中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

カテゴリ: むくむく叢書(4)

徒然日記・雑記帳「愛と癒しの-1-」
むくむく叢書のご案内
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愛と癒しの-1-
1~7 2012.1.6~2012.8.8

愛と癒し

-0-

新年、初めての記事です、こんにちは。
あけましておめでとうってゆうにはもう6日です。
だから、こんにちは、でいいいかと。
昨年は、ここでは、ちょっと行き詰っていましたね。
花図鑑とか食べ物図鑑とか、シリーズでやってた。
でも、けっきょく、好きなこと書いたらええねん。
恥とかは外聞とか、気にしてたらあかん。
素直に、心の中、書いたらええねん。
ということで、ぼちぼち、発射します。
ことしもよろしくね。

-1-

今年のキーワードを「愛」と「癒し」としました。
ええ、自分に向けてのキーワードです。
つまり、愛に飢えて、癒しに飢えている世の中。
そのように思えて仕方がないから、愛と癒し。
感じれる人は感じていただけたら、うれしい。
命題は、死にそうな人助けられるか、です。
自分死しようとしてる人が思いとどまれるか。
あんまし難しく考えると、辛いから。
愛と癒しで、生きていきましょう。
でわ、よろしく、ね。

-2-

登場人物は、女子三名。
その名前は、山野亜希子、落合佳織、それに佳奈。
三人とも、大学生、二十歳、という設定です。
この三人に、それぞれ、フレンドがいます。
大野健一とか、祐樹くん、翔真くん、それから。
女子と男子、ペア、セット、愛の巣を営みます。
こうゆう設定、場所設定は、いろいろ。
ワンルームマンションの室、ラブホテル。
愛の巣、これが愛と癒しの、メインテーマです。
小説は三本、同時進行していきます。
オムニバスではなくて、全体としてひとつ。
プルーストなんかを、イメージしてます。
エンドレス、終わりのないフィクション。
まあ、りあるろまんのべる、とでも名づけます。
また、思い至ったら、書きます。

-3-

昨年も、年間三万人をこえる人が、自ら命を絶った。
そのニュースは、ぼくの心を暗くしてしまう。
どうして、そんなことになるのか。
窮地に追い込まれて、崖っぷちに立たされて。
そのとき、どうゆはずみか、向こうへいっちゃう。
その、いかないようにする装置として、愛と癒し。
これって、ぼくは、大事なファクターだと思うんです。
もちろん、様々な要因がかさなって、そうなるんですけど。
でも、それを阻止する要因として、愛と癒し。
たったひとりぼっち、孤独感、そんな気持ち。
それが、あっちへいってしまう要因でしょう。
そしたら、それを、愛は孤独を救います。
こころが癒されることのなかには、愛が含まれる。
なんか、そんな、ふうに思うんですけど、ね。
愛と癒し。
どうしたら、それを共有できるのでしょうね。

-4-

雨上がり、大徳寺の境内を歩く。
観光シーズンはずれのいまの時期。
寺の中、すべてが静かなたたずまい。
手を合わせ、拝み、祈る。
そのかわりに、カメラを向けて、撮る。
なんというお名前の仏像さまやったか。
阿弥陀如来さま、そうかも。
ただ黙して祈ります。

-5-

寒いですね、さすがに2月。
一番寒い時期のようですね。
オーストラリアでは、今、夏ですね。
ついつい、日本のことしか思ってなかった。
世界は広い。
いろいろある。
日本のなかにだって、いろいろある。
消費税あがる。
政治家あてにならない。
どないしたらええねん。
こんな日本でええんか。
なんて言ってみてもしらけるから。
もうよそう。

-6-

今日は雨が降るかと思っていたけど。
降らなかって、よかったですね。
でも、寒さが、ぶりかえってきたようですね。
午後から少しの散歩をしただけです。
朝5時から、パソコンの前で、ちまちま。
音楽を流し、釜ヶ崎の写真を整理しています。
思い出は、狩りの角笛、風の中に音は消えゆく。
こんな詩歌があったように思う。
思い出、懐かしさをよみがえらせます。
生きている切なさとか、愛とか、癒しとか。
愛も癒しも、成熟しないから、タイトルにする。
ウイーン奇想曲、いま流れているバイオリンの曲。
センチメンタル、感傷的、ナイーブな心。
初々しい、みずみずしい。
そんな若さよ、よみがえれ、ですね。
では、また。

-7-

東北の大震災から一年。
地震と津波と原発事故。
三つの災害、最悪の災害、なんといえばよいか。
ぼくには、なにも言えないまま、一年が過ぎます。
でも、こころに、しっかり刻み込んでいます。
その悲しみ、その苦しみ、その悲惨さ。
遠く離れているから、わが身ではないけれど。
親類縁者もいないから、個別にかける言葉もないけど。
ぼくのこころに深く、刻まれております。
愛と癒し、なんなんだろう?
無責任なこと、してるような気がしてきます。
そうゆう時代であっても、まじめに生きよう。
こころのなかで、愛と癒し、とつぶやきます。

愛と癒しの 
1~7 2012.7.11~2012.10.14

-1-

ここのブログは<愛と癒しのブログ>なんです。
なんで、こんなキザな題名を付けたんでしょうね。
2010年3月からの記事があるから2年ほど前の感覚。
でも、いま、本気で、愛と癒し、なんて思いたい。
もう、いまさら、なんにもいらないけど。
と思うけど、愛と癒し、これほしいです。

殺伐とした近ごろやと思うんです。
大津市の中学生の自殺。
いじめが原因、全てじゃなくても原因だと思う。
なんなんやろ、責任逃れる大人。
見ちゃおれんですね。
恥ずかしくって。

といいながら、ぼく自身だって。
恥ずかしいこと、やってるのかも知れない。
誰だって、いろんな面があって、多面体人間。
それを、認めてあげて、瘋癲老人日記、愛と癒し。

いま、無農薬野菜が宅急便で届きました。
野田川の池田さん、ありがとうございます。
今夜は、すきやの牛丼の肉らしい、ナマでもらったの食べる。
シャブにして、あっさりと、食べる。
食は天下のまわりモノ、ってところかな。

音楽は、シューベルトの即興曲第三、変ト長調。
あっ、いま、四番に変わりました。
中学生の頃、国連への協賛レコードとかを買ったら、この曲が入ってた。
大人になるまで、曲名すら、知らなかった。
聞くと胸かきむしられる気持ち、感情です。

-2-

年をとってくると涙もろくなる。
これって、ほんとですね。
つっぱれないってゆうか、おれちゃうん。
この世のできごとは、なんでも感動する感じ。
いいことも、わるいことも、感動しちゃう。
ということは、あの世では、感動なんてないのかも。
そんなふうに思ってみたりして、この世を楽しみます。

愛ってことば、愛って字面、この「愛」って。
なんかしら、ほのぼの、してくるんですね。
癒し、これも最近、使えるようになったみたい。
なんか、癒しなんて、まがいもの的感じでした。
革命に癒しなんて無用だ、なんて過激なことは。
もう、いまさら、思う年ごろを過ぎて老体です。
自分が癒されたいために、癒します。

世の中、住みづらくなっているんじゃありませんか。
そりゃ、漱石さんの時代だって、住みにくいと。
そんな時代、こんな時代。
住みにくいのはいつの時代もかも。
ならば、どうすりゃ住み心地いい場所が見つかるか。
これ、ですね、住み心地、気分いい、そんな場所。
ええ、そんな場所を見つけに、愛と癒しの、です。

-3-

この写真の地蔵さんは鞍馬口地蔵さん、上善寺にあります。
六地蔵めぐりってツアーがあって、ここも入ってるって。
そういえば、昨日から、お盆が始まりました。
霊をお迎えして、家にいてもらって、お送りする。
迎えて、送って、お盆がおわる。
昨日、ぼくは、お盆の寺を取材しました。
千本えんま堂、西福寺、珍皇寺、六波羅密寺。

夢幻舞台ってタイトルで、京都のお盆を取材しています。
もう30年ほど前、瀬川恵美ってひとの供養で、取材した。
そうして「夢幻舞台-あるいはわが風土-」って本にまとめた。
そうゆういきさつで、ここ数年、毎年、夢幻舞台やってる。
ディープな京都、古臭い京都、ダサい京都。
でも、六波羅密寺は平清盛ゆかりのお寺。

今年はドラマで平清盛やってるんですね。
ぼくは見てませんが、その舞台となるお寺。
600円払ったけど、有名な空也象、平清盛像を見ました。
西福寺では、地獄絵、毎年、お目にかかります。
珍皇寺は、六道まいりの中心ですね。
小野篁がいて、あの世とこの世の出入り口。

やっぱり、ぼくは千本えんま堂、そこは地元です。
紫式部がいて、小野篁がいて、えんま様がいらっしゃる。
えんま大王、睨みをきかしてる、怖い顔してはります。
だれかの声、わたし怖くない、わるいことしてへんから。
悪いことしてるひとには、えんまさまが怒ってるように見える。
まあまあ、今の世、政治家ども、えんまさまが怒ってるですよ!

-4-

ここのブログのタイトルは、愛と癒しの、です。
なんでこんな名前にしたん?と聞かれます。
そこで答えは、愛と癒しって、だれもが求めていると思うから。
でも、求めているでしょ?、なんて問うのもいかがなものか。
そんなキザな問いかけって、いかにも善良者みたい。
でも、でも、いま、愛と癒し、必要やなぁと、思うわけ。

だんだんと情緒的なものが消えていく時代かなぁ。
情緒的って、こころ的、わかりにくいけど、心。
それが、なくなってきて、生きにくくなってきた。
ぼくなんか、若いころ、そんなに苦痛には思わなかった。
でも、年取ってきて、今を見てみるときついと思うんです。
仕事にしても、賃金にしても、家族を養えないんじゃ。

相対的に、人々、貧困になってきてる気がします。
おおむね生活が苦しくなってきてる。
そうなると、愛とか癒しが、忘れられる気がして。
だから、あえて、愛と癒し、なんてこと言ってるわけ。
こころ、おおきくして、愛を感じ、癒されよう!
こんなこと言う自分が、信じられないけど(笑) 

-5-

世の中、生きにくくなっている感じがします。
この先、まだまだ、生きにくくなっていく感じです。
感じ、というのは直感、経験に基づくけど、直観。
科学的根拠は、示せません。
数値的根拠も、示せません。
よってこの先の予測に対しての反論はできません。

でも、年々、所得が減ってきて、窮乏していく直感。
ワーキングプワーって、働けど楽にならず、の人でしょ。
そんな人、ますます、増えるんじゃないかなぁ、直観。
ここで、愛と癒しなんて言っても、むなしい感じ。
でも、だから、なむあみだぶつ、と唱えよう。
なんてことは、申しませんが、どうしましょうか。

愛ってのは、人と人との心の架け橋。
つまり、愛のある関係って、孤独ではない。
孤独ではないと思えることで、愛を感じられる。
では、どうゆう状態のことが、孤独でないことなのか。
なんだか、こんな論じたい、ナンセンス。
やっぱり、宗教領域のイメージですな。 

-6-

ハンガリー舞曲、ハンガリアンダンス。
ブラームス作曲の小品集です。
この曲たち、5番が有名な曲ですね。
中学生のときに聴いた、何回も聴いた。
レコードをポータブルプレーヤーで聴いた。
そんな光景が浮かんできて、聴きたくなる。
聴くと胸が詰まる、無性に詰まってきます。

センチメンタルに、感傷、追想、子供の頃。
いま、四番がパソコンから流れ出てきています。
弦のピチカートとなんだろ、ピッコロ?
それから、思い流れ、川の流れのような。
音楽は言葉ではないですね。
聴いて感じるもの。
無性に音楽を聴きたくなって、聴いています。

音楽、人の心を癒します。
疲れた心を癒してくれて再生します。
なんかしら、最近、腹立たしいことばかり。
せめて、音楽を聴いて、癒されよう。
いま、五番、ハンガリー舞曲の第五番。
スラブ舞曲ってのも続きに聴きます。
でも、そのときの気分によって、いろいろです。

-7-

岩波講座「哲学」を少しずつゴミに出しています。
1968年から配本された全18冊。
ぼくの手元にあった岩波講座の最後です。
日本歴史、文学、それにこの哲学です。
まあ、もう、ぼくは哲学はいらない。
そんな感じですね。

だんだんと学問の成果とか、受けてるけれど。
いまさら、学問なんて、いらないと思ってる。
ただし、感覚的には、研ぎ澄ましておきたい。
といいながら、感覚だって鈍ってくるってもんだ。
いやいや、多感な頃に受けた感性が、そのままだ。
だから、時代が変われば、感性もかわる。

考え方とか、構想力とか、想像力とか。
これらだって、その時代の空気みたいな感受性。
そっから生じてくるんだ、としたら。
やっぱり、年代が変わると、これも変わる。
そう思うと、老体は、いまの若い人とは、ちがう。
いつも、若い世代の感性が、中心です。

もう30年とか50年とか、年齢の差。
一世代15年区切りだとすると、です。
そうすると、二世代、三世代、違うことになる。
つまり、理解しあえない、感性の交換ができない。
本当か嘘か知らないけれど、ぼくは信じない。
信じないけれど、本当のような気がする。


徒然日記・雑記帳「愛と癒しの-2-」
むくむく叢書のご案内
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愛と癒しの-2-
  8~16  2012.10.27~2012.3.1

-8-
写真とか映像とか、そのイメージについて。
ぼくは日本の風景、日本の精神風土が好き。
ひところ、欧米のイメージに気持ちがなびいていた。
いまでも欧米の光景には一種の憧れがある。
でも、最近、日本の風景に魅入っています。

神社、赤い鳥居、着物、和服。
家屋だって瓦屋根とか。
そんな光景に触れていると、心が和みます。
年とったせいかも知れない。
日常の光景が、愛おしい。

日常の生活空間で、写真を撮る。
まあ、たまたま京都育ちだから、京都。
被写体が京都の光景となる。
ごちゃごちゃした場所で生まれ育ったから。
西陣の路地なんか、愛着を覚えます。

-9-
ハイドンの音楽、古典派の作曲家。
いま、そのハイドンの弦楽四重奏曲。
これ、聴いています。
バッハ、ヘンデル、ハイドン。
そのあとにモーツアルト、ベートーベン。
中学生のときに覚えた名前です。

西欧音楽の古典派の作品。
なんか馴染みがなかった。
でも、ベートーベン、これは聴いた。
その後、モーツアルト、バッハを聴く。
最近、ハイドンの音源をUSBにゲット。
パソコンに取り込んで聴いています。

子供のころに覚えた記憶は消えない。
でも、ハイドンを聴いた記憶がないんです。
だから老いて新曲を聴く。
いいですね、年のセイかもしれません。
ストリングの音、音響いいわけないけど。
それは構わない、高級オーディオはいらない。

音楽の中味、旋律とかテンポとか。
ちょっと明るいですね。
バッハのほうが陰ですかね。
そのときの気分によって好き嫌いが変わる。
音楽って、愛と癒しの、その中身かも。
音が語りかけてくる気がします。

-10-
11月は七五三の月ですね。
天神さんへ行ったら着物を着た子が。
七五三、七歳、五歳、三歳。
ぼくらが子供だった頃ってなかった?
なかったわけではないかもしれないけど。

いまの時代、豊かなのか、貧しいのか。
なんかしら、せちがらい世の中。
幸福とかには、縁遠いような気もします。
総選挙、衆議院議員ですけど、シラケです。
シラケる必要ないけど、なんじゃいなって感じ。

世の中、そんなんちゃうよ、もっと深刻よ。
釜ヶ崎、むかしの釜ヶ崎が全国化した感じ。
世の中、矛盾だらけ、どうするん、借金漬け。
国債発行残高のことです。
国の予算のことです。

ここ、愛と癒しってことテーマにしています。
でも、愛と癒し、空しいですけど、愛と癒し。
癒しは、この時代だから、必要。
愛だって、この時代だから、必要。
必要だけど、なんだか、空しい。

-11-
かって、街の中でスナップしていたとき。
写真に写ってくれた女子です。
お名前も、住所もしらないままです。
あらためて、お名前がわかりません。

写真を撮るって、様々な制約があります。
肖像権なんてことがあるから、むやみに撮れない。
でも、やっぱり、写真に撮ってしまう。
それがいけないんですね。

なにかとぶっそうな世の中。
なにがよくってなにがわるいのか。
その区別判断がつきにくい世の中です。
衆議院総選挙、なんかしら、お笑いイベントですね。

-12-
12月になると年の瀬とか言って第九を演奏する。
第九ってベートーベン作曲の交響曲第九番のこと。
今朝、CDをパソコンに入れて、聴きました。
なんだか毎年同じようなことを繰り返しています。
日常の光景。

人間って、安定を求めているんですよね。
昨日と今日が大きな変化もなくつながっていて。
今日思う明日は、今日と変わらない日であること。
変化があると言っても、それは想定内のこと。

愛とか癒しとか、なんて言ってるのも安定がベース。
安定しているように思えるから、そんな言葉が連ねられる。
本当に愛とか癒しが必要な人には、そんな言葉はいらない。
言葉より、その気持ちが持てるかどうかでしょ。

まもなくお正月、2013年ですね。
今宮神社へ行ったら、もう新年の用意が。
来週には選挙があったり、あわただしい日々です。
愛と癒しの、なんてこと言ってる時じゃないのかも。

-13-
一年が終わっていきます、2012年、平成24年。
さようなら、いろいろありましたね。
思うようにいったり、思うようにいかなかったり。
いろいろなことが起こって消えて、起こってきます。
最近なら、衆議院選挙のこと、困ったことです。

オリンピック、これも今年ありましたね。
金メダルに、ハラハラドキドキ、しましたね。
それから、それから、いまテレビで総集編。
さてさて、ぼくじしん、なにがあったのか。
ふたたび宝塚メディア図書館へ行くことになった。

なにもかも、巡りめくってくることを受け入れます。
なんでも受け入れると気持ちが楽です。
呼んでもらえるなんてラッキーじゃないですか。
それから、写真集12冊作りました。
これだって時期が熟したのかも知れません。

ラッキーと思うかどうかは捉え様でしょうね。
ぼくは先天的に楽天家であった、と思おう。
せっかくの人生、悲観なんかしたらあかん。
なんでも受け入れて、ひろげていけばいい。
そんなこんなで、一年が終わって、また始まる。

-14-
アルジェリアで日本人が殺害された。
10名の命が奪われた。
非常に悲しい出来事で沈痛な気持ちです。
世界の政治的な出来事が次々と起こる。
そんな出来事には触れないようにしています。

触れだしたらきりがない。
それだけではない、悲しいです。
愛とか癒しとかの反対概念です。
いや、それらがあるから愛と癒し。
それにしても悲しい出来事です。

世の中、対立ばかりが目立ちます。
融合、共存、共同、包み込む良心。
そんなふうにはならないのかなぁ。
甘いっていわれようと、それは困ります。
現実はそんなに甘くはないというけれど。

どうしたらこの世が愛と癒しに満ちるか。
ぼくの周辺に様々な仏像があって神の証がある。
写真機をもって、それら化身を写しています。
仏像とか神の証が目に見えるのは人間の希求。
特別な形にして、ぼくらを迎えているのかも。

-15-
かって集めた音楽CDをパソコンに取りこんで聴く。
クラシック音楽を中学時代から聴いてきたから。
聴くのはクラシック音楽が主です。
しだいに古い作曲家の曲に惹かれています。
バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツアルト。
それにベートーベンです。

古典派といわれる作曲家たちの曲。
もちろんそれ以後の作曲家の曲も聴きますが。
ああ、聴くというより、バックミュージック。
ショパンであったり、ブラームスであったり。
でも、やっぱり、ベートーベンに戻る。
今日はピアノソナタを聴いています。

ベートーベンのピアノソナタ全32曲。
シュナーベル、バックハウス、アシュケナージ。
三つの全集を手元に置いていたけれど。
アシュケナージさんのんをよく聴く。
なんなんやろね、音楽、ピアノ曲、その心。
バイオリンもチェロもいいです、とっても。

ジャズもポップも演歌もいいですね。
演歌なんて聴くとうっとりしちゃいます。
記憶に結びついているんですかね、音楽。
思い出を呼び起こしてホロリとしちゃう。
そうゆう甘い世界がいいのかも、愛と癒しと。

-16-
今日から三月、午後から雨の日です。
地下室の図書館にいるから、外のことはわからない。
さっき、お昼ご飯を食べに行って帰り、雨でした。
なんとも気象のことを話題にして導入をはかる。
この手の書き方ってのが、お定まりになってきた。

まったく、本質にふれずに、周辺を詰めている感じ。
この先、どうする?
なんてことを、思ってたりして、ここにいる。
67才になるってゆうのに、この先、なんて。
もう一回きり、淡々と年月が過ぎていく。
その年月時間を、どこでどのように過ごすか。

写真を撮って、ブログとかアルバムに載せる。
この文章だって、ブログに載せてるわけです。
かって書き溜めた文章を、再録しています。
時代の変化で、表現媒体が変わります。
ネットに配信、それがあたりまえになった。

昔のことをいったら、若い人はついてこれない。
だから、いまの状態を、いまの姿として、享受する。
最高だよ、こんな時代になるなんて、と思う。
夢のような時代なのだ、と思う。
こんな世に、いつまでいられるのだろう。
カメラを持って、街を散策、いいですねぇ。

徒然日記・雑記帳「愛と癒しの-3-」
むくむく叢書のご案内
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愛と癒しの-3-
  17~26  2013.3.13~2012.5.24

-17-
朝から、ベートーベンのシンフォニー。
一番から順番に聴いているところです。
いま、九番の第四楽章まで、来ています。
弦のユニゾンでしたっけ、そのばめんです。
聴きなれた、でも久しぶりに聴く、第九。
歓喜の歌の音楽が始まった。

どうして、この第九を聴くようになったのだろう。
中学の入学式のときに、ブラスバンドで聴いた。
五番の運命は、中学三年か、最初に買ったレコード。
その後、二十歳までにカラヤンのレコード全集を買った。
その全集は、バイト先に置いたまま、年月が過ぎました。
手許に、CDの全集があります。

CDの全集をパソコンに取りこんで、聴いています。
いま、独唱が始まった。
バックに合唱がついてきています。
音楽は、聴いていないとわからない。
これは言葉で綴っているわけだから、音ではない。
なにより、今日は、どうしたのだろう。

雨が降りだしてきたよ。
窓の外で、びしびし音がしています。
こころが、萎えてきます。
第九、合唱を聴くと、元気になれる。
ほんとかどうか、いま実験中です。

IMIに来ていた三木学さんと葛城真さん。
WEB配信のシャドウタイムスを発行しています。
港千尋さんと勝又邦彦さんの作品。
今日、いましがた三木さんとやりとり。
購読する手続きに入りました。
知った人と縁が結ばれるのは、うれしい。

合唱が佳境にはいってきました。

-18-
春先は、なんとなく心の状態が不安定です。
でも最近というか年老いだしてからは安定。
かなり安定しているようにも思います。
でもやっぱり、春先は、微妙に揺れますね。
何かしら始まって行く予感みたいなもの。
こころが春のなかに揺れている。

以前に書いた文章を、ブログに書き写しています。
35年前の大阪日記、1980年初めの評論。
1990年ごろのものは「写真への手紙」と題されて。
昨年の初めから順次書き上げているところ。
当時撮った写真のネガをスキャンしています。
過去と向きあうことが多い昨今なんです。

2001年の日付がある文章は、書簡集です。
これは物語風、完成してない文章群です。
こうして自分をみなおすきっかけにしようと。
それで新しい領域が見えてきたらいいのだけれど。
なかなか新しいと思える領域に至れません。
老年の年代に入ってきているからかも。

哀しい出来事には胸が詰まってこみあがり。
不条理なことは、もうあきらめ気分です。
怒りの心が消え失せて、平穏な気持ちになりつつ。
いつまで、こんな雑文を書いているのだろうか。
かってなら人に見せる手前の日記です。
多少意識しながら、いま、書いています。

-19-
春のはじめはどうもいけないです。
喜怒哀楽が交叉する季節です。
桜が例年より早く満開になりました。
昨日、水火天満宮へ行ってみました。
ここは枝垂れ桜が二本あるんです。
写真に収め、動画に収めました。
http://youtu.be/WZXYTqgQelI

横笛の音が聞こえていました。
よく見ると境内の片隅で女性が吹いています。
動画には音を同時録音するのでここぞとばかり。
そのシーンを、まとめて、アップしました。
動画もぼちぼち撮っています。
だいたい20秒くらいを単位に撮っています、

1980年ごろ、ビデオが出てきた当初のバイト。
いまでいうブライダル、披露宴を撮った。
どれくらい撮ったかしれないが、無編集です。
撮影の本番で、そのまま編集してしまうという。
まあ、まあ、馴れた手つきで、収録したと思う。
そのとき培った撮影技術で撮っている感じ。
でも、アマチュアやなぁ、つくづく思う。

瀬川恵美って子がいたけど、死んじゃった。
けっこう親しくしていたから今も思い出します。
最近フィルムスキャンしてたら何枚か写真があった。
順次ブログなどにアップしているところです。
岡崎純さんは、いま、どこで何をしてるのか。
瀬川恵美さんと同居してた男性です。

春はこころが浮き沈みします。
喜怒哀楽、まあ、世の中との接点ですね。
その接点ってのが、喜怒哀楽させるんです。
こころが動いてしまう、昔の関係のなかで。
ゆうゆう生活のはずが、いつの間にか世間と交じってる。
いまはもう、2013年の4月です。

-20-
今日は朝から運転免許証の更新にいきました。
5年ぶり、5年に一回の更新です。
この5年とゆうのは優良運転手だったから。
優良とは無事故無違反ということですね。
この先5年後ってゆうと平成30年ですよ。
西暦だと2018年ですね。

70歳以上は老人のマークをつけるのか。
そのまえに運転講習を受けるとか。
気持ち的にはそこでやめようかと思ったり。
経費的には車があると年間50万円ほどかかる。
やめたらいらないわけだから浮いちゃう。

とはいえ田舎へいくのに使っているから。
そのかわりにJRとか高速バスとかの経費がいる。
田舎での移動をどうする。
田舎の今の乗合バス事情なんてめちゃ悪。
いろいろと想いが浮かんでは消えていきます。

いずれにしても高齢者になっていくわけです。
事故を起こしたりするまえに返上するのがいいかも。
でも不便だよ、やっぱり、なんて交錯しています。
まあ、人生において些細なことなんですが。
こんなことの積み重ねで、老いていくですね。

-21-
いまバッハのヴァイオリン曲を聴いています。
無伴奏のパルテータってシリーズの中です。
バッハが作った曲をよく聴きます。
古典ですけどそのシンプルがいいです。
こころにしみる、心に沁みる。
音が心にしみる、かぼそい音ですね。

心に響く音色、それに楽器、奏でる人。
いま、頭には、写真が浮かんでいます。
心に沁みるイメージ、それにカメラ、人。
人間のすること、感動を呼ぶ行為。
音楽する、写真する、それから文学。
なんか知の体系そのものですね。

今日は宝塚メディア図書館に来ています。
ちょっと仕事が一段落したのでブログ書き。
図書館に畑由美子さんが集められたCDがあります。
クラシック音楽、そのコレクションを聴いています。
もともと音楽に傾斜していたからうれしいです。
どうも子供のころから耳にしていたんです。

ドナウ川のさざ波って曲があるじゃないですか。
小学校の上級か中学生になったころに聞いた曲。
オーストリアへ行ったときのことです。
リンツでドナウ川を見て感動しました。
コンセルトヘボウオーケストラ、オランダ。
アムステルダムで巡り合って感動しました。

こころが立体にできているんですね。
過去と今、見聞した風景との遭遇、とか。
その空間の中で感情が動くんですかね。
人間って不思議な動物ですね。
死んで身体が消滅しても魂が残るなんて。
信じるか信じないかは別としてです。

-22-
4月28日、万博公園のお祭り広場で連帯フェスタが開催されました。
昨年は雨のため中止でしたが、今年は晴天に恵まれました。
もう6年目になるんですが、ここで写真展をしています。
釜ヶ崎を撮った写真を、パネル展示しているんです。
写真作品を見せるというより、釜ヶ崎を知ってもらう。
釜ヶ崎って、大阪のあいりん地区って行政が言ってる所です。

炊き出しが続けられて37年くらいかな、毎日です。
釜ヶ崎炊き出しの会があって、カンパで賄われています。
一日二回、朝と夕方、雑炊の配給です。
理屈をごたごた書きませんが、まあ、現実のこと。
たまたまぼくが30年以上も前に撮った写真があって。
最近撮った写真があって<炊き出しの今昔>です。

-23-
5月になりましたね。
野には花が咲き誇り、木々は新緑です。
爛熟した春ってイメージですね。
昭和の日って祝日4月29日ですね。
ぼくたちは飛鳥へ行ってみました。
大和三山って、畝傍山、耳成山、香具山ですね。
一望に見える丘へいってきました。
気持ち的には偶然に出会った感じです。

高校の日本史で習ったのかな、飛鳥文化。
明日香って名前もあるんですね、明日香村。
飛鳥寺には日本最初の仏像とかがありました。
神話なんて信じてはいないけど、です。
神話を物語として、その想像力には敬服します。
ぼくも文章を書くけれど、想像力がない感じ。
ここだって、文章、雑文ってやつですね。
愛と癒し、その本髄はいにしえの奈良、飛鳥。
そんな気持ちがしていましたよ。

-24-
最近は音楽CDからパソコンに取りこんで聴いています。
いまは、ベートーベンの「運命」を聴いています。
第二楽章が始まって、うっとり聴いてしまいます。
長年、この「運命」は聴かなかったんです。
というのも思い出が鮮明で、聴くと思い出すからでした。
最近は、そんな思い出にもうっとりしてしまう自分。

最初に買ったレコードが「運命」、中学二年生。
お年玉をためていた郵便貯金から千円を払いだして。
千本の森川蓄音機店で、中盤のLPレコードでした。
聴いて、聴いて、聴きまくっていました。
ワンフレーズ、どこを聴いても、運命だとわかる。
それが最初に手に入れたレコードでした。

中学生になって、ブラスバンドクラブに入ります。
吹奏楽です、ここでクラリネットを吹きます。
三年生になるとパレードの指揮をするようになります。
幾つかの中学の合同チームで、行進するんです。
市役所から河原町を通って八坂の野外音楽堂まで。
服装は学生服、夏は白いカッターシャツ、ですね。

音楽に夢中になっていた中学生時代です。
聴くのは小品曲、ハンガリー舞曲とか、バレエ曲。
その他、ピアノ小品曲、まあ、中学生だから、とか。
その後、大人になるにつれて、深い曲を聴くようになる。
つい最近、ハイドンのシンフォニーを聴きだしました。
いつまでも、発見、している自分、ああ、田園が始まった。

-25-
ベートーベンの交響曲、一番から聴いています。
良く聴いた曲の中には入っていない曲です。
1965年頃にカラヤンが日本に来た。
ベートーベン交響曲を全曲指揮するということでした。
その時にカラヤンのベートーベン交響曲全集が出たんです。
箱入りのLPレコード、買いました。
たぶん金額は二万円ほどしたと思う。
月給手取り15000円くらいの時です。

その後、そのレコード全集はアルバイト先へ。
いまは手元にないけれど、CDの全集があります。
15年ほど前だったかに買った。
いまはなか卯になっている白梅町の十字屋。
月に何枚かずつCDを買っていきました。
だいたい毎月5~6千円使って、CDを買い集めました。
まさか、パソコンで聴けるなんて、考えなかった。

時代の流れって、技術革新です。
ハード環境がどんどん便利になってきます。
相対的に安く手に入るようになります。
もうひところ昔から見たら、超現実世界に変容です。
そんななかで、新聞読まない、本読まないと非難されます。
紙媒体の新聞・本が、そんなに必要なのか。
単にそのひとの経験のなかのノスタルジーじゃないのか。

時代ってものについていけない自分もいます。
スマートフォン使っていません。
タレントとか若い人の名前がわからない。
覚えられない、記憶力まったくゼロに近い。
体調もすぐれない。
老人の、音楽はクラシック、でも演歌もいいです。
童謡とか、小学唱歌とか、なんか涙がでてきちゃう。

-26-
愛と癒しの、ブログの名前なんですけど。
どうしてこんなブログ名なのかと。
それは、ぼくが、愛と癒しを受けたいから。
最近、このタイトル、いいなぁ、と思う。
世知辛い世の中、とんでもない事件が起こる。

道学者じゃないけど、愛と癒し飢えてるからよ。
義理人情じゃないけど、それに似たつながり。
お金じゃなくて、地位じゃなくて、なんです。
愛と癒し、なんか負け犬みたいなことですけど。
負けるが勝ち、ともいう言い方もあるじゃない。

もうここまで人生してしもた、と思う。
まだまだこれから人生する人へ愛と癒しを。
もういっぱい経験してきたぼくら世代はもういい。
若い世代、まだまだ生きる時間がある人たち。
そのなかでも折れそうになってしまう人がいたら。

愛と癒し、そんな気持ちが満ち溢れた処がここ。
まあ、人間、みんな、生きていかなくっちゃ。
健全っていわれてる人は、いいんですよ。
そうではない人、おちこぼれてしまう人。
そんな人のために、愛と癒しの、なんです。

徒然日記・雑記帳「愛と癒しの-4-」
むくむく叢書のご案内
_20181002_133057
愛と癒しの-4-
  27~33 2013.5.29~2013.7.8

-27-
もう梅雨になってしまいました。
早いもんで、もう一年の半分が過ぎる。
なにかしら、年と共に早く過ぎる気がします。
もっとゆっくりと、時よ、過ぎてくれよぉ。
なんてことつぶやいて、日々を過ごしています。

パソコンに入れた映画音楽集。
昔聴いた音楽「鉄道員」の最後のところの。
人の声が入ってるサントラ盤です。
めちゃくちゃ懐かしい、胸が締まる。
何度見に行ったのだろうか。
高校生の時、1960年代半ばですかね。

祇園会館とか美松大劇場とか洋画の映画館。
ひとりで見に行くことが多かった。
思い出すんです、そのときの心、自分の心を。
いやあ、なんてゆうんでしょ、青春、青い春。
ほんとに青かった、まだ熟していなくて青い実。
そのころに出した詩集が手元にある。

それらの日々から50年、半世紀がたった。
じぶんのなかの時間、じぶんのなかの記憶。
新丸太町通りを西から東へ走ってきて。
双ヶ岡の手前に「まつもと」ってスーパーが。
そこで彼女とふたりで買い物をする。
生活するための食料品ほか、でした。

かわればかわるもんですね。
かって畑やったところが住宅街に。
嵐電の踏切なんて、車が渋滞するくらい。
かっての姿を脳裏に描いて、繋ぎます。
生きてる証拠、記憶、それを懐かしむ。

-28-
朝からパソコンの前に座って何してる?
外とのコミュニケーション、メール、フェースブック。
写真の整理、ブログに記事を書く。
これに音楽を聴く、が加わります。
スマートフォンを使わないからパソコンだけど。
スマホを使ってる人は、スマホですね。

阪急電車に乗って大阪の方へ行くけど。
かってなら文庫本を読む人がいまやスマホ。
ぼくは、電車のなかでは、何もしません。
眠っていません。
子供みたい、窓の外、見れたら見ています。
携帯を持ってるけど、家族との連絡だけ。

なにかめまぐるしく変わっていきます。
変わり方に、気持ちがついていけません。
いまやってることが、古臭い、うとん臭い。
なにやっても老人がやってることだからダサイ。
見よう見まねでブログしたりホムペしたり。
もうやめようかしら、こんな気持ちになるのなら。

等伯って小説、読みえ終えた。
久々の書籍、本の活字を眼で見て読んだ。
おおむねその時代の事が頭にあったから読めた。
深い処は読めてないけど、等伯という人。
そこに出てくる本法寺は、ぼくの菩提寺になります。
そこに眠ることになる予定です。

ベートーベンの交響曲が終わった。
エグモントが始まっています。
あまりなじみがない曲ですけど曲名は知ってる。
これは西洋音楽、日本の音楽って、あまり聞かないですね。
最近になって、日本文化ってのを意識しだしたけど。
ぼくの生活文化って、欧米文化そのものですね。
なんてこった。

-29-
今日はブラームスのシンフォニーを聴いています。
小澤征爾指揮、演奏はサイトウキネンオーケストラ。
一番から順番に聴いていて、いま四番です。
ブラームスのシンフォニーは聴いたことなかった。
ブラームスといえばハンガリー舞曲第五番とか。
いま、これに切り替えて聴きだしました。

まえにも書いたかも知れませんが、ブラームス。
ハンガリー舞曲は中学生で聴いた音楽です。
旋律が、なんともいえない、胸を締めつけてくる。
きっと中学生の多感な感情を思い出すからかも。
いま、この年齢で初めて聴いて、感動するかしら?
舞曲といえばスラブ舞曲ってのもありますね。

スラブ舞曲はドヴォルザーク作曲ですね。
ドヴォルザークといえば新世界ですね。
新世界といえば大阪通天閣、なんて(笑)
音楽に耳を傾けて、時間を過ごす。
この世のものがすべて美しく思える。
見るモノ見るモノ、美しく感動します。

スラブ舞曲の第二番が聞こえています。
もの悲しいといえばいいんでしょうか。
ポルカみたいな感じにも思えるけど。
音のイメージってなんなんでしょうね。
言葉じゃなくて、音に感じる感覚。
音楽って、理屈じゃなくて、いいですね。

-30-
もたもたとパソコンで作業をしています。
中川繁夫寫眞集 なるHPを作っています。
たまたまみかけたただでつくれるHP。
まあ、ただにはただの理由があると思うけど。
ぼくが作っているHPはすべて無料で作っています。

民放ただで見てるようなもので、コマーシャル入り。
放送に関してはクレームつけないのに、HPについては。
ただのHPねぇ、なんてクレームをつけられちゃう。
それにしてもそのHP、ぼくらの世代ではまだ認知されない。
60代の後半だから、若いうちの経験のなかに含まれてない。

なんだか、あっちいったりこっちへきたり。
いま、ベートーベンの交響曲第二番です。
中学生とか高校の時に聴きなれてないから。
感情が動いてきません。
五番の運命なんか、こころ揺すられるのに、ね。

音楽は、ぼくにとっての癒しなのか。
音楽といっても、むかし聴いた音楽を聴き直すこと。
昔の記憶を呼び起こし、その光景を思い出す。
年をとって、先が短くなった証拠なのかも。
これからのテーマは、老いを見つめる、です。

-31-
今日は雨、梅雨の雨、恵みの雨。
一日中家の中にいてパソコンに向かっています。
スピーカーからは「運命」ベートーベンの第五番です。
第五番になって、この愛と癒しのを開いた。
じゃじゃじゃじゃあん、そうして第一楽章が終わった。
第二楽章は、切ない、こころ揺すられる。
眠たくなるような旋律、ぼくの場合です。

今日は雨、パソコンの画面見つめて、目が疲れてる。
なんか失明してしまう恐怖にさいなまれます。
中学生のときに、千円で買った25センチのLPレコード。
それが運命でした。
小型のレコードプレーヤーにレコードのせて。
33回転するレコード、78回転のSPでなく45回転でもなく。
なんか時代の先端にいるように思えた中学生。

そういえば、先週、中学の同窓会の打ち合わせ。
幹事に選んでもらえて、幹事をすることに。
地元の写真も撮っていることだから、それも含め。
これからの残りは、ちまちまと、地元志向かな。
生まれて育って、ふるさとは、今いるところです。
ホルンの音って、ぐっときますね、第三楽章。
中学の同期で三人が阪急音楽隊に行った。

-32-
6月がもう終わりになる。
お正月から半年がたったことになる。
どうしたことか、早すぎる、過ぎるのが。
この速さ感覚って、けっこうダメージです。
もう残り少ないのに、こんなに早く、なんて。
こんなこと言っていても仕方がない。

なによりも落ち込むのは、新しくないから。
新しいというか、前向く力というか。
新しい展開ができないいらだちみたいなもの。
年齢にともなう想像力の欠如なのかも。
新しいことを手掛けていないことに気付く。
なんやかやとチャレンジしてたのに。

ここは愛と癒しのブログです。
この言葉を見て、書いて、こころが癒される。
なんとなくほっとした気分になる。
愛と癒し、なんか、誰かに叱られそうですけど。
からだとこころに、潤いがほしいのでしょう。
年と共にからだが萎えてくるから、ね。

-33-
夏が来た。
とっても暑い部屋。
温度は35度をこえている。
外気温だってそれくらいだろう。
京都の夏、暑い日々。
今日は家にいます。

パソコンのある部屋は西側。
だかが午後になると暑くなる。
部分的にトタン屋根だからなお暑い。
暑い暑いといっていても仕方がない。
暑いのを承知でクーラーを入れていない。
入れてしまうと入れたくなるから。

毎年、夏は作業効率が落ちます。
なので目標を定めてそれに向かう。
たばこをやめはじめたのは夏前。
ダイエットしだしたのも夏前。
そうして毎年、夏を越してきた。
さて、今年は、なにも目標がない。

写真を撮るのも、ひと区切りな感じ。
2007年から始めた京都取材もこの夏はなし。
ひと区切りついた感がします。
フィルムのスキャンも中だるみ状態。
白虎社の途中でストップしている。
なにかにつけて中途半端なことだ。

この章おわり

愛と癒しの
むくむく叢書のご案内
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もたもた
1~10 2009.10.20~2010.1.13

-1-
この写真は、前に持っていたカメラで撮ったんですけど。
おととい、新しいカメラを買ってもらいました。
キャノンG11って機種で、最新バージョン、値段も総計6万円少し。
かなりのことができるのか、一昨日、昨日と、ためし撮り。
露出補正も、あんましいらないようにも思えます。
なにより、カメラになじまないと、あかんから、ね。
ちょうど、撮影中断してたとこだから、ちょっと戸惑ってるけど。
あさってには、時代祭りをちょこっと撮りにいこうかな。
そんな日々です。

-2-
11月にはいって、もたもた、もっともたもた。
スピードをおとして、ゆっくり、いこう、と思っています。
パソコンを導入して6年が過ぎた。
10月からこのブログのビッグローブに、契約を変えました。
11月になって、部屋を移動しました。
2年前の夏、煙草をやめるとき、部屋を和室に移したんです。
それを、もとの書斎らしき部屋に戻したところです。
なにかと、区切りをしないと、だらだら、続き。
いつの間にか、浦島太郎、その気持ちにならないために。
久しぶりに、今日は、まともなブログを書いています。

-3-
11月中旬になって、紅葉の様子を見に、金閣寺から鏡石。
しょうざんから千束。
きつい坂あがって、鷹ヶ峰の光悦寺から常照寺へ。
とお定まりのコースを歩いて、それなりに写真を撮りました。
これは11月16日、月曜日のことです。
それから、昨日、11月17日は、大阪、西成、釜ヶ崎。
来年の4月22日、連帯フェスタのブースで、展示する写真を制作のため。
炊き出しを中心にまとめる。
I氏が収監される直前ということで、けっこう、急いでる自分。
それから、埋立地の舞洲、まいはまってよむんやろか?
そこに市立で自立支援センターってのがあって、そこの周りで写真を撮った。
なんか、雨降りで、うっとおしくって、ゆううつ、そのもの。
そんなこんなで、もたもた、今日は、午後から、金沢行きです。
旧友のはなしは、またの機会にします。

-4-
この一週間は、けっこう多忙でした。
訃報もあり、気持ちが沈む。

18日(水)の午後から、金沢へ出かけ、20日(金)帰宅。
翌21日は、KBSの秋の収穫祭取材、夜には光影会例会。
一日おいて昨日、23日は孫の七五三詣りに与謝野町まで。
帰ってきたら岡田さんから留守電、山村国夫さんが亡くなられた。
大八木さんに電話して、例会の時の件も話して、少し落ち着いた。

-5-
11月のおわり。
あっけない感じで、終わっていきます。
なんか、言葉を忘れたカナリア、いやいや老木ってとこか。
自分のことです。

紅葉の季節、撮影は数回、この写真は北野天満宮の紅葉。
京都撮影も一段落つけた感じで、撮らない日が多くなりました。

来年4月の連帯フェスタ用、釜ヶ崎の炊き出しの写真。
30年前のと、今年のとを、展示します。
ぷらす状況説明ってところでしょうか。

気持ちが落ち込んでるって感じが否めません。
収穫祭の取材が終わり、これから園部方面の取材など、気分が乗りません。
乗らない時には、無理せんほうがいいんだと思うけど。
そうとばかりも言っていられない。
2009年11月が終わります。

-6-
2009年12月。
終わって始まっていく。
あえて意識的にいえば、終わりにして、始めよう。
何を終えるのかといえば、自給ネットに関すること。
それから、ブログの整理、規模の縮小。
そんなことを、具体的に、するべき。

ここを、せんせ、つまりぼくの公式ブログとしていきます。
これまでのヤフーから、ビックローブに変更したから。
としても、2003年秋から6年が経っての変化です。
もたもた、なにか締まりがない。
だらだら、年のせいかも。
すっきりしない。
体力の減退が、行動にもあらわれ、無理をさけるようになった。

-7-
12月も10日になって、師走中盤になります。
ぼくは、いまや、ゆうゆうだから、のんびり。
とはいいながら、のんびりしてると、さみしい。
人と人の関係が、わづらわしいけど、なつかしい。
世の中で、世捨て人になったわけではないんです。
ホームレスには、ならなくてもよかった。
家もあれば家族もある。
粗食ながら、食べていけるだけの年金もある。
まあ、逃げきってきた。
だから、もう、わづらわしいことは、お断り。
ともいえない、このご時世であります。

-8-
12月26日、クリスマスも終わって、いよいよ終わり。
大晦日を迎えるだけ。
あっちもこっちも、今年1年の振り返りばかり。
ここでも、そうすることにしてみると。
これ、もたもた、のシリーズを始めた。

京都取材が終わった。
農関係も終わろうかな、と思った。
そうして、あらたな年を迎える。
来年64歳になるってゆうから、年寄り。

京都写真学校は6年目に入っています。
10年は継続、そのころには後継者さん、いてほしい。
あっとゆう間の5年間でした。

最近は、まとまった文章が書けなくなった。
起承転結の文章のこと。
もちろん、以前にも、これはなかった雑文でした。

終わって始まる、そんな日が今日なのかも。
うん、終わって、始めよう。
なにを始めるかは、わからないですが。

-9-
2010年、新年にあたって
あけましておめでとうございます。

西暦2010年の幕開けです。
新しい年への、期待のファンファーレが響きます。
もう暗い話はよしにして、明るい話で盛りあげましょう。
ことしも、よろしく、おねがいいたします。

-10-
タイトルをつけるのが苦手なので、日付にします。
これまでだと、京都何々ってゆう名称でしたけど。
京都の取材を、実質、終了したから。
今年は2010年、それを日付で連載します。

部屋にこもっていると、憂鬱ですね。
他者との交流がないとゆうのは、むなしいですね。
どちらかといえば、交流が少ない自分なので。
性格だと思うから、仕方がありません。

さて、ほんと、2010年って、へんな気持です。
身の回り、パッとしたこともなく、父の介護の件で浮きません。
63歳から64歳になってしまう自分の年齢。
自分が逝きそうなのに、父の介護とは、辛いですね。

あんまし、暗いことを言ってるのも、せいないです。
だから、なるべく、明るくふるまっていこうと思う。
つまり、フィクション、しちゃえってことか。
太宰生誕100年って、今年のことかなぁ。

愛と癒しの「そのころ近況-1-」
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_20181021_145348
そのころ近況-1-
1~12 2010.4.29~2010.10.30

-1-
そのころというのは、1969年から1970年にかけて。
いまからいえば40年以前のころのはなし。
大学の夜間部に入学したのが1968年。
ちょうど学園紛争の真っただ中で、ぼくの学校もそんな感じ。
生活費としてのお金を稼がなければならなかったから。
2年目になって、待望の出版社に就職できた。
出版社にとはいっても、営業補佐くらい、見習です。

京都は百万遍のそば、京大北門の前にその出版社があった。
いまは、別の名前の出版社が、あります。
たまたま、昨日、通りがかって、思い出した。
そこが出版社の京都支店というか営業所。
どんな本出してたかというと、法律関係。
それとちょっとえっちな感じの本、二本立て。
安保肯定論ってのが、売れ筋とか。

そうなんですね、安保。
日米安全保障条約、いま軍事同盟なんていってますね。
日米軍事同盟、普天間基地をどうするか、もめてる最中です。
安保反対どころか、容認したうえで、どこに米軍基地を置くか。
なんと、時代の変遷ってのを感じるところです。
まあいいや、そのころの話です。
ぼくは、大学に休学届をだして、東京へ、東京本社へ配属。
東京大学の正門と赤門の間の正面が、出版社があった場所。

-2-
それから10年後になっていた、1980年前後5年間ほど。
写真を撮りだし、ひとりで作業を進めていたころに。
出会ったのが中平卓馬という人物。
出会ったといっても、面識ができたわけではなく、写真と評論に触れたわけ。
カメラ毎日って雑誌だったかも。
それから書店、四条河原町にあった京都書院で。
そこの書籍棚で、なぜ植物図鑑なのか、ってタイトルの本を見つけた。
けっこう、読み進み、ある感動を覚えた。
たぶん、写真に関する思い、考え方、など示唆されたと思ってしまう。

その後、東松照明さんに出会って、写真についての様々なことを、教わった。
教わったというより、影響を与えられた。
いま、こうして、記憶をたどりながら、ぼくとの関係を考えると。
この二人の人物に、おおきく由来していると思えます。
もちろん、多くの人との接触があり、そのつど影響されてきたわけです。
でも、とりわけ、ぼくが意識し、その中心となった人物といえば、この二人。
とくに、そのなかでも、東松照明さんには、傾斜してしまいまいた。

いま現在、2010年ですが。
ぼくの写真作法の原点は、上記二人の影響が大きいと思ってる。
その二人の人物が、1968年から1970年にかけて、何をしていたか。
1968年という年ににこだわりたいぼくは、そこをまず明確にしたい。
ぼく自身は、大学へ入れた年、すでに22歳になる年です。
文学をめざし、小説家を夢見ていた、まだ夢を見れた年です。
プロヴォーグっていう写真同人誌のことを、知るのはまだまだ後。
東松照明さんのことを知るのも、まだまだ後。
1968年という年は、大学紛争、そのまっただなか、でした。

-3-
近況 2010.5.31

この五月、なんか日々過ぎるのが、遅い気がしています。
いくつか、身の回りの出来事があって、思い出が多いからか。
五月連休に子供家族と一緒に田舎へ。
小学校4年C組の同窓会。
それから父の入院。

父の入院には、こころが沈みます。
ウツ状態といえます。
まあ、自分で言うから、病的じゃないと思う。
気持ちの落ち込みっていえばいいでしょうか。
まあ、気分爽快じゃない。

ここの日記風エッセイも、ご無沙汰気味。
文章を書くってことが、億劫になってる心境。
どうしたことか、失語症。
いいえ、そうではなくて、こころが重い。
思い出して書きたくない、そんな気分。

今日は、朝いちばん。
いま、朝飯前、ぼくとしては公的ブログに、記事を掲載。
その流れで、ここにいます。
ええ、どこで終わろうかと、イライラぎみ。
文章を書くことを、意識しています。

-4-
6月5日は、ミニ同窓会。
小学校4年生の同窓生で、琵琶湖の蓬莱。
そこにヨットを置いている同窓生の計画。
ヨットに乗る。

男女合わせ8名。
若くはないですね、悠々自適族?
まだお金儲けで働いてるメンバーもいる。
そんな旧友とたのしいひと時を過ごす。

還暦過ぎて、初老の年代になっていまごろ。
昔、10歳前後のころに、一緒に勉強し遊んだ人たち。
不思議、ほんと、なかよしともだち、そんな感じ。
まあ、こんなこと、できること、素直に喜びましょう。

-5-
一か月ぶりに、ここに参上。
最近、この数年、こうゆう状況が続いています。
毎日、パソコンの前に、座っているのに、です。
写真を撮ることも、減退している。
集中できない。

この原因は、父の介護関係、町内の関係。
これで気持ちがそがれてる。
なにかと気がかり、手間がかかる。
だから、自分の作品つくりに集中できない。
文章を書くのが、億劫だ。

介護環境のことが、わかってきます。
現状の老人介護のことが、わかってきます。
当事者になって、わかってくることがあります。
たしかに、もっともっと環境整備をしてほしい。
消費税もさることながら、介護の現場を充実してほしい。

老人施設をもっとつくれ、とか。
医療費をもっと安くしろ、とか。
年金の受給額レベルで、介護を受けられるように、とか。
とかく、やっぱり、自分の将来の、不安材料ですね。
参議院選挙、実践している政党に、投票します。

-6-
もう今日は8月7日、夏の真っ盛り。
昨日は琵琶湖の花火大会に行ってきた。
おとといは、墓参りに行ってきた。
父がいま入院中、昨日医師と面談。
今後のこと、ケースワーカー氏がアドバイス。
双ヶ丘病院を最後の病院として、それまでの策を考える。
なにかと、死にいたる手続きだけに、気が重い。
身内ってこと、意識してしまう昨今です。

月記となっているこの場所。
最近、日記体のこういう文が書きずらい。
もちろん、ほかのまじめな文章も、書きずらい。
ちょっとイライラっとしてくるのです。
そういう時期、波の最中なのかも知れない。
といいながら、もう64歳となっている自分。
なんとも、いえない昨今です。

このまえ、7月24日、小浜へ塩をつくりに行って、写真を撮ってもらった。

-7-
この夏は、気を病むことが多い夏です。

第一に父の介護。
今年5月22日に脳出血が発症、3カ月がたちました。
脳専門のシミズ病院へ運ばれて入院1か月。
そこから民医連中央病院へ転院40日。
そして8月13日に上京病院へ転院となりました。
この28日には双ヶ丘病院への受け入れが決まった。
このことが、いちばんの出来事です。

夏、今年も、祇園祭り、地蔵盆、送り火、そうして、いま。
琵琶湖の花火大会を、見に行った。
祇園祭りは、山鉾巡行を四条烏丸で見ました。
夜には、幸い、神幸祭を取材しました。
こうして、もたもた、夏が終わっていきます。

あまり、作業が進まない。
夏の暑さ、猛暑日、熱帯夜、それが影響しているのかも。
まあ、あんまり焦っても、しやないなぁ。
そんな気持ちにもなっているところです。
もう、なにもかも、いいじゃないですか。
いまさら、怒っても、悔やんでも、どうなるものでもない。
なりゆき任せでいいのでは。

-8-
昨日、8月28日、双岡病院へ入りました。
入院手続きを終え、今日は二日目。
今日は日曜日だから、家庭裁判所へは、明日。
保護者申請をする?
診断書には、出血性認知症とか、書いてあった。
それで、本人が法的行為ができないから、代理人。
いろいろ、知ることが多いです。

今日も、自転車で、病院まで、行って帰ってきました。
も45年も前、高校が嵯峨野だったから、そのへん土地勘あります。
帰り、妙心寺の丸太町側で、池垣って家、確認しました。
ひょっとしたら、まだあるかも、記憶をたどっていきました。
あったけど、誰が住んでるのかな。
池垣先生は国語の先生、あくろう、悪郎ってあだ名。
なんか、家へ入り浸ってた。
東京オリンピックのテレビ映像、そこで見てた。

この話は、近況というより、そのころの内容ですね。
双岡病院は、精神科の病院、そのイメージがあるんです。
でも、設備というか、環境いいですよ。
病室、明るい、看護師さんなんかも、親切です。
こころ救われる感じがします。
ターミナルケア、終の棲家。
マザーテレサの死を待つ人の家。
その、気分って、いま、なんとなくわかります。

-9-
9月になって、涼しくなると思ったら、今年は残暑厳しい。
35度を超える猛暑日、25度を下回らない熱帯夜が続いています。
なんか、地球温暖化が、加速してるということでしょうね。

命、人間の命について、いろいろと思うことが多いです。
高齢の父を抱えて、病院に預けて、顔を見に行くだけ。
それでも、親子のつながりで、それでよい。

今年は、国勢調査の年にあたっていて、その調査員になった。
町会長に当選した流れで、そのように任命された。
なにかと煩雑、というより手間がかかる。
9月中旬から、10月中旬まで、用事が多い。

昨日、今日とアルバムを作っています。
ニコンのピクチャータウン、2010年、今年撮影の写真。
なにしてることかと、自分でも、説明がつかない日々。
これが、生きてる証拠、ハンドルネームでは、物足らないけど。

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9月中旬、かなり涼しくなってきた感じですが、暑い。
なんか、地球が異変してる。
昨日、さんまの寿司を買ってきた。
四切れで約400円、かなり高価なにぎりずし。
さんまが、捕れないらしい。
昨年は一匹100円、今年は400円前後。

そういえば、イカだって、日本海、金沢近郊の海、捕れてない。
なにかしら、魚場が、移動してるらしい。
海水の温度とか、クラゲとか、いろいろな事態があるみたい。
ひとつひとつ、関心ごとのように書いているけど。
ぼく自身、いま、そんなこと、関心の中心ではありません。
関心の中心でなければ、なにが中心なのか。

なにが中心なのかと問われてもぉ。
明確に答えられないじゃないですかぁ。
いやいや、明確に答えるには、ちょっとお恥ずかしい。
食べるモノのこと&セクシュアルなこと、このふたつですけど。
いずれも生存に欠かせない、いやはや後者は人類存続。
生命を維持していく基本でありかる重要なことなのです。

老いていくということ。
これって、関心ごとですけど、食べること、生殖すること。
二大関心ごと、動物として生存するための、条件です。
これが、老いということで、変化していくということ。
これ、食べ物については、語ること、できます。
でも、生殖のこと、なかなか、論ずるの難しいですね。

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昨日2010年10月1日は、北野天満宮のずいき祭りでした。
ずいき祭りに、特別の思い入れがあるわけではないけれど、取材に行った。
北野天満宮、なにかしら、記憶に残るスポットなんです。

その第一は、もう60年近く前、小学校にあがるまで、壬生にいたころの話。
父に連れられて、北野天満宮の縁日に来た。
御前通りをあがっていって、そのままいけば、祖母の家。
そこへ行くのかといえば、今日はそこへは行かないと言った。
その後、小学校にあがるとき、その地へ引っ越してきた。
現在も居住の地、ぼくが生まれた生誕地、いまはない家屋があった。

その第二は、子供のころの遊び場として、北野天満宮の参道界隈。
毎月25日には、縁日で、おこずかいをもらって、遊びに行った。
コルク玉の射的、見世物小屋、口上語って品物を売る男。
食べ物では、お好み焼き、串カツ。
小学校の4年か5年のころ、母が露店を出しだした。
お正月、25日の縁日、参道中ほどの鳥居の近く、西側。
その場所が母の店がある場所でした。

中学生になると、天満宮の記憶は薄れて、千本今出川から中立売の記憶へ。
千本は繁華街、映画館とか、喫茶店とか、飲食店があった。
今もあります、その痕跡、そこを訪ねて写真を撮っている。
この話は、別途、書くことにして、北野天満宮。
ぼくの<京都>の中心スポットであるわけです。
掲載の写真は、2010.10.1撮影、ずいき祭りの行列。

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ここで物語をつくるつもりは毛頭ないけれど。
語ること、書くことが、まるで物語なのです。
そのように思えてくるんです。

10月30日、土曜日の今日。
朝から、金沢発、高速道路つかって、京都へ戻ってきた。
妻が、左太ももの骨を折って、浅ノ川病院に入院している。

それは10月14日の午前10時半ごろのことです。
それから、今日まで、もう二週間以上が過ぎてしまった。
なにかまだ、現実の実感が、わかないんです。

ここで、日記を書き、過去を語ろうとの思いがあります。
なにから書こうかと、思う。
そうなのです、結婚40年が過ぎた。

愛情、そりゃそうゆう感情のものです。
怪我とはいえ、入院ですから、心配します。
いっしょに生活していたわけだから、困ります。

アクシデント、父が双岡病院に入院中。
妻が、金沢にて入院中。
ぼくは、アクシデントに見舞われている。

今日は、光影会の例会、久々に参加させていただいた。
写真って、なんなんでしょうね。
写真を介して、ともだちつきあい、なのでしょうね。

明日はグランドゴルフ大会とかで、参加します。
初めての参加で、老人入りを認めてあげます。
地域にもなじんで、京都の写真集を作っていきます。

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