していると思えます。
もちろん、多くの人との接触があり、そのつど影響されてきたわけです。
でも、とりわけ、ぼくが意識し、その中心となった人物といえば、この二人。
とくに、そのなかでも、東松照明さんには、傾斜してしまいまいた。

いま現在、2010年ですが。
ぼくの写真作法の原点は、上記二人の影響が大きいと思ってる。
その二人の人物が、1968年から1970年にかけて、何をしていたか。
1968年という年ににこだわりたいぼくは、そこをまず明確にしたい。
ぼく自身は、大学へ入れた年、すでに22歳になる年です。
文学をめざし、小説家を夢見ていた、まだ夢を見れた年です。
プロヴォーグっていう写真同人誌のことを、知るのはまだまだ後。
東松照明さんのことを知るのも、まだまだ後。
1968年という年は、大学紛争、そのまっただなか、でした。

-13-
2010.5.31 近況
この五月、なんか日々過ぎるのが、遅い気がしています。
いくつか、身の回りの出来事があって、思い出が多いからか。
五月連休に子供家族と一緒に田舎へ。
小学校4年C組の同窓会。
それから父の入院。

父の入院には、こころが沈みます。
ウツ状態といえます。
まあ、自分で言うから、病的じゃないと思う。
気持ちの落ち込みっていえばいいでしょうか。
まあ、気分爽快じゃない。

ここの日記風エッセイも、ご無沙汰気味。
文章を書くってことが、億劫になってる心境。
どうしたことか、失語症。
いいえ、そうではなくて、こころが重い。
思い出して書きたくない、そんな気分。

今日は、朝いちばん。
いま、朝飯前、ぼくとしては公的ブログに、記事を掲載。
その流れで、ここにいます。
ええ、どこで終わろうかと、イライラぎみ。
文章を書くことを、意識しています。

-14-
6月5日は、ミニ同窓会。
小学校4年生の同窓生で、琵琶湖の蓬莱。
そこにヨットを置いている同窓生の計画。
ヨットに乗る。

男女合わせ8名。
若くはないですね、悠々自適族?
まだお金儲けで働いてるメンバーもいる。
そんな旧友とたのしいひと時を過ごす。

還暦過ぎて、初老の年代になっていまごろ。
昔、10歳前後のころに、一緒に勉強し遊んだ人たち。
不思議、ほんと、なかよしともだち、そんな感じ。
まあ、こんなこと、できること、素直に喜びましょう。

-15-
一か月ぶりに、ここに参上。
最近、この数年、こうゆう状況が続いています。
毎日、パソコンの前に、座っているのに、です。
写真を撮ることも、減退している。
集中できない。

この原因は、父の介護関係、町内の関係。
これで気持ちがそがれてる。
なにかと気がかり、手間がかかる。
だから、自分の作品つくりに集中できない。
文章を書くのが、億劫だ。

介護環境のことが、わかってきます。
現状の老人介護のことが、わかってきます。
当事者になって、わかってくることがあります。
たしかに、もっともっと環境整備をしてほしい。
消費税もさることながら、介護の現場を充実してほしい。

老人施設をもっとつくれ、とか。
医療費をもっと安くしろ、とか。
年金の受給額レベルで、介護を受けられるように、とか。
とかく、やっぱり、自分の将来の、不安材料ですね。
参議院選挙、実践している政党に、投票します。

-16-
2010.8.7
もう今日は8月7日、夏の真っ盛り。
昨日は琵琶湖の花火大会に行ってきた。
おとといは、墓参りに行ってきた。
父がいま入院中、昨日医師と面談。
今後のこと、ケースワーカー氏がアドバイス。
双ヶ丘病院を最後の病院として、それまでの策を考える。
なにかと、死にいたる手続きだけに、気が重い。
身内ってこと、意識してしまう昨今です。

月記となっているこの場所。
最近、日記体のこういう文が書きずらい。
もちろん、ほかのまじめな文章も、書きずらい。
ちょっとイライラっとしてくるのです。
そういう時期、波の最中なのかも知れない。
といいながら、もう64歳となっている自分。
なんとも、いえない昨今です。

このまえ、7月24日、小浜へ塩をつくりに行って、写真を撮ってもらった。

-17-
2010.8.25
この夏は、気を病むことが多い夏です。

第一に父の介護。
今年5月22日に脳出血が発症、3カ月がたちました。
脳専門のシミズ病院へ運ばれて入院1か月。
そこから民医連中央病院へ転院40日。
そして8月13日に上京病院へ転院となりました。
この28日には双ヶ丘病院への受け入れが決まった。
このことが、いちばんの出来事です。

夏、今年も、祇園祭り、地蔵盆、送り火、そうして、いま。
琵琶湖の花火大会を、見に行った。
祇園祭りは、山鉾巡行を四条烏丸で見ました。
夜には、幸い、神幸祭を取材しました。
こうして、もたもた、夏が終わっていきます。

あまり、作業が進まない。
夏の暑さ、猛暑日、熱帯夜、それが影響しているのかも。
まあ、あんまり焦っても、しやないなぁ。
そんな気持ちにもなっているところです。
もう、なにもかも、いいじゃないですか。
いまさら、怒っても、悔やんでも、どうなるものでもない。
なりゆき任せでいいのでは。

-18-
昨日、8月28日、双岡病院へ入りました。
入院手続きを終え、今日は二日目。
今日は日曜日だから、家庭裁判所へは、明日。
保護者申請をする?
診断書には、出血性認知症とか、書いてあった。
それで、本人が法的行為ができないから、代理人。
いろいろ、知ることが多いです。

今日も、自転車で、病院まで、行って帰ってきました。
も45年も前、高校が嵯峨野だったから、そのへん土地勘あります。
帰り、妙心寺の丸太町側で、池垣って家、確認しました。
ひょっとしたら、まだあるかも、記憶をたどっていきました。
あったけど、誰が住んでるのかな。
池垣先生は国語の先生、あくろう、悪郎ってあだ名。
なんか、家へ入り浸ってた。
東京オリンピックのテレビ映像、そこで見てた。

この話は、近況というより、そのころの内容ですね。
双岡病院は、精神科の病院、そのイメージがあるんです。
でも、設備というか、環境いいですよ。
病室、明るい、看護師さんなんかも、親切です。
こころ救われる感じがします。
ターミナルケア、終の棲家。
マザーテレサの死を待つ人の家。
その、気分って、いま、なんとなくわかります。

-19-
9月になって、涼しくなると思ったら、今年は残暑厳しい。
35度を超える猛暑日、25度を下回らない熱帯夜が続いています。
なんか、地球温暖化が、加速してるということでしょうね。

命、人間の命について、いろいろと思うことが多いです。
高齢の父を抱えて、病院に預けて、顔を見に行くだけ。
それでも、親子のつながりで、それでよい。

今年は、国勢調査の年にあたっていて、その調査員になった。
町会長に当選した流れで、そのように任命された。
なにかと煩雑、というより手間がかかる。
9月中旬から、10月中旬まで、用事が多い。

昨日、今日とアルバムを作っています。
ニコンのピクチャータウン、2010年、今年撮影の写真。
なにしてることかと、自分でも、説明がつかない日々。
これが、生きてる証拠、ハンドルネームでは、物足らないけど。

-20-
9月中旬、かなり涼しくなってきた感じですが、暑い。
なんか、地球が異変してる。
昨日、さんまの寿司を買ってきた。
四切れで約400円、かなり高価なにぎりずし。
さんまが、捕れないらしい。
昨年は一匹100円、今年は400円前後。

そういえば、イカだって、日本海、金沢近郊の海、捕れてない。
なにかしら、魚場が、移動してるらしい。
海水の温度とか、クラゲとか、いろいろな事態があるみたい。
ひとつひとつ、関心ごとのように書いているけど。
ぼく自身、いま、そんなこと、関心の中心ではありません。
関心の中心でなければ、なにが中心なのか。

なにが中心なのかと問われてもぉ。
明確に答えられないじゃないですかぁ。
いやいや、明確に答えるには、ちょっとお恥ずかしい。
食べるモノのこと&セクシュアルなこと、このふたつですけど。
いずれも生存に欠かせない、いやはや後者は人類存続。
生命を維持していく基本でありかる重要なことなのです。

老いていくということ。
これって、関心ごとですけど、食べること、生殖すること。
二大関心ごと、動物として生存するための、条件です。
これが、老いということで、変化していくということ。
これ、食べ物については、語ること、できます。
でも、生殖のこと、なかなか、論ずるの難しいですね。


徒然日記・雑記帳「徒然日記-2-」
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2010.10.2~2011.10.14
そのころ&近況

-21-
昨日2010年10月1日は、北野天満宮のずいき祭りでした。
ずいき祭りに、特別の思い入れがあるわけではないけれど、取材に行った。
北野天満宮、なにかしら、記憶に残るスポットなんです。

その第一は、もう60年近く前、小学校にあがるまで、壬生にいたころの話。
父に連れられて、北野天満宮の縁日に来た。
御前通りをあがっていって、そのままいけば、祖母の家。
そこへ行くのかといえば、今日はそこへは行かないと言った。
その後、小学校にあがるとき、その地へ引っ越してきた。
現在も居住の地、ぼくが生まれた生誕地、いまはない家屋があった。

その第二は、子供のころの遊び場として、北野天満宮の参道界隈。
毎月25日には、縁日で、おこずかいをもらって、遊びに行った。
コルク玉の射的、見世物小屋、口上語って品物を売る男。
食べ物では、お好み焼き、串カツ。
小学校の4年か5年のころ、母が露店を出しだした。
お正月、25日の縁日、参道中ほどの鳥居の近く、西側。
その場所が母の店がある場所でした。

中学生になると、天満宮の記憶は薄れて、千本今出川から中立売の記憶へ。
千本は繁華街、映画館とか、喫茶店とか、飲食店があった。
今もあります、その痕跡、そこを訪ねて写真を撮っている。
この話は、別途、書くことにして、北野天満宮。
ぼくの<京都>の中心スポットであるわけです。
掲載の写真は、2010.10.1撮影、ずいき祭りの行列。

-22-
近況-9-
ここで物語をつくるつもりは毛頭ないけれど。
語ること、書くことが、まるで物語なのです。
そのように思えてくるんです。

10月30日、土曜日の今日。
朝から、金沢発、高速道路つかって、京都へ戻ってきた。
妻が、左太ももの骨を折って、浅ノ川病院に入院している。

それは10月14日の午前10時半ごろのことです。
それから、今日まで、もう二週間以上が過ぎてしまった。
なにかまだ、現実の実感が、わかないんです。

ここで、日記を書き、過去を語ろうとの思いがあります。
なにから書こうかと、思う。
そうなのです、結婚40年が過ぎた。

愛情、そりゃそうゆう感情のものです。
怪我とはいえ、入院ですから、心配します。
いっしょに生活していたわけだから、困ります。

アクシデント、父が双岡病院に入院中。
妻が、金沢にて入院中。
ぼくは、アクシデントに見舞われている。

今日は、光影会の例会、久々に参加させていただいた。
写真って、なんなんでしょうね。
写真を介して、ともだちつきあい、なのでしょうね。

明日はグランドゴルフ大会とかで、参加します。
初めての参加で、老人入りを認めてあげます。
地域にもなじんで、京都の写真集を作っていきます。

-23-
11月になりました。
急に寒くなってきたようです。
ストーブをつけて、部屋を少し温める。

要は心の在り方の問題。
気分ってゆう感じかも知れない。
言葉で言い表すなら、さみしい。

寒さは心を閉ざします。
冬の到来にむけて、仕度をします。
冬物の衣類を出しました。

いつも彼女がしてくれていたこと。
なにがどこにあるのかわからない。
探して見つけて取り出してきました。

自分の衣類、見覚えがあります。
自分が自分であることの証。
それが自分が着ていた衣類がわかること。

なんか、どこまで認知症なのか、わからない。
もの忘れがすごい。
なにより、前後がつながらない。

そんな自分を想像してみる。
人間って、けっこうきつい生き物です。
意識があって、自尊心があるなんて・・・・。

-24-
ものごとを悲観的にみるのはやめる。
人を恨んだり、誹謗中傷しない。
なんでも認めていく。

なにかこの世の出来事って暗いですね。
自分が生きた60数年を振りかえっても、いやなことが多かった。
だから、もう、仙人さまの境地で、日々を過ごそうと思った。

気分は楽天、それでもくよくよしたりするけど。
落ちこむときには、くよくよしない。
もうなんでも受け入れちゃうよ。

それでかなり救われていると思う。
無責任、怠惰、いやらしい、なんでも言ってもらって結構。
それがいちばん気楽ってゆうもんだ。

まあ、楽しまなくっちゃぁ、ね。
そう思っても、やっぱり落ち込んじゃうね。
今年は、アクシデントが多発した。

-25-
2010.11.14
人生、なにが起こるかわからない。
ある日、突然、思いがけないことが起こる。
アクシデント、その連続で、日々が過ぎていく。

ひとつひとつに喜怒哀楽してたら、疲れる。
だから、そしらぬ顔して、通り過ぎさせる。
これも対処の仕方のひとつでしょう。

父のこと、これは老いが原因だ。
人間って死が待ち受けているけど、状況がわからない。
死に際、どんなことが起こっていくのか。

妻のこと、これはアクシデント、予期しなかった。
なにかするときには、リスクを伴う。
事故、突然の事故、予期せぬ事故。

うろたえる自分。
こっけいな自分が、そこにいて対処している。
起こったのが10月14日の午前だから、もう一か月になる。

日々の生活を組みかえる。
それでいいのだ。
なるようになる、無理にねじることもない。

淡々、日々淡白に生きていけばいい。
とはいえ、まだまだ血の気が多い。
10年先って、どうなってるんやろ?

-26-
京都と金沢を行ったり来たりの日々。
苦に思っているわけではない。
むしろアクシデントによる変化を楽しんでる。

父のこと、妻のこと、暗くて考えるのもおっくう。
でも、そんなくよくよしても仕方ないから、気楽にいこう。
不幸中の幸い。
そのように思うのが、生きてる術としてよろしい。

中学のときの同窓会企画。
昨日、幹事会に出席しました。
世話役というところですね。

人との接触が少なくなっていく老後。
そんなときに出入りできるところがあるのはうれしい。
そんな感じで、世話役の一端を引き受けた。

些細で微妙なところで、自分を満足させる。
満足とは心を満たす。
いいじゃないですか。

-27-
2010.12.19
今年は、最初からアクシデントがありました。
父の介護につながる病院通いからはじまりました。
ディケアーへの申し込み。
介護商品のレンタル。
総合支援センターへの依頼。
なにかと、介護の現場を、知ることができました。

5月の中旬には、脳出血により、シミズ病院に入院。
6月下旬には民医連中央病院に転院。
8月中旬には上京病院、それから双岡病院。
身体障害者1級を適用してもらっていまに至る。
一か月の年金額が六万未満の父。
双岡病院、完全看護で、月額5万円未満の支払い。
ラッキーな環境になった、と思ったところに、妻の骨折入院。

金沢の浅の川総合病院、10月14日入院。
太ももと首の骨が折れていた。
現在、入院、リハビリ中。
年越しても、まだ入院が続きます。
不幸中の幸い、手足などへの障害は、残らないと思う。
金沢と京都を行ったり来たりの生活が続いています。

キクさんの47回忌、12月20日が命日だという。
高校三年のとき、単車で安置室へ行ったのを覚えている。
板の上に寝かされていた死者、あれ、12月20日なのか。
無性にむなしい気持ちになっていた学生服の自分を思い出す。
セイさんの50回忌が来年なので、一緒に回忌をしてもらう。
12月20日、つまり明日のことだ。
参列は、ぼくひとり。

厄払い、環境を変える。
とはいっても住まいを変えるわけではない。
気分の入れ替え、できるかどうかわからないけど。
パソコン入れ替え、カメラも入れ替え、リニューアル。
ほんとに今年は、いろいろあった。
ぼくは、来年65歳になる。

-28-
今日は2010.12.23、年末になってきて、気分もあわただしい。
NECのパソコンがデスクのうえにきて、セッティング。
ホームページ、ブログ、アルバム、アドレスとパスワード設定。
それからこれまでのデータを移行させたり。
なんとか、もたもた、お部屋の掃除もかねてしている。

2003年の秋から始めたパソコンライフ。
デジタルカメラ、ネットにて作品つくり。
あしかけ7年。
なんか、ここで転機を迎える感じだ。
ネット環境も変わったし、さて、どうするか。

バリヤーが外れていく感じ。
ぼくを支えてる価値観、そんなのが壊れる感じ。
そういえば、支えられ、安定を求めて、心が安心するのだと思う。
そのバリヤーが外れていくときにおこる感情。
なんてゆうか、心を絞められる感覚。

そんな気分が、昔からあって、それが起きていたり寝ていたり。
もう心開いて、あっけからん、無敵、なにも怖くない。
そう思うことが、絞めつけられる、起きてくる。
なにか、罪悪感みたいな、この世にいることのせつなさみたいな。
ああ、だめだめ、こんなことしてたらあかん、なんて、ね。

ニコンのデジカメで撮った最初の写真。
なんだ、こりゃ、って感じ。
カメラを手にしたけど、写真作る気分が減退してる。
その分、文章を書く気になってきてる感じ。
繰り返しだね、人生なんて。

-29-
ただいま西暦2011年となっています。
4月で誕生日を迎えて、満65歳になります。
なにかにつけ、半世紀、50年。

中学の同窓会を6月に開催する幹事になっています。
今日、パレスサイドホテルの喫茶で、その会合がありました。
ブラスバンドで一緒だった菊谷さん、50年ぶりの再開。
そんな調子で、半世紀ぶり、というのが最近の傾向。

高校時代の長澤さん、太田さん。
最近、再び、懇意になってきて、うれしいかぎり。
なんかしら、昔の友なら安心できる。
そんな気分にさせてくれる、同窓生。

妻の骨折で、今年の正月は金沢でした。
こころ痛め、一緒にいることの必要性をあらためて知ります。
かけがえのないひと、と思う。
もし、いなかったらと思うと、おそろしい気持ちになります。

父の入院、妻の入院。
昨年は、ついてない、アクシデントでした。
今年は、どんな年になるやら。
パソコン、調子悪い、買い直しします。

-30-
2011.2.5
結局パソコンを買いなおして、富士通に戻りました。
最新、最上級バージョンですけど、3Dテレビなんて見ません。
HDは2テラ、メモリーは8ギガ、そんなスペックです。
一昔のパソコンと比べたら、すごいです。
そんな時代になってるんですね。

カメラはニコンになって、京都取材を終えて。
何を撮るか、節分の取材をしませんでした。
植物園へ行って、温室で花の写真を撮りました。

延滞フェスタのブースに展示する釜の写真。
稲垣氏と一緒に写真を撮ったのが2月1日。
昨日、パネルにする写真のデーターを渡しました。

今日は町内会、来年度の会長等を選ぶ名簿つくりの集まり。
なにかと気になってしかたがない町内のこと。
それでも一年が過ぎていきます。

来週には、喜美子が退院します。
京都へ帰ってきて、ふたりの生活が始まります。
ひとり暮らしに慣れだしたけど、基本二人ですから。

そんなこんなで、日々が過ぎていきます。
日々、なにかやり残してる感じがして仕方がありません。
思いうほどには、ことが進まない、そんな日々です。

-31-
写真学校の問い合わせ者がありません。
この4月からの第七期が開講できないかも。
そんな危惧を抱きだしました。
まだ2月中旬とはいえ、問い合わせが激減しています。

毎年、いまごろの時期には、心配することです。
でも、昨年から今年にかけて、何かが変化している。
時代が大きく変わろうとしている。
その変化に、学校がついていけてない。

そうなのか、どうなのかは、わからない。
いずれにしても、問い合わせがない。
なにか、割り切れない気分です。

-32-
今年65歳になる人が考えること。
これから、どないしょうかなぁ。
これまでやってきたことの区切り。
何度か区切ってきた節目がありますが。
どうも今年は、その節目なのかも。

いまこれを書きながら、そのように思う。
整理せよといわれて、ぼちぼち。
書籍とか、ビデオとか、雑誌とか。
かさばるものを捨てる。
捨てるのもなかなか難しい。

手元にある物たち、それぞれに思い入れがある。
些細なペーパー一枚にしても、思い入れがある。
捨てるってゆうのは、その思い入れを断ち切ることだ。
捨てられるもの、捨てられないもの。
それは、時間が経過して、捨てられる。

-33-
2011.3.20
東北関東大震災。
発生から10日が経った。

強烈なショック、ダメージを受けたのは被災者。
被災者ではないぼくなんかも、ショックとダメージ。
それほどに、強烈な災害なのだと思う。
被災者のこと思うと、悲しみ、胸が詰まる。

昨日、お寺の彼岸会に行った。
本法寺、ぼくは初めての参列。
なにかしら、年のせいもあるのかと思う。
感覚が、かなり身近なものとなってきている。
母の23回忌、平成元年4月15日死去だった。
4月13日に23回忌の法会を行うこととした。

弟と、父の見舞いに行く。
月に一度ペースだ。
それとは別に、週に一回程度の見舞い。
双岡病院、終の棲家となる父。
父、母のこと、65歳にして、さまざま思う。
今日は、妻の63歳の誕生日。

-34-
4月も終わっていきます、今日は2011年4月26日。
明後日、65歳の誕生日、41年目の結婚記念日。
総合文化研究所、むくむく通信社、京都写真学校。
つくって7年を迎えました。

いま、新世界より、を聞いています。
いまあるパソコン、2テラバイトのハードデスクです。
カメラはデジタル、キャノン、ニコン、静止画を作っています。
ネットにアルバムを作って、写真展にしています。

時代が大きく変わっている感じ。
科学、技術、ものすごい変化、進化、信じられへんくらい。
人間の心も、それなりに変化してるんでしょうね。
パソコン介して、さまざまな情報を、手元にゲットできます。

かって集めた音楽CD、それをいまパソコンに取り込んでいます。
中学のとき、ベートーベンの運命を千円で買った、それはレコード盤です。
クラシック、ベートーベンとかの、ピアノ、交響曲、その他。
中学生のころ、思い出しては、胸を詰まらせてしまう。

そういえば、中学の同窓会が6月に。
卒業50年になるそうです、そのとおりです。
何回か幹事会に出席しているけど、なにもしていません。
そろそろ、65歳ってゆうのは、区切り時なのかも、ね。

-35-
京都写真学校が開校して7年目。
今年は、ぎりぎりになって応募者が増えた。
先日には、里さんの講座を実施、サイアノプリント。
9月には長澤さんのジャーナリズム論を実施できることになった。
写真を制作する作家養成講座となればいいと思う。

なんだか、書くのが億劫、めんどい、そんな気分。
音楽、といってもクラシック。
持っているCDをパソコンに取り込んで、聞くようになった。
バッハ、ベートーベン、ショパン、それにシューベルト。
容量が大きいから、それに音質もいいから、ストックしている。

とにかくすごい。
パソコン、インターネット、デジタル環境。
ここ数年でさえ、すごい大容量になっている。
あきらかに時代が変わってきている。
それをどう使いこなすか、が問われるところだ。

最近は、花、植物を主体に写真作業している。
京都の取材は、いちおう終了。
食べ物、環境、それも終了か。
流動的といえば流動的な写真テーマだ。

-36-
2011.5.27
自分のことを、生い立ちを書いていこうとしています。
他人様が読んでいただくなんてことは、考えないほうがよろしい。
だれもが、自分のことを中心に、動くわけだから、他人様のことなんか、どうでもよろしい。
とは言いながら、ひそかに、自分のことを知って欲しいと、思う気持ちがあります。
ひそかにと書いたが、かなり強く、その気持ちがあります。

自分史を書く。

どこから書こうかしら。
今年2011年、中学の同窓会が6月にあるから、ここから始めようか。
中学は衣笠中学校、1960年かなぁ、まあ、その頃。
中学生といえば13歳、十三参りって、父に連れられ行きましたよ。
嵐山の渡月橋を渡るとき、後ろを向いちゃあかん。
その時のこと覚えているから、書いておきます。
父と弟とぼくの三人、なぜか母はいなかった。

中学の入学式の日。
ステージでブラスバンドの演奏がありました。
どうしたことか、ものすごく感動しました。
音楽担当は沢村先生、クラブに入りたい人いるか、と聞かれました。
ぼくは、猛烈に、吹奏楽部ですね、入りたいと思いました。
それから、ぼくの中学時代、ブラスバンド、吹奏楽部入部と日参が始まるのでした

-37-
京都は祇園祭り。
今年も宵山と山鉾巡行を見に行った。
山鉾巡行は三年連続の見物&写真撮影。
一昨年は河原町通で、昨年は四条烏丸で、今年は御池新町。
祭りを撮る目的は、写真集京都に収めるためだ。

写真集京都は、たぶんぼくのライフワークとなるはずだ。
まとめ方に新鮮さ、斬新さはない。
なるべく京都というイメージを自分なりに作りたい。
そしてなにより、ぼく自身が京都生まれ、京都育ち、京都在住。
このことが重要なポイントにはなると思う。

かって写真を撮る行為を、日常の方へ、と考えていた。
その方向からいえば、祭りを撮る行為は、非日常の方へ、だ。
だから、そんなわだかまりがある、とはいっても、祭りがある。
祭事、法事、歳時記、風土記、名称はさまざまにつけられた中身。
まだまだ、入り口に立ったばかりの認識。
京都がすべてではないけれど、大きなファクターではあるのです。

-38-
今日からお盆に入ります。
毎年、祇園祭からはじまって、大文字の送り火まで。
夏のセレモニーとして、夢幻舞台を、制作します。
今年も、また、その気になっているところです。

写真を撮って、静止画でまとめているけれど、動画。
ニコンのカメラにしてから、動画をも、撮りだしました。
ウエブアルバムでも、動画を載せられる。
ニコンのフォト蔵、グーグルのピカサ。
ユーチューブとかニコニコ動画とか。

そのうち、パソコンで編集でもするようになるか。
年を取ってくると、なにかと億劫になるのがわかります。
なんなんやろ、年寄りの傾向を、認めなければなりません。
年寄り、高齢者、その部類に入ってきた自分。
今日は、京都写真学校、ライティングのレクです。

お盆のお迎え行事が今日から。
レクの前に千本閻魔堂へ寄って、取材するか。
いちおう京都取材は終わったんですけど、まだ。
行事とか、祭りとか、そんなの拾います。
京都風土記を、作りつつあるんですけど、まとまりません。

-39-
お盆が終わったと思ったら、父の死。
2011年8月20日午後4時25分。
享年91歳。
大往生だと思う。

21日に通夜、22日は午後1時から葬儀、告別式。
やまから帰ってきて、初七日。
入院していた双ヶ岡病院からセレマの玉泉院へ移動。
父の遺体は、家にかえらず、そのまま葬儀場へ移した。

ぼくと弟、兄弟夫婦、それぞれの子供、父から見れば孫、4人。
ひ孫5人中3人が列席。
家族だけの家族葬でした。
昨夜、終えて、今日は、整理。

父との思い出とか、母を交えての思い出とか。
これから、記述する機会があれば、記述します。
父を送る。
それが終わって、一段落である。

-40-
2011.10.14
久しぶりの近況記録です。
このまえの記事が、父の葬儀直後でした。
あれから、満中陰、49日も終え、お骨おさめも終えました。
次第に、記憶からも薄らいでいくのでしょうね、父のこと。
順送りだから、悲しみとかの感情はありません。
でも、生きるってこと、生きる意味みたいな。
そんなこと、思わさせられますね。

つぎは、自分の番ですけど。
妻が先か、自分が先か、ですね。
これだけは、いまのところ、わかりません。
なにより、老いていくこと、必然なんですね。
このままで、いられるわけではなくて、老いていく。
もう、65才だから、今しかできないことを、したい。

人間って、どこまで貪欲なんでしょう。
精力尽きてきてるのに、気持ちだけが高ぶります。
65才の体力、ひところと比べると、これも衰えています。
でも、まだまだ、これから、衰えていくのだと思うと。
ちょっとみじめな気分になります。
だれにも明かさない秘密みたいなもの、えろすかろす。

つぎは、いつ、ここへ来てかくのやら。

徒然日記・雑記帳「徒然日記-3-」
むくむく叢書のご案内
_20181008_171459
2011.12.6~2012.9.14
近況&徒然に

近況-27-
もう12月、早くも一年が過ぎ去る。
この「早くも」という実感は、年々実感として感じます。
感じなんですよね、きっと。
年齢を経ると、そのように感じる感じ方。

いま、ベートーベンのピアノソナタを聴いています。
パソコンにダウンロードしたもの、29番。
29番といえば、ハンマグラービア、ですね。
なにかしら、ぼくの人生に関わっている感じ。

父が死んで、三か月が過ぎて、もう忘れてしまった。
喪中だというのに、喪に服していない。
なんと非常識な自分だろう、と思います。
ことごとくが、そんなお年寄りになっていく自分。

まあ、人生。人の生き方に、定型はあるようでない。
自分流、生き方。
それもままならないではないか。
どうすれば、自由が得られるのか。

-28-
大晦日、2011年の終わりです。
今年一年、なにがあったのか。
あっちもこっちも、その話題に尽きています。
ここも、そうゆうことで、締めくくりましょう。

身内的には、父の死、8月20日。
なにより、大きな出来事です。
東北大震災、これは大きい出来事。
こころ痛みます。

自分的には、パソコンを買った。
ブログとホームページを作ってきている。
来年に向けて、新しい枠組み。
花、京都、愛の巣、この三つをリンクさせます。

表現、自分とは何か、なんて。
写真と映像と文章で表す。
65才になって、老人日記の部類です。
来春は66才、いやはや、どうしたことか。

-30-
2012.1.6
あけましておめでとうございます。
ことしもよろしくお導きください。
昨年は、喪中でしたけど、今年は晴れています。
お正月早々は、毎年、金沢シフトです。
昨年は妻が入院で変則でしたが、今年は例年とおり。

元旦に京都の家をでて、娘夫婦の家へいきます。
そこから金沢へ出発です。
高速道路を使って、行きます。
タダにするって、うそつくな、って思ってしまいます。
幻滅しますよね、公約反故にしたら、信頼ゼロですよ。

なにかしら、むなしいのは、そんな政治のせいもあります。
それだけじゃないけど、気持ち、むなしいです。
今年66才、ええ年ですよね。
ひと昔なら、もう寿命が尽きるって年代ですよ。
いやはや、だから、なにが起こるかわからない。

先が見えないから、どうしたらいいのか。
といいながら、続けるしかありませんね。
今年は、京都と花、それに愛の巣、三つのHP制作。
リンクさせながら、ぼくの制作物としたい。
ということで、よろしく、ね。

-31-
調子に乗って、文章と写真をまとめようと意気込んでいます。
現代写真の視座1984、これはドキュメンタリー論です。
表題にもあるように1984年に書いたからおよそ30年前。
それから、写真への手紙・覚書、これは写真論。
1988年から1994年にかけて書いた写真論です。

どうしていまごろになって、そんなものを。
つまり、見直し、自分の痕跡確認、そんなもの。
京都を取材してきたのが2007年から。
いちおう取材終了としたのが2011年。
でも、あらためて、京都の写真をまとめています。

次から次へ、自分の中で、企画が起こってきます。
すこしづつ、新しい方へシフトしていくわけです。
京都、花、愛の巣、この三つのテーマをHPに立てた。
それぞれをリンクさせながら、新しい作品群をつくる。
さて、そう見栄を切ったが、はたして、どのようになるのか。

問題は、愛の巣とタイトルした領域のことです。
公然と表に出すにはおこがましい内容です。
といいながら、公然化させてしまったわけです。
中味をどのように公然化させるか。
まだまだ、未定形の中味です。

-32-
このまえに、ここに近況報告をしたのが1月16日。
それからひと月半のごぶさたでした。
きょうは2月29日、うるう年です。
せめてひと月に一回の記事をアップする。
やめられないなら、それぐらいしなきゃあ。

今年になって、ぼくの動向が変化してきているんです。
気持ちの在りようで、写真とか文章とか、してるわけです。
なので、その時々の興味の在処が、中心になるんです。
釜ヶ崎の写真を、フィルムからスキャンしています。
66才になる年齢で、これまでのものを整理しておこう。
こんな気持ちになってきている。

新しい論を書く、少しこの作業を少なくして、温故知新。
そのためにも、古き自分の著作を再現する。
15年ほど前に、ファイルを作ったのがある。
でも、いまやパソコンでネットで、デジタルデーターで。
この流れに沿って、データーを作っている。

現代写真の視座・1984、ドキュメンタリー写真のゆくえ。
写真への手紙・覚書。
釜ヶ崎の写真と文章。
まだまだ、デジタルデーター化するのがある。
できるところまで、やっていこうと思う。

徒然に-1-
徒然日記にあやかるわけで、タイトルを「徒然に」とした。
2012年3月4日、きょうの日付です。
東日本大震災から一年、2011年3月11日。
この最近、一年ってゆう単位が、非情に短い。
年取ると、年月過ぎるの早し、というけどほんとですね。
あれよあれよで10年が過ぎる。
中学校を卒業して半世紀が過ぎた。

今朝、ブラームスのハンガリー舞曲集を聴いていた。
聞き覚えのある音の連なりが、思い出をよみがえらせる。
思い出をよみがえらせる光景より、感情、感覚、ですね。
なんといえばよいか、ノスタルジックな感覚とか。
その当時の感覚ではないと思うが、その感覚とか。
いろいろ思い出すこと、いっぱいあります。

思い出は、思い出だから、いまさらどうすることも。
いやな思い、いい思い、全部含めて、いま、ここに、いる。
まだ五体満足、あたまがちょっとボケてるかな、くらい。
いつまで続けられるんやろ、これが不安種です。
過ぎ去ってきた時間からみて、あと少ししかない。
そう思うと、整理しておくことは整理しておく。

釜ヶ崎というところに撮影に入ったのが1978年ごろ。
それから35年近くが経ってしまいました。
稲垣氏の勧めで、ネガを掘り起しています。
フィルムスキャナーでスキャンして、調整して。
釜ヶ崎ドキュメントとして、まとめています。
全駒からピックアップしたのをランダムにならべています。
いつまでかかることか、はじめています。

-2-
あれから一年、早くも過ぎ去りてきました。
東日本大震災のニュースでにぎわっています。
被害にあわれた当事者の方の心中を察します。
身内を失われた方のこと、思うだけで、切なくなります。
でも、一年、過ぎていく、過去になっていく。

ここを、徒然に、というタイトルでシリーズしていこうとしています。
でも、なかなか、この文章を書く作業が、ちょっとめんどくさい。
つまり、別のところに興味の中心があって、そこ優先するから。
だから、なんか、義務化してるんです、ここなんか。
過去を整理できない性格のぼくは、切り捨てられない。

今日は、岩波講座の日本歴史の本を4冊ごみに出した。
古本屋さんに売るのは、気持ちで、できないから、ごみだ。
そういえば、転向三冊は、前々回、前回から日本歴史。
過去を切って、整理して、身軽になる。
そのようにも思うが、いざとなるとできにくい。

最近は、Facebook、フェースブック、これが情報交換の中心。
知った他人さまとつながっている感覚は、気持ち安定します。
そういえば、社交クラブ、そんな感じですね、フェースブック。
人恋しい気持ちは、年寄りになって、社会から切れつつあるから。
やっぱり、人は、他人様と一緒でないと、生きれない。

-3-
もう4月の終わりかけ、ごぶさたしていました。
明日、4月28日はぼくの誕生日、66才。
それと結婚記念日、1970年だから42年目。
最近は京都写真学校、も8年目を迎えました。

1946年生まれ。
いつの間にか66才。
あとどれほどの時間、年月が残っているんやろ。
それを思うこのごろ、そんなことばっかり。

文章を書き連ねるのがけっこう億劫です。
写真、これは撮って整理して載せる。
比較的簡単に処理しています。
込み入ったことはしない。

京都の写真集を作っている。
どのようにまとめるのか、まだできない。
できないけれど、撮って連ねて、見せてる。
日本の絵巻物とか、歳時記とかのまとめ方。

絵巻物が参考になります。
写真は絵巻の現代版だと思う。
内容は、雅のなかの京都。
対語で鄙(ひな)という概念を持ち出した。

まだまだ制作意欲は衰えていないなぁ。
でも取材するのが億劫になってきた。
どこまでいけばいいのか。
今日は、別件、過去の写真、釜ヶ崎。

釜ヶ崎ドキュメント、撮ったコマをスキャンしている。
モノクロフィルム、400本ほどスキャンした。
あと300本ほど残っている。
そのあとには、京都、白虎社、その他がある。

-4-
2012.6.13
世の中、物騒なことばかりが起こっています。
日本を含む世界で、悲しいことばかりが起こっています。
ぼくは感情的に、良し悪しを判断しようとしています。
しょせん専門家じゃないから、感情のレベルで、判断します。

原発の問題。
これは廃止すべきです、ぼくの感情です。

消費税アップの問題。
消費税アップには反対です。
生活者として反対です。

経済危機の問題。
つけがまわってきてるんだからしやないですね。
なるべく経済活動から遠ざかろうと思っている自分。
自己矛盾を抱えながら、存在している自分。

なにかしら、むなしい気持ちになってきます。
民主党、約束を守れよ!
選挙では投票しなかった。
実践活動してる党の候補者に投票しました。

なんか枠組みが崩れていく感覚ですね。
世界の枠組みが、壊れて、再生される。
どっかで、断ち切って、新生世界を、ですかね。
いまって、おおきな変化期なんでしょうね。

-5-
1984年に書き起こした「写真ノート」を再録しはじめました。
このブログじゃないけど、別のブログです。
1984年といえば、およそ30年ほど前になります。
ちょうどぼく自身にとっても過渡期な時期。
釜ヶ崎、白虎社、京都と取材をしてきて、終える時期。

そのころからフォトハウス構想の具体化を目論みます。
まあまあ、出発するんですけど、今に続きますけど。
紆余曲折、いろいろあったなぁ、ですわ。
写真を撮らなくなって、ワークショップを目論みます。
年齢としては、三十代の後半ですね。

今年になって、フィルムスキャンをしています。
釜ヶ崎取材のフィルムを、デジタル化しています。
すでにキャノンのアルバムに載せていて、目下制作中です。
と同時に、その後に書いた写真評論、メモ、を整理中。
順次ブログに書いていて、まとめていこうと思っています。

過去のことにこだわるのは、新しいネタがないからです。
ついに自分も、ここまで来たか、って感じ。
振り返る、そんな時もあっていいだろう、なんて。
結局、自分が成してきたものを、整理している。
死に際に至って、自分を記憶しておくために、かな。

ここに掲載する写真は、直近のを使おうと思っています。
タイトルとか、撮影場所とか、つけません。
イメージだけを載せていく予定です。
まあ、これも、コンセプトかなぁ。

-6-
いま、このブログフォーマットとともに音楽が聴こえます。
朝に、パソコンの前にすわって、音楽を選定しているようだ。
今朝は、どうしたことか、チャイコフスキー。
交響曲第四番、このあと五番、六番、およそ三時間。
作業をしながら、音楽を流しておく。
ボリュームを上げたり下げたり。

チャイコフスキーの四番は、ファンファーレから始まります。
高校生のことかなぁ、千円のディスカウント盤を買って、聴いた。
懐かしいですね、懐かしい。
懐かしがるのは、先が短い、とか。
1946年生まれ、先日、中学の同窓会幹事が集まった。
半世紀、五十年が過ぎているんですよね。

別のブログに、かって書き残した文章を掲載しています。
なにより、自分の過去を、思い起こすため、みたい。
この先が、見えない、ええ、自分の先が、です。
写真を撮ってる、今日は午後から、京豆庵の商品写真撮り。
これはお金もらうの拒否しています、ボランティア。
お金もらわないのは、責任逃れ、これですね。

半世紀の記憶を、前後左右させながら、辿っていく作業。
ここに、こうして、書いているのは、現在そのもの。
現在に立って、過去をふりかえって、今を書く。
かって書いた文章を載せるのは、その時代の風潮のなかで。
まあ、自分だけの思い入れ、ですけど、見せる、見てもらう。
他者の目を意識して、作業を続けてきていますねぇ。

せんせ徒然日記-1-
2012年7月10日。
これが今日の日付です。
暦ってゆうものがあって、それにしたがって年をとる。
混沌とした世界イメージから、クリアーで透明な世界。
その透明な世界を、区切っていく暦。
自分には自分の区切り方がありますね。

ひとそれぞれに、個別、そのひとだけの体験の連なり。
ぼくにはぼくの、あなたにはあなたの、個別。
その個別の体験を、整列させてくれるのが暦。
ぼくなんかもう66年も生きてるから、それなりに長い。
履歴ってゆうのも、けっこうたっぷりあって、いろいろ。
個人史なんてこと目論んだって、なかなか出来ない。

あれこれ、過去のことを書くのは、おこがましい。
今と未来について語ろうと思う。
ところが、どっこい、すぐに過去を語りたがる。
過去を語るってゆうのは、おおむね自慢話。
そんなの、だれも聞いてくれへん、って。
といいながら、過去にこだわってしまう習性がある。

年寄りは、老い先短いから、長い過去を語りたがる。
小学校や中学校の同窓会なんて、半世紀も昔の話。
あたかも、いま現在のように、語っています。
時代がちゃうやろ、めちゃくちゃ違うやろ、半世紀やぜ。
年と共に、時代区分とか、年月とか、関係ない感じ。
ふうううっと空へ舞いあがって、いってしまう、そんな感じ。

-2-
2012.7.11(水)。
ここをぼくのメインにしようと以前から思っていました。
でも、なんていうか、扱いにくいんですね、なんとなく。
それにアクセス数も少ないんです。
ほかにアメーバーとか楽天とかのブログもあります。
でも、まあ、なんてゆうか、ここがメイン。
というのも、いまプロバイダー契約は、ここですから。
そのほかは、ぜんぶ、無料で使っているんです。

無料で、といえば、ブログにしろホームページにしろ。
それからアルバムですね、これも無料。
無料であることは、広告がついてくる。
広告をつけて、走ってるみたいなもんだ。
ええ、宣伝してあげてるんです、お礼に、です。
いいじゃないですか、そうゆう世の中だから。

でも、無料で作ってるホームページ。
これは、更新しても、なかなか画面が変わらない。
遅いときには、数週間とか、それ以上とか。
うたい文句は、500メガまで、とか、1ギガまでとか。
そんなの、たしかにそうかも知れんけど。
100メガ超えてしまうと、使えないと言いながら。
使っているんですけど、その奥には、有料がある。

保険とかサプリメントとか、勧誘電話がかかってくる。
原則、いや全面に、電話勧誘は断ります。
その奥に、なにがあるかわからない。
悪徳業者がいるかも知れない、だから。
ぶっそうな世の中、信じられない世の中。
なんか、そう思うと、この世の中、どうにかならないか。
そんなこと、思うこと自体、もう、つまらない。
でわ、また、愚痴を書いてしまいました。

-3-
暑いさなかですが、ここにいます。
30年前撮影の釜ヶ崎、そのスキャンが終わった。
大阪梅田界隈から釜ヶ崎の奥まで、6年間の撮影。
1978年から1983年ごろまでです。
まだ、最後のスキャン分、五千カットは、未整理。
これから、セレクトして、修正して、まとめます。

スキャンしながら、画像を見て、思い出すことしきり。
いっぱい思い出が詰まっていて、甦ってきます。
写真とは、そうゆう存在なのでしょう。
記憶を甦らせてくれます。
一段落、そんな気持ちですが、次は京都です。
京都、西陣、釜ヶ崎の後半と平行して、取材したネガ。

釜ヶ崎も京都も、いまにつながっています。
1984年からフォトハウス構想を立てて、実行。
これもいまにつながっています。
なんかしら、人生って、けっこう連続している時間だ。
時間といえばスパンが短い感じ、年月がふさわしい。
年月、生まれてきてこのかた66年がすぎた。

一昔なら、もう人生が終わっていた年齢ですね。
それがいまや、まだまだ終わらないじゃないですか。
でも、いつ終わるわからない、これ実感です。
ぐるぐるまわる回り灯篭、幻、そんな光景が、目の前です。
まもなくお盆、今年は、どうするんやろ。
まだ、未定、取材するかどうかも、未定。
父親の一周忌をしてあげないといけません。

-4-
むかいのおばさんが亡くなられた。
99歳と半年、来年早々には100歳という。
長寿、ほんとに長寿の時代。
ちょうどお盆が近くなって、霊を迎える頃。
ぼくは、無神論者のつもりだったけど。
今は、信じてないけど、不思議、霊感とかはあるかも。

人間って、柔くって脆くって浮き沈みする感情です。
それにからだ、肉体ってのがくっついている。
肉体が先で、感情はそのあと、肉体ありきですね。
そんな肉体を意識しだしたのは、最近のことです。
老いていく自分、年寄のからだになっていく自分。
精神だって、からだの老いにしたがっている感じ。

若さの残滓が、もう初老でもない自分をせめます。
つくづく、肉体があって、精神があることを実感です。
でも、物忘れしたり、想像力が弱ったりしても、です。
意識が広がる、高みから見れる、なんでも許す、みたいな。
ふわ~っとした、ああ、これが仙人の境地なのか。
なんて、少しだけ、思えるような感覚もある。

性欲、食欲、何々欲、人間って欲望のかたまりだ。
その欲望が希薄になっていくってのが老いかもしれない。
だいぶん、そういうことでは、希薄になってきたと思う。
ひとのためになるのなら、できるだけのことをしよう。
必要としてくれる人がいるなら、尽くしてあげよう。
なんかしら、仙人の訓示みたい、笑えちゃうね。

-5-
お盆が終わった。
いつもお盆の時期になると写真取材のことを思う。
お盆行事を追って、夢幻舞台を制作するためです。
夢、幻、その舞台。
舞台とはこの世のこと、夢と幻のこの世。
今年は、どないしようかなぁと、迷っていたけど。
8月7日、六道まいりの道を、撮影した。

思い起こせば、もう30年ほどまえのことです。
写真と文章を載せた夢幻舞台って小冊子を出した。
その年、瀬川恵美って子が、亡くなったその鎮魂。
昔、撮ったフィルムをスキャンしているんですが。
その瀬川恵美、出てきたんです、かなりの枚数。
ほとんど記憶になかったフィルムに、驚きました。
昔のことを、記憶をたどって、まとめようとしています。

66歳になって、いまならできる、そんな気持ちです。
まあ、4~5年、70歳前後、これが目安ですね。
それと最近また文章を書けるようになってきたみたい。
文章を書く循環ってのがあるんでしょうかね。
ここ数年、あんまり文章が書けなかったのに。
そのぶん、写真が撮れなくなった。
被写体に迫れない、距離をとってしまう。

父の一周忌の法事をすませて、やれやれ。
気にかかることは、一応クリアーした感じ。
あとは、ちまちま、好き勝手に、できたらなぁ。
宝塚メディア図書館、SVTPにボランティア。
畑さん、中島さん、あとは若いスタッフばかり。
関西写真史を書くのに、刺激をもらえそう。
お人好し父ちゃんの登場、でいいんじゃない。

-6-
あれから11年目、2001年9月11日、思い出しました。
ニューヨークのWTCビルへ飛行機が突っ込んだ日。
午後10時過ぎ、タクシーのなかで声のニュース。
自宅に入ってテレビの画面、二機目が突入するとき。
テレビでライブ、目撃しました。
なにが起こってるのか、わからなかった。

翌日の早朝には、関空からグアムへ家族旅行。
家族は準備をして、MKが迎えに来るだけ。
JTBへ問い合わせると、飛行機、飛ばないとのこと。
旅行中止、そうやったなぁ、思い出します。
前便は、着陸できず途中で関空へ戻ったとか。
でも、具体的な悲劇性は、伝わらなかった。

悲劇であることは、感情がゆすられてくること。
時間の経過とともに、何とも言えぬ滅入り感を意識します。
1年半前のあの地震と津波。
悲惨さは、映像見るたびに、いまもって甦ります。
テレビとか、見ちゃおれないから、逃避します。
人が死ぬなんて、耐え難い気持ちになります。

まあまあ、ほんとに、わが身でなくてよかった。
こんなこと言っちゃあかんと思うけど。
ほんと、悲しい出来事、自分の家族でなくてよかった。
せめてもの追悼は、こころのなかで、行います。
ぼくは悪人じゃないです、善良な市民です。
ほんとです、閻魔様。

-7-
世の中の動き、あわただしいです。
すべてリセットして、戻ればよろしい。
どこまで戻るかって?
そうやね、縄文時代あたりまで!
そしたら、みんな幸せな気持ち?

気持ちでいえば、30年前くらい昔。
それでも1980年、それなら半世紀前。
それやと1960年、長生きしてるよなぁ。
縄文時代に戻るというのは比喩ですけど。
何もない、目の前に食べ物だけ。

そんな時代が来るような予感。
まあ、実質、はりぼて捨てたら、それだけ。
からだと、着るものと、食べるもの。
それに寝るところ。
男には女が、女には男が必要。
それぐらいシンプルにしないとあかん。

そんな夢ばっかり見ている昨今。
どっちゃみっち、金なんてない人生。
これから、どうしようか、生きる中身。
お金ではない、価値観、ああ、無情。
言葉知ってるから、こんなの書いてる。
突然ですが、バッハ、いいですね。


徒然日記・雑記帳「徒然日記-4-」
むくむく叢書のご案内
_20181008_171320
2012.10.2~2013.3.18
徒然にっき

徒然にっき-1-
最近の出来事では、政治の世界、党首が変わった。
政治のことは、ブログでは触れないようにしています。
でも、まあ、なんていえばいいのか、だましですね。
ぼくなんか、もう年金生活だから、左うちわ。
なんて思っていたら、年金だって変動するんですね。

まあ、いいや、生活していけるから。
かって働いたおかげで、年金積立したから。
いま、三カ所から年金もらっています。
国家公務員共済、私学共済、厚生年金です。
フリーター諸君ぐらいの収入です。

内閣総理大臣は民主党の野田さん。
昨日、内閣改造で、メンバーが入れ替わった。
もう、どうでもいいけど、嘘つくの、やめてね。
恥ずかしいこと、しないでください。
嘘ついたあかん、これ子供でも知ってる。

なんか、こんな話題は空しいです。
だから、そっから逃げて、愛の話しとか。
愛と癒し、なんて内心、笑いながら、ですけど、
政治とか経済の話しをするより、癒されます。
なんとか、ならへんのかなぁ。
では、また。

-2-
今年ぼくの年齢は66才。
もう老体だけど、最近の感覚では、まだ若い。
若いといっても、この先、知れてる。
なによりも、このままの健康を維持できるか。
いつ切れてもおかしくない年齢だと自覚します。

ここにこうして文章を書いている。
このことが突然できなくなるということが。
そういうことでいえば、いつも刹那です。
わかいころには、年老いの実感なんて知る由もなし。
年相応なんてゆうけど、それなりに老化が進んでいる。

健康保険は、三割負担だけど、行政が二割負担してくれる。
つまり、ぼくは、65歳をすぎて、収入が少ないから、減免処置。
なるべく医療費は使わないでおこうなんて思っているんですけど。
高い保険料払っているから、使わにゃ損損なんて思う。
年金収入の一割が健康保険料として払ってるかな?

こんな現実的な話をしても、生産性低いですね。
さりとて、理論、理屈なんて、もう御免こうむる。
感情、これは豊かにして、喜怒哀楽、感じたい。
生き方そのものが、変わってくるんですね。
つまり社会生活に生産活動に参加してないからか。
むつかしい話は、しないでおきましょう。
でわ、また。

-3-
ノーベル賞の発表があって、京大の山中教授が受賞。
とっても喜ばしいことです。
昨夜から今日の朝は、この受賞ニュースでいっぱい。
ぼくなんかやと、大江健三郎さんの受賞が浮かびます。
でも、大江さんの名前、出てきませんねぇ。
ニュースのなかで川端康成でてきたけど、です。
まあ、それぞれ、放送意図があってのことでしょうかね。

すっかり秋。
さわやか、いいお天気、朝なんか肌寒い。
古いフィルム、ネガをスキャンしています。
釜ヶ崎のスキャンが終わって、いま、京都。
釜ヶ崎の写真は、アルバムにしてあります。
スキャンしてデジタル化して、アルバムにする。

フィルムからデジタルへ、です。
記録の方法が、媒体が、変わっていきます。
発表の方法も、変わってくる筈です。
ギャラリーで展示から、ネット上で展示へ。
発表媒体の枠が拡がるってわけですね。
これからも、ハード環境はまだまだ変化しますね。

テレビモニターが、薄型になって、廉価になる。
額装のプリントから、デジタルデータ表示へ。
写真のギャラリーは、展示する方法が変わる。
展示内容を支えるハード環境が変わる、が正解。
あたらしい時代がきて、新しい表現方法も来ます。
まあ、欲望を満たす道具として、昔の比ではないですね。
この内容は、また。

-4-
2012.10.19
岩波講座「哲学」を少しずつゴミに出しています。
1968年から配本された全18冊。
ぼくの手元にあった岩波講座の最後です。
日本歴史、文学、それにこの哲学です。
まあ、もう、ぼくは哲学はいらない。
そんな感じですね。

だんだんと学問の成果とか、受けてるけれど。
いまさら、学問なんて、いらないと思ってる。
ただし、感覚的には、研ぎ澄ましておきたい。
といいながら、感覚だって鈍ってくるってもんだ。
いやいや、多感な頃に受けた感性が、そのままだ。
だから、時代が変われば、感性もかわる。

考え方とか、構想力とか、想像力とか。
これらだって、その時代の空気みたいな感受性。
そっから生じてくるんだ、としたら。
やっぱり、年代が変わると、これも変わる。
そう思うと、老体は、いまの若い人とは、ちがう。
いつも、若い世代の感性が、中心です。

もう30年とか50年とか、年齢の差。
一世代15年区切りだとすると、です。
そうすると、二世代、三世代、違うことになる。
つまり、理解しあえない、感性の交換ができない。
本当か嘘か知らないけれど、ぼくは信じない。
信じないけれど、本当のような気がする。

-5-
寒くなってきて、ストーブ入れだしました。
ぼくの部屋には、灯油ストーブ。
灯油の値段が上がって、㍑95円とか。
ひところは、電気よりガスより灯油が安い、と。
どうなんでしょう、いまなら、ガスが安かったり。
必要経費だから、しかたないけど。

電気の節約ということで、夏にトライした。
関西電力からクオカード1500円分送ってきた。
節電トライ、昨年比11%でした。
そういえば、昨年の夏は途中から節電モード。
昨年に節電したあとの節電だから。
昨年同月比5%ほど減でした。
6月が26%ほどの節電になっていたから全体で11%。

まあ、まあ、電気を使う生活になっている。
なんでも電気を使うようになってきている。
ひところの電気消費に抑えれば、いいのに。
便利な便利な電気、なんてほんとかな?
これから先、これでいいのか、と思う。
政治も含め、これでいいのかなぁ。

-6-
まあ、無責任に生きよう、なんて。
だいたいここのタイトル、徒然にっき。
これがイージー否めない。
タイトルないのと同じですよね。
それと写真を貼り付ける。
写真もイージー極まりない。

文章書くのは、面倒です。
でも写真は、とってもイージーです。
撮って、パソコンに吸い上げて、保管。
選択して、処理して、保存しておきます。
ブログなんかに使うときはここから出す。
写真は、とってもイージーだ。

イージーさが売り物の写真。
だれでもカメラマン、写真家。
携帯、スマートフォーン、デジカメ。
高級一眼なんて、いらない。
コンパクトデジカメを使っているぼく。
今年は、写真集を12冊を作っています。

ますます写真を作ることが簡単になる。
そうなると苦労して作ることに意義がでてくる。
苦労して写真をつくる、手作り。
なんか、手間と価値は、相関関係になるのかも。
そういえば会席料理だって、そのようだ。
苦労して、時間をかけて、写真を作ろう、ですね。

-7-
音楽、おんがく、さまざまな音楽ジャンルがあります。
ぼくは、クラシック派でしょうね。
表向き、公式には、クラシック音楽。
バッハ、モーツアルト、ベートーベン。
それに最近は、ヘンデル、ハイドンが加わった。
つまり西洋音楽の古典派の作曲した音楽。

小さいころから、ピアノとかに興味があった。
学科の中で、音楽は得意な科目でした。
中学ではブラスバンド、クラリネット。
中三のときには、パレードの指揮をしていた。
高校では、二年の時にブラスバンドを作った。
高校を卒業して十字屋に入社した。

音大へ行きたいと思っていて、ピアノを習った。
二年間、二十歳になるまで、ソナチネまで弾けた。
そうして、その後は文学へとすすんできました。
音楽は、ぐるっとまわってベートーベンに帰り着きます。
演歌も好きですね、日本の演歌、ぐっときます。
西洋音楽のほうは、ぐぐっとくることはないですけど。

かって買いためたCDから、パソコンに取りこんで聞きます。
宝塚メディア図書館にあるクラシックCDから、コピー。
畑由美子さんが所蔵されていたCDであります。
なにやかや、パソコンに取りこんで聴ける。
たまにオーディオで聴くと音響はやっぱり、いい。
でも、便利な時代になったものだ、パソコンです。

-8-
もう30年以上も前のことになるんですね。
釜ヶ崎を取材していたころ、1980年前後。
いまも、稲垣さんとは懇意にしてもらっています。
今日、京都まで来てくれました。
デジタルビデオのSDカードからDVDデスクに転写。
ぼくは、初めての経験だけど、できました。

釜ヶ崎の職安、あいりん職安ですけど、就職斡旋しない。
そのことに対して、問題化しているのが稲垣さん。
その稲垣さんの闘志というか、継続の強さに敬服します。
いやはや、40年、釜ヶ崎でがんばっておられます。
炊き出し、もう40年も続けられているんです。
なかなか、できることじゃないですよ、ほんと。

そんな稲垣さん、昨日、いっしょに「ふえろう村塾」へ。
ふえろう村塾の代表はいま、三浦さん。
どうも昔釜ヶ崎で会っているようです。
ふえろう村塾。
養豚で、豚肉をつくって、販売しています。
それは経済の商売のことで、ほんとうは。

本当は、コミューン建設、仲間、共同体。
ぼくらの世代、その上の世代が、ある意味、理想とした。
それが、いま、ぼくの目の前に、現われ出てきたんです。
なんだか、縁というか。
別に関係ないといえば関係ないんですけど。
仲間っていっても、ぼくなんか、ちゃらんぽらんやし。

なにかしら、最近、昔がよみがえってきている感じ。
宝塚メディア図書館にしても、です。
この時代、人間の関係が粗末になっている時代。
それなのに、結ばれていく感じは、うれしいかぎる。
呼ばれたら行きます、呼ばれないところにはいきません。
これが処世術、ラッキーな処世術だと思えています。

-9-
写真図書館がオープンしたのが1992年でした。
それから20年が経過しました。
やっぱり長い年月です、20年、ふた昔。
いま、宝塚メディア図書館という名称です。
NPO法人になってから10年少しが過ぎたところです。
南森町から中津、南港WTC、万博公園、そして宝塚。

なによりの功労者は、畑祥雄氏です。
ぼくが所有の写真集等と畑氏が所有の写真集&カタログ。
この二人の所有物を公開したのが、写真図書館。
それから、ぼくは写真の専門学校の副校長になりました。
これも畑氏のあっせんによって実現したものです。
良くも悪くも、ぼくはその世界へ本職として踏み出した。

いま、宝塚メディア図書館へ来ています。
この7月中旬から毎週金曜日に来ています。
今年度いっぱいは、来てみようと思っています。
いろいろなころがあったから、思い出します。
この思い出すこと自体が、ナマしいこともあるから。
良し悪し、いろいろ、思うところです。

IMI、インターメディウム研究所、いまや昔のこと。
そこを最後に、退職してから早10年が経った。
大石氏と先ほど顔を合わせました。
OICP写真学校の校長さん、スタジオの経営者でした。
ぼくの年齢がただいま66才、大石氏は少し上、畑氏は少し下。
いずれも、還暦過ぎた年代です、この先は、いかに。

-10-
12月になると、気持ちがあわただしくなります。
世間があわただしくなるからかも知れない。
なんとなく、そわそわ、落ち着かない。
今年なんか、総選挙っていってるから、なおのこと。
じつは60歳になるまで、選挙へは行かなかった。

20歳になった時の最初の選挙には行った。
それ以来、選挙に行かなかったけれど、心変わり。
体制から逃れることなんてできないんだから。
せめて権利を行使して、義務を果たそう。
そう思ったわけで、心がとっても従順になった。

年金生活がベースにあって、それに依存してる。
基本的に、日本国国民として、権利義務を行なっている。
なんだかんだと言っても、しょせん枠の中。
なんとか楽して生き延びよう。
それが生活の知恵というものだ。

気ままに、好きなこと、好きなように、したい。
ストレスのたまることはしたくない。
正義の味方なんてちゃらちゃらおかしくって。
悪の華みたいな、あだ花、せせら笑って、なんて。
遠回りしながら、人生の最後のあだ花、咲かせようか。

-11-
12月になると、気持ちがあわただしくなります。
世間があわただしくなるからかも知れない。
なんとなく、そわそわ、落ち着かない。
今年なんか、総選挙っていってるから、なおのこと。
じつは60歳になるまで、選挙へは行かなかった。

20歳になった時の最初の選挙には行った。
それ以来、選挙に行かなかったけれど、心変わり。
体制から逃れることなんてできないんだから。
せめて権利を行使して、義務を果たそう。
そう思ったわけで、心がとっても従順になった。

年金生活がベースにあって、それに依存してる。
基本的に、日本国国民として、権利義務を行なっている。
なんだかんだと言っても、しょせん枠の中。
なんとか楽して生き延びよう。
それが生活の知恵というものだ。

気ままに、好きなこと、好きなように、したい。
ストレスのたまることはしたくない。
正義の味方なんてちゃらちゃらおかしくって。
悪の華みたいな、あだ花、せせら笑って、なんて。
遠回りしながら、人生の最後のあだ花、咲かせようか。

-12-
師走、12月、今日はその13日目、木曜日。
一年の過ぎるのが早く感じます。
毎日、こうして、パソコンに向かっています。
単調な日々だから、早く感じるのかも知れない。
今年66歳、来年67歳、自分で信じられない。

今年は、7月だったかに、宝塚メディア図書館へ。
目下、毎週金曜日に、通っています。
いつまでも続けているわけにもいかない。
引き際を思い描いて、どうしょうかなぁ、です。
いま、いちばんの懸案です。

陶芸は6年目かなぁ。
ちまちまと月に2回ほど、通って続けています。
自分が使う食器のほぼ九割が自作の食器。
ここまでこれたとは、自分でも驚き、継続の結果です。
自分と他者、いい関係だけ、これからはそれでいこう。

京都写真学校、これは9年目を迎えます。
来年の入学問い合わせが今のところない。
毎年、問い合わせが少ないけど、開講できている。
不安だけど、開講できるかどうか、です。
入学者がなかったら、開講できない、ということです。

そんなこんなで、一年が終わっていきます。

-13-
毎年のことながら、この時期、気が急きます。
大晦日まであと一週間。
それから新年です。
2013年、平成25年。
もうそんな年になるんですね。

記憶をたどっていくことが多い昨今。
同窓会の集まりで、昔の美男美女に会う。
いまも美男美女だけど、老齢者になった。
淡い、十代のころの思い出が通り過ぎます。
今年は、そんなことで思いにふける。

もう会えないと思っていた人に巡りあう。
まだ巡りあっていない会いたい人もいる。
人のつながりって奇妙な縁ですね。
けっきょく、つまり、ひとは一人で生きれない。
同好の集まり、写真、これも人との交流。

それでいいのだ。
人と接することが、社会とのつながりです。
接せられるということが、ラッキーなことです。
いくつかの社会と接しているけど、大事にしよう。
なにかのご縁、なんて、いいじゃないですか。

-14-
2012.12.28
総選挙が終わって、自民党が独り勝ち。
なんてこった、このざまは、って感じです。
元の木阿弥、元に戻った、とは言ってないけど。
何の変化もないままに、継続されていく世の中。
そんな時代に、どのように生きるのか。

ぼくなんかは、もう社会人終えて隠居の身。
なんだかんだで年金生活、これで確定。
だから、もうあくせくしない、のほほん生きる。
でも、まだ、稼いで生活をしていく人は大変。
先が見えないから、それに辛い時代です。

自分が生きてきた年月、その中にあった辛いこと。
いやいや、いろいろ、ありましたよなぁ。
でも、過ぎ去ったこと、いまは悠々自適です。
あとは消えゆくまで、なにをするか、です。
パソコンで、カメラで、遊んでいる自分。

社会との接点が、少なくなってきているから。
社会との接点を、大切にしていきたい。
時代感覚でいけば、生活実感が乏しい。
流動的な世の中に、自分を泳がせている。
はたして、これでいいのかと、問うこともなく。

-15-
写真家東松照明さんの訃報に接す。
2012年12月17日、沖縄の病院にて死去。
死因は肺炎、82歳。
人間は死ぬ、いつの日にか死ぬ。
1930年生まれの東松照明さんでした。

彼が京都取材のために京都へ来た1981年年末。
1982年の正月、京都に来てた彼から電話があった。
三条河原町の六曜社で待ち合わせ、午後9時。
それが東松照明さんとの最初だった。
その後三年間、京都取材が終わるまで取材に同行した。

ぼくの最近は京都をテーマに写真を撮っています。
先輩東松照明さんの京都を意識しないわけはありません。
桜にしてもそうでした。
東松さんの「桜」は、風景を取りこみます。
ぼくは、桜の花そのものをクローズアップ。

彼の京都は有名人を撮って並べる。
ぼくは無名の人を撮って並べる。
いえいえ、彼には及ばないかも知れない。
ただ、通りすがりの彼とは違う、ぼくは地場です。
通りすがりの方がいい写真が撮れるかも、とは彼の弁。

三年間、二人だけのワークショップ、セッションをしてもらった。
西井一夫さん、平木収さん、東松さんを通じて、知った。
東京のマンション、代々木、中野、千葉の一軒家へ、赴いた。
妻と一緒に千葉の家へ行ったのは1994年だったか。
思い出尽きない東松照明さん、ありがとうございました。

-16-
このまえに東松照明さんの訃報にふれました。
弔いの気持ちを持ったまま、あれこれ考えていました。
そうしているうちに大島渚さんの訃報です。
大島渚さんとは、ぼくは直接の面識はありません。
でも映画監督として興味ある方でした。

若松孝二さんでしたね、そのころエロ映画の監督。
そうゆうことでいえば大島さんは「愛のコリーダ」。
DVD版で見たけど、これには影響受けます。
愛欲シーンがたっぷりあるじゃないですか。
刺激的な映像、色彩もまた、素晴らしい。

ぼくの人生、その年月の長さは66年強です。
いつのころからか文章や写真や映画の濡れ場に興味を。
ぼくのできないもうひとつの表現世界だと、思ってきました。
そのころの作家さん、おおむね性の解放運動。
人間の本能、欲望、満ちる情と欲、その世界です。

東松照明さんだって、本音、撮りたいと言ったんです。
でも、作品の流れ上、作品にはできなかったと思う。
縛りやりたいねぇ、なんて酒の場で聞いた。
京都を継続されておれば、その領域に至ったかも。
いすれにしても、彼らは逝ってしまわれた。

残された者は、何をと思う。
その継承者たらんとするかぁ。
ねじまげて継承しないと二番煎じだ。
東松さん、大島さん、ありがとうございました。
三辺さんのお葬式の時、大島さんに会いました。

-17-
冬はどうもこもりがちになっていけません。
こころが萎えるってゆうか、鬱になるってゆうか。
外の世界がこわいようにも思えて、おびえています。
自分のいる場所が、明確にならない感じです。
分裂してる、自意識とか、視線とか。

過去の文章をあらためて書き起こしています。
デジタルデーターにするための作業です。
没頭するというほどではないけど、時間をかけてる。
昨年のいまごろに、フィルムスキャンを買って一年。
釜ヶ崎、京都、とフィルムをスキャンして、いま白虎社。

フィルムで撮っていたころのこと、思い出します。
1977年ごろから本格的に撮りだして1984年に終わる。
自分の写真をといえば、釜ヶ崎、労働者の写真。
いま、ブログに、アルバムに、発表しているところです。
まだまだ、これからの作業になると思います。

それらと並行して、その当時に書いた文章を再録。
むくむくアーカイブ<物語と評論>目次ページ
いま、写真行為とは何か、現代写真の視座1984、写真への手紙・覚書。
いくつかの残りを、これからも再録していくつもり。
まあ、命あってのことだから、いましかできない。
そのように思っているところです。

-18-
ウエブ上で写真集を構成しているところです。
この写真集には、HPで、ブログで、フォトアルバムで。
フォトアルバムは、容量が大きいから、使いよい。
ぼくの場合、キャノンとニコンのアルバムを使っています。
カメラメーカーのアルバムの他に、ピカサとかも使います。

最近、昨年はキャノンのアルバムがリニューアル。
今年になってニコンのピクチャータウンがリニューアル。
ニコンイメージスペースということになった。
容量がニコン製品を使っているから20ギガにアップできた。
ところがアドレスが変わったから、組み直しを迫られて。

ウェブ上で提供されるフォトアルバム。
パソコンとかウエブの環境によって変更される。
バージョンアップだから、文句はいいません。
それを承知で利用させていただいているから。
時代の要請、最新の形になっていくんでしょう。

写真のアップ枚数、京都関連一万枚を超えた。
2003年末からはじめたデジタルカメラでの撮影。
それらをウエブアルバムに収録して公開していきます。
かって1980年前後に撮ったフィルムのスキャン。
スキャンをはじめて一年になります、これもまとめます。

作家を名乗っていませんが、作家しています。
テーマは京都、どのように撮って表現するか、です。
今年になって、ふたたび京都撮影にチャレンジです。
東松照明さんの京都ではない「京都」です。
67歳になる今年、もう少し頑張ろうと思う。

-19-
二月が明日でおわっていきます。
早いですね、日々過ぎるのが、とっても。
意識するから、よけいに早く感じるのかも。
少年の頃は、そんなに年月を数えることもなかった。
未来がいっぱいあって、数えきれないんだね。

最近、未来において、なんて数少なくて。
過去が、どうだったのかとの、懐古趣味。
昔を懐かしがるわけではないけれど。
生きてきて、生きてる証をなんて、キザに思う。
そうそう、井原西鶴、どんな男子だったのか。

元禄六年、五十二歳で逝去したとゆう西鶴さん。
浮世草子、写実小説だとゆうじゃありませんか。
ぼくは、古典読めないから、解説書で読むだけ。
写実といえば、写真じゃありませんか。
リアリズムとでもいえばよいか、写実主義。

その時代、浮世絵とか浮世草子とか、浮世もの。
歌舞伎も浄瑠璃も、浮世のこと。
浮世とは、この世のこと、生きてるこの場。
いよいよぼくだって、老いの境地に至らないと。
いつまでも浮世では、死にきれないよなぁ。

<京都>を作品に仕上げようとの無謀な試み。
写真をもって作るから、その時代の絵巻物風。
21世紀洛中洛外光絵図、なんてサブタイトルで。
写真集<京都>を模索しつつ制作中です。
エンドレスですねこのテーマは、いつまでも中途半端です。

-20-
あれっ?、徒然にっきがここにもあった。
アメーバの花のワルツってブログで連載中。
ここは、ブログの名前が、徒然にっき。
吉田兼好さんの徒然草からの引用です。
ピアノの曲、ベートーベン、ワルトシュタイン。
その第二章ですが、ここでは音を再現できない。

パソコンに取りこんで、メディアプレイヤーで聴いています。
なかなか、いい音で聞こえますよ。
田舎では大きなスピーカーで聴くときがあります。
やっぱり、音質が違うけど、これはこれ。
なんといえばいいのか、こころむしられる。
ピアノの曲には、けっこう思い入れがあるから。

最近のことですが、けっこう忙しい?
作業を抱えすぎてるのかもしれない。
此処へは、なかなか来れない。
文章書くのが、なかなか重いんです。
別バージョン、小説については精力的に。
つまり、興味の対象が、いまは、別にある。

来月満67歳になる。
自分で信じられない。
体力落ちてきた、老体になってる。
でも、気持ちは、どうなんやろ、変わった?
精力なくなって、エロさもなくなった?
ほんとかなぁ、ここでは真相を語れないけど。

なんやかやゆうても、真相を語れない。
言論の自由とはいっても、枠がある。
ネットは公共の器だから、ガイドラインに従う。
しかし、こころは、いつも逸脱していくんです。
井原西鶴、ベルメール、モリニエ、谷崎、永井。
なんてったって、文学者であり芸術家ですね。
ぼくもその境地へ行きたいです。

-21-
視力が落ちています。
この時間、この作成画面の文字が見えにくい。
使いすぎなことは、わかっているけど。
パソコンの画面を一日何時間見てる?
ほぼ12時間、そんなにも見てないけど8時間以上。
やりたい作業がいっぱいあるから、です。

4月に出品する展覧会の写真をまとめる。
フォトコンプレックス第五回展です。
USBに入れて、パソコンで見せる。
12作品全部を混合して、流す。
スライドショーするのに、今年はパソコンで。
まえのバージョンのパソコンがあるから、これ。

IMIOBの三木さん、葛城さんが作ってるフォトマガジン。
港さんと勝又さんが作家、三木さん編集、葛城さん発行人。
東京発、新しい試み、料金は月600円+消費税。
毎週木曜日にメール配信される、というもの。
カード決済ではなくて、特別に振りこみにしてもらった。
ネットでクレジットカードを使いたくなくて、です。

寫眞、その他のアート潮流、その現状をどうつかむのか。
ネットで情報が得られるとはいえ、やっぱりこの目で見る。
いま宝塚にあるメディア図書館へ、毎金曜日、行ってる。
そこには情報がいっぱい、それを体感します。
情報は魔物で、知る必要があるのかないのか。
なくても良いけど、なければ何かしら不安になる。

あれから10年を超えた。
あたらしい流れがぼくのまわりに起こっている。
昔の知り合いと会うだけが目的ではなくて。
功名心を得たいと思うわけでもなくて。
なにかしら、得体のしれない空気が、ぼくを連れて行く。
あと何年、このようなことができるのだろうか。



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