中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

カテゴリ: 気儘な手記

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令和元年9月30日、今日の日付です。
明日から消費税が10%になるとゆうので、マスコミはそのことばかり。
特に買い置きしておかないといけないものはないから、買い急いでいません。
写真は、鞍馬口地蔵尊、昨日、近くへいたので久しぶりに拝ませていただきました。
話しの場の人、数人にも紹介しながら一緒に見せていただきました。
三年前にもこのお地蔵さんをアップしていて、フリーになった旨、書いていました。

三年前と、それから三年の経緯と、いま、いる場所について、想い考えています。
新たな学びの場を生成させたいと、枠組み作りに、あちこち動いてきたところです。
反省をこめてゆうと、思うようにはいかなくて、結果として、いったん終結、という日です。
新たな日々を作っていこうと思っているところですが、思考回路の変更を認めます。
変更を認めて、どのように、どうすれば、いいのか、このことが自分ではわからない。
自分の在り方を続けてきた結果としての終結だから、どう変更するのか、ここです。

学校つくりのプロジェクト、この大枠のところに戻って、組みなおしをします。
総合文化研究所から15年、紆余曲折あって、現代表現研究所に至っています。
時代の精神、なんてむかし言いましたけど、いまの時代の精神はいかに、です。
シリアスにこの時代精神の底流を、つかみたいと思っていて、仮説を立てています。
自分の内面、私の研究、私風景ですか、そこへ降りて行って、そこからの表現です。
これが時代の精神、現在の主流だと思っていて、さて、いかに表現するのか。

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撮ったばかりの曼殊沙華、庭に咲いている彼岸花、スマホで撮っております。
いつも感心するんですが、彼岸の頃になるとにょろにょろ茎が伸びて咲くんですね。
その植物の感覚ってゆうか、感度ってゆうか、これが自然体位なんですね。
人間様も、この自然体位で生きたいところですが、社会ってのはそうはさせない。
人間には、特有の思い入れってのがあって、記憶に基づいて行為があるみたいな。
ここまで生きてきて、生命の不思議に、素直に忠実に、残りは生きていきたいなぁ、と。

最近はまっているのが、かなり昔の小説というか文章の塊を探して読む、こと。
1940年代後半から50年代半ばまで、和暦でいえば昭和20年から昭和30年頃まで。
ネット上に公開されている、当時の雑誌のページがそのままスキャンされているのです。
カストリ雑誌とはちがうSM雑誌のようなそうでないような、風俗史研究の資料でしょうか。
風俗史研究の資料、なんていうとカッコいいけど、人間の性欲を満たす、資料でしょうか。
文学史には表れてこない裏文学史とでもいえるか、いやいや文学史幅を拡大するべき。

野間宏とか大岡昇平とかの、硬派な戦後文学なら、正々堂々、研究してますって名乗れる。
でも、たぶん、それらと並列できそうな、軟派な戦後文学、隠れた文士たちの小説がある。
小学生のころに、乱歩とかと同列で、雑誌のページを見て読んだ記憶があって、それが蘇る。
野間とか大岡とかを読むのは、高校から大学生のころで、少年期はカストリ雑誌を読んだ。
まだまだ開放的ではない領域ですが、私の研究表現塾でも立ち上げて、研究しようかな。
写真もそうだし、映像もだけど、軟派文学を研究対象としても先鋭的なのではないですか。

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<手記>という熟語に文学的な匂いを感じている自分がいます。
なにか秘密めいた隠し事を表に出す、みたいな感覚があって、戸惑ってしまいます。
日記とか記録とか記憶、<記>という文字が含まれる熟語にはあまり抵抗はありません。
ドストエフスキーだったかに、手記という熟語がはいったタイトルがあった。
そんな闇の中からの記憶が立ち昇ってきて、なにか感情をゆすぶってくるんですね。

手記っていうと、自分の生い立ちとか、性関連とか、性癖とか、そういうのを暴露する。
私研究という枠組みならば、肉体に関する諸般の見識、とかを話題にするべきか。
なんてむつかしい言葉を使って、考えようとしているけれど、もっと単純ですね。
掲載の写真は、昨日食べた、天ぷら定食の膳です。
食べ物の話でいくと、そこにも変質者の趣向みたいな匂いがしてきます。

生きるってことが、実はかなり変質だと思うのは、自分が自分と向き合うからかも。
なにが良質で、なにが変質なのか、この境界線なんて、曖昧だし、一線は引けない。
社会で、表現や行為が許される範囲というか、枠があるじゃないですか。
そこを外れると犯罪というレベルになるという境界線のことです。
心のなかでは犯罪していても、行為しなければ許される、というのでしょうね。

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NAGASAWAさんとは数か月に一回、SANOさんとは二か月に一回、会っています。
高校からの知り合いで、ここ数年、朝ミーティングを行っています。
SANOさんは、小学校から高校まで、一緒に勉強した友だちです。
明るい陽が射し込む喫茶店の、デラックスモーニングを嗜みながらです。
定例的に会っているのはこのお二人で、よもやまの話を交わしています。
お二人の特徴は、定年まで一つの企業で勤め上げられた人ということです。

まともに人生を送ってこられたひとは、枠組みが安定していて、紳士です。
ぼくなんかは、そういうことでいえば、ちゃらんぽらん、という男子です。
きっちり社会的基盤を持っておられるから、発想がぶれませんね。
ぼくなんかは、その基盤が浮遊してきたから、あれこれ発想がぶれます。
でも、まあ、ぼくが、深い話ができる相手のようで、個別に関係が続いています。

もう人生ここまで来たぜ、という感じで、共通の興味の話を交わして勉強会です。
でも、一番肝心な、セックスにかんする話題は、やったことがないですね。
一般に避けてとおる話題だから、親密なる友とは、そこの話をしたいところですが。
ましてや、私を探求する、なんてフレームは持っていないから、話題にならない。
この歳になって、政治経済の話や、国際情勢の話よりも、もっと別のテーマでも。
このようには、個人的には思うところですが、それ以上には話題交換できないですね。

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この一年ほど、評論に値する文章を書いていないことがわかりました。
というのも評論でブログに書いた文は、ホームページにまとめているのです。
そのホームページのページを更新していて気がついたところです。
先月に、管理していたブログの大半を潰してしまって、今は見れないです。
それらしき文章を書いていたようにも思えますが、それらは駄文の類だと思います。

写真一枚と文章を書く、という方法をとっていますが、最近は文章なしで写真のみ。
そういうブログページが多いです。
文章が書けなくなった、駄文にすぎないから、書いてもしやない、との気持ちです。
その点、写真はあっけなくページを作れるから、楽なんです。
あ、写真は、それなりに厳選しているところですが、駄作も結構ありますね。

もの心ついたころから、自分のことしか考えていない気がします。
利己主義とか自己主義とかではなくて、自分のことがテーマなのでした。
自分に向かう刃物、とでもいえばいいか、自分を対象化する作業に向けていた。
作家というのは、そういう作業回路を持っているもんだと思うけど、と思っています。
IQのことが話題になっていたけど、ぼくのIQは中学のとき130でした、高い方ですかね。

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さあ写真を撮ろう、と思って出かけた最初は下鴨神社であった。
盆が過ぎて、もたもたしているうちに8月も後半になってきて、焦りが出てきた。
何をするもの、手につかない、そんなときにはふらっと外に出て、バスに乗る。
バスも地下鉄もフリーパスなので、行き当たりばったり、来たバスに乗る。
とはいっても、方向を決めないと、バス停で待てないので北か南か、決める。
この日は北へ、205系統で、下鴨神社前まで、乗っていったのであった。

等身大の白い風船玉が、あちこちに置かれていて、不思議な空間を作っている。
なにやらイベントのために、夜には光るオブジェになるのか、まあ、いい。
G5Xカメラが潰れたので、G1Xをもって撮影のトレーニングです。
そこそこに撮って、帰りにギャラリーを訪ねるとOKADAさんがいらした。
コーヒーを飲ませてもらい、しばらく歓談して、別の人が来たので、外に出た。
バスを待ち、来た経路で帰る、慣れた手順の行程だ、迷いはない。

京都という土地に生まれ育ったから、写真の被写体は京都の様々にしている。
総枠でのタイトルは「京都」、既存イメージの京都のなかで新イメージを創る。
そうはいっても、新しいイメージなんて、どうしたら、そうなるんだろうか。
まるで迷路のような、あっちに行ったり、こっちに来たり、右往左往です。
作家であることを意識するから、そうなるので、そんな意識は脱ぎ捨てろ。
なんて思っても、習性ですね、そういう意識から抜け出せない自分がいます。

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やっぱり食い物の話が妥当で適当で無難な感じなので、食べ物の話です。
寿司が好き、日本人ならだいたい好きらしい、ぼくもその一人、好きです。
子供のころ、寿司といえばかなり高級食の感じで、にぎり寿司なんて、高級。
寿司一人前は9個が相場ですが、盛り合わせ寿司を、たまに食べました。
巻き寿司に箱寿司に握り寿司、握りのネタは、いか、たこ、マグロ赤身だったか。
一人前60円ぐらいだったのを覚えています、今の価値で800円くらいでしょうか。

アルバイトで寿司寅さんにお世話になったのが、高校一年から三年の夏まで。
出前要員でしたが、寿司のことを、いろいろと教えてもらいました。
このころ、寿司寅の盛り合わせは一人前120円、今価値で1200円でしょうか。
内藤さんというのが大将で、関本さんというのが握り寿司のベテランさん。
ほかに店員さん3人、ご飯炊きの賄さん、女将さん、お顔を思い出します。
蒸し寿司にはアナゴがまぶされるけれど、チラシ寿司には魚はまぶさない。

巻き寿司の海苔は、柔らかくてもダメ、ちぎれない堅いのもダメ、というのです。
噛んで難なくちぎれる堅さ、だけど、それは時間がたつととろける海苔です。
もちろん、高級海苔の話だと思うけど、とろける、だから、少し硬い目の海苔を。
マグロ、そのころ10センチ四方ほどのマグロの赤身が1万円だと聞いた。
バイト料一日500円の時代に、1万円とは、おどろいた、驚きましたよ。
同い年の男子が住み込んでいて、友達になって、単車を乗り回した記憶があります。

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やっぱりウナギ、鰻ですよね、夏にお気に入りの食べ物、ぼくのナンバーワン。
外食で、牛丼の店で食べられるし、回転すしの店でも食べられるし、いい時代です。
稚魚の生産ができないから、高値のまま、このうな重なんて1250円だったか。
つい数年前には、このレベル、千円未満で二枚重ねが食べられたと思うんですが。
今夜は、自宅で、鰻丼、重箱ではなくて丼茶碗だから、鰻丼です。

あいちトリエンナーレの話題で、アートと政治問題なんて、意見が交錯しています。
ぼくは、あえて言えるほどの技量もなく、知識もないから、発言しませんけど。
津田さんに矛先向けても始まらないでしょ、と思うわけ、相手はそこじゃないでしょ。
では、どこが問題なのか、どこへ矛先を向けたらいいのか、妥協点を見つけて和解。
こんなわけにはいかないか、みんな自己主張だから、そういう世界の出来事だから。

でも、戦争の被害者として、従軍慰安婦として働かされた、ということが、あった。
そのことを顕在化させて、基本的には、戦争反対を呼び掛けているんじゃないのかな。
シベリアでの遺骨が、日本兵のものではないという話が、公表されたけど、悲惨です。
人間が、人間扱いされていない、大昔の話じゃなくて、近代、現代、の話しですよ。
ちょっと言い過ぎたかなぁ、でも載せてしまいます。

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暑い日だから、冷房が効いた牛丼店で牛めしを食べることにした。
昼間の気温が38度を超えたというから、あの暑さは体温を超えていた。
牛めしは税込みで320円であった。
最近は、あまり牛丼系は食べなくて、ウナギ系が多い。
とはいっても月に一回あるかなしかの頻度だから、たまに程度だ。
ここのは味噌汁がついているから、格安、って感じで、うれしい気持ちになる。

食については贅沢心は全くなくて、安いものを食べる、ことが多い。
食べるくらいならフィルムを買う、飲むぐらいならフィルムを買う。
こんな習性がついてしまったから、食への贅沢は差し控える。
ところが最近、それなりの値段のところで、食をすることが多くなった。
夫婦で残り少ない機会だからと、なにもいわずに許してあげる。
食については、こうして、話題にして、書き上げることが多い。

ほんとうは、こんなこと、どうでもいい話であって、興味は別のところにある。
ところがこの別のところは、明るいところでは話題にすることができにくい。
隠れたところでするから、陰湿極まりない。
奇妙な犯罪が多く表れてきた世の中、封印したことが原因ではないか、と。
全くの専門家ではないから、良識的なことはいわないが、本音ならいえる。
とはいっても、この本音のところが、表に出るとやっぱりヤバイんだね。



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作家になりたい、作家になろうと思ったのは、高校生の頃だから17歳ですかね。
漠然としていたけれど、作家といっても文章を書く作家で、詩人か小説家です。
二十歳のときに音楽から文学に、十字屋楽器店を辞める時、作家になると言ったのです。
先輩の社員さんには笑われたけど、ぼくの気持ちは本気でしたよ。
それから一年浪人して、大学生になって、小説を書きだして、同人誌に参加して。
まあ、あの手、この手で、文章の練習をして、文体を作ろうとして、四苦八苦の日々です。
学生運動に直接参加はしなかったけれど、ノンセクトラジカルとかいうレベルでした。

今年73歳になったんですが、こんな歳まで小説書くなんて、思いもかけなかった。
歳とともに、緻密さとか、構想力とか、そんなのが薄れてきて、フラット生活です。
もとから構想力とかの能力はなかったのだと思いますが、それも歳とともになくなる。
ただ、性欲が減退してくることと反比例するように、この領域のテクニックが上達ですね。
リアルロマンなんて造語で、自然主義と浪漫主義をミックスさせる小説世界、を想定です。
写真は、現場を持たないと絵にならないけれど、文章は、現場なしで想像力で描ける。
それらの文章を一か所に集めて、ぼく自身のための収納庫としようとしているところです。

高橋和巳っていう小説家、知る人ぞ知るその当時の作家で、ぼくもファンであった。
39歳の若さで死んでしまったけれど、「わか解体」って本を最後に残しているんです。
この自分を解体するというコンセプトを、ぼくは、今あらためて、命題にしている感じです。
いや、長女が生まれたときに、この本を買って、メモを残していて、それが手元にある。
気取って、いっかどの文章家のごとく振る舞っている若僧ですが、そんな時代もあった。
もう、いまは、メタメタ、なにがなんだかさっぱりわからず、その日暮らしをしておる。
毎日、もう、日課だね、原稿用紙なら三枚分ほどの、フィクションを手掛けておる。

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遠い遠い記憶が、ふううううっとよみがえってきて、その光景に酔いしれてしまう
ドストエフスキーって作家がいたけど、彼のイメージったら屈折おじさんって感じです。
なにが屈折かといえば、その心のなかが闇でエッチなことや悪のことなんか考えてる。
それもロシアという寒い寒いところで、悶々としながら、言葉を発してる。
そこからの言葉が、手記となっていて、ぼくに、彼の心の闇を、垣間見せてくるんだろうな。

人には、心の闇ってのが、あるような気がするんですよね。
これは気づきだから、気づかない人もたくさんいると思うんです。
作家という奴は、自分が気づいた闇を、気づかない奴に、気づかせる。
おお、怖い話ですね、太宰治とか高橋和巳、深く読んだのはこれくらいですけど。
ドストエフスキーってのは50代になってから読んだから、これは論外にします。

ボードレールは、悪の華、って詩集を作って今に残していますね。
ぼくは深読みしてないから、批評的に内容を語るなんてできないけどタイトルが良い。
悪の華、なんてその向こうにひろがる闇が、ぼく自身の存在を問うてくるじゃないですか。
いや、著名な人の名前を出しているけど、ぼくは、まったく著名ではないです、念のため。
手記を書こうと思うけど、やっぱり、心の闇にライトを当てることは、まだ、できない。


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気儘な手記というタイトルをつけました。これまでは日記というフレームでしたが、日記にはならなくて、気儘に書きますというタイトルにしていました。それが手記という文字を使うことにしました。微妙なのですが、手記、という単語には古い語り口の匂いがしてきます。古い箪笥の扉を開けると、樟脳の匂いがして、なんだか秘密めいたモノを見る、そんなイメージです。江戸川乱歩の怪人二十面相、明智小五郎と少年探偵団、少年の頃に垣間見た未知の世界を、覗いたあのイメージです。

手記という文字をよく見知ったのは、ある月刊本だったように思い出されます。「~~~~の手記」なんていうタイトルで、描かれたイラストがいまでは古い、カストリ雑誌の挿画、色なしのペンタッチの描画です。~~~~の部分は、たとえばアブノーマルな私、というようなフレーズが入っておりました。「アブノーマルな私の手記」、手記と言うとこういうイメージが心的に立ち昇ってくるから、公開文章で、書いていいのかなぁ、と思うところでした。

ペンネームで書く、ということが文筆家には多いと思っています。そうだ、ペンネームを使って、文章を書こう、と思ったわけです。そういえばネットではハンドルネームって使うじゃないですか。フェースブックになってから、実名を使うようになりましたが、まだハンドルネームが主流だったころには、すけべえな言いたいことが溢れていた、じゃなかったですかね。自分が自分であることを隠して自分の内面を書き出す、という屈折です。

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