中川繁夫写文集

中川繁夫の写真と文章、フィクションとノンフィクション、物語と日記、そういうところです。

カテゴリ: 光の痕跡

2005.8.16
たった一人の叛乱

かって釜ヶ崎で取材していた当時、1978年から1983年のことですが、季刊「釜ヶ崎」という雑誌の発行に携わっていた。
そこで考えていた言葉に「たった一人の叛乱」というのがあった。
一人だけでも叛乱していく、かなり過激な言葉の意味ですが、そのように考えて行動していきたいと考えていた。

イメージとして。
体制の外側に位置する場所・トポスであった釜ヶ崎。
世間の裏側から現実をみて、決起せよ!なんて思っていた。
その延長線上で、ボクの制作態度やアクティブがあると思っている。
社会の中心を成す軸に対して、ヘッジ、マージナリーとでもいえばいい。
社会が蓋をしてきた領域へのアプローチ。
または、社会が蓋をしてきた領域からのアプローチ。

最近は人体&エロスに興味を持ってきた。
植物から動物へ、そしてヒト。
ヒトから動物へ、そして植物。
この生命体の循環のなかにおけるエロス。
ヒトは文化をもった。
この文化という衣を着せたところに見えるヒトのエロス。

写真や小説や評論の執筆、発表では、インターネット環境を活用しているところだが、ここに叛乱を企てる。

2005.8.18
井上青龍のこと

井上青龍と一緒に、最後に飲んだ場所は、大阪駅のガード下にあった飲み屋だった。井上青龍は写真家、ボクより一回りも年上の写真家だった。井上青龍の代表作は「釜ヶ崎」である。1960年代に釜ヶ崎の写真を撮った人だ。
実は井上青龍と知り合ってから、暫くは、彼の代表作品が釜ヶ崎であるとは、知らなかった。ついぞ最後まで、写真の被写体、釜ヶ崎について議論したことは、なかった。

1981年だったかに、京都で、写真シンポジュームを数人のメンバーと一緒に開催した。そのシンポジュームに参加して、喋り捲っていたのが井上青龍だった。
それから「東松照明の世界・展-いま-」の実行委員会が作られて、その流れのなかでボクは長堀のマンションの一室で、「ザ・フォーラム」という写真と映像の自主ギャラリーを立ち上げた。井上青龍は、このギャラリーの常連となった。

苦悩を一身に背負ったような風貌の井上青龍だった。破れかぶれな男、酒を煽っては管巻いていたイメージの井上青龍である。ボクの釜ヶ崎の写真スタイルとは、いささか違うのだが、それは時代の流れのなかで、テーマの置き方が違ったのだと思う。

ボクは、日常へ&都市へ、というテーマで釜ヶ崎に遭遇した。井上青龍は、何をどのように組み立てて釜ヶ崎を取材したのだろう。
釜ヶ崎は様々な表情を見せるトポスである。
暴動が起こり、世を唖然とさせたトポス。井上青龍の釜ヶ崎は、1960年代、暴動が頻繁に起こったころである。世間で異端なトポスとして、怖れられていた時代の釜ヶ崎である。
それから十数年の後、1978年にボクは釜ヶ崎取材に入る。現場で、釜ヶ崎イメージが大きく変換していくのを、自分は確認した。怖れる釜ヶ崎から、親近感溢れる釜ヶ崎へ、だ。ボクに数多くのポートレートを撮らせてくれた労働者たち。おどけたり、笑ったり、しかめっ面した労働者たち。それに女子供も沢山いた。
その後に釜ヶ崎を取材した写真を見かけていないのだが、井上青龍が深く関わったように、ボクも関わった。たぶん位相がだいぶんずれた関わりだったと思いますけど、ね。

2005.8.29
釜ヶ崎夏祭り

1979年8月、釜ヶ崎の三角公園で青空写真展を開いた。
釜ヶ崎で写真を撮りだしたのが1978年の秋からだった。およそ一年間に撮りためた写真を、撮影した現地で展示する。ある意味では、無謀な企てだった。
釜ヶ崎は、恐ろしいところだから写真なんて撮れないんだよ。それも正面から撮るなんてできない。
そんな言い方が巷に流布されていた釜ヶ崎だった。
当時、釜日労という労働組合があった。稲垣浩さんが委員長をしていて、炊き出しをやっていた。1979年1月3日だったかの餅つき大会で、写真を撮った。それから春までに、炊き出し風景など、精力的に撮っていった。
そうして撮りためた写真を、夏祭りに展示したいと云うと、OKとの返事があったので、日替わり写真展、写真あげます展、青空写真展・・・呼び名は様々だたけれど、現地で写真展をおこなうことができた。
ボクの写真を見つめる視点が大きく変わっていくきっかけが、この1979年8月の釜ヶ崎現地での写真展だった。

写真とは何か、という問いかけが、まだ有効な時代だったような気がします。1968年から10年も経った年だったけれど、ボクの中での問題はまだまだくすぶっていた。
たまたま「写真とは何か」という問いかけだったけれど、それは「文学とは何か」とか「哲学とは何か」とかと同義語だ。
よりラディカルに、より深く、より外部から、中心へ向かうための周辺を見つめていく考えが、まだ中心になっていた時代だった。

いま2005年、あらためて1968年の出来事や、1979年のボクの釜ヶ崎現地での写真展を思い起こしながら、現代の問題を整理しなければいけない、と思う日々なのだ。
その当時、釜ヶ崎の中で問題化されていた就労形態。手配師がおり日々雇い入れる労働の形態、日雇い労働者。それが現在では、表層イメージを変えながら、国土全体に拡げられた感がする。

グローバル化という名のもとに進む改革なるもの。もう歯止めが利かない世界潮流だけど、あえて抵抗する生き方もある。その視座を獲得せよ!なんて過激なことをいったってもう無駄なんかな~と思いながらも、だ。
ボクの思考の原点が、1989年夏の自分の転換にあるように考えるのだ。

2005.8.30
内灘のこと

内灘は金沢に隣接する砂丘海岸だ。
ボクがこの内灘に最初に触れるのは20歳のころだった。現代社会運動史の資料文献を漁っていた当時だ。
対日平和条約と日米安保条約が発効するのは1952年4月28日。政府は、翌年6月2日石川県内灘試射場を無期限使用することを閣議決定する。ところで地元や県議会は反対運動を展開します。戦後日本の社会運動の最初・原点がここにある。

1975年だったと思うが、ボクはニコマートというカメラを買った。モノクロフィルムで、最初に写した被写体、家族以外で最初に撮った写真。この被写体が内灘弾薬庫の痕跡だった。1975年の夏だったと思う(記憶が曖昧1976年かも知れない)

写真を撮りだす前は、文学、小説を書きたいと思っていた。高校2年の秋に何冊か詩集を作った。18の頃に小説を書きたいと思った。4~5人の友達で、専用原稿用紙も作った。何篇か、習作短編を書いた。発表は、ガリ刷りの同人誌まがいのものだったり、自作のペーパーだったりした。
事情で高校卒後、2年間働いたあと1年浪人し、21歳で大学へ入学した。1968年のことだ。
1968年は大学紛争の年だ。ボクはその冬を京都で過ごし、翌年東京の出版社へ勤務することになった。東京で仕事をしながら小説家になろう、と考えた。1970年京都に戻り、大学復学、そのころから再び、小説を書きだした。
その小説の舞台が内灘だった。
第一章、第二章を、同人誌「反鎮魂」に載せて、中断した。

カメラを持って家族と共に内灘海岸へ海水浴にいった。そのときに撮った写真が、いまここに転載した写真。
原版は見当たらない、映像情報の第一号の表紙に使った写真(1980年)が、これだった。この写真はコピーです。

1982年正月、内灘を撮ろうと思って取材に出かけたが、すでに弾薬庫跡は撤去され、何もなかった。東松照明氏と会うのは、その日の夜のことだった。

2005.9.11
自主ギャラリーの軸

1970年代半ば、写真展示の自主ギャラリーが開設されます。主に東京近郊にいた若い写真家たちが、運営母体となったギャラリーだ。「PUT」「CAMP」「プリズム」・・・。
この自主ギャラリーなるものを軸に少し考えてみたい。

1968年に創刊される写真同人誌「provoke」に始まる写真家と社会現象との関係を考えると、そこには、既存の制度「体制」を解体していくという幻想・妄想があった。と同時に、自己の内面をどのように処理していくのか、といった問題も浮上していた。

当時、一部の学識経験者、メディアの編集者、学生らの関心ごとが何かといえば、表層は、政治体制へのアンチ態度に収斂していくのだが、「個人」が様々な意味で、意識されていた。
たとえば、「provoke」同人で詩人の岡田隆彦は、<せつなさ>という感情を軸に論を立てます。解散時の1970年「まず、たしからしさの世界をすてろ」と題するエッセイ集を発刊する。
そのころ東大全共闘を中心とした「教育批判」の主張がある。これは「大学の帝国主義的再編」に対抗する「大学解体」をスローガンに掲げる。
作家高橋和巳は、ノンフィクション「わが解体」を著す。

1968年前後へのボクの見解は、「個人」と「個人を取り巻く社会」の関係についての論であると同時に、個人のあり方の論であった、と受け留めている。
この表立った運動が造り成し顕在化させた個人の二重構造性が、沈静化されていった後に、若い世代の写真家たちの意識・無意識下に成り立たせる要因になった、と見る。
もちろん、複合要素の結果だが、その底流の感情・情動、外に向けるエネルギーとして、結果した。そのきっかけを作った媒体は、「自主ゼミ」であり「ワークショップ写真学校」であった。

非常に乱暴なまとめ方だけれど、ボクはそのように見る。
自主ギャラリーは、既存の写真メディアに対する心情的否定と理論的否定から具体的な形として創出された場だった、と考える。
それから30年という歳月が過ぎ去った今、2005年だ。当時の運動の本質が、構造化される権力に、いかにして制度を流動的状態にするのか。または、流動的にさせることが出来るのか。このことだったとすれば、この30年間、権力が成しえた結果を、再検討する必要に迫られている。

2005.9.14
写真作業の覚書

写真に撮ることができるものは、現実に物質としてあるモノしか撮れない。どれだけ思い込もうとも、想像をめぐらそうとも、写真として写るのは、現実のモノの外観でしかない。

モノを前にした作家が、写真に定着するためには、それ以前の思想、思いが必要である。また、それ以後の思想的展開、思いの展開を想定することも必要である。

としても現実に写せるものは、目の前にあるモノでしかない。現前するモノそのものを、どのように撮るか、技術的、存在論的、そのモノの的確な自己主張を、どのように定着させるのかである。

ここに葡萄を撮った写真がある。
撮られた葡萄が、葡萄であると認知できるのは、先に葡萄という果物を知っているからに他ならない。見る人の経験によって、葡萄であることを認知される。ここに載せた葡萄の写真は、背景を省略してある。色彩効果を出すために器に入れられた葡萄である。

背景説明によって、撮られたモノの置かれた状況を説明することが出来る。そこには主題となるものが置かれ、主題を説明&物語る要素を組み入れることがおこなわれる。
もちろん主題と説明&物語を排除し、フラットな写真構成とする場合もある。その場合は、画面全体が主題とする。

中平卓馬が「写真は植物図鑑だ」と云い、東松照明は「記憶の像は写らない」と云った背景には、現実のモノしか写らない写真の宿命を言い当てたものだ。

ボクの試みている写真は、生活図鑑であり、目の前にあるモノを撮る、作業である。そうしてそのモノじたいが見る人の記憶に接合させることで、意味を紡ぎださせてもらいたい、との希望をもっているのだ。

生活図鑑であることの、自分なりの見解を申し立てることは、文章の力を借りようと思う。写真の置かれた現在点で、写真が語りだすのは、言語の力であるからだ。ボクが様々な世界を見る視点を、一定の方向に導くための思想を語り、書きこんでいく。

写真は思想を限定し、文章は写真によってイメージを限定し、そうして両輪でもって、一つの現実と空想の世界を創りだしていく作業なのだと考える。

2005.9.23
生命の記憶

今日は愛犬「ケン」の1年目の命日。
生まれて直ぐにやってきたんだけど、18年ほど生きたんです。犬の寿命としては長いようです、老衰です。

生命の記憶が、万物に備わっていると云います。
植物、動物、そしてヒトという動物。
遺伝子が記憶媒体なんだそうですが、今、科学は、この遺伝子を含む生命現象の解明に挑んでいるんですね。
生命を科学手法によって解明する。たいへん興味あります。
でも、一方で非科学って云って括られる領域にも、非常に興味がありますね。
そこで、科学と非科学の融合なんていう、科学手法が編み出されている現状です。

ボクは、この非科学領域を、感情の領域、記憶の領域、心の領域・・・つまり「感じる」ということにベースを置いた領域だと思っているんです。だから、科学的手法で解明できるのかどうか?未来のことは判らないですが、当面の問題は、この「感じる」ことをどう捉えるか、ですね。

愛犬「ケン」が死んだとき、そこには「哀しみ・悲しみ」と感じる心があった。密着していた生き物がいなくなる。ここに撮られた写真は、現物として存在した。その日、焼却されて消えていった。
たったそれだけの事実なのに、ボクの気持ちは「感じる」んです。1年前の記憶が、甦ってきて、感情が湧いてきて、哀しみ、悲しみ、の中にあります。

写真は記憶をとどめるためにある。撮られたときから時間が経って、写真はその時間を生き、未来によみがえる。
記録と記憶。写真は、表層の記録だけれど、本質は記憶に基づくのだと考える。生きた証、生命の記憶である。


2005.10.4
デジタル写真の未来

ボク自身が2年前から再びカメラマンをやりだしたんだけど、デジタルカメラです。つくづく楽やな~とおもっている。処理とかランニングコストという面で、です。
写真のテーマは、自分周辺のことに定めてるから、当分は金沢と京都周辺での撮影に徹します。

ところで、デジタル写真の可能性というのは、デジタルネットワークにおいて使いこなすことにある。インターネットで、写真を掲載して写真展を開く・・・。これが主たる使い方としてあるんだけど、これはボクの使い方です。

評論家として云うには、写真から映像に広がってメディアアートとかバーチャルアートの領域への展開でしょうね。
これまでフィルム時代に、写真が持っていた領域は、デジタルにおいてもそのままそっくり頂ける訳だしね。
だからデジタルカメラが基調になったとき、コンピューターと結びついて、様々な可能性へと拡がっていくのだ。

とはいえ写真という静止画にこだわるかぎり、写真は静止画として存在する。
そこで写真に撮られるテーマの中味に立入っていかなければならないのだ。
はたして、デジタルだからこそ、特有のテーマが導かれるのかどうか、という問いなのだ。

デジタル化による社会の情報環境が変わる。それに伴って、デジタル化特有の人格が形成される。デジタル世界の影響だ。
問題は、ここ、この社会環境の変化による人格の変化。それが作品としてどのように現れてくるのか、と云ったところだろう。

1、使われ方の変化
2、テーマの変化

欲望の処理装置としてのデジタル写真。欲望とは性欲を主体とした部分だ。
デジタルネットワークのなかで、情報が手に入る。具体的にいえば、アダルトサイトだ。アダルトサイトからの情報が、無差別に発信される。そうして無差別に受容する。
かって、インターネットのホームページが無かったころは、アダルト情報は、書店へ赴くかレンタルビデオ店へ赴くか、だった。自ら行動することで手に入れられた領域だった。いまや、インターネットで手に入れることができる。

かって大学生の頃にあったパートカラー映画。いまでゆうアダルト映像だ。映画館は文化会館というのがあった。チケットを買うときの気持ちは、ちょっと恥ずかしかった記憶だ。書店でアダルト書籍を買うといいうのも、かなり勇気がいった。

いま、インターネットが普及して、そんな状況が一変したようですね。だれでも手に入るのだ。これこそ革命に近い出来事ではないか。


2005.10.5
写真行為の原風景

ボクが写真を撮るとき、何を撮るのか、ということがあります。
そりゃ~好きなもの、興味あるもの、現実に存在するモノを撮ることになります。
興味の湧かないものを撮ろうとは思わない。

ところで、この好きなもの、興味あるもの、ってどうしてそうなるものがあるんだろう?
つまり、写真を撮る行為の原風景のことだ。
ボクの原風景は、どんなものなんだろう?これも知りたいところだ。心惹かれるモノのなかにあるもの。原風景とは、そういう代物なのかも知れない。

ヒトの生成過程の中で、生誕から死滅までの時間の中で、ヒトが固体としての知能の枠組み形成が、生誕後3年目あたりだといいます。つまり3歳です。そのころまでの体験の記憶が、原風景の基底にあるといえるのでしょうか。

ボクの生誕は1946年です。そうすると1946年から1949年までの3年間の、ボクの前に起こった現象に対して反応した記憶質、これが原風景を形成する要素かも知れない。
主には、母親との関係、それから社会風潮というか空気感というか、そういう感覚的なものです。

生命活動の終盤にさしかかった現在のボクが、興味を示すのは、食することと生殖することだ。
大地を撮り、空を撮り、花を撮り、食べ物を撮る。
それらへの興味は、生殖ということに由来しているように思われる。命が育まれる原風景あるいは、前風景といえる。
花を見ることは、女のヒトを見ることにつながり、大地を見ることは、母親を見ることにつながっているように感じる。
それも欲求不満や劣等感といった要素が、逆推進力となっているようにも思われる。


2005.10.6
日常の光景へ

カメラと自分の関係をみると、カメラは自分の分身のようなものです。
朝起きて、ひと仕事して、顔洗って、朝食とって・・・・という一日が始まり、そうしてなにやらかんやら時間を過ごして、夜になり、寝て、起きたら朝になってる。
なんともまあ、変哲のない、日常だこと、取り立てて大騒ぎするようなもんじゃない。
でもさ、こうした時間の中に、ちょっと気になることが起こる。
庭に花が咲いた。パンを焼いた。天気が良かった青空だ~。
別に、取り立てていうほどのこともないか~!
でもね、キミに知ってほしいって思うことが、いっぱいあるんだ。
たとえば、ボクの庭に咲いた花をお知らせしたい!
山へいったら胡桃が落ちてた!
朝にこんなもん食べたんだよ!
心で思ってて、人に言えないことも沢山あります。
この思ってて言えないことを、秘密といいます。
でも、この秘密たるものも、いつか秘密でなくなるかも知れない。
ボクの見たものをカメラで撮って、キミに見せたい。
ちょっと恥ずかしいけど、見てほしい・・・

写真が、コミュニケーションの手段とすれば、そのようなことだ。


2005.10.19
認める、認めない

自分か生きた人生を認めてあげようと思ふ。
そうでないと自分が可哀相じゃありませんか。
自分の人生を認めてあげようと思うようになったのは、ここ数年のことだ。
認めてあげて全肯定ですね。
この地平から出発しないとだめですね。
とはいいながら、認められないことがまだあった。

物事は時間とともに過ぎていく。
過去となるわけですが、この過去になる時間が、事柄によって様々だ。
物事があったとき、そこに感情が同居するじゃないですか。
その感情の整理がついた時点で、過去・・・
そのように考えると、16日のIMIでは、まだ過去になりきっていない以前の時間を自覚した。

気持ちなんて危ういものだ。
いつも変化しながら心を締め付ける。
その究極が死に至らしめる気持ちだ。
その一歩手前で踏みとどまった、その現場。
その現場が甦ってきたとき、それは拒否するしかなかった。

2005.10.28
日々過ぎ去る

日々過ぎ去るを追いかけない。
前をむいて歩いていくことを考える。
とはいえ、大事なことは、<いま>をどう生きるのか!

写真に親しんで30年、いまのメインの仕事としてある。
でも考えてみると、いろいろあったな~とつくづく思う。
達さんとの出会い、東松さんとの出会い、そうして同年輩の人たちとの出会い。
ヒト的交流の中心は、やっぱり写真を通じての関係だった。

いま、新たな出会いは、食と農。
3年前の出来事から、出発してきて、<いま>だ。
総合文化研究所とか、むくむく通信社とか、それまでの蓄積の上に積み上げられる枠組みではあるけれど、人的ネットワークは、新たに出来てきたものである。

そういいながら、日々過ぎていく・・・。




2005.11.4
過去・過去・過去

生きてきた過去を振り返る。十年単位で振り返る。
なんとなく10年という単位が、区切りよさそうに思うのだろう。
0才代の終わり、10代の終わり、20代の終わり、30代の終わり、40代の終わり、50代のおわり・・・
6つ目の終わりの<いま>だ。

生きること、生きてきたこと、これはいったい何だったんだろ~?!
肉体が生成し、衰退していく。この衰退期に入った<いま>自分の行為を振り返ってみたい欲望、欲求に苛まれている。
ヒトがそれぞれに、自分の痕跡を残すために金をつぎ込み労力を注ぐ、という実感がわかる。

この文を書いているときに郵便が来た。
ギャラリー新居にて、東松照明展、11/7~11/26の案内はがきだ。
見覚えのある執筆、彼の直筆である。

朝から、写真史のイメージをアルバムにアップしていたとき、彼のことを脳裏に描きながら、作業をしていた。
会える、と一瞬思った。
さてどうだろう、それは不明だけれど、見にいこうと思う。

写真は記録であり記憶を保持する。
82.6.26とサインされた東松照明さんとの写真。
ポラロイドで撮られた写真だから1枚オリジナルである。
奇遇といえば奇遇的に遭遇した東松照明さんだった。
過去の同伴写真をここに掲載することをお許し願います。

30代の後半の3年間。懇意にお付き合いいただき、それからボクの方から疎遠にしていました。
それから20数年という月日が過ぎ去り<いま>
いま出発しようとしているボクは、この頃に原点を置きつつあります。
作家しようと思う日々、残された時間のメインを、作家として生きたい。
どれほどの時間が残されているのか不明だけれども、だからこそ切羽詰るということも云える。
過去は循環し未来となる。

2005.11.7
東松照明展

そう、今日、大阪は淀屋橋にあるギャラリー新居まで行った。東松照明展のオープニング初日。東松さんは居なかった。

Camp カラフルな!あまりにもカラフルな!!
これが展覧会のタイトルです。撮影場所は沖縄。今回、基地の問題がクローズアップされている。
写真は1970年代の撮影から今年2005年撮影の写真まで。最近のは、デジタルカメラで撮られたと聞いた。
何十年と変わらない視線がある。東松照明という写真家のスタイルである。数十年前の写真と現在の写真と、撮影年が付記してなければ、判らない。

テーマがリアルな現実へ戻ってきた。太陽の鉛筆から京都を経てインターフェースへと辿ってきた写真の表面と、思想の在処が、一巡した感がある。
再びリアルな基地を、写真のテーマとして浮上させてきた。
展覧会から自宅へ帰ってきて、テレビをつけると、普天間基地の移転について、知事が反対声明とも取れる発言をしている。
世界軍事地図、そうしてグローバル化の中のアメリカ。生臭い現実が、ここに掉さされる。
風化する時。・・・かって長崎の写真群においてつけられた括りだ。取り扱う写真の問題は<いま>、生々しい世界、現実世界なのである。

2005.11.23
キリスト

イタリア旅行最初の訪問地はミラノでした。案内にはドゥオモと記してあります、聖堂です。そこで遭遇したのが、磔刑のキリスト像でした。
聖堂の中に入ると、なにかゾクゾクする感覚になる。高い天井、広い空間、入って右にはステンドグラス、左に磔刑のキリストの祭壇があった。照明が当てられ、蝋燭台があった。
仰ぎ見るようになる角度で、蝋燭台の前に立った。

ボクの知識は断片の繋ぎ合わせだ。むか~し聖書を少し読んだことがあった。はたちの頃だ。それからキリスト受難の物語は、遠藤周作氏の小説で読んだ。これはもう50になってからだ。マタイ受難曲がキリスト受難の音楽物語だというのもその頃だ。

ボクの記憶の断片を繋ぎ合わせても、まったく全体にはならない断片でしかない。書のなかで、写真で見たことがある。でも、ああ、そうか~って程度の認識でしかなかった。
ジッドの狭き門を数年前に読んだ。信仰に向かう気持ちを説いた小説だと思った。

目に見た磔刑のキリスト像。その飾り立ても影響しているのだろう、ボクは感動する。身体がゾクゾクと震える感覚だ。
ボクは、これまでイメージでキリストを描いていた。現実、現物を見たとき、立ち現れた感覚。これが信仰に向ける気持ちなのかも知れない、と思った。

最近、信仰ということに興味がある。芸術に向かう気持ちと信仰に向かう気持ち。この「気持ち」という感覚についての興味だ。理屈ではなく、感覚である。当然そこから写真のあり方につながる。

まったく未整理のまま、ボクの思いのなかに立ち現れた磔刑のキリスト像だった。いま、ここに、未整理のまま、言葉を羅列した。

2005.12.24
門が開くとき-1-

門は、向こう側とこっち側を区切る境界です。バリアーといえばいい。あらゆる物事に門がある、バリアーがあるといえば良い。
写真においても同じこと。発表できる、つまり人様に見せることができる写真と、見せることができない写真があるようだ。要するに話は、この境界を閉ざしている門のことだ。
この話じたい、危ういものだ。タブーといったり、禁句といったり、触りたいけれど触れない、そんな門の向こう側の話のことだ。

インターネットに繋いで2年少しが経った。自分でホームページを立ち上げ、ブログを駆使している。メールアドレスを方々で公開している格好だ。そういう前提に立って、現在のメール環境を見ると、俗に迷惑メールとして処理されるメールが、一日にどれだけ到着するのだろうか。

迷惑メールとして処理されるメールが100通以上だ。迷惑メールとして処理されないメールも、それくらいある。つまり一日200通以上かも知れない。これが現在の実態件数だ。
これらのメール内容が、ほとんセックス関連である。

セックス関連のことは、ヒトの興味をそそることだ。興味があるからこそ、それが産業となるのだ。かってインターネットがまだなかったころ、出版物、ビデオという代物であった。これがインターネット時代になって、このツールが使われるようになった。あたかもセックス関連の門が開かれたかのような状況が到来しているのだと、認定しだしている。

だからこそ、いまこの現状を避けて通れない門なのだ、と思うのです。
門の向うから、猛烈な勢いでサイバー攻撃してきてる・・・。国際情勢でいえば、アメリカの攻撃をかわすためのテロみたいな構図だ。
ボクはこっち側にいて、向こう側を撃墜できないから、ひとまづ融合しちゃおうと思う。無視するのは、ダメです。嘆くだけもダメです。禁止しても無駄です。だから、受け入れてあげて、融合してあげる。

敵にも理あり・・・。求める心があるから、やってくるんです。無駄な抵抗しないで、門を開いてあげればいんです。反撃するもしないも、ここから始まるのではないか、と思うのです。


2005.12.26
門が開くとき-2-

<男-女の軸>
世の中が男と女の区分軸で成り立っているとすれば、この男と女を取り替えてみれば、どのようなことになるのだろうか。これが興味の発端だ。男のなかの女性、女の中の男性。ボクの捉え方の根底に、男と女の身体的違いを外してみると、男から女へ、女から男へ、変わり得るのではないか、というより男と女のあいだはシームレスではないか、という想いがある。

この風土が、男軸と女軸に分割されてきた風土だとしたら、ここで、いちど融合できないかと考えるわけだ。女装する男がいる。男装する女がいる。身体と心が一致しない男女の性ということもある。ずいぶんと長いことボクは、自分のなかの男と女に着目している。どっちかといえば男的、どっちかといえば女的、社会の掟にしたがって男として生きているのだけれど、かいま見える女性。

ヴァーチャルな環境が広がってくるなかで、男が女に変わることが可能だ、と考えるようになった。女になりきる。これは現在的なテーマではないだろうか、と思い出してきたのだ。多かれ少なかれ、男-女軸風土のなかでは異性願望があるのではないか。そこでこの願望を願望でなく、実践していく、とこのように考えた。

そこでわかってくるものがある。男が女を見る視点ということだ。「或る女」を想定して虚構として創りあげていくことが、ヴァーチャル環境ではできる。そのように考えたのです。この実験はさまざまな誤解を招くと思っているのだが、目的は、男-女軸の見直しなのだと認定している。二分法から融合へ、である。あるいは混沌・・・「とりかえばや、男と女」河合隼雄さんの著作を読んだ。ヒントはこの中にあった。

男の立場で見ていた男や女の習性を、女の立場でみると、その習性がどのように変わるのか。男女の群れのなかにいて、どのような変化が起こるのか。それは自分の中の問題意識だ。


2005.12.31
門が開くとき-3-

門を開いた向こう側は、混沌の世界だと思う。分割整理されたこちら側には、苦しいけれど安定した領域だ。ところが、たぶん、向こう側は、不安定、混沌の世界だ。

ヒトの心のなかに、この混沌の世界があると思う。未分化領域、無意識領域、混沌領域だ。情が動く、情動という場所は、この混沌領域をねぐらにしているようだ。

男であることと女であることを、分割されたこちら側の区分だとすれば、男であり女であることは、向こう側の混沌の世界だ。いや、ここで男、女という区分を持ち出すことじたい、こちら側の発想だ。

このテーマを持ち出すのは、現在の写真表現の領域で、また文学表現の領域で、極私的視野が必要になっているからだ。情動はエロスである。極私的視野はエロス視野である。開かなければならぬ門は、エロスの門である。

情動はエロスだとすれば、この情動は封印されてきた。公共園という概念がある。この公共園のなかで封印されてきたのだ。封印を解くことは、もうひとつの公共園を、あるいはオルタナティブヴィジョンを立ちあがらせることだ。

この領域は妄想である。妄想の具体化は、たぶん反社会的なのだ。芸術は妄想の具体化。芸術が既存の領域を打ち壊すものだとすると、妄想の具体化は秩序を壊して混沌へ導くものになる。

科学がヒトを分析し、その身体構成をミクロな領域で解明していく。芸術は科学を超えた妄想だから、ヒトを科学を超えた妄想によってイメージ提起をしなければならぬのだ。


2006.1.8
門を開ける-1-

教家を目指す者は、門を開けなければならぬ。ボクは、このことを命題として捉えてきたけれど、門の向うは異端とゆわれる領域だから、躊躇してきた。さて、その門を開ける当事者となるかどうかの選択を迫られているのが、現在のボクだ。

1978年から1984年にかかて、ボクは釜ヶ崎において写真を撮った。その場を軸に文章を書いた。いま思い起こすのは、このときのボクのあり方だ。ボクは、門を開けようとしたのだと思っている。既存秩序のなかで、政治的、経済的、社会的な世の枠組みのなかで、そこから逸脱することを試みた。

特殊な場所、そこは特殊な場所だ、という認識が世にはばかる。一定の線引きをしようとする秩序とゆわれる領域から、あたかも逸脱した場所であるかのように認知させる。いわばその特殊とゆわれる場所を、秩序の領域に組み入れること。このことが、芸術家や宗教家の仕事だ。

いまやテーマは、ヒトの内面のことだ。秩序に封じられてきた内面を、秩序の領域に組み入れること。それはセクシュアルな領域である。フロイトが云い、ユングが云い、ベルメールやモリニエが手がけた芸術表現があり、まだまだ特殊領域であるSMの世界であり、男と女のセックス現場であり・・・といったセクシュアルの領域へだ。門を開けた向うには、そういう領域があるのです。

2006.1.21
門を開ける-2-

門を開けた向うにみえだしてきたのは、こころの曼荼羅です。
おとことおんなが入り乱れ、静かな感情と乱れた感情があり、おとこがおんなになり、おんながおとこになる。そうして動物のうごめく内臓があり、叫びが聴こえる。
整理された世界が、ぐらつきはじめて、混沌の海に投げ出されていく。遠くで海鳴りが聴こえる。遠くで山彦が聴こえる。幻覚幻聴、全て夢幻だ。

夢を見る。理屈の通らないストーリーだ。渦巻く記憶が再編成されて、夢幻のなかに組み立てられる。これを無意識からの呼びかけだとすれば、その深淵はやはり混沌なのだ。色がある。赤い色に黒い色。それに白がある。色の無限ディテールのなかで、情欲を覚える。桃色遊戯、蒼ざめた馬、オレンジやピンクがあればブルーもある。グリーンもある。色のディテールで、感情が揺すられる、情が動く。理屈を抜いた内面の世界は、情と欲、感じることと前へ出るエネルギーしかない。

いま門を開けて、なすべく作業は、この混沌を整合化していく作業に他ならない。アートが、及びアーティストが、これから向かう道筋は、この混沌を具体的な形象やイメージに仕上げていく作業なのだ。肉体のシンボルを形象化しイメージ化するか、肉体そのものを形象化しイメージ化するか、それの組み合わせの問題だ。

アートが様々な意匠を着せて飾るのは仕方がない。しかし、その根源は<知>ではなくて<情>である。知は意匠でしかない。知のゲームが全てではない。いうなれば、アートは、徹底的に情のゲームに徹するべきなのだ。知の領域、世の意匠の領域をむしろ排除して、情の領域を前へ押し出していこう。デジタルネットワークの領域で露出している個人の情を、裏とか表とかの判断基準の線引きではなく、一体のものとして捉えるべきなのだ。表が裏に、裏が表になっていく、表裏一体のものとして捉えていく必要がある。デジタルネットワーク時代の、リアルとヴァーチャルという問題は、じつはパラダイム変換の途中でこそ解決の糸口がみえるように思われる。

2006.1.24
門を開ける-3-

情の世界を考える。この考えることじたい、すでに情ではないのだけれど、この世は、なにかとゆうと言葉に置き換えなければいけないし、言葉を紡いで、読み物にしなければならない。特にこの枠組み、ここ、は文化&芸術批評なんてことを標榜してるんだから・・・。

区分のひとつに「男と女」という分け方がある。じゃあ、情とゆう領域でみると、これは何処でどのように分けられるのだろうか。この問題に、もう何年も前から突き当たっている。で、いま思うことは、シームレスなんだ!という思いです。世の中を区分したがる習性のなかで、あえて区分するとすれば、これはシームレス、区切りが無い・・・。そのように思う。

ボクの意識のなかに、男性と女性がある・・・。で、身体は男だから、身体とともにある意識が向く興味は、女性の方へ、である。そう思って、幼年のころからのボクの興味のありかたは、世に区分される、女的なほうに向かっていたと思われる。子供の遊びは、ボクらの時代、明確に男女区分があったようだ。その女の遊びに興味が向いていた。めめしかったのだ。

いまもそうだけれど、たとえば被服の肌触り感がある。男物のごわごわ感より、女物のしっとり感が好きだ。木綿にしろ羊毛にしろ、柔らかい感触が好きだ。女家族だったから、洗顔クリームとか、シャンプとかリンスとか、その他諸々を女性ものを使っているけれど、違和感は全く無い。むしろ整髪料など男物を使ったことがあったけれど、全く違和感を覚えていた。

これっていったいナンなのだろう・・・。そうしていま、情のレベルはシームレスだと認定する。ヒトの情に、幅があって、世の中の区分の、より男よりとより女より区分がなされて、そのヒトが、どの位置にいるのかというのがあるだけのような気がする。曼荼羅には全ての情が含まれて、ヒトの曼荼羅にも全ての情が含まれているのではないか。その全ての無意識から、意識されるもの、これが、そのヒト性質・性格としてあるのではないかと思うのだ。

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2006.1.28
芸術ということ-1-

芸術ということを考えてみます。考えるに当たって、単に芸術とは何か、という問いをしても漠然として、当を得ないように思われる。そこでいくつかのフレームにわけてみる。目的は、現代社会の枠組みのなかでの芸術作品、芸術行為の大勢現状を把握してみること。そうしてそこから導き出される将来的あり方を考えてみるのです。

全てが商品として価値化される大勢があります。だから当然、芸術作品と呼ばれるモノも商品価値のなかに置かれています。絵画も彫刻もしかり、現代美術の作品群においてもしかり。つまり商業資本の枠組みのなかで、商品取引の対象となるモノでなければならない、といいます。

でも、作家行為つまり芸術行為は、違うといいます。芸術行為は、商品経済の枠組みの外だ、という理屈です。たしかにそうでありたいという願望はありますが、実際の現場はどうなのでしょうか。自分の作品を世に出したい。作品を制作し、お金に替えることで実生活を支える。世に出すためには、なるべく高尚なるものの裏づけによって、商品価値を高めたい。

ここで云えることは、商品価値を生み出す仕組みに自分を置くことで、それを作家行為、芸術行為の目的としてしまう傾向があるということです。ここでは、この傾向を作り出す経済構造の話ではなくて、それ以前の位置において、芸術行為というものを捉えていきたいと思うのです。

つまり商品としての価値を高める戦略を抜いたところで、個の営みとしての創造行為を、捉えてみたいのです。作家と呼ばれたい願望を構成する、作家の社会的目的とは違う位相での、考察なのです。それは、大きな基準となる社会価値とは別の価値軸に、もう一つの価値軸に足を置いた立場での考察となりたいのです。

2006.2.16
芸術ということ-2-

近年、自給自足ということが話題になります。この自給自足の実現は、貨幣経済からの独立、あるいは商品ではない概念のなかで、食料とか什器類を生産し、自分のものとしていく構造です。
この発想と具体的な実践活動が、随所で取り組まれつつあります。その文脈において、芸術ということを考えてみるのが、目的でもあります。

商品価値から逸脱する芸術作品は、すでにその前提となる商品経済を持たないから、もはや芸術作品とは呼ばないほうが良いのかも知れません。
自給自足においては、生産と消費が統合されるものです。生産とは、モノを作り出す工程です。おおむね食料と生活道具を作り出すことを意味します。でもここで、ヒトのヒトたる由縁をいうならば、身体を養い安定させるために、食料をつくることと同時に、心を養い安定させることも必要になります。

衣食住足りて芸術がある。そのような捕え方ではなく、衣食住と芸術は同じレベルで、ヒトには必要だとの考えです。では、ここでいう芸術とは、いったい何なのか。
ここで芸術とは、ヒトが生きるエネルギーの中にある、あるいは生きるための、心のエネルギーの発露であると捉えます。このことを自給自足の枠で捉えると、自分の生存のための行為であると導かれます。

自給自足は、一人でできるものではなくて、一定の集団によってなしえるものだと認識しています。でも、今の世において自給自足を考える、このこと自体、すでに思考の産物であり、それに基づいて実行していくものです。ここには、個の自立が必要になります。ということを援用すれば、芸術ということは、かって洞窟で描かれた絵画とそれを成すヒトの心とは、違ったものとなる。この前提として、ヒトの心は進化する、という捉え方があります。

2006.4.28
芸術ということ-3-

ある物事を極めていく道筋の結果、出来上がってくるものがあります。経済効率を優先する道筋ではなくて、ある種、経済効率から遠ざかり、合理性から遠ざかり、好奇心とか情の動くままに、作って光っていくもの、まあ、いま思いつきで、言葉を連ねているんだけれど、そんなもんを<芸術>の範疇にいれようかと、思います。

そんな理屈とは関係なしに、やっぱりこころときめく気持ちを大事にしたいと思います。今年も、桜を写真に撮った。カメラっていう道具を使って、写真を撮った。デジカメです。そりゃ便利なものですね。取材して持ち帰って、パソコンに繋いで、すぐさま画像をみることが出来る。ここで、芸術の価値についていうと、手間をかけることで価値が決まるものではない、と思っているわけで、絵具を使った絵画の方が芸術性が高いなんぞは、毛頭、思ってないわけです。

芸術ということには、スキルが要求される、これは認めたいんです。ツールを巧妙に扱うということです。そうしてそのツールが最良の効果を発揮できるように使いこなしてあげること、これがスキルです。
でも、これは外枠であって、大事なのは、光る心、この<光る>ということです。情の発露として光っていることが必要だと思うのです。

光り方は様々にあると思います。花火のような光り方があれば、宝石のような光り方もあれば・・・、心がときめくこと、キラキラときめいてくること、これが条件だろうな、と思うのです。光輝く心、作者の心内とは、この感情に包まれることかな~と思うのです。

なんだろ、桜の花が満開になっていくとき、心ときめいて、うずうずだね。それで、このうずうず気分のままに、写真を撮ってあげた。その結果、満足いくように撮れたわけではないけれど、それなりにうっとりしてしまって、心、光っている感じ。これだね、と思ったわけです。これが芸術の心だな。

2006.6.6
芸術ということ-4-

芸術ということの中味は、いったい何なんやろ。あるいはどういう状態をゆうんやろう。ボクは、こんな疑問に苛まれているわけです。芸術作品ってのがあります。形になったもの、存在するもの、美術館であれ、路上であれ、目に見えて存在するもの、芸術作品とゆうときには、内容はともあれ、このように言えるんですけど、単に「芸術」ってゆうときの内容は、何を指していえばええのやろ?まあ、こんなたわけた疑問に苛まれているわけです。

そこで、芸術の中味を考えてみて、文章にしてみたいわけです。とゆうのも頭のなかでブツブツ言ってみても始まらんわけで、言葉で喋って伝達するって手もあるけれど、それでは形に残らないから、文章にして定着させるわけです。こんな形式を評論とか批評とか言うわけです。だから、ボクは、ここで評論をやろうと思っているんです。

ボクが思うに、芸術という枠は、心の動きだと解釈したい。心の動きには情が伴い、情動のなせる自意識。この自意識の伝達、つまりコミュニケーションのプロセスじゃなかろうかと思うのです。このプロセスを、見たり読んだりできる形に仕上げていくことで、芸術作品となって結実していくのではなかろうか。そのように考えるわけです。

芸術は、ひとり単独で成立するか、といえば成立しないと考えています。情動がなせる自意識が、他者に伝達される契機を含み、そのことを自覚的に捉えて、関係を紡ぎだす。つまり、コミュニケーションの手段だと考えているのです。芸術の基本概念には、このことがなければならない。そう考えています。

とゆうことは、他者に伝達を意識しない情の動きは、芸術以前のものであって、芸術か否かの境界線は、他者を意識するか否か、ということなんだろうと考えているのです。他者を意識して、何かを作りだそうとすれば、それが全て芸術かといえば、それはウソで、そこにはコミュニケーションの成立と、情動のパッションが伝わらなくてはダメだと思ってるのです。

他人がどのように思おうと、知ったことではない!なんてことを、作品提示の段階で言う人がありますけれど、これはボクは認めないんです。他者と共有し、情に感じ合う関係が成立することを、ボクは芸術の基底をなすものだと考える。ここですね、ボクが思う芸術の基本形。基本スタイル、基本プロセス・・・。

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2006.3.15


花はなんといってもやっぱり桜がいい。つくづくそう思うようになった。そういえば、桜の季節には、桜だよりが報じられます。桜前線北上中なんていって、南の地域から順次北上して北海道まで・・・。

けっこう素直な人になったみたいなボクなんだけど~なんていってあげたいお年頃になったってゆうわけでしょうね。桜とか牡丹とか、かってはこんなお花を愛でることを嫌がっていた自分があったけど、今はもう違うんですね。素直にこころの中を見つめてあげると、感じちゃってるんですね。

写真を撮ったり文章を書いたりしてますけれど、その根底のこころの表れ方とでもいうようなことに興味を持ち出して、花、それも和風な花に関心を寄せているんです。桜なんてその最たるもので、なんだかんだと云っても、見てると感じちゃう。そういう花です、桜とは、ね。


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2006.4.9
桜を撮る


桜の季節に桜の写真を撮る。なぜなら、写真はそのときの光景しか撮れないからです。これは写真の宿命といえるものです。それでボクは、この三年、桜の季節に桜の花の写真を撮っています。

撮影にあたって桜の撮り方、つまり桜のなにを撮るのか、桜を撮ることでなにを云いたいのか、なにを表現したいのか、ということを考えます。ボクは端的に、桜は情だ、と捉えています。人間の情、ヒトの情、ボクの情、つまり感情ということです。

写真表現とは、社会の関係図を表現する、つまり社会の構造とか社会における個人のあり方などを示唆し、解きほぐし、関係を明確にする行為です。でもそれだけではありません。そこに作家個人の考え方や感じ方というものが組み込まれるのです。この図式のなかで、写真はおおむね、社会の関係図を理知的に明確にしてきたと考えています。

そのような写真表現の現在地点は、社会構造を理性的に図式化することを超えており、個人の社会構造の解釈を提示することを超えており、あるいはこれを含みこんだうえで、個人の<情>の具現化なのだと思われます。桜取材におけるボクの写真の構図は、桜だけです。桜の群生、桜のクローズアップ。光と桜の花だけで構成する写真です。

ボクの情が、桜の花を見て揺れ動く。妖しく艶やかに色めかしく揺れ動きます。セクシュアルな情が揺り動かされているのに気がつきます。この心の揺れ動き、つまり情が動いている様を表現したいと思っているのです。


2006.4.20
再び桜について

ボクの桜の取材地は、京都と金沢です。いずれもボクの生活空間においての撮影です。京都は、平野神社、法華宗本法寺、今年は千本釈迦堂の桜も撮りました。金沢は、別荘の庭に植えられた桜です。

平野神社の桜は、子供の頃から見慣れたというかよく遊びに行った場所としてあった場所の桜です。法華宗本法寺の桜は、ボクのお墓があるお寺です。千本釈迦堂の桜は、子供の頃に遊んだ場所です。金沢は、いま別荘として使っている家の桜です。

三年前の秋にデジカメを手にして、再び写真撮影をしているわけだけれど、撮影場所は、自宅とその周辺、それに、かって思い出を作った場所。それに限定しているんです。だから、桜の取材地は、子供の頃から親しんだ場所である平野神社と千本釈迦堂となるのです。本法寺は、ボクの墓所だから、近場すぎる場所です。金沢の桜は、苗で植えた桜です。枝垂れ桜、ソメイヨシノ、山桜、ボタン桜などです。

生活周辺と記憶の光景。これがいまボクが撮影する場所です。桜を撮る意識のなかに、東松照明さんの桜作品を思い起こしています。かって取材に同行したとき、彼の作風は桜一輪ではなくて風景を含む全体を撮る手法だった。その背後に社会性、桜が置かれた社会性とでもいえばいいでしょうか、それが撮影の本質だったようです。ボクは、そっから派生してきて、桜に向き合うボクの情感に絞っているわけです。

老いぼれていくボクの身体と、桜の初々しい美しさへの憧憬の具現化、とでもいえばいいかと思っています。憧れとしての若さ、そこにエロティシズムを感じるわけだけれど、そろそろ老体の感じる嫉妬心なのかも知れない。


2006.5.8
ぼくは健康な人間だ・・・・


ぼくは病んだ人間だ・・・・、で始まる小説があるわけですが、ボクがいま思うのは、ぼくは健康な人間だ、と思おうとしていることなんです。
多少でも文学を齧ったヒトなら、そうですね、近代文学なんて、病気であるわたし、なんてのが底流にあって、やっぱり<病む>というのがコンセプトだったわけです。
地球が病んで、戦争があって人間が病んで、からだの病気があって、精神科の病気があって、こうしてみると、まわりは病みだらけ、っていうイメージです。

でもね、まあ、だから、発想の転換、ぼくは健康な人間だ、と宣言したくなる気分なんです。病み文学から健康文学へ・・・。エロスもカロスも、表現のテーブルに乗せることは、健康だ~!って宣言したいんです。
そのためには、ボクという人間の、闇、ブラックホール、だとイメージされるものを、明るい場所に解き放ってあげないといけないんですね。そこで、ぶつかっちやうのが、モラルってゆう代物だってことも、承知のうえで、開放できないんかな~なんて思考してるわけです。ボクの地下室は、健康な場所だと思いたい、ですね。

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2006.5.12
地下室&洞窟-1-

光と闇。健康と病気。そこで地下室&洞窟のイメージを捉えてみます。
地下も洞窟も、光が当たらない場所であるというイメージです。光が当たらないというのは、見えない場所です。光が、当たる、当たらないという捉え方は、もともと根本に光がある、ということを条件とした捉え方です。光という世界があることに対して、光がない世界ではなくて、光が届かない世界、ということになります。

もともと闇、光のない世界から、光がある世界が誕生する。老子のタオ(道)、聖書の闇と光、古事記もそうですね、ビッグバーンが起こった宇宙の科学的根拠も、無から有を生むわけですね。このように見ると、人間のイメージのなかに、闇、光の届かない場所が、かたちつくられてきた経緯を知りたくなります。

地下室&洞窟は、そういう意味で、光の当たらない場所です。暗闇です。これをヒトの意識のなかに置き換えると、覆い隠しておきたい秘密の世界、もしくは無意識の世界ということになるし、人間社会のなかに置き換えると、社会が見てはいけない世界、見せては都合悪い世界、ということになります。

そこでヒトの習癖として、見えないものを見てみたい、隠しておきたいものを見てみたい、覗き見根性があるんですね。この習癖というのが、実は、ボクの興味なのです。つまり、見えないものを見る、見てはいけないものを見る。その闇の世界と光の世界を、往復していきたいと思うのです。

おっとどっこい、これは危険極まりないことなのです。ヒトの本能にあるホメオスタシスを壊してしまう可能性がある。そうゆう代物です。だから、禁止命令が出されているのだけれど、ヒトはそれでもピーピングしたいとゆう願望を持っているのでしょうね。

地下室&洞窟を探検することは、往々、この危険と隣り合わせなのです。ある一線を越えて、行為すると犯罪とゆうことになるし、ある一線を越えて、心を通わすと、自己崩壊をを招くことになりそうですね。ああ怖い、だから行っちゃだめよ、立ち入り禁止!いつしかイメージ作られてしまった世界です。さあ、どうするかな~、ボクはそこで立ち尽くすのです。


2006.5.24
地下室&洞窟-2-


立ち入り禁止!だったらしゃがんで入ろう、ならいいんでしょ?!なんて冗談めかしていってあげるけど、人間って変な習性があって、入ってはいけないとゆわれると入りたくなるんですね。写真も文章も、そういうことでゆうと、かって立ち入り禁止区域だった場所が、いまはかなり立ち入りできるように、なっては来ています。

ワイセツの領域についてゆうと、たとえば写真、ヘアーヌードが騒がれたのが1990代、今から14~5年前、メープルソープの写真集を巡ってとか、マドンナの写真集を巡ってとか、それにアイドル写真集にヘアー解禁なんていってたのが、そのころです。地下室でもなければ洞窟でもない。ヒトの意識の中心だけど、良識のヘッジに置かれていた。つまり光が当たっていたわけです。

1980年代に「写真時代」を代表とする月刊雑誌が盛隆だったし、そのころビニ本、一冊千円、大流行だったし、でもビニ本無修正ってのは五千円ほどぼった食ってました。そうだね、女性器を分解してパズル・モザイク、のようにして印刷してあったり、でしたね。SM雑誌など際領域の雑誌や写真集が大量に出版されだすのもこのあたりです。

いま、ワイセツ領域を中心にメモってますけど、国際政治領域、つまりあっち側の情報も、我らにとっては地下室&洞窟です。最近ならテロ領域です。たまに、もどかしそうに、ニュースネタになる。ええ、事実が羅列されても、本音は語られないんだけれど、本屋さんへいけば、サイードの著作とか、けっこうあっち側の情報も手に入るようになってきています。

要は、光が当たる地表&洞窟の入り口、そのちょっと暗くなって識別不可寸前のところまでは、サーチライトに照らされだしたといえます。ボクは、なお、その奥へ探検隊として入り込みたいと思っているわけで、まあね、人生の終わりに向けて、そこへ行ってみたいと思うんだけど、躊躇しているのも事実です。


2006.7.27
地下室&洞窟-3-

地下室を身体、洞窟を頭脳と置き換えれば、地下室&洞窟という別名は、ボクの身体と頭脳のはたらきだといえます。つまりボクはここで、ボク自身の構造について、考えてみたいと思うわけです。ところが、自分のことを自分で分析するということが、可能なのかどうかという疑問と、自尊心とか羞恥心とか、心の内部の出来事を見つめるわけだから、ちょっと躊躇しているのも事実です。でも、なぜこの講を立てたかというと、直接には、自分と写真表現というテーマがあるからなのです。

つまり、カメラは外界を光によって画像としてくれる装置なわけで、そこに自分をどのように関わらせるのか、という問題に直面しているのです。そこで光がとらえる光景をカメラに収める技術のこと、その光景が社会との関係においてどうなのかということ、それにその行為を行う自分存在のこと。この技術のことと社会関係のことについては、反復学習により取得できると想定しているのですが、自分存在の意識化とその意識行為の根底にあると想定する、情、感情というレベルを、どのように表現し、他者と共有するのか。

その情、感情のレベルにおいて、クロスオーバーできないか、オーバーラップできないか、共有できないか、個を超えることができないか、このようなことを考えているのです。平たく言えば、性器を交わらせるときに発生する感情、感覚という体験のレベルを、カメラ行為のなかで体感することができないだろうか・・・。

写真画像を制作するにあたって、ヒトの意識の発生ということ、ヒトの記憶の生成と成立ということ、そういうことが発生してくるころをイメージ化できないか、との思いがあるのです。いってみればボクの写真のテーマということです。では、そこで、なにをしようとしているのかということです。よりプリミティブな、より源泉的な感情を見つけ出すことだ、といえるかも知れない。心を別の位相で奮わせたいと思っているわけです。このようなたわけたことをイメージしているわけです。心の発生、イメージの発生、記憶の生成、ヒト個体の肉体と共にあるそういう装置を、カメラでもって作り出せないかと思っているのです。


2006.7.2
関係性の芸術-1-

関係性のなかの芸術という問題は、ネットワーク思考の時代になって、人と人との関係について語られることが多くなったなかで、新たな芸術のあり様が、求められてきているように思います。そこで人と人の関係を作る場の関係性を、それを介在するインタフェースを、最初にとらえてみます。

人と人が対面で顔をあわせ言葉を交わす。これが関係の原点だとすれば、手紙を交換する、電話で話をするということは、その原点から派生した形です。対面はリアルなライブです。手紙は伝送の時間が必要となりますから、一定の時間枠のなかでのバーチャルな場です。電話は基本的に声だけの双方向通信が現状です。

これは面識ある人と人の関係の中で使われるとき、半リアルなライブです。このように対面、手紙、電話と歴史的時間帯のなかで作られてきた人と人が関係する場があります。手紙はリアルで人が介在するネットワークです。電話は電話機という手段が介在するネットワークです。最近では、電話回線を使って提供されるサービスに、携帯電話+写メールがあります。いずれ写真に変わって動画が交換される装置になります。

自分を表現することを、他者に知らせる。基本形は、私とあなた、第一人称と第二人称の間で行われるコミュニケーションです。ここで関係性というとき、基本形は二者のコミュニケーションです。電話網はネットワークです。網の目のように張り巡らされたネットワークです。ボクたちは、このネットワークを使ってコミュニケーションする。最新の事例だと、電話回線網を利用した携帯電話+写メールがあり、インターネットを利用する自己の表現発信があります。

パソコンや携帯電話がハードウエアとして供給され、共用電話回線が提供されて、ボクたちはそれらを使いこなす需要者となります。芸術を、生成される現場の関係性で捉えることで成立する場、とするならば、一般的に使われる装置を使って、いかにして芸術たらしめるのかという提起がなされます。

芸術とはなにか、芸術とはなにを指し示すのか。いま問われている問題は、この<芸術>の中味のことです。個人の営為の結果生み出されたモノが、他者の目の前に置かれることで成立する芸術の形ではなくて、ネットワーク上に生成される芸術、つまり<関係のなかの芸術>とはなにか、なにを指し示すのか、この問題を解く作業が求められているのが、現在の視点です。

2006.7.15
関係性の芸術-2-

<芸術>の中味は、創り出すヒトの心、情動、気持ち、とでも表記すればよろしいでしょうか。作品制作のプロセスで、制作するヒトが突き動かされる<感情>そのものであるとボクは考えています。出来上がる作品が、社会的コードの中で読み明かされ、その作品の社会的意味が詮索され、社会的存在として認知される。この<社会的>というのは、外観、外側、表皮の部類に属しており、中味を意味するものではありません。ここでゆう中味とは、ボクは、制作者の心のありようだと認定するのです。

制作者の心は、何を求めているのか。ボクは基本的に他者とのコミュニケーションを求めているのだ、と考えています。この他者を求める心は、ヒトだけに留まらない。たとえば神と称される創造物とのコミュニケーションということもある。その心は、制作者が理想とする関係を求めているのだと思うのです。制作プロセスを、他者との共同で、相互に交換し、制作プロセスの場を共有し、つまりそこに含まれる共有者の心を感じあう。この感じあうことを目的になされる芸術の形を、<関係性の芸術>と呼ぼうと思うのです。

共同体は個人の集合で構成されています。国家という共同体、会社という共同体、政治共同体、経済共同体、個人の集合によって構成されている共同体は、システムを持ちます。生産と消費の循環システムが基本です。この循環システムに組み入れられた個人は、感情を疎外される。あるいは感情を排除することで成立するシステムです。ですから、共同体の生産と消費の循環システムに内在するものとして<芸術>という概念が生じます。芸術は、疎外された、あるいは排除された心を救済する立場の関係です。

ボクは、個人の孤独な制作プロセス時空を、個人と個人&個人という共同関係の時空に制作プロセスを置く芸術、これが<関係性の芸術>と呼ぶにふさわしい形式だと考えています。相互コミュニケーションのなかで成立する芸術、つまり心の救済を求める<関係性の芸術>を想定しているのです。そして、この<関係性の芸術>を成熟させるための道具として注目しているのが、デジタルネットワーク装置だということを、ここに付け加えておきます。


2006.6.22
写メールアート

携帯電話についているカメラ機能を利用して、アートができないかとの思いが、かなり前からありました。ネットワーク・アートとか、メディア・アートとか、近年のアート形式のなかに現れてきたアートの形です。その範疇のなかで、ボクは、関係するアートの形を模索しているのです。

アートは、いつも時代の先端技術を取り入れてきましたし、その時代流行にさきがけて、ツールを使ってアートの形としてきました。このような発想に立つと、今なら、ここに携帯電話というツールがあり、デジタルカメラというツールがあり、インターネットという媒体があります。これを組み合わせることで、アートの形になる。このように思うわけです。

一方で、アートとはなにか、という問題を解いているボクが居るのですが、二者の間にコミュニケーションが成立する関係をとりあげ、そこに情の交流が生じていくとき、その形がアートに昇華するとの仮説を出したところです。この形式が新しいものだとは、決していえないのですが、ツールと媒体を、携帯電話とインターネットの組み合わせであることが、新しいのです。

かってドストエフスキーは、貧しき人びと(1846年発表)を書きましたが、この小説は手紙形式をベースにおいています。また、文通形式をベースにする作品も、ジッドの狭き門など、多々あることと思われます。そうしてこれらは、作家の内部で作られた人格を演じさせることで成立した作品でもありました。

ネットワークアートの形式は、個人の営みの中から生まれるアートではなく、他者との関係性のなかに生まれるアートです。アートであることはフィクションでもあるわけですが、これを写メールというツールを使って、作りだしていきたいと考えているところです。

具体的には、二者の関係性がそれだけで完結するのではなく、一般に公開されなければなりません。リアルタイムに公開されるか、タイムラグを置いて公開されるかは、リアルタイムが望ましいわけです。しかし素材を組み合わせて、アート作品とするには、それなりの加工が必要なのかも知れないです。具体的には、ブログを使います。さて、いよいよその実験に取り掛かる準備が整ったようです。

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2005.8.31
ヒトの研究(1)

ヒトの研究、なんて大きなタイトルをつけたけれど、どっから切っていこうかな、と思うところです。ここで「ヒト」という単位は個人です。社会と個人、この対置法でいえば、社会とヒト、です。ヒトという単位、このヒトを中心に据えて、話を展開していきたいと考えます。

天動説と地動説。これは「地球が中心で宇宙が動いている」に対して「宇宙が中心であって地球も動いている」という発想の相違です。そこで、ここでの論法は、やっぱり個動説、社会が中心であって自分がいる、または、社会が動き自分も動く。社会とヒトの関係は、相対的な関係である。

ところで、ボクの興味は、ヒトの内部です。人体の内部ではなくて、ヒトの妄想や空想を生じさせる内部です。科学の領域で、体内器官や情報伝達物質の解明が進められ、記憶の発生構造や記憶がなすところの作用なども解明が進められている。としてもまだ不明なところばかりです。

ヒトの心には何がある?心の構造をモデル化しようとの研究もある。こうしてモデル化する科学手法があったとしても、その、なんと云うか、ね。「情」いうこと「情動」ということ、これですね、問題となる研究課題です。

情というモノが動いて「情動」。情が動く、情が動かされる。この状況をヒトの中に見出し、あれやこれやの言説を導き出したいと考えるのです。情が動いて言説化していくこと、言説化していくことで情が動くこと、これがスパイラル状で、ヒトの内部を構成する。

それから、身体と情の関係をも知りたい。身体と心、という言葉で括られる領域を、見つめてみたい。その実験材料は、ボク自身である。自分自身を実験材料として、「ヒト」というモノを考える。これが最初の切り口です。


2005.9.11
ヒトの研究(2)


<生きる力>

ヒトには、生きる力が備わっている。生命力といてもよいです。ヒトだけじゃなくて、生命体には、生きる力が備わっている。力はエネルギー。このエネルギーを燃焼させるためには、絶えざる燃料補給が必要だ、という前提での話です。

自然構造というか宇宙構造というか、ヒトが生きる力を持続させるのに、うまく循環できる構造になっていると思っています。ヒト→人→人間→人間社会、と言葉を変えて拡がらせていくと、人間社会ってのは、かなり無理をして<生きる力>を作ってるな~と思ってしまう。

人間→人間社会の範囲でいうと、年代区分として<近代>この400年を念頭に置こう。かなり無理してきたな~!本来の<生きる力>を覆い隠して、人工的<生きる力>を無意識化させてるな~!これが文化力だといえば、その恩恵を施されたボクは、感謝の至りだ~!と思いたいところだけれど、いま、そうは思わないんです。

今の<生きる力>には、逸脱して感じる<力>も必要だと思うのです。この<逸脱して考える>ことを封印されてきた近代を<発展>あるいは<進化>というのだそうです。この発展や進化は、生きる力を喪失させてきたのではないか?と思えてくるのです。

ヒトには逸脱する本性があると同時に、逸脱しないようにする本性がある。ホメオスタシスっていうんだそうですが、外界に対して自己保全する力です。このバランスの上に立って、エネルギーをどのようにして外化させていくのか。

生きる力は、身体を保持する(但し老化します)と同時に、それ以上の力で、外へ向けていくことができる。外へ向ける力は、集団力となり、家族共同体となり、地縁共同体となり、国家の形になってきた。国とは、囲いのなかに王がいて、<、>というものがある。<、>は国民のことなんだろうな~ふざけるな~っていいたいですね(笑)

生きる力の原点回帰現象が、最近顕著になってきてるんじゃ~ないでしょうか。
自然環境のなかのヒト、生態系のなかのヒト、循環系のなかのヒト、近代が作り上げてきた構造の恩恵を享受して、なお、この発想が生じているんです。やっぱり、これも発展、進化の一環として捉えるんでしょうか。


2005.9.20
ヒトの研究(3)

<情>

ヒトには情というものがある。情は、なさけ、気持ちを傾斜させていく。感情というのがある。情を感じるといえばいいのだろうか。情動というのがある。情が動くといえばいいのだろうか。
<情>を国語辞典で調べてみると、(1)物ごとに感じて動く心、とある。(2)なさけ(3)まごころ(4)男女間の愛情、と続く(昭和31年初版/角川国語辞典による)

この<情>に、最近関心をもっている。花を見て感じて動く心がある。ボクは男だから、女のヒトを見て感じて動く心がある。この動く心についての、思いなのだ。というのも、ボクというヒトの中に、算数や理科や国語の知識を教えられて、また学んできて、考えを組み立てる仕組みを持っている。ああすれば、こうなる、という推論を立てることもできる。この領域を、<理性>というのだと思うが、一方で<情>という対立項がある。

<情>はままならぬ。突然、襲ってくる哀しみの気持ちとか、女のヒトを見てワクワクする気持ちとか、とかくままならないのだ。理性で抑えられることは出来る。大人というのは、おおむね情を理性で抑えることに尽きる。とはいえ、身体の奥底、心と云われる得体の知れないところで疼く情を、どうにか開放できないか、と思うわけだ。

文学や写真を志向して、ようく考えてみると、この<情>をどのように扱うか、というのがテーマであるように思う。いやはや、どのように扱うか、ではなくて、どうして伝えるのか。これが、今求める、テーマである。
伝え方は、文章の場合は、文字(言葉)で状況描写と思う気持ちの描写だ。写真の場合は、具体的なモノの定着だ。その行為を通じて、情を伝える。

それにしても<情>とは、どのように定義すればいいのだろうか。


2005.10.5
ヒトの研究(4)

<情動>

ヒトの不思議なところは、情が動くという情動という現象です。いや~これはヒト特有の代物ではなくて、生命体の全てが持っている現象なのだと思うのです。
身体という有機体としての運動があります。受精から誕生して死滅するまでの時間、身体をもつわけだけれど、この間の運動の諸現象から、情が認知され、情動が認知されるのですね。

身体という個体となった自分の、身体が活動するときの気分というもの、その気分に言葉を当てはめて、ボクは表へ向けてあらわすことになる。楽しい気分、とか悲しい気持ちとか、いくつものカテゴリーに分けて、言葉を当てはめていくのです。
言葉では、母音、あいうえお、という発音があります。ボクは、この母音となる音、発声される音が、情動に密着した音だと思っています。

ところで「情動」、この不思議な代物の初元的な発生源は、食と生への感嘆だと思っています。食することで生を保ちことができる。それと生の営みに生殖というのがある。子孫を残すという本能です。
生の維持根源は、食欲と性欲。この二つをあげることができると思います。
ヒトを生命個体として捉えると、動物、植物との共通点をみることができます。
動物も植物も、全て、食し生殖します。それぞれの生命体が固有の方法で、食し生殖する。

ヒトの情動を研究することは、この動物・植物の共通点をベースにして捉えていくことから始まります。だから食し生殖する、ということに、興味を持って対することになる。
ボクが、食べ物とセクシュアルに関心をおく、理由がここにあります。
情動は、食べることと生殖行為をするために、持って生まれた本能だと認識します。

食べ物を見て、食べたいと思う。ヒトを見てセックスしたいと思う。食べ物には好き嫌いの嗜好があります。また、ヒトというのは、おおむね異性です。ボクは男だから、女のヒトを見て、セックスしたいと思う、ですね。
この二つを自分のものにしていくために、情動がある。このように解釈してよいのかな、と思っています。


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2005.10.7
ヒトの研究(5)

<食欲と性欲>

食欲と性欲は、生命体維持のための本能に根ざしているように思います。ヒトの生存に、食べることは、絶対的必要条件です。これができないと、死滅してしまう。だから、生存のための根本的条件です。それとの関連でいえば、睡眠、これも必須条件です。

それと子孫を残すための生殖。これは性欲の領域です。食欲は、断ち切られると生存できないのですが、性欲は、断ち切られても、生存できる。生命維持する個体として、根本的な違いがここにあります。

とはいえ、食欲と性欲は、ゆうてみれば本能領域に属します。だから、身体は、これを要求します。
文化って、人間が作り上げてきた生活手法のうえに、成り立ってきたと思っていますがね。
ようく見ると、この食欲と性欲に根ざしていることが多いと思います。
マズローの欲求段階説だったかで、欲求の基本は安定でしたかね。
生存の危機に立たされると、生存のための欲求を満たしていきます。

生存の安定は、集団生活を求めます。
ここに生殖活動が起こります。
食欲と性欲を満たしていくために、様々なルールをこしらえてきます。
そうして現在の、ルールが出来ているわけです。
現在の食と性のありかたについて、どのように思うかと問われれば、良いことないです、と答えます。つまり現状認めて、それでより良いほうへと向けていく。
食欲と性欲を、よりヒトの原点に忠実に帰してあげよう、と思っているのです。

2005.10.15
ヒトの研究(6)

<光>

ヒトに必要なもの・・・その冒頭に<光>ってのをあげてもいいかな、と思ってる。
もちろん水も酸素も必要だけど、意識のレベルまで含めて、光、ひかり・・・
光とは太陽光線のことです。
生命維持の絶対必要条件です。

闇と光あるところ、最初に闇から明が分離する・・・
ヒトの内部でいえば、表に出せることと秘密の部分があり、その表に出せるところに光があたる。
でもね、闇の部分に光を当てて、闇を明にしてあげる。
この作業、行為がアートする意味なのかも知れない。

万物の初めは光あり!っていう解釈でよろしいんでしょうかね。
深海の魚たちって光がなくても生きてる。
そう考えると、光なしでも生きられる?!
いや~そりゃダメですよ、やっぱり光がないとダメです。
光があることを条件に生命が誕生してるんだから、光がないとダメです。

ヒトにとって光は絶対必要なものです。


2005.10.16
ヒトの研究(7)

ヒトの視覚は、光がないと成立しない。
光が当たった表面をヒトの眼(網膜)が受け止めて、光景を認知するんですね。
想像の領域では、光が作った光景の記憶を辿って、光の当たらない処を探索します。ところで、光は上から降り注ぎます。光が上から降り注いで、表面を照らす。そこから上方を目指すイメージで、脚光を浴びるとか、上昇するとか、高貴だとか、上級だとかのイメージが創られます。

ところで、光が当たらない内面という領域があります。
無とか闇とか云ってますけど、社会とヒトの関係のなかにも、光が当たらない処がある。
この光が当たらない処を、人間の好奇心は、見てみたいと思うんですね。
目に見えない世界を見ようとする。
それから社会秩序から、はみだす部分には蓋をしてしまう。
蓋をして見えないようにしてしまう。

アートの行為は、この見えない処を見えるようにする。
あるいは写真や映像のドキュメントってのも、そのことなんだと思いますね。
文学にしろ写真・映像にしろ、表現が向かう深層は、此処、ここです。
見えない深層に光をあてる。
無から有を生む、あるいは蓋を取る、といえばいい。
これが回りまわって、ヒトの研究テーマとなったのが現在だ!

光は、その根本原理をつかさどるもの、としてあるような気がします。


2005.10.21
ヒトの研究とは

ヒトの研究とは、つまり自分研究ですね。
自分のことを研究する。

ボクは、生命に興味ある。生きてることに興味ある。
そうして最大の恐怖、死ぬことを怖れます。
もうそこそこいい年齢だし、来年60歳、もうおったまげてしまします。
だから、もう素直になってあげましょう、自分に対して、自分の感情に対して。

生きてきた履歴とか、就いてきた役職とか、そんなんどうでもいいんです。
いま、ここにいる自分。この自分のことを研究しなくてはならないんです。
そうして、安楽を求める。
たぶん、安楽とは悟りではなくて、全てを出し切ることではないか?
そのように思うのです。

自分の内面の欲求を、出し切ること。
それは自分を開放し、恥も外聞も馬耳東風~!
それが理想の老いたる姿じゃなかろうかと思うのです。
もう認知症の一歩手前か、進行中!
瘋癲老人日記じゃ~ないけれど、身体のエロスを追及ス!
そうしてますます命が盛んになる、ってことはありませんかね。

まあ、執着してきたことを、あらためて執着しなおしてみよう。
これが、ヒトの研究の中味になってくると思うんだ。
いつ終わるか知れない生に悔いのないようにだ。




2005.10.19
地上と地下

地上には光があたり、草木が茂り、木の実ができる楽園がある。
動物や植物が繁殖するために、生を営むために食べ物をむさぼる。
これらは地上における光のあたる場所にて、おこなわれる。
地下には何があるか。
地上を支える土があり水があり栄養素がある。
こうして地上と地下が一体となって生命体を維持させてくれる。

さて、ヒトのいる場所において、ヒトには身体と情がある。
身体の地上は、日々生活のための活動である。
じゃ~身体の地下は何だろう。
生殖行為の場、それが地下の行為であろう。

情の地上は何だろう。
目の前の光景に感動することに違いない。
じゃ~情の地下は何だろう。
生殖行為の場における情の在処といえるかも知れない。

地下は見えない場所である。
ヒトは見えない場所を見たいと思う。
じゃ~見せてあげよう!といったとき、そこには蓋が施されてある。
もんだいは、その蓋をどこまで開くことができるのか?!

地下を地上に引き上げる。
つまり蓋を開いて地上にしていく。
身体と情が共にある場所。
それは生殖の現場だ。
生殖は非生殖の場となり地下に封印されてきた。

さあ、この地下の封印を解いてあげよう。
地下を地下たらしめる蓋を開けて光を浴びさせてあげよう。
いいかね、これが大事なことなんですよ。
地下室の手記(ドストエフスキー、1864)の時代から一世紀半。
いまこそ、<地下室のエロス>の出番なのだ。
いいかね、これが大事なことなんですよ。

2005.11.11
恍惚と憂鬱

心の動きを見つめていくと、恍惚となる状態があるかと思えば、憂鬱になる状態があります。恍惚と憂鬱、エクスタシーとメランコリーです。
ヒトの気持ちって、この間を揺れ動く振り子のようだな~と思ってしまいます。そして、この領域は感情の領域です。

未来科学では、ヒトの感情がコントロールできるようになる。喜怒哀楽が作れるようになる。そんな時代に入っている現代だ。
エクスタシー状態とは、性欲が昂じていくさま、代表的にはそのように考えます。そうするとメランコリー状態とは、性欲が抑制されていくさま、このように考えることがあります。
ヒトの生存の最中には、食欲と共に生殖欲求が大きな比重を占めていると考えています。
恍惚と憂鬱が、この基本欲求を満たすか満たさないかにかかっているのです。

芸術が、写真や映像が、文学が、これから求めていくテーマとして、ボクは恍惚と憂鬱のレベルで、感情を喚起させる内容のものが、現れると推測しています。
感情のレベル。快・不快とともに、恍惚・憂鬱という感情のレベルです。
物語は、いまや浪漫自然主義とでも言えばようのでしょうか。
そういう時代に突入しているな~と思っています。

セックス産業が盛隆する。
何時の時代においても多かれ少なかれ、産業となるかならないかは別として、このことが大きな感心事でした。
いま、インターネットの環境を眺めると、迷惑メールという大半がセックス関連です。18禁アダルトサイトと呼ぶ、セックスサイトが膨大に拡大している。
この本質になにが隠されているのかを考察なしに、禁止だけ唱えても解決にはならない。
一方で自爆テロと呼ばれる戦争行為がある。これなど日本の60年前に、特攻隊だとか人間魚雷だとかと同じだ。ただ戦争が軍人対軍人に納まらなくなっただけのことなのだ。
きな臭い現場と、エロ臭い現場が、共に隠蔽されて世の外側に置かれていく状況に、これを注視しないわけにはいかない。

物語が浪漫自然主義の中にある、というのは、この両極を内に含みこむ物語であることだ。いま芸術が求めているのは、この領域を描き出すことなのだ、と考えるのです。

2005.11.22
磔刑のキリスト
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イタリア旅行中、深い印象に残り、また感動した光景を記すとすれば、磔刑のキリスト像であります。自分の気持ちに、背筋がゾクゾクするほどに、染み入ってきた光景でした。
ボクはキリスト教徒ではない。宗教心が無いとはいえない。でも無神論を貫いてきた何十年かがある。
文学では、太宰治、遠藤周作という作家の小説を読んできた。太宰は18歳から20歳前半だたし、遠藤は50歳半ばだった。
今回の旅行中、聖堂めぐりのなかで、愛読した小説と絡めて、ボクの気持ちを枠つければ、小説と現物のなかで、揺れ動いたと思っている。

写真は、ミラノのドームの中にあった磔刑のキリスト像。照明され、ローソクを捧げる台があった。

たとえばジッドの小説に「狭き門」という作品がある。信仰することの意味を書きあらわせた美しい小説だ。あるいは人間の理想を説く作品だと思われる。
あるいはドストエフスキーの「地下室の手記」という作品がある。人間の内面を書きあらわせた美しいとはいえない告白小説だ。
それに呼応するかのようにして、ボクは「愛物語」&「地下室のエロス」を書く作業中だ。

人の内面にある思いを、符合させるイメージとして、磔刑のキリストに救いを求める。あるいは人のこころの枠を作る作業としての磔刑のキリスト。

ボクの感動を、この磔刑のキリスト像に符合させたとき、信仰の意味が掴めたような気分になった。

2005.11.30
紅葉する京都

秋も終わりの今日は11月30日です。数日前に、紅葉を見に行くともなく行った先で、紅葉を見た。
春の桜、秋の紅葉!
あらためて京都を捉える視点のひとつとして、桜と紅葉を想い描いた。
春夏秋冬、ヒトの季節を感じる感じ方のなかに、自然の風物があるとすれば、この自然風物こそ、植物群と密接に関係していると思われるのだ。

ところで、桜といい、紅葉といい、これは人工的に作られた文化の一端である。もちろん山へ行けば、自生の桜や紅葉があるけれど、これを文化の中に持ち込んだ気持ちは、すでに文化のなせる技である。
京都をどのように捉えるか。このテーマがボクのなかにある。ボクの生まれ育った生活環境そのものが京都である。その生活者の視点で、自分自身を捉えていく枠として、京都という枠を考えているのだ。

紅葉を見る場所は、社寺の境内が多い。とはいえ行った先は、宝ヶ池の子供の楽園、南禅寺境内だった。具体的には、11月27日と28日であり、宝ヶ池は孫たちと妻と一緒に、南禅寺は妻と一緒だった。家族と一緒に行った先での、紅葉鑑賞、写真撮影ということだった。

白幻物語-冬へ- というタイトルで、昨年にアルバムをつくった。
田舎の自宅の庭の紅葉を起点に、冬風景をまとめる写真アルバムだ。そういえば紅葉は、冬への季節の始まりなのだ。

2005.12.18
雪が降る

冬になれば雪が降る。自然現象です。ぼくは京都生まれの京都育ちだから、雪が降る光景には、憧れに近いまなざしがあります。寒いところ・・・・、向かう方向を言い当てるなら、南方よりも北方へ、暖かいところより寒いところへ、という感じでしょうか。
学生のころ、もう遥か昔のことだけど、旅をするならシベリア経由で西欧へ入る。そんな夢想を抱いたものでした。

南方系、北方系、そんな分け方があるとしたら、ぼくは北方系ということになるのかも知れないですね。やっぱり、どうも南方には興味が湧かないんです。バリ島に行ってみたい、という気持ちも無くはないですが、むしろ東欧の国々へ行ってみたいという気持ちの方が強いですね。

ヨーロッパへはこれまでに二回旅行しました。最初は1998年、ドイツ、オーストリア、オランダの三国、そしてこの11月、イタリア。どちらかと云えば明るい雰囲気だったアムステルダム、ナポリ、というよりも、リンツ、ミラノ・・・ちょっと陰鬱な街の方が印象深いです。

ぼくの生活空間は、京都ですが、そのことを念頭において感じてみると、東京より京都を好みます。ということは、ウインよりもリンツ、ローマよりもミラノ、首都よりむしろこじんまりした歴史ある街ということになるのかも知れない。

やっぱり田舎より街だな~と、自分の好む風景を確認してしまう気持ちです。
雪が降る日の午前です、手持ち無沙汰な時間だ、何気なく、ふ~っと思うことを文章にしています・・・。

2005.12.30
年賀状

年末年始がやってきた。
今年の反省と来年への抱負。
毎年この時期になると決まって嗜まれるのが年賀状。

ボクはこの10年余り、年賀状を書かない、出さない。
年賀という風習は認める。
としてもこれを年賀状という郵便はがきにしたためることをしない。

昨年からWEB年賀状をやりだした。
経費がかからないからです。
ボクの思考のなかに、貨幣からどこまで遠のけるかというのがある。

だれにも強要はしない。
自分だけの実行です。
そういうことで郵便はがきの年賀状は出していません。

2006.3.4
私性のこと

東京都写真美術館から特別鑑賞会の招待状が届きました。「私のいる場所-ゼロ年代の写真論」とゆう展覧会が、この3月11日から開かれるといいます。ここでは「私性」プライベートが全体テーマだとゆうことです。

私にこだわるということは、全体が拡散してしまったと思われる時代の、私を確認する方向として意識されるテーマです。それを写真や映像で、表現物として作るわけだから、フィクションではあるけれど、ここ近年、クローズアップされてきています。

プライベートということ、写真でいえば、プライベートドキュメントです。少し前の状況でいえば、かなりセクシュアルな自分の生活現場を、開示する方法で写真が撮られた。あるいは私性の表現として、それらは有効だったと思う。

個人の内面というのは、感情に満ち溢れ、感情の源泉にはセクシュアルな要素が潜んでいます。この内面を見つめていくと、これまで特殊な領域に押し込まれていたセクシュアルが、特殊な領域ではなくて、社会認知されるための表現として意識される。

まあ、ドキュメント論でいえば、外に向かっていた作家の意識が、内側へ向かってきた結果として、いま、「私性」プライベートドキュメントなんです。全体が拡散してしまったように感じられる世界の、唯一の確証えられる場として、自分を見つめていくという作業が、浮上してくる。何も信じられなくったって、せめて自分だけでも信じてあげよう。そんな感じかな、と思います。

そういうわたしも、私性にはかなり強いこだわりがあるところです。

2005.12.19
ヴァーチャルアートの試み

(1)

ヴァーチャルアートあるいはメディアアートの試みをはじめています。
インターネット環境で、ひとりの人格を作る、試みです。
たとえば、ハンス・ベルメールは人形を作った。この人形はヴァーチャルではなかったが、そこに人格を込めて、写真に撮った。
ヒントはここにある。いまやインターネット時代、ヴァーチャル時代です。ボクはここにひとつの人格を創ろうと思うのです。

主人公は若い女性です。この女性が、ホームページを持ち、ブログを持ち、写真や文章を載せていく、そこにひとつの虚構の女性を作り上げていく考えなのです。この考えは、いまこそ可能なアートのかたちだと認定しています。それは虚構の世界ですから、ボクが思うことを具体化する女性です。まあ、ちょっと変質気味ているかな~との思いもあります。

現代アート作品の、本質テーマのひとつに、セクシュアル領域の具体化があると感じています。それをヴァーチャル上で具体的な形にする、それが狙いです。或る女性を設定する。小説であれ絵画であれ彫塑であれ、作家が具体的な形に仕上げていく結果として、作品が生まれてきます。これをヴァーチャル上で創ろうという試みなのです。

まだ始まったばかりのヴァーチャルアートの試みです。どのような展開になっていくのかは未定形です。写真と文学をミックスしながら、ひとつの仮想人格が創りだせれば、いいな~と思う。

(2)

ヴァーチャルで人格を造っていくことは、小説の場合、登場人物として書籍のなかで生成される。物語とは、そこに登場する人格に息吹を与えられ、仮想の世界が創られていくプロセスだ。この手法を、インターネット上に置いてみたら、どういう展開になるのだろう、というのが発想の原点です。ちょっと危ういな、と思いながらの実験・・・。

ボクが想定する物語の主人公は「或る女」です。インターネットツールを使って、ヴァーチャルな環境のなかで「或る女」を演じさせようと思うのです。すでに実験を開始しているところですが、良い悪いは別にして、反応が出てきています。

このこととは別に、ヴァーチャル環境に行き交うヒトの心理ということに興味があるのです。自らのヴァーチャル環境から受ける心理を体験的に研究(といえば大袈裟、アカデミックな言い方になる)をしているところですが、作家が読者の反応を見て世間を知る。これと同じように、世間を知ることが出来る。と、まあ、このようにも考えている最近です。

作家という人格は、フェティッシュで変質者だ。ヒトならだれもが潜在的に持っている人格のその部分を、覚醒させ、同意させ、満足させる。まあ、こういった作業を行いながら、満足を得ていく性質のようだ。作家は、自分を開く必要がある。或る意味、見られる立場に立つ。見る側は、作家を見ることを期待し、代弁してもらうのを待っているのです。

そのテーマとなるのは、作家が生きる時代の中で、ヒトのいくつかの関心ごとの中で、その根底を創りなす領域を明るみにだしていくことだと思うのです。「或る女」はすでにインターネット上に人格を造りだしています。小説を書き、日記を書き、写真を発表しながら、仮想の人間として生成しつつあるのです。

(3)

デジタル領域は仮想空間において、人格を創っていく試みは、アートの一つの形式だと考えています。写真と文章、これがボクの表現手段だから、この二つの領域を使って、或る女を捏造する試みだ。写真も小説も、ある種の捏造された結果です。一冊の書籍として世に出される捏造の世界が、いまやデジタル領域にネットワークされる一つの作品として捏造されるのです。

或る女は小説家を目指しています。いくつかの小説をヴァーチャルネットワーク上に配信し、自らのホームページに告白をしていきます。そのテーマは、愛と美、エロスとカロスです。或る女が捏造される人格だとは、だれも気がつかない。気がついたとしてもその人格を認める。現代社会の表と裏に生息する或る女を捏造するのです。

或る女であることの試みは、男と女のあたかも本音であるかの情報を収集することにあります。表と裏を人格全体をなすものとして、その全体像をつかむためです。現実世界で、世にいう性的犯罪とされる領域の根源を断ち切りたい、そんな想いがあります。そういう犯罪行為がたち表れる個の内面を探りたいとも思うのです。

これは文化研究の一端として捉えています。ヴァーチャルネットワークが手元にやってきて、およそ10年の時間が経過しています。新しいメディアが成立しつつあります。ただしこれは器であって、内容ではありません。写真におけるカメラ、文学における書籍、それらと同じ器です。この器の中味を構成するものは、写真の中味であり小説の中味そのものです。その中味そのものの考察も含め、新しいメディアを研究する試みです。
    120kyoto1304030014




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